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消える流れるすり替わる  作者: 羊毛
2.メロンの楽園
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月曜日――銀色(2)

 五分進んだ時計台が、きっかり十二時を告げた。てっぺんの扉がパカッと開いて、真っ白な鳩が羽を広げ、十二回鳴いてからオリーブの枝をついばむ、よくできた絡繰りだ。闇がはびこる町の中央で平和の象徴が時を告げるというのは、もしかしたら考案者は辛味の効いたジョークのつもりだったのかもしれないが、あいにく誰にも見向きもされなかった。鳩が鳴こうが広場が水浸しになろうが、この忙しい連中には関係無いのである。彼らを振り向かせるには、正午ごとに十二発の弾丸が飛んで来るとか、十二枚の金貨が飛び出すくらいでないといけないだろう。それですらあるいは不十分かも知れなかった。


 その時計台の足元には、明らかにこの広場に必要の無いものが転がっていた。大きな灰色の土管である。その上には土管の持ち主が腰掛けて、背中を時計台にもたせ幸せそうに目を閉じていた。ぱっと見は十代半ば、近付いても二十歳ほどに見える小柄で華奢な男だった。彼は三日前からここに土管を持ち込んで居座っている。昨日は一日留守だったので土管を見捨てて去ったかとも思われたが、今朝また戻って来て時折トイレに行く以外には全く動く様子が無い。こんな物騒な場所でいつ射殺されるとも知れないのに、余程の呑気者か強者か。だが彼は、いま突然目を開けて身を起こし、辺りを睨み回したのだった。


「出て来いよ」黒猫はすっと目を細くして足元のひび割れた氷を見つめた。「あからさまな殺気だな。俺の神経を完全にまいらせてからじゃなきゃ出て来れないのか?」


 何処にこれだけの人数が隠れていたのか。黒猫の言葉が終わるか終わらないかのうちに、十数人が姿を現わしていた。体格も服装もまちまちだったが、どの人間も目付きはよく似ていた。時計台を背にぐるりと取り囲まれて、黒猫は溜息をついた。


「俺が誰だか分かってるのか?」


「諦めるんだな」一番年嵩の者が手馴れた動作で拳銃を抜いた。「動くなよ。まだ歩いたり喋ったりしたい年頃だろうからな」


「殺さない程度に撃てるって言うのか? お手並み拝見と言ったとこだな」


「殺してもいいと上からは言われてる」


「そりゃ、あんたがなめられてんだよ。逃がすくらいなら殺した方がマシだからな。あんたの上司はあんたを信頼してないってこった」


「無駄口をたたくな」


「俺を殺したら、あんた降格されるよ。逃がしたらクビだがな。とかく、あんたの上司は生け捕りの俺を欲しがってる。そこんとこは忘れてもらっちゃ困るな」黒猫はすとんと土管から降りた。「その物騒なものを仕舞ってくれないか。膝が震えて歩けやしない」


「歩かずに済むようにしてやろうか」


「それこそ無駄口だ。お前こういう言葉を」黒猫は不意に、目にも留まらぬ速さで土管を持ち上げてぶんと振った。腕を掴もうと近付いて来たところだった奴が、これをまともに食らってよろめいた。すかさず黒猫はもう一度土管で殴打し、氷の上に叩き付けられた彼の真上に大きくこれを振りかぶった。「知ってるか? 弱肉強食、自然淘汰。全員武器を捨てて二十歩俺から離れろ。お前は動くな」


 丁度、そんな時に俺は、反対側の通路からまさめと岸を引き連れて到着したのだった。岸は声を呑んだ。柾は何の感動も無く、「なんだ、あれ」


「おいさっさとしろ俺の腕がもたん」と黒猫は落ち着き払って怒鳴った。「おい、そこの背広の、まだ隠してんな。てめえもだ黄色の。往生際が悪いぞ。そっちの負けだって言ってんだよああ分かってんのか?」黒猫はぐっと力を込めて土管を半分振り降ろした。声を上げて身を捩ろうとする人質の頭を黒猫は靴で踏み付けた。痛そうだった。忙しい通行人もさすがに足を止めてこの光景を傍観していた。


「岸」黒猫は土管を構えたままこちらに顔を向けて顎をしゃくった。「丁度いい所に来た。手を貸せ」


 岸は駆け寄った。


「伏兵がいる。通行に紛れて、最低でも二人」


「訳も無い事ですよ」岸は敵が捨てた武器の中から適当に一丁取って土管の真下に蹲っている人質のこめかみに当てた。それから広場全体に向かってよく通る声で言った。


「日本政府が闇町に侵入した」


 通行人の反応は早かった。闇町の住人達はそれぞれさっと武器を抜いて近くの者の顔を確かめ合い、瞬く間に五人の伏兵を弾き出した。銃口を向けられた彼らは両手を上げた。


「すげ」と黒猫は呟いた。「予行練習でもしてたのか?」


「ここは我々の国ですよ」と言って岸は人質を立たせて他の十数人が突っ立っている架橋の入口の方へ押しやった。五人の伏兵も背中に銃口を向けられたままそちらへゆっくりと歩かされた。何もかも事務的に行われた。敵が全員一箇所に揃って広場に背を向けたところで桜組の副長だか誰だかが引き金を引いた。パンと一つ鳴った。それを合図に皆一斉に氷の張った床に向けて撃ったのでパパパパパンとか鳴って床と氷に穴があいた。日本政府とかいう連中は一目散に逃げ出した。まさにあっと言う間にだった。


「ここまで纏まれるんだな」柾は自分の銃を仕舞いながらぽかんとしたように言った。柾の銃から煙は出ていなかった。弾が勿体無いからな。


「皆そう思ってるだろ」と俺は言った。


 黒猫は今更のように持ち上げていた土管を床に降ろした。通行人は何事も無かったようにまたそれぞれの仕事に戻って行った。武器屋が早速敵の捨てて行った物を回収にかかる、けれど他の者は見向きもしない。他人の領分に手を出さないのが闇町の鉄則だ。


 岸はぼけっと突っ立っていた。


「岸」黒猫はゆっくりと一歩踏み出して言って、自分よりずっと背の高い岸を抱き締めた。岸は泣き出しそうな顔になった。「大きくなったんだな」と黒猫は言った。


 岸は蚊の鳴くような声で議長と言った。「もう、会えないかと。もう、死んだかと」


「おいおいおい。勝手に殺すな」


「でも、どうやって……」


「どうやってでも、お前を置いてあの世に行けないだろう。探したんだぞ。ここだけじゃない、もうあっちこっち探し回ったんだぞ。昨日お前の息子に会った……双子なんだな」


「ええ、はい、でも……」


「でも」と柾が口を挟んだ。「水を差すようだが、三十年経ったはずだ。岸。お前が俺に話してくれた議長はもう五十近いはずだぞ」


「残念だな。その二倍生きてる」と黒猫はまるでそれが偉大な事であるかのように言った。


「へえ」と柾は言った。「じゃあ、本人なんか?」


「ミナタクルって麻薬、知らないか?」


「……ああ。さあ」柾は遠くを見るような眼で答えた。


「俺や岸は初期版のミナを実験的に投与されたモルモットなんだ。初期版は成功だった。だがあの大地震でほぼ全ての技術が失われた。その後どうにか復元された復刻版ミナは、初期版とよく似ていたが、実験結果は散々なものだった。幻覚に始まる強烈な副作用の数々――麻薬でしかない」


 柾は無言で黒猫を見つめていた。


「不老長寿の薬、というわけ」黒猫は冗談のような調子で言った。「日本政府も馬鹿なものに首を突っ込んだもんだよ。今頃になって後悔して、自分でやった事の後始末付ける為に俺を追ってるのさ。ちゃんとした情報を握ってるのは俺だけだからな。て言うわけで、俺や岸の歳は聞くな」


 黒猫は言いたいだけ言うと無造作に土管を担ぎ上げた。


「議長。どちらへ?」


「また連絡する。ここは殺風景でかなわん」黒猫はばりばりと氷を踏んで歩き出した。そして丁度来たばかりのエレベータに、平気な顔で土管ごと乗り込んだ。


「議長」と岸は苦笑混じりに言った。黒猫は黙ったままひどく無邪気に微笑んだ。そのまま当然の如くエレベータの扉は閉じた。柾は、くるりと背を向けて先に歩き出した。


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