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消える流れるすり替わる  作者: 羊毛
2.メロンの楽園
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月曜日――銀色(1)

 あおがメロン農家になる夢を見た。「北海道」に土地を買ったと言ってさも嬉しそうにメロンの種を蒔いている。そんなやり方で実がなるものかと俺は言った。だが青はにやにや笑ってビニルホースでいい加減に水を撒く。みるみる芽が出て蔓が伸びて、青々とした畑になった。奇妙な事もあるもんだと眺めているうちに目が覚めた。悲しかった。収穫して食べるところまで見たかった。


 どうにも黒猫の事が気になって仕方無いから朝食を食べてすぐ闇町中央へ行った。冷え込んだ朝だった。薄暗い架橋を潜り抜けて広場に出て呆れた。広場一面に水面が広がって銀色の氷が張っていたのだ。


 おかげで闇町中央は平らなようでいて実は中央が凹んでいるという事が判った。ごく浅い擂り鉢状なのだ。噴水を中心として浮き輪型の大きな水溜りが広場ほぼ一杯に広がっていた。通行人は特に気にかける様子も無く氷を踏み砕いて忙しなく行き来している。何かの理由で噴水の水が溢れたくらいに思っているのだろう。


 水深は浅くて土管の厚さ程も無かったけれど、黒猫は土管から這い出してその上に跨ってスナック菓子を頬張っていた。つくづく呑気な奴だと思った。俺が近付くとおはようと黒猫が言った。俺は立ち止まって暫く彼をじろじろ眺めていたが、黒猫は一向にうろたえる様子も無かった。挨拶が済んだらもう俺に興味が無くなったらしく、熱心に菓子の袋の原材料表示などを読んでいるのだった。


「黒猫」と俺はできる限り低く言った。黒猫は目を上げた。その目を見ると彼が見かけほど若くない事が判った。

「お前が誰を捜しているか知っている」と俺は言った。


 黒猫は首を傾けた。


「そいつが何処に居るかも知っている」と俺は続けた。


 黒猫はまだ黙っていた。


「取引をしないか」俺は氷の上を一歩踏み出して言った。「彼の居場所を俺は知っている。百万で買わないか」


「お前は、一人?」黒猫が突然喋った。


「質問の意味が分からない」


「どこかに所属しているか?」


「そうだと、何か変わるか」


「家族は?」


「いるとお前に得があるのか」


「聞いてみただけだ」黒猫は口元だけ、にやにやと笑った。「ここは、住み良い場所とは言えないな」


「俺にとっては何処でも同じだ」


「ふうん。そういうのは、ガキの言う事だ」黒猫はそう言って土管の上に片方の膝を立てて両腕で抱え込んだ。「名前は?」


「白猫」


「俺は高橋いとしってんだよ。愛っていう字に歴史の史で、愛史いとしだ」


「大介。大きいに魚介類の介」


「俺の名前の方が格があるだろう」黒猫は得意そうに言った。


「買うのか買わんのか」と俺は言った。


「そんなに金持ちじゃないんだ」


「一桁譲ろう。三十万」


「お前、彼の何? 敵、味方、血縁?」


「敵だ」俺は語調を強めて言った。「随分前から見張っとるんだが、油断の無い奴だ。お前も気合を入れる事だな」


 黒猫はちょっと俯いてそれから上目遣いに俺を見た。「彼が、お前に何をした?」


 俺は言いたくない振りをして考えた。


「お前の大切な人を彼がどうにかしたか?」


「殺されたんだ」俺は嘘をつくのが嫌いなので凄く小さな声で言った。


 黒猫の目は無防備なまでに、悲しげになった。

「実は、友達なんだ」黒猫は顔を背けて言った。「俺の可愛い弟分だった。虫も殺せない奴だったのに……」


「お前より、年上だぞ」俺は内心ひどくうろたえながら言った。


「そう見えるかも知れない」と言ったきり彼は、黙ってしまった。


 彼があんまりあっさり俺のはったりに嵌まってくれたので、俺はすぐには自分の成功を信じられなかった。彼が俺の心の内を何もかも見抜いて演技をしているのではないかと思った。けどそんな事をして彼に得があるとは思えなかった。


「じゃあ友達だっていうのは、嘘じゃなかったわけだ」

 俺はすっかり沈み込んでいる黒猫に少し申し訳なく思いながら言った。黒猫は反応しなかった。どうしたものかと俺は考えた。


「殺さないで」黒猫は俺の方を見ないまま言った。「お願いだ。勝手だって分かってるけど、あいつを大事にしてるんだ。大切な人なんだ。俺にとっては、いつまでも」


 俺は思わず言った。「――随分な勝手だな」


「分かってるよ。言ってみたいだけだ。俺はただ言いたいから言うんだ。あいつを殺さないでくれ。お前はどうせ聞き流すかも知れないがそれでも俺は今お前に言いたいんだ。殺さないで」黒猫は顔を上げた。「友達なんだ。大切な人間なんだ。誰が何と言ったって――」


「ひどい奴でも?」と俺は聞いた。「そいつがお前の思ってるような奴じゃなくなってても? そいつがお前の事なんかとっくに忘れるか、嫌いになってても」俺はこの機会に聞いておきたかった。「例え好きでも、それはお前だからじゃなくて、ただ、優しくしてくれる人なら誰でも良かったのかも知れない――」


「それじゃ、理由が必要なのか?」黒猫は俺を見据えて切り返した。「人を大事にしたり、憎んだりする前に、お前はいちいち理由を言うか? 誰に向かって?」


 ああ何と、完璧な返答なんだろうと思った。青にこう言ってやればいいのだ、これで問題が全て解決した。


「答えてくれてどうも」俺は本当に感謝していたので自分で驚くくらい素直に言った。「きし実生みしょうなら今、市ノ背の温泉旅館だが、今日中に赤波あかなみ書房株式会社の事務所に戻る。共同第八ビルの十二階。それと俺は彼の敵じゃない、彼は誰も殺してない、お前が彼の敵じゃないかどうか確かめたかっただけだ。金はいらない」


 俺は黒猫の反応を待たずに背を向けた。まずリンに電話してそれから青に電話しようと思った。二日ぶりに気分が晴れたようだった。だから事務所に戻る途中で岸から電話が掛かってきた時には、赤波あかなみまさめなんていう人間もいたのかと思った。


「すぐに、来て貰えますか」岸は生真面目な声だった。「柾さんが貴方に迎えに来て貰いたいそうです」


「とうとう狂ったか」


風波かざなみ駅までお願いします。あと一時間ほどで着きますので」


「俺の質問に答えてない」


「質問だったんですか。別に狂ってませんよ。非常にご気分は良いようです」


 気分の良い柾なんて見た事が無いが、きっと岸から三晩に渡って嫌がらせを受けて俺の寛大さが身に染みたんだろう。これで暫くはおとなしくしているに違いない。


「お前に客人が来てたぞ」と俺は岸に言った。「黒猫とか高橋愛史とか名乗ってるが」


「へえ」岸の声は何の感情も含んでいなかった。「一体誰のいたずらだろう。見当も付かないな」


「心当たりが無いのか?」


「多過ぎますので。とにかく迎えにいらして下さい」岸はぷつりと電話を切った。


 俺は事務所に寄るのが面倒なのでその足で闇町を出た。


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