土曜日――灰色(3)
どいつもこいつも土管の話だうんざりしてくる。朝の委員会でさんざん聞かされたのと同じ戯言を何故夕食の席でも聞かされなきゃいけない。土管なんぞどうだっていいじゃないか、何が不思議なんだか分かりゃしない。あれはあの酔狂者が好きでしょって来た寝床、ただそれだけだ。それ以上の何かがあるって言うんなら誰か説明してみろっていうんだ。全くもって馬鹿げている。どうせ青もこういう話を面白がるんだろう。絶対に話すもんか。
何が土管だ何が黒猫だ、何が不可能犯罪だ。切田霞に到っては闇町中央は密室である、土管の出現は密室犯罪であるとまで言い出した。くたばりやがれ。
「機嫌悪いね」青が言った。
「いつもだ」
「今日は一段と凄いよ。電話回線通じて殺気が伝わって来るよ。怖い怖い」
「そう。じゃさよなら」
「待って。切らないで。何をそんなにお怒りなんですか。ああ、そうか、柾さん休暇中か。お父さんに会えなくて寂しい」
「あんな奴知るか」
「いいよねー、柾さんは。いつもあなたからそんなにこんなに大事にされて」
「大事にするもんか。帰って来たら玄関先で射殺してやる」
「ほんとモノスゴ機嫌悪いね。闇町で何が起こってるの?」
「何も起こってない。何も起こってないからこういう事になるんだ」
「どういう事だって?」
「貴様に関係無い。だいたい貴様が非公正取引委員会なんか作るのが悪い」
「あら、それはすいません。ご出席なさったの?」
「柾がいないから代理で」
「いじめられた?」
「違う。内容がくだらないんだ」
「そりゃ、出席者が人間である限りは避けられない宿命だ。世の中にくだらなくない会議なんて存在しないよ。きっと」
「じゃあ何の為にあんなもん作ったんだ」
「いやあ、あった方が面白いかと思ってね……うちの八羽島、出てた?」
「ああ。随分態度がでかくなったな」
「お手柔らかにお願いしますよ。あの人は本当にお人好しだから心配なんだよ……」
「知るか」
俺が怒れば怒るほど青は面白がるみたいだった。青はまた例によって「うちの兄貴」の噂話をした末、とうとう話題が無くなって黙り込んだ。
「じゃ」と俺は電話を切ろうとした。
「ああ、待って」
「何だまだあるのか」
この俺を相手によくもそうそう喋っていられるものだ。近頃青に感心している。
「大介さん――私は、あなたが大好きですので」
「それは、もう聞いた」
「……もう聞いたと来た」
「事実だ」
「あなたにはね」と青は言った。「情緒というものが、欠落しています」
「嫌なら、もっとましな男を探せばいい」
「別に、いいさ。そういうところも好きさ。好きだけどね。たまには、正直になった方がいいと思うよ。嘘ばっかりついて、後で自分が傷付くんだからね」
「じゃあ、正直に言うけど、俺はお前の事なんか何とも思ってないんだ」
「そうね。構わないよ。あなた、誰でもいいから単に話し相手が欲しいんでしょ。それに付け込んであたしが毎日電話してるのよ、分かる?」
「だから何だ」
「だから何って訳じゃないけど。少しは自分が寂しがってるってこと認めたらいいんじゃないですか」
「俺に説教たれる気か」
「説教に聞こえる? 単なる八つ当たりなんだけどね。あたしは、ダンが寂しいからっていう理由であたしに心を開いてくれても、嬉しくないんだよ。最近あんたね、覇気が無いんだよ。誰でもいいから話し相手が欲しい、優しくされたら誰の事でも好きになってしまう、そういう態度。そういう態度が気に食わない。あんた、そういうだらだらした態度で付き合ってると、そのうちあたしの事を好きだと思うようになるよ」
「良かったじゃないか」俺には青が不機嫌になる理屈が分からない。「そうなったらお前にとっちゃ、願ったり叶ったりなんだろ」
「気に食わない。そういうだらだらした理由で好きになって欲しくないね。あたしを自分専用のカウンセラーにするつもりでいるんなら、今すぐやめて欲しいと思うよ」
「俺にどうしろって言うんだ」
「口開けて待ってないで、自ら行動して欲しいよ。あたし明日はかけないからね。話し相手が欲しければ、自分で誰かに電話しなさい」
「お前にはかけないぞ」
「結構ですよ――ごめん、言い方きついかな……でもね、近頃本当に、ダン、元気が無いよ。前と違う。だから心配だ」
「でも、お前は間違ってる」俺は思わず彼女に反論したくなった。「俺はそういうだらだらした理由で電話に出るほど電話が好きじゃない」
「うん、分かってる」青は意外にあっさりと引き下がった。「だからね、単に八つ当たりだよ。君が近頃いやに優しいから、不安になってるんだ。明日はかけない。じゃ、お休み」
電話はあっけなく切れた。事実俺は寂しかった。近頃では本当に、夜部屋に布団を敷いてから電話が鳴り出すまでの数十分間が長く感じられるようになっていた。俺は青からの電話が一つの楽しみになり始めていた。それが何故なのか分からない。青の言うように「だらだらした理由」からなのだろうか。そうなのかも知れない。よく分からない。どうしろって言うんだろう。なんで青はあんな事を言うんだろう。なんだか嫌な気分だった。勝手な事を言い出す青が嫌だったし青にあんな事を言われてしまう自分が嫌だった。そのずるずるまとわり付くような気持ちは暫く、俺の内側に引っ掛かっていた。真っ暗になった部屋で考えていた。闇は俺の体に染み込んで来るようだった。自分の心の内を覗き込みながら精一杯真剣に考えた。でも何の答えも出ないうちに眠くなった。俺は布団に潜り込んだ。




