序
初めに言っておくがこれはメロンの話でなければ楽園の話でもない。俺は昔メロンという名前のうさぎを飼っていたがその話でもない。ただ何か題名が無ければいけないと思うので、俺の将来の夢を掲げておいたのだ。俺は将来弟が死んだらその遺産で土地を一反買って一面にメロンを植えようと思う。そして年から年中メロンの世話をし、メロンの事だけを考えて暮らすのだ。
俺は昔メロンという名のうさぎを飼っていた。それをよく覚えているのは俺が彼女を愛していたからだ。俺はメロンという果物を愛していたしメロンと名を付けたうさぎを愛していた。うさぎを愛していたからメロンと名を付けたのかメロンと名を付けたからそのうさぎを愛したのかどちらだか思い出せない。その二つが区別できるほど俺は頭が良くなかった。俺は大体頭の悪い子供だった。幼い頃俺の目には周りの事物が何であれ全て歪んで煩雑に絡まり合っているように見えた。歪んで煩雑に絡まっていたのは実際のところ俺の周囲ではなく俺自身の頭の中身だったが、その事に気付いたのはつい最近になってからだ。気付いたとき俺はそれまでずっと損をしていたと思った。もっと頭が良ければこの十八年もっと楽して生きて来られたのだ。その事に早く気付くべきだった。俺はメロンという名のうさぎを飼っている間、それが本物のうさぎか少なくともそれと同等のものだと考えていたが、今思い出すとあれはタオルで作った縫いぐるみだったと思う。
昔どこか東の果ての方に日本というちんけな島国があったが、そこの民は揃って馬鹿で無礼者だったので天地の怒りを買って海底に沈められた。沈み切らなかった標高の高い山々には生き残った民らが集って泣き暮れたが、根が元から馬鹿なのですぐにこの天罰を忘れた。今ではこの残った小さな島々を南三分の二は日本政府が、北三分の一は風波政府が統治している。この二つの政府はどちらも似たようなものだからどちらかに統一すればいい。俺には他人のする事でよく分からない事が沢山ある。その一つが俺以外の多くの人が進んで面倒な仕事を自分のものにしたがるという事だ。風波政府はどうして日本政府がそれまでしていた仕事、これからも喜んでするに違いなかった仕事を横から奪い取る気になったのだろう。俺だったら日本政府のように仕事熱心な同僚が近くにいたらもう二つ三つ仕事を譲ってやるくらいのものだ。
その仕事熱心な日本政府から仕事を横取りした仕事熱心な風波政府にも、手に負えない仕事が一つだけあった。それは首都風波市の中央付近に巣食っている、闇町という場所に法と治安をもたらす事だ。風波政府はよく闇町を罵って無法地帯と呼ぶが、住んでいる俺から見ると無法というような楽しい場所ではない。闇町には不文律が沢山あって風波や日本よりも法が厳しいくらいだと思う。例えば自分の気に入らぬ者は好きな時に殺していいという法律があるので、誰もが他人から気に入られるように礼儀正しく振る舞わねばならないのだ。
そんな闇町で俺の所属する組織は赤波書房株式会社というが、実は出版社でなければ株式会社でもない。闇町で出る死体を引き取って客の注文通りに処理をするアト外科だ。アト外科とは死んだ後の体に外科手術を施すという意味で死体加工屋の事を皆そう呼ぶ。闇町に外道の組織は沢山あるが、赤波がその中でも二番目に嫌な仕事をしている事は確かだ。勿論一番は殺し屋だが。
日本も風波も人のうじゃうじゃ居る所だが闇町ほど酷い所は他に無い。背の高い巨大な石の建物が立ち並び、そのそれぞれが架橋で繋がれている。闇町では建物から一歩も出ずに何処へでも行く事ができる。急ぎの時にはエスターと呼ばれる滑空機で建物から建物へ飛び渡る事もできる。闇町に建つ建物には大抵エスターの為の発着場がいくつも設けられている。それは巨大な飛び込み台のように建物から突き出ているので、時々、か、しょっちゅう、頭のおかしくなった人間が本当にそこから地上へ飛び込んでしまう。そういう死体は骨と内臓が滅茶苦茶になってしまうから何の使い道も無い。
各々の建物の十五階付近は繁華街で、商店や事務所が並ぶ。架橋や発着場も多く賑やかで忙しない。特に闇町中央と呼ばれる場所には二本の架橋が十字に交わる広場があって、梅組と松組と竹組と桜組の経営する四つの建物へと続いている。この四組は闇町四大組織と呼ばれるやくざの老舗だ。広場の中央には噴水があり長椅子や掲示板があり玩具みたいな可愛らしい時計台があり、ちょっとした待ち合わせ場所としてよく使われる。ある金曜日の早朝俺は用事があった帰りにそこを通りかかって、大きな土管を見つけた。まるで空から降ってきたみたいに現われた、場違いな大道具だった。しかも土管だけではなかったのだ。




