了
「謎に背を向けてはならない。不思議なものを、恐れたり、不思議がるだけで済ませてはならない。立ち向かえ少年よ」
一番年下のくせに、リンは聞き入っている四人を少年呼ばわりして、演説した。
「考えてみるがいい。トンネルとは何物か? それは本当に筒なのか?」
「勿体つけてんなよ」ゼンがにやにやしながら言った。「僕はここの市民だ。あのトンネルのタネは知ってるんだぜ」
「そうとも」リンは適当な返事をした。「トンネルなんて物は線路を覆う一続きの壁と天井でしかない。しかも、岩崖に張り付いているあのトンネルには、事実上壁は片っぽうしかない。もう片っぽうは崖なんだ。さあ、もう分かったろう」
「分からないな」とセンは腕を組み、橋の欄干に少し身を乗り出した。「さっぱり分からない」
「あのトンネルは、筒じゃない。ついたてなんだ」リンは満足げに言った。「あの奇妙な短さ。あれは、列車を隠すには短すぎる。だが、トンネルの後ろ側の崖を隠すという役割は、立派に果たしている。いいかい、あのトンネルは、必要不可欠な物なのさ」
「ついたて、すなわち、観客に対する目隠しとして」青が独り言のように言った。
「そういう事」リンは微笑んだ。「トンネルはついたてに過ぎない。ついたての後ろに隠されているのは、ポコッと穴のあいた崖だ。列車はトンネルに入った後、線路に導かれてその穴へと入っていく。結果、最初の黄色い列車は僕らの視界から消えてしまう。そして、替わりに緑の列車が崖の中からトンネルの中へと出て来て……さらにトンネルから出て来る……すり替わった!」
「そんなの駄目だ」センが急いで言った。「それくらい、おれだって考えたよ」
「へえ、そう?」リンは首を傾けてセンを振り返った。「何が駄目なんだい?」
「その方法だと、どうやったって電車同士がぶつかるんだ。線路が何本あっても、どっかで二つの進路が交わらないといけないから、同時に通る事はできなくて、でも同時に通れないとおれ達が見たようにはならないから……」
「あなたの思い浮かべている図がよく分からないのだけど」青が口をはさんだ。「黄色い電車の走る線路と並行して、崖の内側に、緑の電車の走る線路がある。二つの電車は同じ向きに同じ速さで並んで走り、トンネルの内部で二本の線路が交差する……という事かな?」
「ああ、うん、まあ」センは、青の滑らかすぎる喋り方に呆れた顔をした。「よく分からないって何が分からないんだ?」
「いや、思い浮かべる図は人それぞれじゃない?」青は当然だと言わんばかりに、「例えば別な例を挙げる事もできる。黄色い電車の走る線路と並行して、崖の内側にもずっと線路があり、そこを走ってくる緑の電車は、黄色の電車とは反対向きに走っているかも知れない。すなわち、トンネルに差し掛かった瞬間に黄色の電車はヘアピン並みのUターンをして、崖の中の線路を引き返す。緑の電車も同様にヘアピンターンして、崖の外側の線路に飛び出す。すると、二つの電車の進路は決して交わらない」
センは目を丸くした。「……そうか!」
「外れ」とゼン。
「外れ?」センは相棒を振り返った。「どうして?」
「もちろん、私は間違った解答例を挙げたつもりですよ」青は自信たっぷりの口調で言った。「電車みたいに重たい物が、それなりの速度で走っている場合、ヘアピンターンなんて非現実的。とにかく二つの電車の進路が交わらない為には、最低でも双方が九十度、すなわち直角に曲がる必要があるけど、走っている電車が直角になんて曲がれるかな。安全を確保しようとして、トンネルの手前でスピードを緩めれば、観客は怪しむでしょう。あのトンネルの中に何があるのか、と」
「そう、セン、早まっちゃ駄目さ」リンが再び喋り出した。「すり替えっていうのは、滞りなく一瞬で、スマートに決めないとね。君は大きな見落とし、思い込みをしているよ。考えてもごらん。観客席は指定されてるんだ。この橋の上からしか、すり替えマジックは見られない。そしてこの席からは、実際のところ何も見えやしないんだ。トンネルというついたてのせいで、裏側の崖が見えないばかりでなく、もう一つ見えない所がある。どこだか分かる?」リンは突然大介に話を振った。
大介はさっきから石のように無言で川を見下ろしていたが、聞かれるのを待っていたかのように返答した。「地面」
「君はセンスが光ってるね、僕の助手にしてあげよう」リンは偉そうにそう言った。「いいかい、セン、よく聞きたまえ。黄色い電車はトンネルに入り、裏側にあいた穴から崖の中へと入って行く……ヘアピンのごときUターンではなく、直角でもない。走っている電車が速度を変えずに無理なく曲がれる程度の、緩やかなカーブだよ。同時に、替え玉の緑の電車は、トンネルというついたてによって隠された地面の下から……」
「地面の下?」センは顔をしかめて大声で聞き返した。「下から出て来るの? 緑の電車が!」
「だって他に無いでしょ?」リンは得意満面で言い返した。「下から出て来るんだよ。そしてトンネルの反対側から顔を出すのさ」
「……ほぼ正解だ」ゼンがうなった。「まさか一度見ただけで見破るとはね……」
「なかなかだろ?」リンはちょっと顎を上げた。「こんな頭脳は、そうそうチマタに転がっちゃあいないね」
「それじゃ、あなたの言うチマタって半径一メートルくらいなんでしょうね」と、青は澄まして言った。
「何? 青さん」
「その電車がどういうタイプの動力を使うのかは知らないけど、上り坂での速度調整は難しいんじゃない? 特に今の仮説の場合、緑の電車が登る坂の勾配はかなりきつくなりそう。トンネルに隠れきるくらいの距離で登り切らなきゃいけないわけでしょう?」
「何が言いたいの?」
「最初の電車がトンネルに入るのと同じ速度で、替え玉の電車がトンネルから出て来るのが理想でしょう。本当にすり替わったように見せたいのなら。今の仮説には無理があると思わない? 果たして、黄色の電車が平地を走るのと同じ早さで、緑の電車は急勾配を登れるのかな?」
「だけど……」リンの得意げだった瞳が揺れた。「他にどんな説明が付けられる?」
「逆にすればいいだけでしょ」青はあっさりと言った。「初めに見えていた黄色い電車が、トンネルに入った瞬間に地面の下へ潜って行くの。替え玉の緑の電車は、崖の中から緩やかなカーブを描いて外に出て来る」
「うーん」とセンが頷いた。
「下り坂なら、ブレーキ一つで速度調整ができる」青は淡々と続けた。「どちらかと言うと、出て来る側の電車はスムーズに動いてほしいよね。観客の目はどうしてもそっちに向くから。入って行く側の電車は、多少ぎこちなくてもそれほど目立たない」
リンは無言で、かなり悔しそうな目で青を睨んだ。やがて一言、「逆か……。そうか」
「そして」と青は重ねた。「地下に潜った初めの電車の行方だけど。おそらくその後の進路は緩やかな上り坂。なおかつ、線路はぐるりとループしていて、一周する間に元の高さに戻り、トンネルの裏側の崖の中で待機する。次の電車が来た時に、それと入れ替わりでトンネルの外へ出て行くんだろうね。線路建設の手間を考えれば、それが一番経済的と思われます」
「なるほど、じゃあ」ゼンがにやにや笑いながらわざと聞いた。「そうすると、この線路は一方通行なんだろうね? 行ったら行きっぱなし」
「さあね……この山の反対側にも同じ仕掛けがあって、帰りはそっちを通るんだったら面白いけど。でも、建設コストを抑えるなら、そちらの人の意見を取りましょうか」青はセンを見た。
センは「え?」と不思議そうな顔をする。
「最初の仮説の中で、線路が何本あっても、と言ったでしょう? 線路を複数にすればいい。行きは一本目の線路で地下に潜ってしまう。帰りは二本目の線路で、同じトンネルの中を通るんだけど、こちらは平坦なの。だから、帰りはすり替わらないわけ。いつでも必ずすり替わるわけじゃない方が、『すりかえトンネル』と宣言するだけの不思議さが出るんじゃない?」
「――参りました」ゼンは溜め息の後、ぺこりと頭を下げた。「天才って本当にいるんですね」
「あら、ありがとう」
「僕はそうじゃないって言うの?」リンが不満そうに詰め寄った。
「いや、リン、お前はもちろん凄いよ……」ゼンは笑いながら、「俺さ、全然気付かなかったけど、お前の堂々と名乗ってたあの名前、偽名だったよな?」
「ああ、倫志郎?」リンの目はすぐにまた輝いた。「そうだね。あれは僕の尊敬するひいじいさんの名前なんだ」
「お巡りさんに向かって偽名名乗るとは大した豪傑だよ」
「本名は?」と青が聞いた。
「正。父親の字を一つもらったの」
「ふうん……」
なんとなく皆は黙って、今はすっかり水位の下がった川面を見下ろした。あの通行止めの小さな橋は、あっという間に取り壊されて、跡形もなくなってしまった。一人の少女を飲み込んだ濁流も今は鳴りを潜めて、透き通った冷たそうな水がさらさらと下って行くだけである。空は青く美しかったが、そこから吹き降ろしてくる風には、見えるか見えないかの小さな白い粒が混じっている。次に降るのは雨ではなく雪だろう。
「あ」とセンが言った。川の向こう、岩肌の山に沿って、赤い列車がやってくる。皆は思わず身を乗り出した。
「あのさ、このメンバで探偵団みたいなの組んだら面白そうだよな」センは少しはしゃいだ声で言った。
「盗賊団の方がいいなあ」とゼン。
「あたしは、組織なんてものには金輪際関わりたくない」青は大声で、宣言する。
「どう思う?」
リンが聞くと、大介はうなるように、
「知るか」
赤い列車はトンネルに差し掛かる。反対側から出て来る車両は、すでに水色。これはトリックが分かっていても面白いな、と青は思った。何か物事がするりと変わるというのは、嬉しいものだ。鮮やかで、新鮮で、すてきな現象だ。
「恐ろしい謎を思い付いてしまった……」
突然、大介がつぶやいた。他の四人は彼を見る。
「あんな、乗客にしてみれば迷惑この上ない電車を、一体誰が何の目的で建設したんだろう……」
しばし、奇妙な沈黙。
(「消える流れるすり替わる」・終)




