179 北の地 ①
朝になって着替えを終えるとハルムネたちの所へと向かった。
賑やかな声が聞こえるかと思えば昨夜の宴会場で2人は向かい合って話をしている。
周囲には酔い潰れている者も何人か居るので、ここで寝かされていたのかもしれない。
そして話の内容は俺達にも関係がある事で、どうやら小熊についてのようだ。
「熊をここに住まわせるだって!?ハハハ、そんな話は覚えていな・・・イタタタタ!」
「昨日アナタと私で許可を出しました。覚えていないのですか?」
「ちょ、待った!思い出すからイタタタタ!」
どうやらハルムネは酔っていると記憶が飛ぶタイプみたいだ。
クボヒメは笑顔でアイアンクローを掛けてハルムネを持ち上げ、夫婦同士で心温まる光景を繰り広げている。
その様子からなんだか取込み中の様なので俺は背中を向けると皆と一緒に別の所へ行くことにした。
「は、ハル!助けてくれ~!」
「ハル、誰か呼んでるけどどうするの?」
「気のせいだろ。きっと何処かで九官鳥が囀ってるんだろ。」
「ハ~ル~・・・。」
俺は見ざる聞かざるでその場を後にして外に居る熊達の許へと向かって行った。
今日で子熊とも会えなくなるだろうからちゃんとお別れを言わないとないけない。
特にこの時代の人間でない俺は二度と会う事は無いかもしれないので一度は声を掛けておきたい。
そして外に出るとそこではアケヒメを背中に乗せた小熊が元気に走り回っていた。
そこに俺達と別れる寂しさなどは感じられず、昨日の今日だというのにとても楽しそうだ。
そして俺達を見つけるとそのままこちらへとやって横向きに足を止めた。
「なかなかの乗りこなしだな。」
「そうでしょ。鞍が無くてもこれくらいは出来ないと大名の娘は務まらないわ。」
なんだか御姫様のイメージが壊れる様な事を言ってるけど、白馬に乗った王子様を待つのではなく黒い熊に乗って迎えに行くつもりだろうか?
それは流石に王子様もノーサンキューだと思うのだけど、クボヒメはいったいどんな教育をしてきたのだろうか?
そう思った直後に昨日のチョークスリーパーとさっき見た宙吊りアイアンクローが頭に浮かんで来た。
「納得だな。」
「なんだか変な誤解を受けている気がするわね。」
「いや、ここの女性は逞しいと思っただけだ。」
きっと厳しい教育(肉体言語系)を受けているのたとすれば、クボヒメとは話が合うかもしれない。
ただ、そこまで話し込む時間も無いので俺達は子熊へと視線を向けた。
既に母熊は話を終えているのか、少し離れた所でのんびりと朝日を浴びて寛いでいる。
そして、アケとユウは更に成長した子熊をモフリながらお別れの言葉をかけていた。
「元気で暮らすんだよ。また会いに来るからね。」
「拾い食いをしても毒耐性があるから大丈夫だけど変な物は食べちゃダメですよ。」
そしてミズメも遠慮がちに撫でながら静かに声を掛けている。
顔が少し寂しそうだけど、そんなに仲が良かったのだろうか。
「寿命が来るまでしっかり生きてね。」
「ゴッフ・・・。」
すると子熊も元気を出せと言った感じに頭を擦り付けて声を掛けている。
そんなに仲が良いなら今回の事が終われば会いに来れば良いのだけど、ミズメが住む場所によってはここは遠すぎるのかもしれない。
歩きだけだと1年以上は掛かりそうなので、路銀も考えるとこれが最後である可能性もある。
そして俺も横から撫でようとすると子熊は口を大きく開いてその手をパックンチョした。
『ゴリゴリ・・・。』
更に下顎を動かして歯を擦り合わせ、まるで噛み切ってやるぜと言わんばかりだ。
これを甘噛みと表現するなら世に知られている甘噛みは甘噛みに在らず。
「おい。そろそろ離してくれないか?」
「ぺ!」
傷一つ付かないし痛くも無いけど何故か俺は動物に嫌われ易い。
現代ではリリーと底辺を競い合う仲だし、コイツとはこんな感じだ。
母熊が俺と普通に接しているのは出会った時に恩を感じたからだけど、昨日はしおらしかったくせに話が着くとこれだから困る。
それとも男と雄だから相性が悪いのだろうか?
生物には同じ性別だと嫌い合う種も多いって話だからきっとそれが原因に違いない。
「は~・・・仕方ないから最後に少し揉んでやるか。」
俺は熊に乗っているアケヒメをギャーギャー言われながら下ろしてやる。
ただコイツも無防備に着物で乗っているので今にも足の付け根まで見えてしまいそうだ。
活発なのは良いけど男の前では慎みを持って行動してもらわないと俺がハルムネたちから変な疑いと冤罪を被せられてしまう。
それでなくても仕官しないかと昨日はしつこく誘われていたので、アケとユウに何度助けられたことか。
酔っぱらってからは話がループしていたので特に面倒で、悪い酔っ払いの見本みたいな状態だった。
そして子熊と向かい合うと2メートル程の距離を空けて互いに睨み合いを始めた。
俺は普通に立って待ち構え、子熊は獣らしく四足で構えて力を溜めている。
するとそこで「ハクション!」という緊張感の欠片も無いクシャミが響き渡り、それが合図となって熊が向かって来た。
狙いは全速の頭突きだろうけど、俺にはクシャミの犯人であるミズメに視線を向ける余裕がある。
そして視線を前に戻すと瞬動と縮地を使った1撃は足場となっている地面を大きく抉り砲弾のような速度で向かって来る。
相撲でいう所のぶちかましと言った所だろうけど、その威力はこの要塞化した屋敷でも止められないだろう。
(でも、その地面を後で誰が直すんだろうな・・・。怒られないと良いけど。)
俺はその攻撃を構えも取らずに正面から受けると、それだけで子熊の動きが止まり周囲へと突風が巻き起こった。
ちなみにレベル的に大差があると、防御を突破できないのでこの結果は分かっていた事だ。
そして動きが止まった熊の体に手を当てるとそのまま横へと転がしてやる。
「よっと!」
「グオアー!」
それだけでゴロゴロと地面を転がり何回転かすると起き上がると同じように向かってくる。
それを同じ様に転がしてやりながら相手をしてやり、30回くらいで満足したのかアケヒメの所へ戻ると腰を落として不貞寝を始めた。
「最後かもしれないからこれくらい遊んでやれば良いかな。」
「アレを遊びという時点で凄いよね。」
するとミズメから鋭いツッコミが飛び、視線が周囲の荒れ地へと向けられる。
ちょと地面が荒れてしまったけどクレーターが出来た訳では無いし、植木や池には被害が無いので箒で軽く掃けば整えられるだろう。
何か言われそうになったらすぐに逃げ・・・ゴホン!旅に出れば良いだけだ。
そして俺達の戯れる音を聞いて城からハルムネとクボヒメが姿を現した。
ただ、ハルムネの目元には誰かの手形が付いているので、あれは見なかった事にしておこう。
出て来た2人は庭を見回すと次に俺へと視線を向けて来た。
「また派手に暴れたな。敵襲かと思ったぞ。」
「いや、ちょっと子熊と遊んでただけだ。」
するとアケヒメからは何故か「遊んだ?」と疑問形な言葉が聞こえてきたけど互いに無傷なのだから表現に間違いはない。
それにもし本気だったらこの庭は跡形も無く吹き飛んでいたはずだ。
それでも微妙に風向きが悪さを感じ取ったので早めにお暇する事にした。
時期的にはそろそろ次の目的地では雪が降り始めているかもしれないので急いだ方が良いのも確かだ。
「それじゃあ俺達はそろそろ行かせてもらうよ。」
「何かあればまた訪ねて来ても構わないぞ。最近は商人が持ち込んだ芋などのおかげで食料にも十分な余裕があるからな。」
「ああ、もし機会があればな。」
そして俺はいつもの3人を母熊に乗せてやると挨拶もそこそこに旅立って行った。
方向はゴーグルが教えてくれるので迷う事は無く、ミズメの事を考慮して速度を落としても数日中には到着できるだろう
そう思っていると何者かがこちらに連絡をして来たのだけど、この機能を使えるのはアンドウさんと神々だけだ。
アンドウさんなら名前が表示されるけど、それが無いという事はどこぞの神からという事になる。
俺は進みながら通話を繋げるとそこからは覚えのある声が聞こえて来た。
『それじゃあ送っちゃうね~。』
この声はイチキシマヒメで間違いないけど、送ると言う事は再びあの渦を作って俺達を送ってくれるということだろう。
しかし言葉が既に現在進行形っぽいのが気になり、皆に声を掛けようとすると目の前に渦が発生し俺達を飲み込んだ。
だからあんな言い回しだったんだなと思たけど、神は間を置くという事を知らないのだろうか?
そして今回は進む速度が早かったので景色が一瞬で切り替わり、そこは小雪のチラつく森の上だった。
もう少し余裕をもって連絡をしてもらいたかったけど、今回は流石の母熊もバランスを崩して背中から皆を落とし掛けている。
ミズメなんてアケとユウに挟まれてなかったら地面に向かって真っ逆さまだっただろう。
それに景色が変わった直後に紐無しバンジーなんてするとトラウマになりそうだ。
「大丈夫かミズメ?」
「な、何今の!?もしかして神様の仕業?」
「そうみたいだな。直前にあの島で会った女神の1人が連絡して来た。」
「いきなり禁止~!」
「断固抗議します!」
「ゴッフ!ゴッフ!『コクコク』」
どうやら俺を含めて全員がお怒りの様なので次に会った時にでもしっかりと言っておこう。
ただ、さっきまでの速度だと数日は掛ると思っていたのでそれが短縮できたのは大きい。
それに空の旅で一番の問題は気温の低下にある。
俺達は良いけどミズメの事を考えれば助かった部分もあるので後でその辺のことはフォローしておこう。
「今回は苦情を言う相手が何処に居るか分からないから、そっちは後回しにして俺達は目的地を探してみよう。前回と同じならこの近くに何らかの手掛かりがあるはずだ。」
そして周囲を見回してみると木々の間に煙を上げている場所を発見した。
ただし、ここは360度が深い森に囲まれているので町や村があるようには見えない。
俺達はそこに向かって森の中へと降りて行くと多くの者が集まっており1つの家を包囲している。
その家の周りは木々が不自然に入り組んでいてまるでバリケードとなっており、それが全周囲を囲い人の侵入を妨げている。
しかもその者達は斧や鉈でその木を取り除こうとしているけど、傷が入ればそこが再生し火で燃やそうとしても燃え上がる様子はない。
しかし俺はこの状況を作り出せる能力に少しだけ覚えがある。
「もしかして精霊魔法なのか?現代だと日本で使える奴は居なかったけどこの時代には居るってことか。」
もしこの状況を作り出している相手が魔物だとすればこんな保守的な対応はせずに、あそこに居る連中を皆殺しにするまで暴れ回り血生臭い光景が広がっているだろう。
しかし攻めている方は普通の人間で間違いないけど、アイツ等は何が目的であのような事をしているのだろうか?
そして家の中には体調が悪いのか青い顔で布団に入っている少女と、それを頑張って介護している俺と同い年位の男が居る。
ただ俺のDNAがそちらから話を聞くべきだと言っているので、まずは邪魔者を追い払う事にした。
状況によっては周りの奴等にも話を聞く必要もあるので、今は穏便で平和的に何処かへ行ってもらうのが一番だろう。
「皆はここにでも隠れててくれ。ちょっとアイツ等を追い払うから。」
「どうやるの?まさか暴力って事は無いわよね。」
「大丈夫だ。今回は手を出さないから。」
俺はミズメ達を藪の陰に隠れさせると次に母熊に視線を向ける。
今回は手を出さないけど足を出してもらえば良いだろう。
「母熊さんや。殺さない様に暴れて来なさい。」
「ゴッフ!・・・ゴォアーーー!」
すると母熊は普通の熊を装って彼らに突撃して行った。
その声は相手の心臓を委縮させ、その体の大きさは相手の戦意を一瞬で粉砕する。
「熊が出たぞー!」
「何だあの大きさは!」
「こりゃ生贄どころじゃねえ!」
「山神様にご相談せねば!」
そして10人以上の男達は持つ物も持たずに同じ方向へと逃げて行った。
何やら変なワードが幾つかあったけど、それは中の2人に確認すれば分かるだろう。
俺は母熊にお礼を言うと手招きをして3人を呼び寄せた。
「もう良いぞ~。」
「あの様子だとしばらくは戻って来ないよね。」
かなり驚いたというよりも恐怖で逃げ帰った感じだったから普通の精神なら二度と来ないと思う。
するとそんな俺達の前に別のお客が現れ、どうやらこの辺を縄張りにしている先住民ならぬ先住熊の様だ。
「ゴアーーー!」
すると威嚇する様に吠えるとこちらに向かって近づいて来る。
そして力を見せつけたいのか傍にある木の幹を爪で引っ掻いて爪痕を刻んだ。
「なんだか怖くないわね。」
「熊母さんやっちゃえ~!」
「今夜は熊鍋ですか?」
ミズメは怖くないと言っているけど大きさは2メートルを少し超えたくらいなので日本最大の肉食獣に相応しい体格をしている。
しかし、こちらは余裕でその上をいっており、ミズメもその背中に乗って移動する事が多くお世話になっている。
なので感覚がズレておかしくなっていても仕方がないだろう。
そして母熊はアケの言葉で動き始めると相手を刺激しないようにヒグマへと近づいて行った。
するとヒグマが渾身の一撃で爪痕を付けた木よりも更に倍は太い幹の傍で足を止めると大きく息を吸い込んで全身の筋肉へと酸素を送り込む。
「フッ!」
そして一瞬の呼気と共に爪撃が放たれると1撃で幹が粉砕されそのまま傾き始めた。
『ベキベキベキベキ・・・ズドーン。』
その音を聞きながらヒグマは完全に動きが止まり、人で言えば「え!?」と言いたそうな顔で母熊を見ている。
しかも相手は母熊の大きさにようやく気が付いたのか、目の前の巨体を仰ぎ見て体を震わせ始めた。
きっと奴も俺達の傍に来た事を後悔しているだろう。
ヒグマは気性が荒いと聞いていたけど既に歯向かう気も幹と共に圧し折られたみたいだ。
すると母熊はそのまま背中を向けるとこちらへと戻って来るので、どうやら命までは取らないと言う事らしい。
無駄な殺生をしないとは俺よりも人の出来た熊だ。
「熊鍋・・・。」
「ユウも諦めよ。『グルルル~~~!』」
すると先程からユウの熊を見る目が危ないと思っているとミズメも狙っていたらしくお腹の猛獣が威嚇する様に唸りを上げる。
その音に恐れ・・・又は危機感を抱いたのかヒグマは一目散に逃げ出すと木々の向こうへと消えて行った。
するとその哀れな後姿を見送っているとミズメはお腹に手を当てて視線を向けて来る。
「ハル~お腹が空いた~。」
俺はミズメに言われてから朝食を食べていない事を思い出した。
それに周りでは焚火も燃えているし簡単な竈も作ってあるので、ここでなら朝食の準備もすぐに出来そうだ。
「それならちょっと俺は家の方を見て来るから皆は朝食の準備を頼む。」
「今日はお肉が食べたい気分!」
「賛成~。」
「熊の代わりですね!」
ユウは余程さっきの熊を食べたかったのか熊押しが止まらない。
パーティ内に種類は違うけど熊が居るんだからあまり言わない様に後で注意しておこう。
それとも母熊は既に熊枠からは外されているんだろうか。
俺は朝から肉はとか無粋な事は言わずに鶏肉を大量に渡しておく。
後は葉野菜と根野菜を適当に渡して調味料を置いておけば美味しい料理を作ってくれるだろう。
そしてこちらの事は料理の出来る3人に任せて木々に覆われた家へと向かって行った。




