40.森林狼の解体
午後の強烈な日差しの中、俺とキッドさんは獲物を解体するために伐採所の水場へ足を運んでいた。
水場へ続く坂道を下り、小川のほとりに到着する。
そこは以前、生活魔法の『クリーン』を習得した場所で、当然人影はなかった。
小川に張り出した木製の足場に到着すると、キッドさんが獣の解体方法を一から教えてくれることとなった。
「ユウヤ、狼の死体をあの樹木の下に出してくれ、今から解体方法を教えるからな」
「わかりました」
俺は足場の直ぐ側の林へ歩いて行き、『無限収納』から森林狼の死体を一体だけ取り出した。
その死体はキッドさんが仕留めた個体で、心臓付近を一突きにされて絶命したものだった。
死体はまだ生暖かく腐敗臭も全くしていない。
『無限収納』内は時間が止まっているので、二日たった今でも先ほど倒したかのように新鮮なのだ。
「よし、まず血抜きをするぞ。ここで手を抜けば肉が臭くなってしまうから慎重にしなければならない。剥ぎ取る毛皮も丁寧に扱わなければ買取価格が下がってしまうからな」
キッドさんは小川の横に生えている手頃な木の枝にロープを掛けて狼の後ろ足を縛り上げた。
「よし、ユウヤ一緒にロープを引っ張ってくれ。こいつを木に吊るすんだ」
「わかりました」
森林狼は全長が三メートル以上もある巨体なので、かなりの重さだった。
俺とキッドさんは力を合わせて少しずつ木に吊り下げていく、狼の恨めしそうな目がゆらゆらとこちらを見てきて少しだけ申し訳なく思えた。
「吊り下げ終わったら首の付根をナイフで少しだけ切り裂くんだ。頸動脈を切って血を放出させるぞ」
キッドさんは刃渡りが二十センチほどのナイフを取り出して狼の首筋を切りつけた。
逆さまに吊るされていた狼から勢いよく血液が流れ出し、辺りに血臭が一気に広がっていく。
新鮮なうちに『無限収納』に入れたため、血液の凝固は起こらなかったようだ。
「今のうちに体表を洗い流してしまおうか、毛皮に泥やダニがついているからな」
血液がまだ流れ落ちている狼の体を、小川から汲んできた水で洗い流す。
戦闘で血と泥だらけだった毛皮が、水で洗い清められて灰色のきれいな毛皮になった。
ふと小川を見ると、狼の血液が流れ込み真っ赤に染まっていた。
しかし緩やかだが水量が豊富な水が上流から絶え間なく流れてくるので、すぐにきれいな小川に戻っていく。
動物の解体に適した場所だということがよくわかった。
「よし、あらかた血が流れたな、狼を木から下ろして水場へ運ぶぞ。今回の獲物は大きいから吊るし切りはできないからな」
流石に三メートル以上ある巨体をロープで吊るしたまま解体は出来ないようだ。
綺麗に血抜きをされた狼を川のほとりに移動させる。
「毛皮を先に外してしまうぞ、内臓を傷つけないようにするのがコツだ」
キッドさんは説明をしながら手際よく狼の毛皮を剥いでいった。
肉と毛皮の間に手際よくナイフを入れて、みるみるうちに毛皮を剥がしていく。
「ユウヤ、この狼の毛皮を収納しておいてくれ。俺たちが加工するのはここまでだからな。後はギルドの職員に買い取ってもらうんだ」
キッドさんの手元を夢中で見ているうちに、狼は綺麗に毛皮を剥かれてしまった。
横たわった狼は体表を剥がされて桃色の肉を晒している。
まだ取り去られていない狼の頭が、体を丸裸にされてしまい、恨めしそうにこちらを見ている気がした。
(そんな目で見るなよ、もし俺が負けていたら今頃はお前の胃袋に収まっていたんだ。弱肉強食の世界なんだから観念しろよ)
狼に心の中で話しかける。
「どうしたんだユウヤ、次は肉を切り分けるぞ」
「すいません、わかりました!」
少々ぼーっとしていたらキッドさんに注意されてしまった。
慌てて毛皮を『無限収納』にしまって、気合を入れ直して作業を再開していった。
しまう際にちらりと毛皮の価値を見る。
[高品質な森林狼の毛皮…… 主に衣服用の革製品につかわれる希少素材。価値銀貨十五枚]
さすがはベテラン冒険者が剥ぎ取った毛皮だ、『真理の魔眼』には高品質だという説明がついている。
日本円に換算すると十五万円、まだ鞣してもいない皮なのに破格の値段だと思う。
森の奥深くでしか出現しない凶暴な動物の皮なので、高額査定でもおかしくはないのだろう。
作業を進めるキッドさんは、狼の股間付近からお腹を切り開いていった。
柔らかいお腹がぱっくりと開かれ、薄い膜に包まれた内臓がボロンと露出する。
「この内臓は慎重に取り出そう。新鮮な心臓や肝臓は食べられるからな」
食べられる内臓とそうでないものを分け、食べられるものはとりあえず俺の『無限収納』に収める。
廃棄する部位は後でまとめて土の中に埋めるそうだ。
手渡された廃棄物をとりあえず横の茂みに置いておいた。
先程からキッドさんの指示通りに動き、内臓などを手づかみで取り出しているが、冷静になって考えると凄いことをしていると思う。
サラリーマンをしていた頃なら狼の解体なんか一生することはなかったはずだ。
今手に持っている狼の腸からはなんとも生臭い匂いが漂っているのだ。
その匂いを嗅いでも全く気持ち悪くならないのは『グロテスク耐性』があるからなのだろうが、凄い世界に来てしまったと改めて思うのだった。
キッドさんは慣れた手付きで狼の肉を小分けに切り取っていく。
背中のロースや腹身、アバラ肉などをあっという間に切り分けると背骨と脚だけになった。
「後は前足の肉と後ろ足の肉だけだな。これで解体作業は終わりだ。どうだ、簡単だろう? あと十九匹分あるからユウヤもすぐに覚えられるぞ」
ニッコリと笑ってキッドさんがナイフを手渡してきた。
今度は俺にやってみろと言っているのだ。
無言でナイフを受け取ると、『無限収納』から狼を一体だけ出す。
出した狼は腹がズタズタに切り裂かれた個体だった。
明らかに質が悪い狼は、俺が倒したものだ。
「キッドさん、俺が倒した狼は売り物になりますかね?」
木の枝に狼を吊り下げながらキッドさんに聞いてみる。
傷つけられた内臓から糞便の匂いが漂い始めた。
「売り物にはなるが安く買い叩かれるだろうな。だからベテラン冒険者は倒すときになるべく綺麗に倒すんだよ。ユウヤは慣れていなかったから仕方がないぞ」
キッドさんは励ましてくれたが、ひどい状態に気持ちが落ち込んでしまう。
「そう落ち込むな、街に行けば動物解体の専門店があるのだが、そこでは汚染された獲物は『クリーン』で洗浄するそうだぞ。ユウヤも使えるのだからやってみたらいい」
落ち込んでいる俺を見てキッドさんが解決策を伝授してくれた。
「なるほど! 『クリーン』で綺麗にしてしまえば売り物になりそうですね!」
解決策がわかったので木に吊るしてある狼に向かって高らかに叫ぶ。
「クリーン!」
血まみれ糞まみれの狼めがけて『クリーン』を唱えると、たちまちのうちに汚れが消えていった。
「よし、十分にきれいになったな。切り裂いてしまった毛皮は少々値が落ちるが問題ないだろう」
狼を調べたキッドさんがこちらを見てニコリと笑った。
「じゃあ早速解体してみます!」
手早く血抜きをした狼を木から下ろすと、俺はナイフを片手に毛皮を剥ぎ取り始めた。
毛皮の剥ぎ取りは肉と毛皮の間にナイフの刃を入れるのがかなり難しい作業だった。
いとも簡単にこなしていたキッドさんは、さすがベテラン冒険者ということだろう。
かなり時間がかかってしまったが、無事に毛皮と肉を解体し終える。
見た目が明らかにキッドさんの倒した狼の毛皮と違うが、初めて自分だけで剥ぎ取った毛皮なので満足感がある。
早速『真理の魔眼』で調べてみた。
[低品質な森林狼の毛皮…… 主に衣服用の革製品につかわれる希少素材。価値銀貨七枚]
案の定毛皮の価値は低かった。
しかし半分以下の価値でも、自分が加工した物に値段がついたことが嬉しくて仕方がなかった。
「さあ、ここからは俺とユウヤで流れ作業をしていくぞ。ユウヤは血抜きをしてくれ、俺が毛皮と肉の取り分けをするからな」
「はい! 頑張って全部解体しましょう!」
嬉しくなって元気に返事をする。
俺の返事を聞いたキッドさんが嬉しそうにうなずいた。
まだまだ日が暮れるには早いが、いかんせんまだ十八頭の狼の解体が残っているのだ。
俺は気合を入れ直して作業に取り掛かるのだった。




