3.いきなり捕まってしまった
謎の空間から転移をして意識が覚醒すると、俺は下を向いて石畳を見つめていた。
革靴を履いていたはずだが、今は見慣れぬ革のブーツを履いている。
ビジネススーツも獣臭い上着とズボンに変わっていて、かばんも腕時計も、おまけに財布まで一切合切なくなっていた。
無一文で放り出されたようでかなり焦ってしまった。
記憶はちゃんとあるので自分が何者で、どうしてここにいるのかはわかる。
恐る恐る辺りを見渡してみると、ここはどこか大きな街の広場のようだった。
目の前には噴水があり、人々がくつろいでいる。
広場の周りにはいろいろな屋台が立ち並んでおり、美味しそうな匂いが流れてきた。
グ~っとお腹が鳴って空腹を覚える。
謎の空間では一切お腹は減らなかった。
しかしここはすでに異世界、生きていることを実感させられた。
ゆっくりと噴水へ近づいて行き、縁に腰掛けて辺りを観察することにした。
まず目に入ってきたもの、それは大きなお城だった。
街全体を見下ろすように高台にそびえ立っている。
優雅なおとぎ話に出てくるような城とは程遠い、無骨な石で組み上げられた荒々しい城だった。
その荒々しい外観から完全に戦争をするための要塞で、ここが争いの絶えない世界だということがわかった。
ではこの街の人々はいったい何と戦っているのだろうか。
俺が暮らしていた元の世界なら人間同士だろうが、ここは異世界なのだ。
人外の生物、すなわち牙を持ち、翼を生やして武器を持って襲ってくる魔物もいるはずだ。
おとぎ話に出てくる火を吐くドラゴンや、一つ目の巨人を想像してしまい、思わずぶるりと震えてしまう。
城にはやはり王様が住んでいるのだろうか。
どんな方なのか気になるところだ。
圧政を敷いている暴君でないことを祈るばかりだが、今の俺にはそんなことより大事なことがいくらでもあった。
今、太陽は真上にある。
地球と同じなら今はお昼頃だろう。
午後に入って日が傾くと当然夜が来るはずだ。
それまでに今日の寝床を確保しなければ野宿になってしまう。
きょろきょろと周りを見渡しながら考えを巡らせていった。
「おい、そこのお前! 先程から怪しい行動をしているな。身分証明書を見せてみろ」
落ち着きがなく周りを見ている俺を街の衛兵たちが取り囲んだ。
まずい、と思ったがもう遅い。
俺は異世界へ来て十分もしない内に職務質問を受けてしまった。
当然の如く身分を証明できるものはない。
あれよあれよという間に両脇から腕を抱えられて、衛兵の詰め所へ連行されてしまった。
衛兵の詰め所は広場のそばに建っていた。
丁度物見櫓が立っており、噴水に腰掛けて不審な行動をしている俺が丸見えだったようだ。
石造りの高い塀に囲まれた詰め所。
屈強な兵士たちが沢山たむろしていて、申し開き次第では俺の命もここで終わってしまいそうだった。
(やはり異世界なんて怖いところに来なければよかったな……)
半ば引きずられる形で詰め所に連行されながら、異世界へ来たことを後悔するのだった。
カチャカチャと金属音を響かせて牢屋の鍵が開けられる。
ここは詰め所の地下。
ならず者や窃盗を犯したものが連れてこられる地下牢だ。
「よし、ここへ入って取り調べの順番を待て!」
鉄格子の扉が開かれて手荒く牢屋の中に放り込まれてしまう。
もんどり打って地面に倒れ、壁際まで転がってしまった。
それほど大きな地下牢ではないらしい。
牢屋の目の前には看守である衛兵が椅子に座っていた。
(なんて乱暴な扱いなんだ……、手の皮が擦りむけてしまったぞ……)
転がるときに手をついて身をかばったのがいけなかったらしい。
両手の手のひらが粗い石畳の表面で擦られ、ベロリと剥がれてしまった。
衛生的ではない牢屋なので破傷風などになってしまうかも知れない。
血が流れ出し、痺れるほど痛くなってくる。
手のひらを擦りむいただけだと思ったが、右腕はどうやら骨も折れてしまったようだ。
(ううっ……、痛い。もう駄目かも知れないな……)
人生二十数年ほど生きてきて、一度も骨折などしたことがない俺は、心までへし折られてしまい丸くなってうずくまった。
両手を抱え込み優しく患部をかばう。
すると急に両腕が熱くなって患部が一瞬だけ光った。
驚いてしまい勢いよく起き上がる。
「あれっ!? 痛みが引いていくぞ!」
大きな独り言を思わず呟いてしまう。
看守が俺のことをじろりと見て立ち上がろうとした。
「すみません、大人しくします」
慌てて平謝りをして床に座り込む。
看守はチッと舌を鳴らしてまた椅子に腰掛けた。
看守が俺から興味をなくし、意識を他に向けるまで息を殺して固まっていた。
ようやく看守の視線から開放されたので、手のひらをそっと見てみる。
先程までべろりと皮がむけていたのに綺麗に元通りになっていた。
恐る恐る右手を開いたり閉じたりしてみる。
激痛が襲ってくると思ったが一切痛みは来ず、傷や骨折は完全に治ってしまったようだ。
しばらく自分の手のひらをじっと見つめて固まっていた。
考えた結果、イシリスさんに勧められて取得したスキル、『回復』が作動したという結論に至った。
驚くべきスキルの効果に絶句させられてしまう。
『回復』の作用は自動で体の傷を直してくれるもののようだ。
という事は死なない限り俺は傷を負っても治ってしまうということになるな。
超がつくほどの有用スキルに小躍りして喜びたくなってしまった。
実際には看守が怖いからうずくまってにんまりしただけだったが……。
暫くすると食事が運ばれてきた。
黒っぽいパンに塩味のスープ。
ビーフジャーキーみたいな干し肉がひとかけらトレイに乗せてある。
看守にお礼を言ってトレイをもらうと、恐る恐る食べてみた。
(結構おいしいな。見た目はあれだけど、味はしっかりついているぞ)
不味そうな見た目とは裏腹に、スパイスが適度に効いた熱々のスープが、地下牢で冷えた身体にありがたい。
黒っぽいパンは少しだけ酸っぱくて不思議な味だった。
少々硬いのが難点だが、スープにつけて食べれば問題がないのだ。
干し肉はそのままビーフジャーキーの味なので違和感なく食べられた。
牢屋に入れられたので粗末な料理なのだが、ただで食べさせてもらえてとてもラッキーだ。
無一文の俺に贅沢を言っていられる余裕はなかった。
これでお咎めなしで釈放してくれれば言うこと無いのだが、どうなることやら。
くよくよ考えていても仕方がない。
味わって食事を終えた後は、藁のベッドに横たわって眠ることにした。
明日辺りに取り調べが行われるのだろうか。
早くここから出たいと思いつつ意識を手放し夢の中へ旅立った。
ー・ー・ー・ー・ー
カチャカチャと鍵を開ける音がする。
俺が囚われている牢屋の鍵が今開けられようとしていた。
少し前から目を覚ましていた俺は、ムクリと体を起こして衛兵たちが中へ入ってくるのを見ていた。
「よしお前、取り調べをするから外に出るんだ。くれぐれも変な気を起こすなよ」
衛兵二人がかりで地下牢から連行されて行く。
階段を登って一階に出てくると、お天道様の眩しさに思わず目をつぶってしまった。
ふらりとからだが傾いて盛大によろけてしまう。
「何をやっているんだお前は! しっかりと歩け馬鹿者!」
容赦のない罵声を浴びながら体を踏ん張って再び通路を歩いていく。
だんだん目がなれてきて周囲の様子がわかってきた。
頑丈な石造りの外廊下。
すれ違う衛兵たちはみな頑強で強そうだ。
革鎧を着込んでいる一般兵に、金属製のプレートメイルを装着した隊長格の騎士もちらほらと見受けられる。
さすがは軍隊、みな背筋が伸びてきちんとした身なり、だらけている者など一人も居なかった。
廊下をひたすら進んでいくと、部屋の前で衛兵が立ち止まり、扉を開けて俺を強引に押し込んだ。
中は四畳半ぐらいの狭い空間で、中央にテーブルが有り椅子が二脚置いてあった。
明かり取りの窓が設けられているが、部屋の中は昼間でも薄暗いようだ。
テーブルの上にはろうそく立てが置いてあり、ろうそくが刺してある。
しかし火はついてはなく、部屋を照らしてはいなかった。
「おとなしく座っていろ、じきに騎士様がやって来るからな」
取調室と思しき部屋で、硬い椅子に乱暴に座らされて尋問をする騎士を待つ。
部屋の外からは衛兵たちが訓練する掛け声が絶え間なく聞こえていた。
しばらく待っていると突然扉が開かれ一人の騎士が入ってきた。
「お前だな怪しい行動をしていたという男は」
金髪を編み込み後ろで束ねた女騎士が俺を見下ろしている。
異世界につきものの女騎士の登場に、俺は自分の立場を忘れて心を躍らせるのだった。