22.現代人の俺は危機感がない
伐採所警備隊に入隊して二日目、今日は朝から雨だった。
俺は雨具の用意をしていなかったので、キッドさんが急遽お古を貸してくれることになった。
ポンチョのような雨具を頭からすっぽりとかぶる。
冒険者用に最適化された雨具は、いざという時に戦闘ができるように工夫されていた。
ポンチョは二重構造になっていて、剣を抜いて構えても体が雨に濡れることがない。
俺が感心して喜んでいると、キッドさんは「もう使わないから」と言って雨具を譲ってくれた。
外は土砂降りとまではいかないが、結構な量の雨が降っている。
その中を木こりたちが一列に並んでのろのろと森の中へ移動していた。
もちろん雨具などは着けていない。
昨日と同じ革のジャケットに革のズボン、足元はみすぼらしいサンダルだった。
フレデリコとアザル組が東の森を、ヘザーさんとジェシカちゃんが西を担当する。
俺はキッドさんに連れられて、南の森へ木こりたちを引率していた。
「ユウヤ、今日の現場は三十分ほど南に行ったところにある平坦な場所だ。今日のような天候の日は、足場が悪い急斜面の現場へは行かない。奴隷たちも大事な王国の財産だ。みすみす怪我をさせては駄目だぞ」
「はい、わかりました」
奴隷たちは勝手に現場まで歩いていく。
顔の表情は乏しいが、知能がないわけではなさそうだ。
盛大に稲光が鳴り、遠くの峰に稲妻が落ちる。
天候はますます悪化の一途をたどっていた。
ー・ー・ー・ー・ー
現場に到着すると木こり達は勝手に作業に取り掛かり始めた。
別に指示を出さなくてもいいようだ。
俺とキッドさんの仕事は周辺の危険動物や魔物の排除。
木を切る斧の音を聞きながら、大回りに森の中を探索していった。
森の中はとにかく足場が悪い。
倒木が朽ち果てて苔むしており、不注意に上ったり手をかけると滑って転びそうになる。
重なった樹木や下草が邪魔をして遠くまでの視界が確保できず、危険動物や魔物たちが隠れていた場合、なかなか発見することはできそうになかった。
「ユウヤとまれ、前方の木の洞をよく見てみろ」
キッドさんが声を掛けてくる。
声を掛けてくるが、キッドさんの視線は前方から離れなかった。
視線の先には大きな木の洞が有り、ぽっかりと口を開けていた。
注意深く観察すると何やら動く物体があるように思えた。
半透明のゼリー状の粘液体。
薄っすらと球状の核部分が透けて見える。
よくよく耳を澄まして音を聞くと、ブスブスと地面を溶かしながらこちらに近づいてくるのがわかった。
「キッドさん、何かいますよ、動いています! こちらに近づいてきます!」
小声で報告する。
見たことのない異形の生物の登場に俺は興奮を隠せなかった。
「スライムだ。ああいった木の洞や湿り気のある窪地に奴らは潜んでいる。気付かずに足を踏み入れた場合、消化液で溶かされてしまうぞ」
腰の剣を抜きながらキッドさんが説明する。
俺の短剣よりさらに刀身が長く幅広な剣をスライムに素早く突き刺した。
空気を切り裂く音とともに刀身が核部分を貫きスライムが盛大に暴れだした。
キッドさんが放った一撃は、見事にスライムを絶命させた。
体から体液を吹き出しながらスライムがしぼんでいく。
周りの地面や倒木がブスブスと音を立てて溶けていった。
「スライムは事前に発見できればそれほど怖い魔物ではない。ただ酸性の粘液には気を付けなければ駄目だぞ」
剣を一振りしてスライムの体液を飛ばしながらキッドさんが説明してくれる。
鞘に剣を収納してしばらく待っていると、粘液部分が全て溶け落ちて消えてしまった。
残る部分は破壊された核の部分。
陶磁器のように白っぽくて表面がつるりとしている。
キッドさんが核を取り上げ、素早く『収納』にしまう。
討伐部位としての価値を『心理の魔眼』で見ることができなかった。
パーティーを組んでいるわけではないので、討伐した本人の物になるのだろうか。
次は俺が倒して討伐部位をいただきたいものだな。
「ユウヤ、スライムの恐ろしさは何だと思う?」
一息ついたところでキッドさんが質問をしてきた。
「さあ、何でしょう……。やはり酸性の粘液攻撃ですか? まともに受けたら大やけどでは済まなそうですよね」
「半分当たっているな、スライムの一番の恐ろしさは、いきなり上空から降ってきて顔に張り付かれることだ。一瞬で息ができなくなり、おまけに強酸性の粘液で顔を溶かされる。張り付いたスライムを運良く剥がすことができても、顔を酸で溶かされて重症を負ってしまう。くれぐれも周囲を警戒して先制攻撃を受けてはだめだぞ」
えげつないスライムの攻撃に緊張が高まる。
俺は鬱蒼と茂る木々を見上げ暗い枝の重なった部分を入念に観察した。
(確かに薄暗い枝葉の影から音もなく落ちてきたら回避できる気がしないな)
「キッドさん、どうやってスライムの落ちてくるのを事前に察知するんですか? 俺は避ける自信がないです」
「ははは、こればっかりは経験だと言うしか無いな、初心者冒険者の死亡率トップはスライムによる攻撃だぞ、運が無い奴が死んでいくんだ。細心の注意をしつつ神にでも祈ることだな」
答えになっていない答えをキッドさんは面白そうに言ってくる。
異世界の冒険者家業が、かなり危ない仕事だと改めてわかり絶句してしまった。
「まあそう落ち込むな、ユウヤなら『全能回復』のスキルがあるから大丈夫だ。スライムの攻撃で即死することはないからな」
慰めにもならないことをキッドさんは言い放った。
『全能回復』は襲われた後の回復スキルなのだ、酸で溶かされる痛みや顔を覆われて窒息する苦しさを想像すると気が滅入ってきた。
それからの俺は一切緊張を解けずに木の上や窪み、倒木の影などを入念に探っていった。
一生懸命に探査したにもかかわらず、スライムを発見することはできなかった。
キッドさんは時々立ち止まって森の様子を窺うだけで、短時間の間に三匹のスライムを発見し駆除していった。
これが経験の差というものなのだろうか。
ベテランになってくると怪しい場所がなんとなくわかってくるらしい。
俺はさっぱりわからず途方に暮れることしかできなかった。
スライムが数体出現したことを除けば、午前の探索で緊急を要する事態は起こらなかった。
もちろんゴブリンの影も形も見当たらない。
森の北側でゴブリンとの戦闘になったのは相当に運が悪いことだったみたいだな。
自分の運の悪さに驚きを隠せなかった。
担当する森をぐるりと見回った後、奴隷の木こりたちが作業をしている現場に戻ってくる。
いつの間にか雨は上がっていて空には青空が広がっていた。
雨具はとうの昔に『無限収納』に入れていた。
俺が『収納』のスキル持ちだということをキッドさんはとても驚いていて、「なかなか優秀な冒険者が来てくれた」と嬉しそうにうなずいていた。
時刻はそろそろお昼に差し掛かろうとしていて、お天道様がちょうど真上に見えている。
「ユウヤ、そろそろ昼飯を食べようか。奴隷たちに食事を与えてくるから、そこらへんの切り株に腰を下ろして待っていてくれ」
キッドさんは奴隷たちを集め、『収納』から黒パンと水を出して与えていた。
おかずなどは一切なし、味気ない黒パンを一生懸命にかじっている髭面の男たちに少しだけ同情してしまう。
革の服を来ていなければ原始人と大して変わりは無いだろう。
言葉を失い思考能力も制限されている木こりたちを見て、絶対に犯罪だけはしないようにしようと思った。
「待たせたなユウヤ、今日の弁当は昨日の夕食の残り物を折り詰めにしてもらったぞ」
『収納』から木の弁当箱を二つ出したキッドさんは、その一つを俺に渡してきた。
弁当箱を開けるとステーキ肉が一口大に切って入れてあった。
そしてその横に野菜炒めが入っている。
冷めきったステーキには油が白くこびりついていて、野菜炒めはひえひえだ。
昨日の夕食のようには美味しくはなさそうだが仕方がないだろう。
キッドさんは白パンの入ったかごを『収納』から取り出すと切り株に置く。
「好きなだけ食べろ、食べなければ午後が辛いぞ」
にやりと笑ったキッドさんにお礼を言って白パンをもらう。
「ありがとうございます。これ美味しいので食べてみてください」
お返しに『無限収納』から熱々の串焼き肉を取り出してキッドさんの弁当箱に入れてあげた。
「ん!? 何だこれは! まだ熱々じゃないか!」
串焼き肉を頬張ったキッドさんが思わず大声を上げる。
かなり大きな声だったが、木こり達は無反応で俺だけが驚いてしまった。
(しまった! 何も考えないで出してしまったが、もしかして『収納』には時間を止める作用はないのか!)
初歩的なミスを犯し、またもやスキルの秘密を晒してしまった。
つくづく俺は冒険者には向いていないな。
未だに驚愕の表情をしているキッドさんを見て苦笑いをする。
「やっぱりおかしいですか? 俺の『収納』少し普通と違うんですよね……」
バレてしまったら仕方がない。
キッドさんには教えてもいいのではないだろうか。
「俺の収納は中の物の時が止まるようなんですよ。だからいつでも出来たての料理が食べられるんです」
頭を掻きながらキッドさんに説明をする。
「……ユウヤ、『全能回復』の件もそうだが、君は少し不用意に秘密を教えすぎだぞ。もちろん俺は悪用するつもりはないが、少し危機感を持ったほうがいい」
真剣な表情をして真っ直ぐ見つめるキッドさんは、俺のことを心配してくれているようだ。
キッドさんの説明によれば時が止まる『収納』スキルなんて聞いたことがないらしい。
あまりにもレアスキルらしく、この世界ではおそらく俺一人が持っているスキルだろうと言われた。
「はい、気をつけるように心がけます……」
「まあ、これから気をつければいいからな。明日からはユウヤに弁当を持ってもらおうか、そうすれば温かい物が食べられるからな」
少しだけおどけた表情でキッドさんは場を和ます。
気落ちした俺をキッドさんなりに励まそうとしているようだ。
俺は釣られて笑顔になると串焼き肉を頬張りながら白パンをちぎって口の中に入れた。
森のことを色々教えてもらいながら楽しい昼食を摂った。
午後からは木こりたちを働かせるコツを教えてもらうつもりだ。
なんとか馴染めそうな職場に少しだけ安堵しつつ、森林警備仕事に勤しんでいった。




