七
その日は占いも洗濯のアルバイトも休んで、町の小さな図書館で石についての情報を探した。
水の石は基本的に国の中枢部で魔女たちが作り、管理している。強力な魔力を秘めていて、精霊の怒りを鎮め、国を水没から守ること以外にも使えた。高度な魔法をかける際に、魔法を助けるための触媒として使用されることもあるし、青色の不思議な美しさとその希少性から、高価な宝石として使用されることもある。このため、国の研究院で魔女になり切れなかった魔法使いが、水の石を商売の道具として扱い、富を得る者も極少数だがいる。だが、魔女が作る国を守る水の石に比べると、こういった民間で作られている水の石は品質が格段に下がってはいる。それにしても、石自体の魔力は他の触媒の中でもダントツに強いため、民間で作成・売買する場合は国の認可が必要だ。
そこまで調べてお昼になった。フジは持ってきていたサンドイッチを食べながら、午後の時間は魔法の古本屋のコラショ爺さんに、念のため石を鑑定してもらいにいくことに決めた。
コラショ爺さんの店は、開店中でも閉店しているように暗く、埃っぽい。爺さんはカウンターの奥に積み上げられた本の上に座っている。とても小さい爺さんで、そこにいつもいることを知らなければ、本の山の上でビニール袋が小刻みに揺れているのかと勘違いされる。眉が垂れ下がっているからか、もともとは山羊だったのを、魔法使いの気まぐれで魔法をかけられ、人間にされたと噂されていた。
店に入ると、フジはさっそくくしゃみをした。コラショ爺さんは白い眉毛の奥からフジを見つけると、にっこり笑って手招きし、ラムネの瓶をフジにあげた。
「ありがとう、コラショ爺さん。あのね、今日はコラショ爺さんに見てもらいたいものがあってきました」
フジはラムネを受け取った手と反対の手をぐいっと伸ばして、青い石をコラショ爺さんに渡した。爺さんは震える手でそれを受け取った。
「水の石じゃないかと思うんだけども、あの、ちょっと失礼しますね」
石を持つなり、コラショ爺さんが話し始めたのだが、いかんせん声が小さくて聞き取れない。フジはカウンターに上がり込み、自分も本の山を登ってコラショ爺さんの口元に耳を寄せた。長い眉毛が頬をくすぐる。
「わしが小学校の時分、王宮見学のときに一度だけ、本物の水の石をみたことがある。これはそれにそっくりじゃ」
「やっぱり、そうか!ありがとう」
「気をつけるのじゃ。強力な石じゃから」
フジは用が済んだので、本の山を下りたところ、コラショ爺さんの手首が、またしてもこいこいと、手招きをしている。フジは再び山を登って耳を近づけた。本の山は崩れそうであぶなっかしいため、上り下りも一苦労だ。しかし懸命に上ったにも関わらず、コラショ爺さんが言ったのは、
「気をつけるのじゃ。強力な石じゃから」
という同じ言葉に、メエエ、という山羊の鳴き声をおまけに付け足しただけだった。フジはえっちらおっちら本の山を下りると、古本屋を後にした。
コラショ爺さんとの一部始終をフジから聞いても、ニッキはやはり半信半疑だったし、フジのやろうとすることに乗り気ではなかった。大体、水の石を持っていることを町の爺さんに話したことが、不運を呼ぶ気がする。逮捕されたり、強盗に狙われたりする可能性もある。万が一本物だったとしても、そんな大層なものが近くにあるということに恐怖も感じる。考えれば考えるほど、一刻も早く石を手放したかった。
一方フジは、相場も分からなければ、売る方法もさっぱり見当がつかないが、石を量産できたら生活に困らないだけの稼ぎがあるに違いないと皮算用し、調査の傍ら、再度魔法を試みることしきりだった。そこらに転がっている石に、秋の谷で聞いていたような呪文をそれらしく唱えてみる。水の石にはならなかったが、何らかの魔法はかかったらしく、石は次々と粉々になった。それを見るにつけ、自分もなかなか強力な魔法使いになった気さえしてきた。
「でもやっぱり、ヘメラでもない、ただの石ころじゃなぁ」
とは言っても、ただの石ころくらいしかフジには入手できない。引き続き、道端の石に何度も呪文を唱えてみたが、砕けて光る砂が増えるばかりだった。
フジはそのようにして連日、調査という名目でふらふらと出歩いたり、一向に実を結ばない水の石作成実験を続けた。そうこうしているうちに、瞬く間に日々は過ぎていくのだった。
一日の仕事を終え、家計簿をつけているニッキの前にフジは麻袋をどさりと置いた。
「これは何ですの?」
ニッキはペンを持った右手でメガネを持ち上げながら訝しんだ。フジがここ数日、占いや洗濯物干しの仕事もそこそこにして外をうろついているので、あまり機嫌がよくなかった。
「ま、見てみてよ」
「失礼ながら、いやでございます。明日は虹の市への出発ですから、わたくしも忙しくしておりますの。大体、魔法の練習もお勉強もなさらないフジ様のおっしゃることなど、聞きとうござません。それに、仕事と決めたことはけじめを持って遂行すべきでございます。今日は占いのお客さんがいらしたのに、どちらをほっつきあるいていらっしゃっていたのでしょうか?そのお客さん、ちょっと怖い感じの女性でしたが、前回運命の相手について占ってもらって、今日来たらもっと詳しいことがわかると言われたから来たそうですわ。恐れながら、フジ様はいつから恋占いができるようになったんでしょうね?それに、またあの詐欺の手口で、占いの結果が出なかったくせに、次もお客に来るように仕向けていらっしゃいますね。わたくし、本当に、心から情けのうございます」
ニッキは言ったきり、再度家計簿に向かった。怒りを文字に託すかのように力強く数字を記入していく。そのうち、ぽたりと家計簿に涙が落ちる音がした。うつむいているので定かではないが、また泣いているらしい。
フジはポケットをまさぐると、そこから少しずつ色味の違う青いビーズを連ねた指輪を取り出した。光の加減で鈍く光っているのをニッキの帳簿の前に置くと、小指で宙に四角を描いた。その小指で三回指輪を叩くと、指輪が静かに青く光りはじめた。
「なんですの、これ。かわいいですわ。きれいですわ」
ニッキがようやく顔をあげて指輪を見た。
「これ、ニッキにあげるよ。ほらこうして指につけてさ、それから涙を拭きなよ。ニッキは泣き虫だなぁ」
「フジ様がお泣きにならないから、涙がわたくしのところに引っ越してきたのです」
ニッキが指輪を手に取って涙の溜まった目をしばたいている間に、フジは机の上の麻袋を開いた。中からさらに小分けにされた袋をいくつも取り出す。数種類の青いビーズが、色味ごとに分けられて小袋に入っているのだった。
「これで、明後日の虹の市に出す指輪とか腕輪を作ろう」
「売れるでしょうか……。それよりも、こんなにきれいなビーズをどうやって買い込んだのですか?」
このビーズの原料は、フジの魔法で水の石になりそびれて、粉々になった石だった。きれいな色をしていたので捨てるに忍ばず、町のビーズ工場へ運んだのだ。そしてそのきれいな砂でビーズを作ってもらえるか、ものは試しに尋ねてみた。工場の親方は、意外なことにすんなりと了承してくれた。
出来上がったものは、皆が目を見張るほどに鮮やかな発色となった。二日もすると普通の色合いに戻ってしまうが、指先で魔法の印を切ると、再び輝き出す。親方はひょうたんから駒だ、と喜んで次々とビーズを作ってくれ、出来上がりの一部とアクセサリーの材料をフジにくれたのだった。
「それはまぁ、ようございましたね。ですがフジ様。ビーズの指輪など、果たして売れるでしょうか?さっきはきれいですと申し上げましたが、はあ、こう申し上げても何なのですが実のところ子供だましのようにも感じられます。光るだけ、なのでございましょう?市には、それはそれは珍かなものがたくさんあると聞き及んでおります」
ニッキの瞳は、乾き始めた涙とこれから行く市に対する期待で、きらりと光った。
「売れないかなぁ?じゃあさ、魔法の植物を買ったお客さんにオマケとしてあげようか」
拘りをみせずにオマケにしようと言いだすので、ニッキも少し惜しくなってきた。
「いえ、売れるかも、しれませんわね。街の人々はこんなふうに、役に立たないけれど、不思議なものが好きかもしれませんもの。前はわたくしもそうでございました。僭越ながら、今のわたくしは既にそんなステージは超えましたけれども」
「それじゃ、とりあえず明日の出発までにできるだけ多く作ろうよ。残ったものはまとめて瓶に詰めて置いておくだけでも、きれいに見えるんじゃない?」
これにはニッキも乗り気になり、さっそく作業を始めた。二人とも細かい作業は割合に好きだった。質素なお茶とお菓子を片手に、美しい模様の組み方やら、色の組み合わせやらを二人で工夫するのは楽しかった。
出来損ないのビーズで、お互いに小さなアクセサリーを作り合ったりもした。焼く工程でうまくいかなかったのか、少し赤みがかっていびつな形になってしまったビーズだ。ニッキがヘアピンを作ってフジの髪に飾ると、フジは足輪を作ってニッキに渡した。そんな風にして、二人で夜通し、浮かれておしゃべりをしながら指輪を作った。明日から数日、華やかな街の、にぎやかな市に行って、きっと楽しい時間を過ごせるに違いないと考えると、少しも眠たくならなかった。