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四十四

 納戸に戻ると、涙も落ち着いた様子のバダンスキーが待っていた。物憂げに柱によりかかってフジを待っていた。

「さて、材料も揃ったようだし、我々の重大な秘密について教えよう」

 バダンスキーがことさら神妙な顔で、声音を低くした。フジはなんだかその声の調子から、聞きたくないな、と感じた。しかしバダンスキーはフジの様子におかまいなしに話を続けた。

「最近国連では、海賊の荒らし行為から、沈んだ海域を守るすべを発見した」

 実は自分たちがこの船にきた目的は、それをフジに伝えるためであった、と言う。

「お前は秋の谷を静かに沈めておきたいんだろう?その方法があるんだよ」

 フジは耳をこすった。手のひらに垢の屑がついた。あ、すっごく汚れてる、とフジは思った。

 おい、聞いてるか、とバダンスキーが言うので、フジも我に返った。

「秋の谷の祭りのときの歌を知っているか」

「祭りのときに歌う、数え歌みたいなやつだよ」

 ターパチキンが横から補足した。

 フジは目を瞑った。それは、祭の最後、皆で焚火を囲んで歌う童の数え歌のことだろう。祭がなくても、子供たちはこの歌をよく歌った。

「ひとつ、ひゃくとせひとみごくう

 ふたつ、ふかくふりしふたまむすび

 みっつ、みちづれみなともに

 よっつ、ようようよみがえる」

 冒頭のところに節をつけて口ずさむと、バダンスキーが頷いた。

「そう、それだ」

「陰気なメロディー。いかにも、暗い、山奥の村って感じ」

 と、ターパチキンが感想を言う。

「途中でちょっと明るくなるよ。古い言葉で意味がわからないから、覚えるのがなかなか骨だったよ。あたし、まだ全部覚えてると思うの」

 フジが続きを歌おうとすると、バダンスキーが遮った。

「この歌には伝承がついていてな。それを手掛かりにして、物好きな奴が研究したんだ。それが、海賊行為を阻止する手段へとつながったのだ。俺が聞いたのはお前の歌とは若干異なるが」

 バダンスキーと、隣にいるマチャルコフが、フジが話についてきていることを確認するように、フジの表情を伺った。そこでフジはふん、ふんと頷いて先を促した。

一夜(ひとよ)百歳(ひゃくとせ)人身御供(ひとみごくう)、という箇所だがな。水の石を一つ用いて、適切な魔法を使えば、沈んでいる地域で活動している精霊が水底深くに沈み、眠りこむ。その眠りは深く長く、海賊にも誰にも邪魔されないようになる」

「大体百年くらいの間ね」

「邪魔もされないが、後戻りもできない魔法だ。一回使ったら、断固として百年沈んだままだ。理論上の話で、確かなことは分からないがね。その代わり、精霊が目覚めて土地が浮かび上がってくるのは百年後だ。そのときには、さすがの精霊もすっかり良く寝て気分も良くなっているだろうよ。怒りが溶けて、土地は無事解放される。人も動物もいる、もとの状態で浮かび上がってくる予定だ。めでたし、めでたしだな」

 なんですって!とフジは悲鳴のような声を上げた。

「国連の人たちは、それをするの?」

 これから百年も、自分は生き続けることはできない。家族や谷の人に、フジは会うことができなくなってしまう。門番のトム爺さんなんて、そのころにはもう骨も溶けてるかもしれない。それに、テンは?鬼の寿命は知らないが、そんなに長く生まれた土地から離れて生き続けることができるだろうか。

 マチャルコフがフジの腿に飛び乗り、小さな手のひらで膝がしらを押さえた。フジは自分で気が付いていなかったが、再び体が細かく震えていたので、それを和らげようとしてくれたのだった。

「国連じゃない、お前がやるんだ。念のため言うが、ヤガーの水の石もどきではなく、本物の石を使って。俺たちが乗ってきたカラスが一つ、持ってきてたんだ。お前、さっき奴から受け取っただろう」

「あんたの兄さんから預かってたやつだよ」

 ターパチキンが言葉を添える。

 フジはにわかには信じられなかった。それは、まさしく今フジの腰袋に入っているもののことだろう。腰袋に手を当てると、バダンスキーは

「そう、それのことだ」

 と言った。

「本当は、お前宛の手紙もあったのだが、それを持った鳥は途中で脱落した。なんせここに来るまで、ひと悶着あったものだからな」

 バダンスキーはいかめしく八の字髭を揺らした。

 小人たちは、本当はもう水の石をフジに渡さなくてもいいかもしれない、と考えていた。なにしろサローチカ号につくまでの道中は、恐ろしいものだった。飢えと渇き、嵐。乗り心地は悪いわ、言うことをちっとも聞かないわのカラス。雨の日に飛び、日和のいい日に寒い岩場で休みをとる。限られた休憩時に小人たちが必死に集めた食べ物を容赦なく奪う。それでもこのカラスに振り落とされてはならじと、小人たちは必死にカラスのご機嫌を取り続けた。

 途中むなしくなり、もう人間のために働くことを一切やめて、畑で作物を育てて静かに生きていこうと誓った。もう人間の小間使いなんてうんざりだ。ただしそのときにはすでに最後の大飛行で、カラスはとうとうサローチカ号にたどり着いた。念のためカラスは小舟に隠し、行方知れずになっていたターパチキンと合流、今後は自由な小人として暮らしていく予定だった。

 ところが、衣食住がまぁ確保できるようになると、任務終了時にもらえる予定の、四頭立てネズミ車や、十三世紀ガリバンゾー式邸宅、銀の食器や固い瓶の蓋開け、やけに味のいいはちみつ、といったものが、再び惜しく思えてくる。

「とまあそんなわけで、やっぱりフジにその、精霊を眠らせる魔法をやってみてもらってもいいかな、と結論したわけだね」

 ターパチキンは小人側の事情をかいつまんで説明した。バダンスキーもその後ろで偉そうにふんぞり返って、うなずいている。

 フジは、めまいを感じた。仮にも一国の大事を、そんな風に粗末に扱っていいものだろうか。胸にむらむらと沸き起こってくるものは怒りだろうか。

「どうすんの?やるなら、バダンスキーが魔法のやり方を教えるって。すんごい魔法なんだぜ。前代未聞、空前絶後の魔法さ。いや、実を言うと、俺もマチャルコフも真帆王使いってわけじゃないし、肝心なところはわかってないんだけどさ。むつかしいというか、とっつきづらくって」

「ま、お前さんが百年も沈めたくないなら、それでいいがね。一夜百歳で魔法を使えば、もうどんなにしても百年以内には浮かび上がってこない。その場合は、秋の谷はもう一月、二月もあれば、ポウでなくても、誰かに無理やり浮かび上がらせられるだろうさ」

 と、バダンスキーが言う。

本当にそうだろうか。事態はそんなにひっ迫していて、ポウの後にすぐさま他の海賊がやってくるのだろうか。だってこの航海は結構のんびりしている。もう少し、じっくり構え考えてからでもよいのではないか。それに、数え歌には続きがあるのだ。

「ねえ、この数え歌、よっつようよう、よみがえるって。ねえ、石を四つ使えば、元通り浮かび上がるんじゃないの?石が四つ揃うまで待とうよ」

「さあな。まだそこまで調べてないみたいだ。なんだ、やはりお前、何か知っているな?秋の谷では、どこまでこの魔法を行っていたんだ?」

 フジは素早く首を振った。

「あたしは何も知らない」

 バダンスキーが推し量るようにフジを見やったので、フジはもう一度首を振った。ほんとうに、知らないの、と。

「確か当時、十二歳、いや十一。まだ幼すぎたか。余計なことは知らない方が幸せだから、お前にとっては良かったな」

 続けてターパチキンが、

「あんたの故郷の一大事なんだもの、きちんと考えなよ。でも、あんたが決めなきゃいけないんだぜ。なんたって王族なんだからさ」

 と言った。しばらくしてもフジはうつむいたままで、反応しなかった。ターパチキンはつまらなくなって、爪の垢を掃除し始めた。

「そのために普段はいい暮らしをしてるんでしょ?」

 ターパチキンはとれた爪の垢をふっ、とフジの鼻先に吹きかけた。フジは立ち上がった。勢いよく机に手をついて立ち上がったので、振動でターパチキンがたたらを踏んだ。

 フジはそんなターパチキンを見下ろした。それから海賊たちがよく使う悪い言葉を叫びたかったが、ここにはいないニッキに気を遣い、我慢した。唇を噛みしめて机の両端を掴むとさらに大きくゆすった。ターパチキンはたまらず、バランスを崩して転がり、そのまま縁までころころと行った。

「あぶ、あぶ!あぶない」

 なんとか踏ん張ろうと頑張っているターパチキンを、マチャルコフが素早く助けにいった。それからいつものようにかろうじて聞き取れるほどの小声で、

「皆、デリカシーがないんだよ。まだフジは子供なんだから、一気にいろいろ言ったら混乱するだろう。考える時間をあげなきゃ」

「国の一大事に子供も何もないっしょ。だいたい、もう子供っていうもんでもないじゃん。イタチザメに一丁前の女扱いで抱きつかれて、こいつ浮かれてたじゃないの」

 危ない目にあったので、ターパチキンは憤慨して顔を赤くしている。

「馬鹿だなぁ、ターパチキン。落ち着いてよ。フジが大人だったら、イタチザメもあんな風にはからかわないよ」

「なるほど。確かに、フジはイタチザメが相手にするにはちょっと、な」

「そういう意味じゃないよ。フジだって、素材はまんざら捨てたもんじゃない。要は、雰囲気さ」

「無理だって。フジがどうすればイタチザメをその気にさせられるのよ」

「そりゃぁ、落ち着いてまずは抱擁を受け止めて」

「あっ、そっか。髪に香水をつけとくとか?関係ないけど、個人的には、女の人がブレスレットとかネックレスをはずすしぐさが、なんちゅーか好きだ」

「違うね。相手の胸の上にそっと、かわいらしい両手を置いて、ちょっとした詩を口ずさむのさ」

「いやに古いやり方」

「小鳥のように相手の唇をついばんでもいい」

「やらしいなぁ、マチャルコフは」

「そりゃこんな船にいればやらしくもなるよ。でもどんな男だって、これでなんでも言うこと聞く気がしない?これなら徒手空拳のフジにもできるじゃない」

「うーん、確かに、そんな気もしてきた。うん、うん。フジでも可能だね。フジは至近距離で見るのが一番見栄えがするもんな。でも、これで秋の谷の石を狙わないでくださいって言って、効果があるか?だって船長は相当秋の谷に入れ込んでるもの。どうだろうなぁ、大抵のお願いごとには確実な方法であったとしてもさ」

 好きでもない人に詩を口ずさまれ、唇をついばまれたら、自分だったら相手をぼっこぼっこにする、とフジは思った。でも、世の中ではそういう方法がまかり通るものだろうか。マチャルコフのやや高い声で説明されると、もっともらしく感じられる。

 やがてバダンスキーが「やれやれ」と言いながら、フジに視線を戻した。

「とりあえず、二日はあるから考えておくんだな」

「待って。ニタカ兄様は、あたしにその魔法を使ってもらいたいってこと?」

「さぁな。俺はニタカ公にはあったことはないがな。書簡に何か書いてあったのかもしれないが、もうなくなっちまったし。ただ、石が送られてきたってことは、そういうことなんじゃないか?」

 それではあの兄が、谷を眠らせることを決定したのだろうか。それとも他国と何か取り決めでもしたのだろうか。書簡がないと、何もわからない。

「何もわからないからって、何もしないということはできないぜ。お姫様。待ってたら谷は海賊の餌食だもの」

ふと、誰かの声が聞こえた気がした。ターパチキンを見たが、ターパチキンが言ったわけではなさそうだ。空耳か。

「フジ。水の石もどきの魔力をなくすことよりも、水の石を使った『一夜百歳』の魔法を行った方が、お前の目的を果たすには手っ取り早いし、効果的だ。一応魔法のやり方は教えておいてやろう。使うか使わないかはお前次第だな。使えるか使えないかも、お前次第だ。お前の感じから推測するに、思い切って谷を眠らせることに決めたとして、魔法に失敗して、結局ポウが谷を浮かび上がらせちまう、っていうのがありそうな落ちだ。というわけだから、危ない橋ではあるが、水の石もどきの魔力をなくす方の計画も同時進行していくからな。俺は仕事には責任を持つんだ」

「はちみつと、馬車と邸宅と、瓶開けが待ってる場合にかぎるけどね」

 バダンスキーとターパチキンがそう言って去り、続くマチャルコフはフジに一瞥を与えてから、壁の穴に消えていった。


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