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 やがて捨助も旅の埃を払って居間にやってきた。フジはすでに饅頭を食べながらうろついていたが、捨助を見ると嬉しそうに寄ってきた。にこにこしているフジの左手をとり、しばしその手を自分の額に置いて目を瞑った。それは秋の谷での魔女に対する挨拶の作法で、いつも捨助は自分の手を洗って旅の埃を落とした後に、改めてこれをするのだった。フジは魔女ではないので最初は戸惑ったが、自分ももう十五歳だし、谷では魔女でない姉たちもこうされていたような気もする。そこでじっとその場で立ちどまり、捨助の気が済むのを待つことにしていた。フジの手から饅頭のかけらが捨助の黒い髪にこぼれる。ニッキがしずしずとちらかった包装紙を拾っては畳んでいるのを横目に、捨助は訊ねるような目をフジに向けた。おそらく魔法の勉強の進み具合を聞きたいのだろう。昔からフジは、捨助が言葉を発する前に、何を言いたいのかをなんとなく察することができる。

「少しずつ魔法の勉強はしているし、占いも上達してきたよ。来月はハーテムの街の定期市に店を出そうと思ってるんだ。ウォリウォリよりは、お客も来るだろうから」

「虹の市ですね。美しい市ですから、ぜひとも一度ご覧になるといいでしょう。今年もまた、珍しい北方からの店が一店、出店すると聞いております」

 北方というのは、大陸を横断するオフニ山脈の北側のことで、フジのいる霧の国や香る国は、オフニ山脈の南側にある。オフニ山脈があまりに峻険なため、北と南の国々では近年正式な国交は途絶えていた。

「楽しみなんだよ、ね、ニッキ」

「はい、フジ様」

 ニッキは答えながらも、捨助がまた急につらつらしゃべるようになったのをじとっとした眼差しで見やった。見られた当人はニッキの入れたお茶で一息つきながら、穏やかにフジを見つめている。そのフジは、捨助が持ってきた兄からの手紙を読んでいた。優雅な雲龍紙に美しい筆跡で綴られているが、内容は短かった。最近この国では海賊が出回っているという話だから、あまり夜に出歩かないように、ということと、魔女としての修行がしたくなったらいつでも香る国の学校に入れる手はずになっているという、いつも書かれる一言で締めくくられていた。手紙になると途端に兄らしく振舞ってくる。

「町にも最近海賊がやってきたって、金物屋のおばあさんが言ってたよ。でも、派手な車で通り過ぎただけで、特に悪さはしなかったって」

 隣国の坂の国が新しい王になり、取り締まりが厳しくなったため、この国にやってくる海賊が増えた。この一年で海賊の噂を何度聞いたことか。

「道路の真ん中のタンポポを踏まないように、わざわざよけて車を走らせてたってさ。海賊って言っても、あんまりひどいことをしないみたいだね」

 フジの言葉に、捨助は首を振った。

「気を許してはなりません。海賊は最近、水没した集落や村を無理やり浮かび上がらせ、空家から金品を盗むことを始めたようです」

「海賊が、沈んだ場所を浮かび上がらせられるの?」

 フジは背筋を伸ばして聞き返した。水没した地域一帯は暗闇に閉ざされ、何人たりとも近づけないとされている。

「おそらく、魔法などで精霊をわざと一定以上怒らせ、土地を浮かび上がらせているようです。姫様、海賊が無理やり浮かび上がらせた村は、火事にあったような惨状になると言われています。当然、人も失せている状態です」

 火事ねぇ、とフジが呟いた。

「精霊の意思で沈めた場所は、精霊の意思で浮かんでくるまで待つしかないのです」

 海賊が狙っているのは緋の国と霧の国の境目で、比較的沈み方が浅い地域ばかりだった。海賊はその周辺にある地方領主の館ばかりをあさることができるのみで、緋の国の首都までは到達できていない。深部を浚うにはおそらく技術的な制約があるのだろう。そんなことで緋の国のさらに北西に位置している秋の谷が荒らされることは今のところないと考えられる。捨助の丁寧な説明に、フジはふんふんと頷いた。

「海賊は水の上で最も恐ろしいですが、結局は荒くれ者たちの集団です。陸にいるときも、用心なさってください」

「そうですわ。それにフジ様も、朝まだきに一人でこっそり霧の中を出歩いてはいけませんわ。朝霧が降りているうちに出かけるときは、必ず、わたくしを伴にお連れください」

 かねがねニッキがフジに注意していたことを捨助にも指摘され、我が意を得たりと苦言を重ねたが、捨助がすぐに異議を唱えた。

「妙齢の女性が二人で薄闇の中を歩いても、危険なことに変わりはありません。殿下の手紙にもあったと思いますが、香る国の研究院に入られるのが一番の解決策なのです」

 大規模な国家にある研究院と呼ばれる施設では、とりわけ優れた魔法使い、魔女の血筋の者などが集まり、修行を積んでいる。研鑽の結果、水の石らしいものを作れるようになると、王宮に上がり、名誉ある魔女の称号を得て、国が水底に沈まないように魔法をかけ続けることになる。一方、入所して三年で見込みがないと判断された場合は施設を去ることになるが、実際はほとんどの魔法使いがこの道を辿る。王宮に上がる魔女は十年に一人現れるくらいだった。それほど魔女になる道は狭く、また魔女になったとしても、そこからきちんとした正式の水の石を作れるようになるまでは修行に明け暮れる長い年月を要するのだった。

「いや、あたしはさ、入らないでいいや」

「しかし、こんな町はずれに長く居住するなんて、物騒です。門番のトムは、寝ていましたよ」

「そりゃ、爺さんだし、門番はボランティアだからさ」

「来るだけで疲れてしまうようですので、いっそ一緒に住んではどうかと提案したのですわ。でもそれも気が引けると言うので、もう好きに寝かせておいているんです」

 ニッキが補足すると、捨助は吐き捨てるように言った。

「自ら志願して門番となった者が、手を抜くなど失笑噴飯」

「ふふ、捨助は厳しいなぁ。トム爺さんは、あたしたちのいい話相手なの。いつか秋の谷に帰りたいんだって」

「あの者は谷を追放されたのです。何を甘えたことを。トムとそんな話をいつもなさるのですか」

「たまにね」

 捨助は顔を曇らせたが、それ以上はトム爺さんのことも、研究院のことも続けなかった。

 フジは秋の谷では魔女王の九番目の子供だったが、四人の姉と四人の兄はもちろん、下の妹より魔法が不得意だった。要領が悪いのか、初歩の魔法、たとえば自分の耳を青くするだとか指先を少しだけ熱くするだとか、他の兄妹は習ったその日のうちにできたのだが、フジは結局今もできない。そのくせ特に危機感を持つこともせず、勉強態度も散漫だった。

 ただ、探し物を見つける(ことがある)占いだとか風を起こすとかいう、あまりほかの魔法使いができない、またはあえて選ばない魔法を、どこで学んだのかいつの間にか使っているので、周囲は少しばかり期待をしてしまうのだった。もしかすると、研究院に行った途端に熱心に勉強し始め、修行に明け暮れ、立派な魔女になるかもしれない。

 ほのかな期待はあるものの、冷静になって本人をじっくり観察してみる。やはり才気は感じられない。飄々(ひょうひょう)としているのと、太って糸のような目をしていて瞳が殆ど隠れているため、何を考えているのかわからない、幼い頃から不思議な姫だと言われていた。今はずいぶんと痩せたため肉に邪魔されない分、目が大きくなった。しかしそれは却って左右非対称の瞳の色を強調することになり、いつも上の空で焦点が合ってないように見える。まったく、とらえどころのない姫だった。

 研究院は魔法使いが(しの)ぎを削っているせいで、嫌がらせも多い。フジのように構えもなく、大した後ろ盾もない者は、格好の的になってしまうかもしれない。香る国の研究院には、騒ぎを起こしたニタカを良く思わない人々も大勢いる。権力のしがらみの中では、学友を得るのさえ、苦労を伴うだろう。安全ではあっても、幸せとは程遠いかもしれない。いっそ、魔女とは関係のない普通の寄宿学校を霧の国に手配した方がいい。

 捨助はあれこれ考えてむっつり黙り込んでから、ふと本棚に、『水の石事始め』が並んでいるのを見て取った。フジが自室に置くのを気持ち悪がるので、居間に追いやったものだった。

「この本は、香る国では出版禁止になっています。確か、著者は坂の国の出身者で、違法な魔法使いということでお尋ね者になっているはずですが」

 フジは「それだ!」と指を鳴らした。ニッキが愕然とした表情で捨助を見つめる。

「なんだか気持ち悪い手順の魔法だと思ったんだよね」

「どういうことですの」

 ニッキが身を乗り出して捨助に詳細を聞こうとするも、会話の相手がこういう勢いになると捨助はがぜん性分を前面に押し出してきて、訥々と言葉を区切るばかりで、要領を得ないことばかり言う。とにかく、魔法の手法も魔法がもたらす結果も、性質が悪いらしいということだけわかった。

「フジ様、真に申し訳ございません。わたくし、なんと申し上げたらよいか」

 事情を完全には飲み込めないまでも、ニッキは深々と頭を下げた。

「いや、いや、謝ることじゃないよ。この国ではまだ問題とはされていないんでしょう?でも、じゃ、この本はもうここで永久に眠ってもらおう」

「いいえ、フジ様。わたくし、次の焚火(たきび)のときに燃やしてしまいますわ。こういう本は、禍根を残さないように始末せねばなりませんわ」

「えー、そうなの?」

 そうですとも、とニッキはせかせかした足取りで本を手に取った。

「前に街に行ったときに、評判がとても良いと聞いたんですわ。仕入れてもらうために隣町の本屋に頼んで、ちょっと大めに支払って、待って、待って、ようやく手に入れたものですのに。かわいさ余って憎さ百倍、とはこのことでございますわね!ええ、今すぐに燃やしてしまいたいですわ」

「そうなの?それならあたし、焚火の用意をしてくる。ちょうど、お芋を焼きたいと思ってたんだ」

 フジは気安く請け合うと、足取り軽く、玄関を出て行った。

 ニッキとしてはやはり苦労して入手したものである。そうは言いつつも、もう少し惜しんでもらえるかと思ったのが、あっさり焚火にくべられることになった。微妙な心持でいると、捨助が立ち上がり、本の項をぺらぺらとめくった。目次に目を通し、考え深げにうなずいて、ニッキをじっと見つめた。慰めてくれるのだろうか。しかし捨助はお茶の礼をもどもどと口にしただけで、フジの手伝いをするためにいそいそと玄関を出ていってしまった。

「馬鹿らしい。何を期待したのかしら」

 それからは各自、自分の仕事を黙々と遂行した。焚火の手伝いの申し出をフジに断られた捨助は屋根の修繕、ニッキは食事の支度、フジは枯葉集めだった。

 秋の初めであったので、枯葉はまだ本格的には落ちていない。玄関の敷物に挟まっている鮮やかな赤色の枯葉を取ろうとして敷物をどかすと、蟻やダンゴ虫がわっと出てきた。蟻は大量の白い卵を一気にどこかに運び去ってしまった。フジは熱心にそれを観察しだしたので、枯葉集めは一向に進まなかった。

 一方、捨助の方では雨漏りは直ったらしいが、代わりに自分の袴に大きな(かぎ)裂きをこしらえてしまった。

「あなたったら、どじねぇ。ほら、台所で脱いでらっしゃいな、繕ってあげますわ」

 ニッキは捨助を台所へ押し込んだ。捨助は素直に言われた場所に行くと、素早く自分の財布から札を数枚抜き出し、ニッキに手渡した。

「あら、何ですの、これ。いやだわ、やめてよ」

 ニッキはフジに聞こえないように小声になり、札を突き返した。

「に、虹の市で、す好きなもの、を買う足しにすればよかろう」

「いりませんわ。さっきニタカ様から頂いた分がありますもの。これ、あなたの帰りの旅費じゃないの?こんなの渡してどうするんです。ほら、返すわよ」

「いい、いいから。フジ様にあ、新しい魔法のご本をご用意するのにも必要だろう」

 二人はフジに隠れて金を押し付けあった。フジは蟻の消えた穴の近くに角砂糖を置いて遊んでいる。

 とっとけ!と捨助が札を無理やり持たせると、ニッキが

「どこ触ってんのよ!」

「ししし失敬な!どこも触ってなどいない」

 ニッキは捨助の肩を、札を持った手で思い切り叩いた。捨助も憤然とした様子で踵を返して台所の隅に行き、憚りもせずさっさと帯を解いて袴を脱ぎ始めた。ニッキは札を懐にしまいながら、慌てて台所を後にした。

 そんなこんなを経て袴は繕われたものの、ぼろは隠しきれなかった。捨助はよれた袴を着て、頭にフジが落とした饅頭の屑を乗せたまま、再び枯葉を踏みしめ、香る国への長い道のりを帰っていった。途中、門番小屋で居眠りをしているトム爺さんを、大声でたたき起こすことを忘れなかった。

「情けないですわ。本当に!」

 ニッキが深くため息をついた。

「捨助の袴ったら、型崩れもいいところだし、膝やお尻が薄くなってるんです。裾はほつれてるし、もう何年同じものをはいているのやら、ニタカ様の沽券に係わりますわ」

「兄様も、ひげむじゃで同じようなものだったと思うけど」

「それでもニタカ様はいつも気品をまとっておいででしたわ。それに、フジ様は、ああなる前のニタカ様を覚えてらっしゃらないのですわ。お小さかったですもの。ニタカ様は、お珍しい、お美しいお顔立ちですし、すらりとしていらっしゃるので、とても衣装映えする方でいらっしゃいます。お婿にいらしたときの秋の谷の正装も、結婚式の際の香る国の正装も、それはもう素晴らしい着こなしをされて、光り輝くようでした。地味助の捨助がその爪の垢でも煎じて飲めばいいんですけれどね。それにしても、あのくたびれ加減は論外です」

「捨助はくたびれた服も似合うじゃない。器量よしだし」

「ほ、ほ。なんてフジ様は寛大でいらっしゃるんでしょう!でも、そんなに基準が甘くてはニッキは心配でございます。まあ、千歩譲って悪くはないとしましょう。でも、あんなひょろひょろで、野ざらしにされた服をきて、案山子みたいじゃございませんか」

「そんなにひょろひょろでもなかったけどね。足とかお腹とか、いい筋肉してるよ」

「ふ、フジ様!見てきたようなことをおっしゃるのは、はしたのうございますわ」

 いつも口はできるだけ小さく開けてしゃべるようにとフジを注意するニッキが、めずらしく口を大きく開いた。

「見たのさ。さっき、お芋を取りに台所に行ったときにさ、ちょうど着替えてたんだもの。さっきの焼芋よりはしっかりした足してたよ」

「確かに、とっても立派なお芋さんでした。まあ、捨助がねぇ。意外でございますこと。あら、いやですわ、わたくしったら!わたくしは、ただ捨助の服の話をしているだけで、中身などは、もう、これっぽっちも、本当に、あの」

「ふふふ、素敵な袴を作ってあげなよ」

 フジがニッキに正面から向き直って言った。

「その服、とっても似合うよ」

 ニッキは、先ほど着替えをし、普段は着ない花柄の一張羅に着替えていた。ニッキは慌てた様子で顔を赤くした

「こ、これは、捨助に同情されるのはまっぴらと思いまして、ちょっと気張っただけでございます」

「とっても素敵」

 フジはにっこりと笑って、続けた。

「いつか恋占いもできるようになったら、ニッキの恋を占ってあげる。お代はいらないよ」

「ま!どういう意味でございますか。ま、ま、ま。いやなフジ様!」

「昨日ちょうどいい(かば)色の反物を通りで見たよ」

「あ、あれ。わたくしも見ましたわ。あれはでも、ちょっとお値段がしますもの。あんな老人むさい男には、一番安い藍鼠(あいねず)ので十分でございます」

 まさか本当にそれで仕立てるわけもなかろうと思いつつ、フジはふと切なげに眉を寄せた。

「ごめんね、あたしと来たばっかりに、貧乏になっちゃって」

 ニッキが首を振ってから、自分の胸を叩いた。

「何をおっしゃいますか。お金のことなど、このニッキと、捨助に任せておいて、お勉強にご専念なさいまし」

 フジが黙り込むと、ニッキはそっと玄関を閉めて、慮るような眼差しになった。

「研究院に行かないとおっしゃるのは、もしかして学費の心配をなさってるんじゃありませんか?」

「違うよ。あたしより、ニッキが行った方がいいんじゃない?魔法が上手だもの」

「ま。うふふ。わたくしの魔法は、とてもじゃないけれど魔女様になれるような代物ではございませんわ。……でも、やっぱりフジ様は」

「ここにいたいの」

 フジは最後まで聞かず、羽が生えたようにするすると階段を上って行ってしまった。それから霧が降り始めて暗くなるまでは勉強しようとしたものの、結局パズルの続きをしてしまったのだった。


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