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三十三

 しょぼくれる、というのをかつてこれほど上手に表現したことがあっただろうか、とフジは考えていた。なにしろサローチカ号が太陽の燦々(さんさん)とした光を浴びて揚々と輝く頃、自分はどこまでも暗く、しとど湿った地獄の入り口のような船牢に閉じ込められて、真っ暗な顔をしているのだ。骨のようなものが地べたに散らばっているし、全体的に虫が湧いている。それにとにかく臭いがひどいし、板もところどころ腐っていて、油断すると床を踏み抜いてしまう。

 最初にここに連れてこられたとき、こんなところに入れられたら、頭がおかしくなってしまう、とフジは訴えた。

「おおげさなやつだ」

 連れてきたヒューは、呆れたように言った。確かに大袈裟だったかもしれない。ここにきて数日、フジは正気を保っている。考え方にコツがあって、それを体得したのだった。

 そこにあるどくろのようなものは、それを模した飾りか土くれかもしれないので、深く考えないようにする。扉の所には、虜囚となった先人が出ようともがいたのだろうか、茶色い爪が五枚、剥がれて落ちている。いや、爪ではなく、フジツボのかけらかもしれない。床の隙間にはさまっているこの黄ばんだものは誰かの歯だろうか。何か拷問でもされたのか。いや、しかしここのビスケットは石のように固いから、恐ろしいことをされなくても食事の度に歯ぐらい抜けるかもしれない。天井一面は色とりどりの黴で埋まっているのが絨毯のようだし、部屋の隅ではヘドロが不思議な黒い結晶を立体的に形成していた。見ようによっては、美しくなくもない。そう考えれば、結構な一人部屋かもしれない。

 ポウが一部屋くれると言っていたので、てっきり船尾の部屋のどれかをもらえるのかと思っていた。もう誰のいびきに悩まされることもなく、寝返りを打つたびに隣のハンモックにぶつかってどやされることもないし、もしかしたらポウの隣の部屋かも、などと思っていた。ところが、ふたを開けてみれば誰かが死んだような跡のある、ど臭い船牢だった。もとい、考えようによっては結構な一人部屋。

 フジは何度も、渡した水の石がにせものであることがばれたのかと考えた。しかし、時折船牢の近くで作業をする船員たちが、

「おかしい。船長の機嫌が良すぎるぜよ。さっき、一の綱のけばけばになってぶら下がってるとこが船長のちりちりの髪に絡んじまったけど、俺に怒らなかったんだ」

「ご機嫌なのは、欲しがってた緑の人魚がとうとう釣れたからだろ」

「違うよ。ヤガーとの契約が終わったからだろ」

「え、俺も緑の人魚をものにしたんだと聞いたぜ。夜な夜な釣糸をぶら下げてた甲斐があったってさ」

「人魚なんて、船長はようよう、げてもの食いだなぁ」

「船長のげてもの好きといやあさ、フジを見ないけど、あいつ今回のお手柄で船長の部屋住みになったのか?」

「食うんじゃなくて、飼うだけみたいだぜ」

「え?フジの話?人魚の話?」

「人魚の方」

「あんなん飼って、何が楽しいんだ?なんにせよ、ご満悦の体で、こっちは助かるわな」

「俺なんか、船長から昨日こんなんもらったぜ」

「どれ。あっ。いいなぁ!」

「ご機嫌ぶりも天井知らずだなぁ、おい。お前、一の綱は早く補修しとけよ。船長の機嫌がいいうちに」

 などと、ポウの浮かれぶりを話しているのが聞こえる。あれが出来損ないだとはまだ知られていないようだった。にもかかわらずこんな最低な部屋に入れられるのはなぜか。水の石を渡したら自分はもう用無しということか。いや、船長はフジにいい部屋を与えるように指示したのだが、なんらかの手違いで船牢に入れられているだけかもしれない。この船のずぼらな海賊たちのやり方からかんがみるに、その可能性がもっとも高い。

 朝晩の食事はヒューが運んできてくれるのだが、このときにフジはヒューに何度も問い質していた。

「ちょっと、本当にあたし船牢にいなきゃいけないのかな?船長に確かめてよね」

「わかった、わかった」

 ヒューは適当な返事をするばかりで、一向に事態は改善しないまま時間が過ぎていく。

 ところが矛盾することに、船牢入りはひどい扱いばかりでもなかった。船牢に入ってから、贅沢なことに食事に一掬いのはちみつが加えられるようになった。船牢に入れられるとき、ヒューが珍しく、「何か欲しいものがあれば言ってみろ」と聞いてきたのがきっかけだった。

「どんな風の吹き回しよ」

「船長からそう言われたんだよ。とにかく、言ってみろよ」

「それより、あたしが船牢に入るべきなのか、ちゃんと確認してよ」

「あっそ。いらないんだな」

「待って待って。今考えるから」

 そこでフジは「はちみつが欲しい」と答えておいたのだった。

「馬鹿も休み休み言え。海の男は辛党なんだ。そんなものあるわけないだろ」

 一蹴されたが、あるのだ。フジは知っていた。それは次のようなことからだ。

 以前に魔女の島に向かって航海しているときのことだ。御存じのとおり、フジは船長の、この世の汚れという汚れに呪われているようなトイレを掃除する役目をもらっていた。あるときに船長室に向かってやる気のない足取りで歩いていると、ロディオンに呼び止められた。どうも歩き方が気に食わなかったらしい。

「余計なものに触らず、言われたところだけ掃除しておけよ。お前には真面目さが足りない」

 頭ごなしに言われて、フジだってカチンときた。それまで一応は真面目に掃除してきたものを、不真面目と言われるなら、いっそ船長室を散々物色してやろうと腹に決めて足音高く船長室に入って行った。モップを担ぐときには、わざと大きく振り回して、ロディオンにしぶきが飛ぶようにしてやった。

 いつも通り、船長室にポウはいなかった。フジは埃だらけの戸棚をこそこそといじっては、何があるのか見て回った。珍しい貝殻が入った箱や、きれいなペンが本の間に挟まっていたりして、面白い。蜘蛛がうじゃうじゃ入った虫かごもあった。そして本棚のところに、隠れるようにはちみつの瓶詰があったのだ。はちみつなど、フジはもちろん、誰の食事にも乗っているのを見たことがない。蓋がかなりかたく閉められていたが、フジはなんとかこじ開けた。指を突っ込んで舐めてみると、なかなか美味いはちみつで、甘い中に、松葉のようなつんとした風味がある。その後も、掃除の際に隙さえ見出せば一口ずつ舐めていたが、量は一向に減っていないように見える、素敵なはちみつだった。

 船長の大切なはちみつ。はちみつを欲しいと言うフジの希望をポウは叶えてくれるだろうか。

 翌朝の食事に、はちみつは来なかった。やはりそうか、とフジは半分納得、半分がっかりした。そもそも船牢から出してもくれないのに、嗜好品などくれるわけもない。それでも一抹の希望を捨てきれずにいたら、なんと夜食のビスケットの皿に、一掬いのはちみつがついているではないか。それを認めた時、フジはおもわず「あら、ま、」と呟いて、口を両手の指先で覆った。

 ポウが、自分で、一掬いしてくれたのかな。ヒューがしてたらがっかりだけど。

 残念なことに、船牢の絶え間ない刺激臭のために鼻がやられてしまっているので、もうはちみつのつんとした香りは味わえなかった。それでも、フジは大切に大切にそれを指で掬って、眺めてはちょっと舐め、また眺めてはちょっと舐めを繰り返した。それから、ふと思いついて数滴を皿に落とすと、皿を床に置いておいた。いつぞやの小人がまだこの船にいるかもしれない。フジはそれまでも何度かビスケットを置いておいたりしたが、翌朝になってもそのままで、中から蛆が顔を覗かせていることしかなかった。しかし、はちみつつきなら違うかもしれない。

翌朝、何気なくその部分の床を見てみると、はちみつはきれいに舐めとられていた。ネズミではない。サローチカ号には凶暴で神出鬼没な猫がいるらしい。いつからか勝手に舟に住み始めたこの猫に、大抵の小動物は食われてしまっている。厳重なカゴの中で飼っている鳥さえも食われてしまう。生き残れるのは、頭のいい、素早い動物でなければならない。小人でなくても、何か珍しい生き物かもしれない。

 それからはパンにはちみつをつけて、暗がりに置いておくことにした。小人とはなかなか体面できない。一度などはほとんど小人の足音を聞きつけて目を覚ましたが、急いで起き上がって灯りをつけても、パンがほんの少し移動しているものの、何の姿も確認できなかった。パンをそのままにして再び眠ると、翌朝にはすべて跡形もなく消えていた。いつかは小人と打ち解けて、話ができるようになるだろうか。暗い船牢での暮らしだったが、フジはそうやって少しずつ楽しみを見つけることができた。

 もちろん、一番大きな楽しみは他にあった。ポウがこのまま「家があった場所に帰してやる」という約束を守ってくれるなら、もう少しでニッキに会える。フジはずいぶん背が伸びたし、肌の色も白くなった。角まで生やして、ニッキはどれだけ驚くだろうか。それでもまた静かな森の家で暮らし、二人でもやしの髭を取ったり、お茶とお菓子を囲んでおしゃべりをしたりする日々が返ってくるのだ。家の前のプランターの下では、去年カエルが冬眠していた。今年もいるかもしれない。もしもそんな機会があれば、立派な大きさのカエルをポウに見せてあげたい。この船の上では船長はなかなか近寄りがたいが、陸に上がれば、最初に出会ったときのように対等な立場になれるのではないか。対等とまでもいかなくても、もっと気軽に話しかけることはできそうだ、とフジはぼんやり空想していた。ウォリウォリの町を案内したり、一緒に釣りをしたり。

 実際のところ、そんな機会はあり得ないことなのはわかっているのだが、想像の翼は羽ばたいた。色々と考えると、現在の不便も我慢がきく、というより、そうでも考えなければ、この部屋の陰気さに押しつぶされてしまうのだった。

 夜食以外には、ヒューが朝に一度食事を持ってきてくれる。その食事は、前よりも豪華になっていた。それまでのように、いつだって虫が食ったビスケットにしゃばしゃばのスープというものではなかった。おかずが一品追加されている。それに三回に一回はビスケットではなく、前述のやや柔らかいと言えるパンが出るし、干し肉の日には、前よりも肉の量が増えた。飲み物にはワインではなく、新鮮な水が出るようになった。これがまだ酒に慣れないフジにとっては一番ありがたかった。

「相変わらずひどい臭いだな、ここは。おい、今日は卵焼きだぜ。二切れもある」

 ヒューが格子についている小窓を開けて食事を差し入れた。

「ねえ、本当にあたしがここにいなきゃいけないのか、きちんと船長に確かめてくれた?」

 フジは顔を上げるなり、ヒューに尋ねた。

「あっと、忘れてた。今度聞いといてやるよ」

「あんた、もう何度目?ちゃんと聞いといてよ」

「うるせえなあ、おい、飯食わないんなら、俺がもらうぜ」

「食べるよ!何言ってるんだよ」

 フジは上半身を伸ばして皿を手にした。さっそくふわふわの卵焼きを手に取り、口いっぱいに頬張る。味はしないが、貴重なものを食べているのだ、と気持ちをいい方向へ傾けことが大切だった。

「うまそうだなあ、ちょっと分けてくれよ」

「え、また?いやだよ」

 フジは皿を膝の間に抱え込んだ。こういうときは無視を決め込むに限る。ところが、ヒューがしきりと唾を飲みこんでいるのを見ると、なんだかきまずい。鼻をこするしぐさといい、だらしないシャツの着方といい、哀れに感じられてくる。彼の方は相変わらず、水でしかないようなスープとビスケットなのだろう。フジは仕方なく卵焼きにナイフを入れ、少しだけヒューの手のひらに置いた。

「ちゃんと船長に確認しといてよね」

「わかった、わかった」

 ヒューはあっという間にぺろりと飲みこんだ。せっかくあげたものを味わって食べていないのを物足りなく思いながらも、フジは人が食べる姿を見るのが好きなので、ついまじまじと見ていると、ヒューが睨んだ。

「なんだよ、見んなよ」

「あ、ごめんね」

 フジは謝りながら、自分の角を撫でさすった。これは最近の癖だった。

「あたしの角、ちょっと小さくなった気がするんだけど、どう?」

「いや、全然小さくなってないよ」

 がっかりした。撫でたり、格子にこすり付けたりすれば削れて短くなるかと、ずっと励んでいたのに。

「そうかぁ、残念。これじゃ、町に帰ったらみんなびっくりするよね」

「はん?帰る?お前何言ってるんだ?帰れるわけないじゃないか」

 フジは今度は自分の耳を乱暴に何度かこすった。

「何?自分が卵焼き噛む音でよく聞こえなかった。なんだって?」

「船長はお前を手放す気はないぞ。これからお前はずっとサローチカ号に乗船して、俺たちと一緒に行動するんだ」

「そんな!」

 思わず大きな声を上げた。

「これから霧の国に戻してくれるんでないの?ポウは家に戻してくれるって言ってた」

「お前、秋の谷に家があったんだろ?秋の谷に一緒に連れてってやるって意味だろうよ」

「だって、水の石が手に入って、ヤガーとの契約は終わったじゃないの。目標は達成されたじゃないか。谷に行く意味なんてないよ」

「おいおい。大量の水の石を手に入れるチャンスが目の前にあるんだぜ。みすみす見逃すほど腑抜けなもんか。お前だってこのまま田舎に帰って、またせこい店をやるつもりかよ。せっかくなんだから、一瞬でも船長のものになって箔をつけて、女海賊になったら」

「せこい店っていやな言い方だな。店に来たこともないくせに。あんたは余計なことばっかり言う」

「へん、聞いただけでこっちがせこい気持ちになるくらい、節約第一のしょうもない店だろ。それとも、いつか王子様が来てくれるとでも思ってんの?もっと食らいつく精神がなくっちゃ、この先やってけないぜ」

 その後もぶつぶつとヒューは続けたが、一旦落ち着いて考えようと、フジは手で顔を覆った。どうも、フジは霧の国に帰るのではなく、サローチカ号でこのまま海賊として暮らしていくようだ。

 この汚い船牢に暮らす?冗談!うむ、待てよ。船長のものになるだって?確かヒューはそう言った。

 フジがむくむくと想像を膨らませようとしていると、横やりが入った。

「お前、いい加減に船長に惚れるのやめにしろよ。船長はお前のことなんかどうでもいいからこんな雑な扱いしてるんだぜ。ほんっとうに、お前のことをなーんとも思っちゃいないんだ。あのな、昔、犬のボーが汚えどぶで毒ガエルを見つけたんだ。ボーのやつ、とちくるってそれを食おうとしたんだが、船長が慌てて吐き出させてた。ボーは船長のお気に入りだからな。でも、気に入ってたのはボーだけじゃなかったんだよ。船長はそのカエルを箱に入れて、しばらくの間こまごま世話して飼ってたんだ。やれ草を敷きかえるだとか、餌を集めるだとかさ。あのカエルの方が、お前よかよっぽどかわいがってもらってたぜ」

 ヒューが口元についていた卵焼きを手で拭いながら言った。

「あたしだってカエルが好きだ」

 とフジは小声で呟いた。趣味が同じってことじゃないか。

「人並の恋なんて期待してるならやめときな。脈なんてない。船長のものになるっつっても、もってひと月、それでしまいさ。一晩かもしれない。そりゃそのときはとびきり優しいかもしれない。敷物もいい匂いにしてくれるし、寝るまでずっと撫でてくれる。けど、捨てるときはあっけないぜ。惚れるだけ損、最初からクールに構えてなきゃ、後で取り乱すんだからよ」

「あんたやけに見てきたようなこと言うけど。まさか……?」

「俺が船長と?ば、ば、ば馬鹿にすんな!もしも俺がその立場だったら、お前にとびきり優しくするって、それだけ!けど、あの、そんな立場になりたいわけじゃないぜ」

 ヒューはとたんに汗を出し始めたのか、顔を黒光りさせている。

「それで、あっさり捨てるって?」

「まさか!俺はそんなことするもんか!いや、だからもののたとえ」

 フジはヒューのまだ育ち切っていない若木のような腕や足をじっと見た。ヒューは慌てて身を隠すように斜めに立った。

「とにかく、お前ってば船長を見かけるたびに犬コロみたく嬉しそうな顔をしてさ。みっともないったらないぜ。もっと鬼らしく、堂々としてろよ」

 フジが反論の言葉を練り上げる前に、ヒューはどんどんと言葉を重ねていく。

「お前みたいなやつが、秋の谷出身とはね。でも、道理で水の石を持ってたわけだ。本当はまだ隠し持ってんだろ? 今は船長も忙しいからお前に構ってらんないけど。ほら、他の海賊についてこられちゃなんねえってんでさ。でもひと段落したらきっと石の隠し場所を言うように締め上げられるぞ。のんきに飯なんか食ってられるのも今のうちだな」

 フジは正直なところ、秋の谷の話をこれ以上したくなかった。先だって、ポウに秋の谷のせいで緋の国が沈んだと言われたときに、肝が冷えたのだ。ヒューにそのことを蒸し返されたくなかった。しかし、聞き捨てならない言葉でもあった。

「他の海賊も秋の谷を狙ってるの?」

「ま、当然そうだろうな。石が百個もあれば、町が昔の姿で浮かび上がるっていう言い伝えを本気にしてるんだ。大の男がなぁ、ありゃただの迷信だと俺は思ってるんだけど」

 フジが、目を大きくして問うようにヒューを見ると、ヒューは頷いた。

「その石を、ポウはどうするのさ」

「さあてな。どっかの国に売るんじゃないか?もうヤガーに貢ぐ必要もないし、売り上げはそのままこっちのもんだ。相当羽振りがよくなるだろうな」

「羽振りを良くして、お土産をたくさん持って、ウパースの女の人のところに行くんだね」

 フジは以前にブツが言っていた、ポウの昔の恋人らしい女性のことを持ち出した。

「どんな人なのかなぁ。ヒューは見たことあるんでしょ?」

「……お前、鬼になっても、本当に馬鹿だなぁ。そんな話を覚える力があるなら、仕事を覚えろよ」

 ヒューが憐れむように言った。

「あたし今でも人間なんだけど」

「へん、角を生やして人間様たぁ、恐れ入るよ」

 それからヒューは「こんな臭い部屋で食われる卵焼きが不憫だぜ」と吐き捨てて、船牢を後にした。

「好き勝手言って!」

 もう二度とヒューにご飯をわけることはすまい、とフジは固く誓った。

 それでも、秋の谷の話題になっても、口の悪いヒューが「秋の谷のせいで緋の国が沈んだ」とこれまで言ってきたことはない。単細胞だからもう忘れているのかもしれないし、そもそもポウとフジのそのくだりを聞いていなかったのかもしれない。そんなことを思ってはみたものの、なんだか、どうしてそう考えるのかはわからないけれど、フジはヒューが彼女のことを慮ってその話題に触れなかったようにも感じた。

 フジはフン、と鼻を鳴らした。それからふと、鬼になって自分の顔は変わったかしらと、不安げに頬をそっと押してみたのだった。


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