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二十七

 一方、先日家を閉め出されて以来、ニッキはウォリウォリの町の店の二階に住むようになっていた。着替えや鍋など、もともとあまり持ち合わせはないが、それでも家で大切に使っていたものたちは、もはや取りに行きようがなかった。とにかく不便に違いない、と心した生活ではあったが、意外にも不自由はなかった。というのは、近所の人々の助けはもちろん、以前はただニッキのご機嫌伺いに来ていた男たちが、ここぞとばかりに贈り物をしていったのだ。これまでニッキは男からの贈り物を一切受け取らなかった。しかし物が根こそぎなくなった今、鍋や手ぬぐいはもちろん、ペンやちょっとした肩掛けといった贈り物を、ありがたく受け取るようになっていた。男たちは我先に貢物を持ってくると、ニッキの後ろめたそうな感謝の言葉を聞き、満足げに鼻を鳴らした。

 こういった男の一人で、居住空間の方でなく、店の方に簡単な家具しかないのをいたく気にしているようなのがいた。確かに、椅子も机も最小限で、しかもやたら軽い木材でできていた。それでもニッキもフジも特に不便は感じていなかったが、この男は、事情通ぶって、これだから繁盛しないだとか、風水上もこれでは問題だとか、色々なことを言い始めた。それで、どこそこの家で余ったソファ、外国製の、古いがとてもいい品物があり、処分しようとしていると聞きつけて、それをニッキがもらったらどうかと持ち出してきた。

「いえ、別にいりません」

 何度断っても、連日訪ねてきて世間話をしているうち、またソファの話に戻る。根負けしたニッキは、とうとうもらう約束をすることになった。

 ところが気の利かない話で、ソファの運搬はニッキが一人ですることになってしまった。男が手伝ってくれるものと思い込んでいたニッキは、受け渡しの日の当日に男が姿を現さないので、仕方なく一人で台車を引いていた。

「あの男!もう絶対に店に入れないんだから」

 外国製で重厚なつくりであるだけに、とても重い。折悪く町の祭りの日であり、皆町の反対側にある教会に行ってしまって、手助けしてくれそうな人とも行き当たらない。汗だくになって舗装状況の悪い小道に入ったところで、これ以上は一人では無理だと結論した。

 通りに戻ると、人はちらほらとしか歩いていない。いつも頼りにしている宿屋の旦那も、煙草屋でふらふらしている遊び人の息子も、今は留守だ。外套を着た若い男が一人歩いてくるが、細くて、汚れた感じで、どうも浮浪者のようだ。運搬は頼めそうもないが、不憫に思ったニッキは踵を返すと店に戻り、ゆで卵とコッペパンを手に持って出てきた。

「もし、卵とパンをいりませんか……」

 男が痩せた顔を上げると、ニッキは素っ頓狂な声を出した。

「あら、あなた、捨助じゃないの!」

「あ、ニッ、ニッキ。ま、待たせて、済まなかった」

 捨助が埃をまき散らしながら駆け寄ってきたので、思わずニッキは身を引いた。

「別に待っちゃいないわよ。何です、そのなりは」

「あ、ずっと旅を……。とりあえ、ず、店に行こう」

「あなた、大丈夫なの?ちゃんと食べています?」

 店に入って捨助が汚れた外套を脱ぐと、やつれた印象はあるものの、ややいつもの様子に戻って見える。

「う、わたしは変わり、ない。こんな状況のときに、連絡、つかな、申し訳なかった」

「フジ様が、フジ様がまだ見つからないのですわ。国連の方は探すと言ったけれど、警察も探してくれているそうですけれど……。ちゃんと探してくれているのかしら。わたくしも香る国の兄や姉にも手紙などを書いてはいるのですが、やっぱり何も進展がないのです。そういえばあなたこそ、ニタカ様もどこぞに消えてしまわれたって聞いたけれど、どうなのです」

「ニタカ殿下は、ごごご無事だ。かしましい王宮からしば、し、み身をかくかくかく、隠していらっしゃる。しか、しかし、交通の、べ、便の、便、便の、まだ、時間が」

「交通の便の悪いところにいらっしゃるから、お出でになるまでまだ時間がかかる、というのね」

 捨助はうんうん、と頷いた。

「そ、それより、姫様だ。姫様に何かがあったら、わた、わたしは、もう」

 捨助が頭を抱えて椅子に崩れ落ちるように座り込んだ。ニッキは暖かいお茶を捨助に渡し、その背中に手を置いた。少しためらったが、そっとその背中を撫でてみた。捨助の吃音はいつもよりひどかったのだ。

 捨助は素直にお茶を飲むと、しばし目を閉じた。それから姿勢を直して座りなおし、背中をもぞもぞと動かした。ニッキの手を背中から除けるよう促しているらしい。ニッキは素早く手を離し、その手で近くにあったじょうろを握りしめた。

「に、ニッキは、ここで、ま、待つことだ」

 と、捨助が言った。

「皆、ほ、本気で探しているよ。沈、ずずんだ国とは、いえ、姫様は一国の正式な王位継承者とみなされている。そして年明けには、王として、ごしょ、ご即位されるのだ」

「ちょっと、初耳ですわ。何を言っているんです」

ニッキは思わずじょうろを取り落した。

「即位ですって?わざわざそんなことしなくてもいいじゃないの。フジ様、嫌がりますわ。わたくしたちだけが、姫様と思ってお仕えしてるだけで十分でしょう」

「笑止。い今の我らの生活は、ままごとではない。わたしたちは、ほ、本気で秋の谷の再興を望んでいる。どんな形であれ、秋の谷という国は、なくてはならないものなのだ。そのためには魔女王様の正当なお血筋を引く王が必要だ」

 捨助は急に冷たいまなざしでニッキを見据えた。

「緋の国を見よ。先月、国とともに沈んだ国王に代わり、残った王族が新国王として即位した。いいか、ニッキ」

 目を光らせ、やつれた頬を心なしか紅潮させている。

「最近のニュースで、海賊が、魔女様の作るものに質は劣るものの、水の石と称されているものをやたらと集めているのを知っているな。奴らはそれを使って、沈んだ場所を無理やり浮かび上がらせている」

「もちろん、知っておりますとも。この間も話したじゃないですか」

「それを受けて、香る国でも一部の国民が騒ぎ始めた。水に沈んだ西域の四の鉱山を、浮かび上がらせるべきだと」

「ええ?でも海賊と同じ無理やりな魔法で土地を浮かび上がらせると、沈んでいる人々は死んでしまうのでしょう?いけません、そんなの」

「さよう、乱暴な話だ。しかし、それでも国の重要な資源庫である鉱山は再び財を生み出すことができる」

「なんてひどいことを。口にするだけでも罰があたりますよ」

 ニッキがどんなに憤慨しても、そう主張する人間はいるのだった。加えて、海賊の使っているような質の悪い石ではなく、本物の上質な水の石が大量にあれば、人がいる状態で土地を浮かび上がらせることができる、という話もあった。これはいくつかの国の古い伝承が元になって生まれた憶測のようなものだった。復活に関する同じような伝承が別々の国に残っているので、なんらかの事実に基づいているのではないかという考え方だった。

「そんなおとぎ話みたいなこと!適当な噂を信じて、精霊の意思で沈んだ国を荒らすなんて許されません。それに、そもそも大量の水の石なんてどこにあるというの」

「その通りだ。どこの国だって、水の石の余剰がそんなにあるところなんてない。ところが、秋の谷には、あったのだ。数百をくだらない水の石が保管されていた。と、言われている」

 秋の谷はとても小さい国だった。国家というよりも村という規模であった。そして、隣接する緋の国、霧の国や香る国などとの交流を長く拒んでいた。交流といえば、魔女王の代替わりの際に西の方の空を不思議に輝かせて。王が変わったことを一方的に知らせてくるのみだった。どうも魔女が複数いるらしいが、辺境だし、何よりあの規模だ、それほどのことはなかろう、わざわざ大陸の端っこまで行く必要はない、と諸国は高を括っていた。ところが近年になって国交らしきものが始まり蓋を開けてみると、その小さな谷では、大国でも遥か及ばない程の膨大な量の水の石を保管し、水の精霊を御する高度な魔法を代々伝承していたのだ。

「そ、そんなにたくさんの水の石があったんですの」

「さてな。真偽はわからぬ。何せ、すべて沈んでしまったのだ。ニタカ殿下は、詳しいことはご存じないが、ある可能性は低い、と仰っている。だが、誰が信じようか」

 ここ数週間というもの、捨助は秋の谷の処遇について各方面を説得しようと東奔西走している。寸暇もなく走り回ったものの、事態を好転させること能わず、今まで万事そつなく有能にこなしてきた捨助としては、歯がみする毎日だった。実際、先日ニタカに会った時に、「お前、歯がすり減ってないか。歯ぎしりのしすぎだな」とからかわれた。

「秋の谷を海賊が浮上させた後、保管されている大量の水の石を、役立たせようと考える人間がいるのだ。秋の谷は犠牲になるが、小さな国だ、大勢の命を守る、または浮かび上がらせるためならいいではないか、という理由で。あってないような理屈だが、秋の谷を中心とする三年前の大水没以来、もうなりふりを構っているような余裕はないのだ。各国は水没の危機を感じている。現に、国まるごとという規模ではないが、村の一角、町の一角といった小規模な水没事故はあれ以来増えている。秋の谷の水の石に魅力を感じない国はないのだ。国連の委員会などで、道義に悖る行動に対して自制の呼びかけがあるが、呼びかけ程度では、なんとも弱い。わたしたちには、秋の谷の権利を一番に考えて、主張する人物が必要なのだ」

「あなたが主張しなさいな。一番要領よく主張できるんじゃありませんこと?仕事のことになると舌が回るんですから」

 捨助は答えなかった。暗い顔で自分の親指を見つめている。

「ニタカ様は?フジ様のお兄様でいらっしゃいますもの。フジ様は、まだお小さいですわ。お辛い目にあって、まだ三年しか経っていません。能天気に見えても、苦しい思いを抱えていらっしゃいます。涼しい夜にも関わらず、寝具が汗で濡れている日もあります。ほとんど話さなかったり、指先の震えが止まらなくなる日もあります。そっとしておいて差し上げる必要があるのです」

 捨助はしばらく黙りこんだ。やがて、おいたわしい、と呟いた後、

「ニタカ殿下は香る国に婿入りする際に、王位継承者から外されていらっしゃる。そのお立場では、秋の谷の王となることはできない。姫様は、幼く見えてもじきに十六歳になる。十分に、大人だ。……わたしだって、姫様がこのままひっそりと暮らしていければ良いと思う。姫様は、王宮などではなく、明るい日の下で、風のように笑っていらっしゃるのがよく似合う。堅苦しい場所ではなく、の、のびやかに、ふふ普通のじょじょじょ女性として暮らし、そして、い、い、いつかは、わたし、が」

 捨助は言葉を途切れさせた。ニッキは静かにじょうろに水を汲み、植物に水をやり始めたが、内心、「何を言い出すのよ、この男!」と驚いた。真面目一辺倒の忠義者のふりをして、実はフジ様に下心を持っていたのかしら?「わたしが、お嫁に頂こうと考えていた」とか、「わたしが自分の手でお幸せにしてさしあげる」とか言うつもりだったのかしら?忠義者が、聞いてあきれる!

 いや、しかし、やはり捨助に限ってそんなことはなかろう。きっと違う言葉をつなげようとしていたのだろう。たとえば、「わたしがプロデュースしてさしあげ、どこかの金持ち息子とのご結婚までこぎつける」とか、「老人になってもわたしがお仕えし、その骨さえも拾ってさしあげる」とかではなかろうか。

それでも一旦そういう方面に思ってしまうと、捨助が急にそこらへんにいる、汗と情欲にまみれた普通の男に見えてくる。長旅と心労で悄然として、無精ひげを生やして椅子に投げ出している姿が、ねずみ男に似ている。

ニッキは空になったじょうろをポイと投げやり、二階に上がって行った。捨助のことなどで頭を一杯にするのをやめなければ。明日会う海賊撲滅運動の広報部の人から、あらかじめもらっておいた資料に目を通しておこう。それから、いい香りの紅茶を飲んで、気分を落ち着かせよう。一人になってからずっと、紅茶を飲んでいない気がする。

「それにしても、フジ様が王様って」

 ニッキは秋の谷の即位の式の様相は知らないが、香る国の儀式がどのようなものかは知っている。王冠を被って、分厚いマントを羽織ったフジを想像すると、こんな状況であっても笑いがこみあげてきそうだ。即位してもいいかもしれない。フジも観念して、やがて淑女としてのふるまいを否応なく見につけるだろう。

 フジが見つかった後、年明けには即位するのであれば、ウォリウォリには帰らず、ニタカのいる香る国に戻ることになるだろう。そして気ままで放任主義なニタカは、以前そうだったように、フジを心細いままに放っておくかもしれない。自分はすぐに店をたたんでフジの元に行けるような準備をしておかねばならない。

「フジ様がお帰りになってお一人でいらっしゃる間に読むことができるよう、何か励ましになるような手紙を差し上げよう。捨助に持たせておけば、間違いないわ。ちょっとひっかかるところがあるけれど、フジ様に悪いようにはしないでしょう」

 そう決めると早速、ニッキは以前フジと二人で選んで買った便箋を取り出したのだった。


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