二十五
「へえ、やっぱりお前、筋がいいね」
布を裁断していると、後ろから声がかかった。テンが後ろからフジの手元を覗き込んでいるのだ。この島に連れてこられて一月が経ち、器用な性質のフジは仕事をてきぱきとこなせるようになっていた。
「この分だと今日も早く終わるよ」
端切れを集めて捨てながら、テンは上機嫌で鼻歌を歌った。今日の服地は絹織物だ。真っ赤な地に金糸で細かい華が刺繍されていて、布の縁も白と金の糸で飾られている。フジは服が一番きれいに見えるようにと型紙を配置し、丁寧に裁っていった。
集中して作業をしていると、階下から声がかかった。
「フジー。二階でチーフが呼んでるよ」
「おっと。ちょうどこの裁ち終えた布を下に持ってくんだった。さ、一緒に運ぶよ」
テンがかごをフジに渡し、二人で階段を降りて行く。
「待ってたよ。あのね、ちょっとこの服を着てちょうだいよ」
そう言った鬼の顔色は、今にも光り出しそうなほど青黒い。チーフと呼ばれている男の鬼で、いつもお洒落をし、一階で衣装作りの総指揮者として采配を振るっている。そのチーフの前には薄いシフォンが幾重にも重なった、生成りのドレスがあった。
「このパーティドレス、着た感じが思っていたのと違うから直して欲しいって、お客様から差し戻されたの。でも何がどう違うのかいまいちわからないから、お前に実際に着て、動いてもらいたいの」
ドレスを長い爪で指さして、フジに着るように促した。フジは顔が綻ぶのを止められなかった。こんな夢のようなドレスを着られるなんて、本当に本当の話だろうか。
「あんたと同じ背丈の子の服なの。それにこれ、色々あって頭からかぶるタイプのドレスなんだよね。でもわたしたち、角があるじゃない?こんな薄い布のドレスを被って、万が一ひっかけて破いちゃったら大変なんだよ。この布は在庫が少ないんだから」
フジはもう嬉しくなって、その場で服を脱ぎ捨ててドレスを被った。
「ちょっとちょっと、もっと恥じらいを感じてよ……」
チーフはたしなめながらも、笑顔を浮かべてフジがドレスを着るのを手伝った。
「あら、あんたやっぱり男の子なの?」
チーフはフジの下着姿を見て声を上げた。フジは虹の市でサリーから預かったヘメラの指輪を、布にくるんで下着の中に入れていたので、ちょうど股のところが膨らんでいた。
「違うよ、これ、大切なものを入れてるんです」
「もっとしまう場所を考えなさいよ」
ドレスは若干胸や胴回りがゆるかったが、ちょうどいい裾丈だった。フジが歩いたり、回ってみたりすると、重なり合ったシフォンが揺れて、スカートの後ろに虹がふわっと広がった。フジは体を捩じって虹を覗き込んだ。見物していたテンも思わず口を開いた。
「ほほー!凝ってるね」
「これは実際に着るとこうやって虹が出るの。でも、確かにスカートの前の部分には虹が出ないね。それと、もっと 余韻を残すようにゆっくり消えてもらいたいな。シフォンの重ね方を少し変えてみるか」
チーフは他の鬼と一緒にフジの周りにかがみこんで、布の重ね方を相談し始めた。テンがそれを見て冷かした。
「フジ、そうしてると、召使にかしづかれたお姫様みたいだよ。意外とさまになってるじゃん」
「うふふ。そお?ありがと」
肌ざわりも素晴らしいドレスだった。それから、こんなドレスを着てパーティに出る魔法使いはどんな女性だろうか。
「贅沢だよね、この島の魔法使いは。これ、今来ている海賊たちのために開くパーティに着て行くんでしょ?魔法使いって、こうやってパーティのたびに新しいドレスを新調するのさ」
テンが呟くと、周りで見ていた他の鬼が笑った。
「この島、人間の男が少ないもんね。いても、ひょっろひょろのもやし魔法使いばっかり。そりゃ、海賊が来た時に張り切りたくもなりますわな」
チーフは肩をそびやかした。
「ふん。野蛮よ、海賊なんて。馬鹿が多いし、臭いし。でも、このドレスは海賊とのパーティ用じゃないよ。魔法使いの娘が、水の石を作れるようになったから、そのお披露目パーティをやるんだって。この、ちっこい石を作った記念にって」
そう言って、胸元に縫いこまれた二粒の青黒い石を指さす。テンは音もなく駆け寄ってきて、フジの胸に顔を埋めんばかりにして石に顔を近づけた。
「これが、水の石かぁ。そんなもの縫いこんじまうなんてなぁ。せっかくの石をこんなことにしちゃっちゃぁ、もったいないじゃないのさ。石は一から十まできちんと海賊の奴らに渡して、さっさと沈んだところを浮かべてほしいもんだね」
「こんな小さな屑石、ほとんど魔力を帯びてないもの。飾りにするくらいしか役にたたないでしょ」
すると、他のアシスタントたちもどれどれ、とそろって覗き込みに来た。
「偽物なんじゃないの、これ?ありがたみが全然感じられないよ」
「やっぱり驢馬の乳臭いもんだね」
「ちょっと、あんまり石に顔を近づけないでよ。屑石ではあっても、この石がこの服の主役なの。これの魔法がドレスをきれいにしてるんだからね。乙女の涙がふりかかると、魔法が弱くなって、最悪の場合、魔法が消えるよ。そうなると何もかもおじゃんよ。ま、あんたたちは別に乙女ってわけじゃないから、万が一涙がかかっても魔法は消えやしないだろうけど、念のため」
チーフは鬼たちをドレスから引き剥がすと、石が濡れていないことを確認するように指先でこすった。それからフジに、
「人間の少女よ、あんたはあくび禁止。涙がついたら大変だからね」
と言うと、再びフジの足元に跪き、作業に戻った。
フジは石をまじまじと見た。これは水の石だろうか?確かに似てはいるが、なんとなく禍々しい印象だ。まだ未熟な魔女が作ったとはいえ、柔らかすぎるし、形もいびつだ。見れば見るほど、偽物であるような気がしてきた。ポウたちが島に置いていった荷物は、結構な財産に見えたけれど、こんなものと引き換えにしているのだろうか。それとも、成熟した魔女が作った石は、もっときちんとしているのだろうか。
「この島に、また海賊が来ているんですか?それは、ポウっていう海賊ですか?」
フジが尋ねると、チーフは針を口にくわえながら、上目使いでフジを見た。アシスタントの鬼が代わりに口を開いた。
「この子、一月前にイタチザメのポウの船で連れてこられたんですよ。あのね、フジ。次来るのはイタチザメじゃないよ。大体、イタチザメはパーティには出ないんだ。あいつは慎重だから、最低限の人数でヤガーに挨拶に行って、水の石を貰ったらすぐに島をずらかるのさ。イタチザメを狙ってる魔法使いの女も多いから、あいつが全然島にいつかないのを口惜しがってるよ。ざまあみろったら」
「あんた、イタチザメに会いたいの?」
チーフがしゃがんだ体勢から立ち上がり、膝を伸ばしながらにやにやした。
「あいつは長くても三月にいっぺんは来てるから、またじきに来るだろうよ。会えるチャンスは、まあなさそうだけど」
「いやだよお、この子、にやにやしちゃって」
アシスタントの鬼がフジを小突く。
ポウが来たら、きちんと話をして、船に乗せてもらおうとフジは考えている。ここにあるのは鬼の仕事ばかりで、ポウが言ったような魔女の修行などないのだ。航海のついでにフジも乗せてもらい、どこかの港に降ろしてくれたら、そこからはなんとか自分で帰れる。
「人間は、ああいう男が好みなのが多いのかな。ま、確かに青びょうたんの魔法かぶれや、粗忽な他の海賊よりは幾分マシだけど、あいつ田舎者じゃないか。とんだ未開部族の出身だったはずだよ」
「チーフ。むさくるしくない範囲で、野趣溢れるっていうのがいいんだと思いますよ」
「あいつに角が生えてたら、あたしだって迫っちゃうわぁ」
ひひひ、と鬼たちが笑うと、テンが横から割り込んだ。
「フジの唐変木!無理やりこんな島に連れてこられて、どこをどうやったらイタチザメに惚れるんだよ」
ぎょろめを剥いてもどかしそうに腕を振り回すので、フジはうつむいてスカートの虹を見つめた。
「野暮、野暮。惚れた腫れたは頭じゃどうにもならないんだよ、テン。ハートよ、ハート。ここがぎゅうっと、どうしようもなく、吸い寄せられちゃうんだよ。はい、もう脱いでいいよ、ごくろうさん」
チーフは作業をひと段落させ、そう言った。フジは名残惜しげにドレスを脱いだ。アシスタントの鬼がもう一言フジをからかおうと口を開いた時に、時計がひときわ大きな音をたててカチン、と鳴った。
その階にいた一同は、動きを一瞬止めた。息をひそめてお互いの顔を見やってから、人差し指を口の前に立てて、銘々の作業に戻って行った。それからは時計をはばかってただ黙々と作業を続けた。
その日の仕事が終わり、部屋に帰って冷たいベッドで目をつぶっていると、下からテンが囁いてきた。寝付けないのだろうか。
「フジ。老婆心から言うんだけど、イタチザメはやめときな。いい噂を聞いたことないんだから。海賊なんて所詮は皆だめな奴らだけど、その中でもマシな海賊と、マシでない海賊がいるとしたら、あいつはマシでない方だよ。目的のためには、残酷なことも平気でする。裏切者には一切の容赦をしない。あの若さで海賊の首領になった男なんだから、優しい男のわけないだろ」
「そうかな?」
そうは見えなかったけど。とフジは思っていた。
「ま、あいつってば本当に用を済ませたらすぐに帰るから、もう会うこともないだろうけどね。なんとなく、お前って心配なんだよ」
テンはそう言うと大きなあくびをした。フジは冷たい足先をこすりながら、まだおしゃべりをやめたくなかった。
「ねえテン、ポウも何かヤガーと契約してるんだよね。その契約のせいでずっと働かなきゃならないんでしょ?契約って守らないとどうなるの?」
「そりゃ、鬼に食われて、死んじまうよ。それなのに海賊たちはみんな欲深だからね、水の石が貰いたいからってヤガーと期限のない契約をしちまうのさ。一生働き続けなきゃならない契約を、ほいほいって、簡単にさ」
「期限がない契約なの?」
「ヤガーの契約書の時間表記は古いんだよ。数百年て時間が期限として書いてあるんだけど、海賊たちはなんて書かれてるかいまいちわかんなくって、それでもどうしても石が欲しいもんだから、細かいことはまあいいやってんで契約を結んじまうんだろうね」
冷静に考えたら、いくらなんでもそんな契約は交わさないのではないか。魔法使いとの約束は怖いから、よくよく考えてから、というのが一般的な教えだ。そういった内容の教訓的な童話もたくさんあって、フジも幼い頃に聞いてきた。その教えが吹き飛ぶほどに、石が欲しいのだろうか。あのドレスに縫い付けられていたような、小っぽけな石が。
脅かして無理やり契約させているのかもしれない。魔法使いは契約の時に、相手が文字を読めるかどうかのぎりぎりの明るさの、何やら臭い香りをぷんぷんとさせた部屋を用意することがあると聞いたことがある。そして砂時計の砂が落ちるまでの間に、相手に署名をするように迫るのだ。部屋には魔法使いと契約者しかいないのに、どこからか刃物を研ぐような音や、唸るような呪文の声が聞こえてくる。契約者は冷静さを失い、ついつい恐ろしい契約書に署名してしまう。最近では取り締まりが厳しくなり、脅迫まがいの契約は禁止されているが、法の眼をくぐっていまだにこの方法をとっている者があるようだった。
「無理やり約束させられて、ずっとヤガーのために働かなきゃならないとしたら、海賊もかわいそうだね」
「何言ってんの。そもそも奴らが欲を張ってるからいけないんだよ。あんな石ころを使った悪だくみをしてるから、落とし穴に入るのさ。それに、契約を気に入って、毎回ほくほく顔で来る海賊も多いしさ」
「石ころ……。あれって、本物の水の石かなぁ?」
「知るかよ。でも水の石がそんなぽろぽろできるならさ、苦労なんざしないね。そもそも、こんなにあちこち沈まないんじゃないの?ま、こちとら、沈んだ場所が浮かび上がってくるなら、なんでもいいやね。あーあ、あたしの故郷も早く浮かび上がらせてくんないかな」
テンは緋の国と秋の谷の境目に住んでいた。秋の谷が水没してから三年以上たつ。テンが以前に、鬼は故郷を離れると長く生きられないと言っていたのが、フジは気になっていた。具体的に、あとどのくらい元気でいられるのだろうか。知りたいと思うが、いつも聞くのが躊躇われて、聞かずじまいだった。このときも、結局尋ねるのをやめた。
それにしてもあれは水の石ではない。海賊たちが言っていたように、水の石の質が悪いとかいう問題ではなく、まったくの別物だ。竹の花入れを作る技術をどう磨いても陶器の花瓶を作ることはできないように、まったく別のものに行きつくという感じだ。
例えば、とフジは推理した。以前にカリオペ女史が水の石もどきの話をしていたことがある。『水の石事始め』が出版されて以来、違法な魔法で作られている水の石もどきが出回っているという話だった。むしろその水の石もどきと呼ばれるようなものが、ヤガーの石ではなかろうか。そういえば、石が驢馬の乳臭いと言っていた。驢馬の乳という言葉には聞き覚えがある。『水の石事始め』を読んだとき、この魔法の材料として老婆の耳が必要だと読解し、ニッキに驢馬の乳の誤読だと指摘されたのだ。そのときはそんなわけなかろうと考えていたが、やはりニッキの言ったとおりだったのかもしれない。
フジは色々と頭の中で考えてから、ふと気になって聞いてみた。
「テンも人を食べるの?」
返事は返ってこなかった。もう寝てしまったのだろうかと通路の方に寝返りを打つと、そこにテンの赤茶けた顔がぬっと浮かび上がっていて、フジを凝視していた。フジは「わっ」と声を上げて、後ろにのけ反った。
「しっ。静かに。他の二人は寝てるんだから。あのね、いつかは、そうだよ。鬼は年取れば、ただただ空腹しか感じることができなくなるって言うから。本当に皆がそうなるかどうかは知らないけど。でも、時計みたく、契約や決まりを守るお役目をもらってる鬼は、死にかけた、腹ペコな奴らさ。奴らはヤガーの決まりに縛られているから、同じように決まりを守っている相手を食うことはできない。だけど契約や決まりを破った相手は、すぐさま飲み込んでいいことになってる。だからいつも手ぐすね引いてあたしたちが掟を犯すのを待ってるんだ。あたしだってもっと時間がたって力が弱ったら、どうなるかはわかんない」
ナマメッキはもう長くないかもしれない、とテンは言った。故郷から離れて長いし、年もいってる。元々口数は少なかったが、最近とみにしゃべらないのも、言葉を忘れかけているのではないか。食事をすればするほど空腹感が増すので、敢えて食べることをやめているのでは、と噂されているらしい。
でも、ナマメッキはいつもフジに親切にしてくれている。フジが失敗して生地に傷をつけたときも、何も言わずに修復してくれるし、フジの仕事を積極的に手伝ってくれる。朝はわざわざフジの仕事が終わるまで残業して、寮まで一緒に帰ってくれることがほとんどだった。
「だから、言いたかないけど、ナマメッキには気を付けるんだよ」
「でも、そんなのいやだよ」
フジはベッドの縁にかかっているテンの手に心細げに触れた。テンは手をそっと引き抜いた。
「鬼は鬼だし、海賊は海賊なんだよ。だからフジ、あんまり誰にでも心を許すと、痛い目を見るだけじゃすまなくなるんだ。あんたは自分と、自分の仲間のことだけ考えてな」
フジは身を起こそうとしたが、テンに押し止められた。
「もう、おしまい。寝ないと明日がきついから」
その後、フジはなかなか寝付けなくなって何度も寝返りを繰り返した。眠るために、秋の谷で見た美しい水の石を思い浮かべた。それは今日見た石とはまったく別物であった。
しばらく虫がりぃりぃ鳴いているのを聞いていたが、やがて朝一番の列車が走り出すと、その音に驚いたのか、虫の音は止んでしまった。下着に挟み込んだヘメラがやけにじんじん熱かった。
夕方になって目を覚ますと、そのヘメラが消えていた。その代わりに、今にも爆発しそうな、出来たてほやほやの水の石が布団の中に転がっていた。




