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十六

 カモメがギーヨギーヨと舞う青い空の下、フジは船の甲板にロープで巻かれて転がされていた。鉄でできた黒いマストが無数に伸びている船だった。出航の準備をする水夫たちが、日に焼けて色褪せたブーツで忙しそうに歩き回っている。フジは顔を蹴られまいと首を竦めながら、男たちが錨を巻き上げる作業を見ていた。

 あの霧の中、ポウに荷物のようにかつがれて気を失い、次に目を覚ましたのは船の甲板に投げ出されたときだった。ポウは水夫たちに短い指示を出し、フジをぐるぐるに縛らせると船尾の部屋へ籠ってしまったのだった。指示の言葉は坂の国の言葉だった。

 開明的な母の教育のおかげで、フジは坂の上の言葉もある程度は理解できるはずだったが、船上を飛び交う言葉は船の専門用語が多く、あまり内容がつかめない。水夫たちに話しかけて状況を把握しようとしたが、水夫たちはまるでフジがいないように無視を決め込んだ。「あのう」「すみません」と言っても誰も見向きもしない。

 やがて、船を動かす魔法の動力の音がヒーンとひときわ高く鳴り、船は出航した。もともと沖合に停泊していたのだが、さらに陸地が遠ざかって行く。崖の上に白い家が建っていて、窓から子供だろうか、ハンカチを振るのが見えた。

「いいかげんに縄を解いたらどうなんだよ!ねぇったらさ!」

 ひときわ大きな声で訴えてみたが、水夫の誰一人として顧みてくれる者はいない。こちらに顔を向けることさえしてくれないのだ。仕方ない、鶏の雄叫びを真似してみようかしら。フジはこれがとても上手で、たまにやるとニッキが手を打って喜ぶ。やりすぎると不作法だと注意される。

 コッケ、コッケコッコー、と思い切り叫んでみると、顔の前を歩いていた足がぴたりととまった。フジと同じくらい日焼けした少年で、前髪を赤いゴムで結んでいた。フジは「やあ」と挨拶をした。

「今の、お前の声だよな?なんだ、上手じゃないか」

 掃除をしている子らしく、手に持ったモップを肩にかついでフジをじろじろと見た。

「うん。他の動物もできるよ」

「俺は今仕事中なんだ。あと一つだけ聞いてやるよ。一番得意なやつをやってみろよ」

「そうねぇ、得意なものは一杯あるんだけど、カモメなんかどうかな」

 提案するなり、キイ、キイと喉の奥で音を出すと、少年は目を見張った。

「すごいな、お前。他にはどんなのがあるんだ」

「それより、トイレに行きたいから、縄をといてよ」

「やい、そんなこと俺にできっこないじゃないか。いいから、他の動物もやってみろよ」

 少年はモップの先でフジを小突いた。フジはむっとして、頭を振った。

「お兄さん、ここから先はただではやらないよ」

「何を!縛られてるくせに偉そうなやつだ」

 少年はモップでつついてきた。

 フジは不潔なモップを押し付けられて、もう絶対にこの少年には見せない、と決め、口を一文字にして耐えた。少年は「さ、早くやれよ」と急かしてくるが、フジがじたばたともがきながらも抵抗していると、右舷の方から縞のバンダナを頭に巻いた男が唐突に寄ってきて、少年とフジを殴った。少年は慣れているのか、少し顔をしかめただけだが、フジは人生の中、今日という日まで殴られたことなどなかった。少なくとも、こんな風に表立って乱暴に扱われたことはなかったのだ。いったいどうして、やけに雑に扱われているじゃないか。痛みよりも衝撃が大きく、考えがぼんやりしてきた。

「遊ばず、せっせと働けぃ。なんだお前、ぼさっとした面しやがって。馬鹿にしてんのか」

「いえ、滅相もございません」

 フジはすぐに目をしばたいて、首から上だけでも様子をしゃっきりさせた。バンダナの男は舌を鳴らし、続けた。

「さっきの鶏をもう一度やれ」

「へ?へい」

 フジは怯えながらも、言われた通り雄鶏の真似をした。モップの少年が、男の影からフジの物まねを興味津々見ているのが癪だったが、仕方ない。ひとしきり鳴くと、男は感心して再び持ち場に戻って行った。すると、それまで陰気な顔つきでちらちらとフジを見るばかりだった男たちが、徐々にフジの周りに集まってきた。仕事に行き交う男たちがしばし足を止め、動物や虫の鳴きまねを聞いては、感心してまた仕事に戻る。海の男たちは気が荒いのか、少しでも似ていないと殴るぞと脅したため、フジは精いっぱい真似た。幸いどれも上出来で、男たちはやんやと喝采した。

 騒ぎを聞きつけたのか船尾の部屋の扉が開き、ポウが出てきた。フジの周りで油を売っている男たちを認めると、大股で近づいきて、「持ち場に戻りやがれ!」と雷を落とした。男たちは首をすくめたり、舌打ちしたりしながらその場から散った。ポウは同じようにその場を駆け去ろうとするモップの少年の襟首を掴んだ。

「おい、ヒュー、お前、何してたんだ」

「いえ、こいつが、動物とか虫の鳴きまねをしやがるんでさ。おちゃらけるとひでえ目に合わせるぞ、というわけで、ごにょごにょ」

 ヒューはモップの先でフジの顔を押し上げた。襟首を掴まれてバランスを崩しているので、モップの扱いに加減ができず、容赦なくフジの顔にモップを覆いかぶせてくる。ポウが少年のモップを抑えて、フジの顔から引き離した。

「お前、そんなことできるのか。やってみろ」

「ぺっ。それより、早く縄を解きなよ」

 途端にヒューが再度モップの柄に力をこめ、フジの顔をぐりぐりとなぶった。

「おい、船長の命令は絶対だ、このとんまめ」

「ぺぺっ。あんたにゃ、言ってないよ」

 ヒューが殴ろうと腕を振りかざしたので、フジは慌てて、「やります、やります」とせきこんで虎の鳴き真似をした。まるで恐ろしい虎がすぐそこにうずくまっているような、迫真の鳴き真似だ。ポウがふうん、と腕組みをした。しかしそれだけのようで、すぐに視線を甲板に彷徨わせ、水夫たちの仕事ぶりを点検し始める。そうして縄梯子(なわばしご)のちぎれている個所を見つけたらしく、指示を出しながらそちらのほうに歩きだしたので、フジは焦った。船長の指示がなければ縄は解いてもらえないだろう。

「ええと、次の物まねに行きます」

 船長が足を止めて横目で見た。ここはひとつ、殺伐としたものではなく、愛らしいもので哀れを誘い、縄を解いてもらおう。何がいいだろうか。

「えっと、そのぅ。モリアオガエルです。男と女で順番にやります。」

 フジは結構カエルが好きなのでそう言ったのだが、一般的に、カエルではあまり哀れを誘えない。せめて、思わずプッと笑ってしまうような、恋の時期の猫か馬にすればよかったと思い直した。しかし言い直したりするちょっとの合間にも、ポウはどこかへ行ってしまいそうだ。やむを得ず、まずは雄のカエルを可能な限り勇ましく、ぎょぎょぎょ、と舌と喉を使って真似した。その後、雌のカエルとして、色っぽくコココ、と喉を鳴らした。すると船長からは割にいい反応が返ってくる。彼もカエルが好きなのかもしれない。目元を緩めて、今にも感嘆の言葉が口から出てくるだろうと思われたとき、ヒューが遮った。

「馬鹿野郎、カエルってのは雄だけが鳴くもんだろうが。学がないからってこっちが何も知らないと思うなよ、この街っ子!」

 罵声を浴びせるとともに、数回叩いてきた。フジは「違わい!雌も鳴くんだわい!海っ子!」と叫び返し、一瞬体をたわめた後、一気に伸ばした勢いで体を飛ばしてヒューの足に噛みついた。ヒューも大声をあげて、フジの顔をつかんだり、髪の毛を引っ張る。やりあっていると、ポウが二人を引きはがして、そのままフジのロープをつかんで船尾の扉に入っていった。

 そこは船長室で、いくつもの明りとりの窓があるものの、甲板から入ると薄暗く、埃で煙っていた。大きな書き物机と、大砲が据えてある。ポウはフジを丁寧に床に座らせると、自分は近くにあった豪奢なつくりの肘掛け椅子に腰かけた。それからフジを遠慮なく上から下までねめつけた。

「一応聞くが、お前、男じゃないな?」

「え?」

「女だな?」

「そうだよ!当り前じゃないか」

 ポウはうつむいてため息をついた。胸を飾る石の首飾りが音をたてる。訛りのきつかった霧の国の言葉の場合とは違い、ポウの話す坂の国の言葉は流暢だったが、やはりどこか異国の響きを乗せていた。

「当たり前じゃないから聞いてるんじゃないか。まあいい。お前、魔法は使えるんだろう。あの水の石に似たビーズを作る以外に、どんな魔法が使えるんだ」

「水の石に似た?ああ、魔法のしかけがよくわかりましたね。へぇ。あなたもやっぱり魔法使いで?」

「おい、聞かれたことに答えるんだ」

「あっはい、ええと、他には占いができますです」

「それは陸でも聞いたな。他にはあるか」

「いえ、特には……」

「それだけか?」

「ええ、まぁ」

 フジのとぼけきった小面憎い顔つきを、ポウはまっすぐに見据えた。

「そうか。別にいいがな。俺たちはこれから二週間かけて魔女の島まで行く。そこでお前は、ヤガーという魔女の元で水の石を作る修行をするんだ。ろくな魔法も使えないならお前は役立たずなので、囚人扱いということで、島につくまで臭い船牢に入ってもらう。それと、こんなことは縁起でもないから言いたくないが、海が荒れるなどして航海が長引き、食い物がなくなった場合、俺たちは船牢の囚人から食ってくから、覚悟しておくように」

「あっ。あたし、他にも変身魔法と、洗濯物を乾かすことができますです」

 フジがせき込んで告げると、ポウは膝を打った。

「洗濯とはいいじゃないか!どういう魔法だ、それは」

「風を吹かすです」

「おう!それはいざというとき船を進めるのにも役立つな!やるじゃないか」

「あ、これは洗濯物を乾かすときにだけ使える魔法です。船を動かすのはちょっと無理です」

「……。それなら、水吐き亀用の瓦苔の飼育が船でできるか?」

「はて?カワラゴケ?とはなんですか?」

「お前、魔法の植物を売ってたんじゃないのか?」

「はぁ。魔法の植物は友人が扱っていました」

「ほかに得意はあるか?」

「ええ。あの、さっきの動物や虫の鳴き真似くらいです」

 変身魔法はいつか役に立つかもしれないので、わざわざ告げることもないだろう。

 なんだそれだけか、とポウが間の抜けた声で言った。推し量るように眉を持ち上げたが、やがて短剣を取り出してフジを拘束していた縄を切った。

「まあ、いいだろう。じゃあお前は囚人じゃなくて水夫見習いということにしてやる。洗濯物はたくさんある。加えて下の甲板はいつもじめじめしているから、ここに風が通れば船にもいいだろう。期待しておこう。じゃ、親指を出せ」

 促されるまま手を差し出すと、ポウが短剣でその指先に傷をつけた。それから胸から古い巻物を取り出すと、

「この者みだりに魔法を使うことあたわず」

 低い声で言い、フジの親指をつかんで巻物の終わりの方にぎゅっと押印した。巻物に血の跡が残り、フジの指の傷は消えた。

「ま、頑張って洗濯を干してくれ。お前なら女とわからないかもしれないから、二週間くらい他のやつらと一緒でも大丈夫だろう。他の男たちが騒いだら、牢に入れてやってもいいから、そんときはそういいな」

 言い捨てると、ポウはさっさと船長室を出て行った。

 フジは船長室に立ち尽くした。優しげだったポウに乱暴に船に乗せられたことがいまさらながらショックであったし、男に見間違われたことにも傷ついた。フジは隣に立てかけてあった姿見に自分を映した。

 女に見えないだって?

 確かに、日焼けはしているし、髪や肌が荒れているかもしれない。しかしよく見れば細い鼻梁や丸みのある頬、細い指先など、自分で言うのもなんだけれど、確かに女の子らしい美しさもあるのではないか?それに、赤いヘアピンは目立ってかわいらしい。鏡に見入っていると、入れ替わりにヒューが入ってきてぶっきらぼうに声をかけた。

「おい、立て」

 切れた縄を体から振り払いつつ、ぎこちなく立つと、投げ出されたりしたときにできた打ち身が痛んだ。

「もっときりきり動けよ。こっちについてこい」

 手で軽く小突いてきたので、フジはぷっと頬をふくらました。

「乱暴な人だね。大体、男のくせにあんたはなんで赤いゴムで髪の毛をまとめてるの。あんたのせいでこのピンの存在が霞むよ」

「馬鹿か。お前の存在がピンをかすませてんだろ」

 ヒューはすたすたと船長室の奥にある間仕切りの向こうに歩いて行った。

 そこは小さな空間で、穴の開いた箱型の椅子が一つ置いてある。箱を開けると汚れたおまるが入っていた。

「これを持て」

 とても素手で触れたものではない。おまるの内側も外側も、途方もなくどろどろと汚れている。緑や赤の丸い染みや、黒いピラミッド型のもの、ピンクのふさふさした毛のようなものなど、さながらカビの万博博覧会とでもいえるような賑わいがあった。

「絶対いやだ」

「いやだじゃない。お前の仕事だ。下っ端には休みなんかないんだ。洗濯物干しとやら以外にもお前の仕事はたんまりあるぜ。航海の間、朝晩、船長のトイレを掃除するのもお前の係だ。いいから、それを持ってついてこい」

 フジはあたりを見回し、天井から釣り下がった棺桶のような形の船長のベッドにぼろきれが掛かっているのを見つけた。それをひっつかみ、布越しにおまるをつまんだ。

「おい!怒られるぞ。船長のハンケチだろうが」

「そんなこと言ったって、素手では絶対つかめない」

「気取りやがって。俺は素手でやってたさ。ま、いい。船長に気付かれないようにしろよ」

 トイレの中身は船首の水夫用トイレに捨てる。下に板が渡してあるだけで、一歩間違えば自分が海に落ちてしまうトイレだが、ヒューが案外丁寧に、どこに足をかけるだとか、どうやってロープを掴むだとかを教えてくれた。

「お前、名前はなんて言う」

「フジだよ。ねえ、なんであたしがここに連れてこられたのよ」

「あたしだって!」

 しまった!とフジは口を押えた。女であることがばれると危険かもしれないのだった。こんなに荒くれた男たちの集団だ。いつ襲われたって不思議ではないのに!

「お前、女か。ふうん、だからピンにこだわってんのか」

「あ、その」

 ヒューはどうでもよさそうに肩をすくめた。

「船長は知ってんのかな。まあ、どっちでもいいや。お前、そんなちっこいなりして、魔女か?」

「はん?魔女なわけないじゃないの」

「だろうな。でも、魔法使いではあったりするか?」

「魔法はいくらか使える。へへん」

「どうせ大した魔法じゃねぇだろ。そんな感じがプンプンしてら。でも、魔女でないなら、遠い親戚に魔女がいるとかかなぁ?」

「うん、いるね」

 フジは自慢げに鼻を鳴らした。

「てめえが偉いわけじゃねえだろ。しかし、そんな抜け作の面して、魔女の親戚たあ、世の中わからないもんだな。あのな、これから行くところは、本当にまずいところだぞ。へぼな魔法使いだったら大変なことになるんだから。冗談を言ってるんじゃないぜ。きっちり修行にはげめよ」

「あのさぁ、勝手につれてきて、ぼかすか殴った上に、修行しろだなんて、あんたなんなのさ」

「決めたのは、俺じゃない、船長だ。いいか、このサローチカ号では、船長は絶対だ。ついでにお前は俺より下っ端なんだから、つべこべ言わず、俺の言う通りにしろ。その臭いおまるをさっさと船長の部屋に戻して、次の仕事場へ行くぞ。言っとくが、お前も血判状に母印押したんだろ?そうなった以上、船の上では船長の許可した魔法しか使えないようになってるからな。おとなしくしておくことだ。妙なことをしたら、海に落としてやる。おら、歩け。それにもともとそういう歩き方か知らんが、男っぽくしようとしてわざとそんな風に蟹股にしたって、意味ないぜ」

 意味ないって、どういうことだろう?そんなことしなくても男に見えるということだろうか。それとも蟹股に歩いたところで女性に見えることは隠せないということだろうか。考えていると、ヒューはフジの手を乱暴に引いた。

「お前が男だろうが女だろうが、こんなちんちくりん、誰も気にしねぇよ。くだらねぇこと考えるのはおしまいだ。それどころじゃなく、忙しくなるんだからさ」


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