十五
ニッキはかんかんに怒っていた。警察のぐうたらなことときたら!とくにこの馬顔の警官!
突如湧いてきた霧でフジを見失ったニッキは、当然慌てた。霧の中で数人の人間が行き交う気配がして、うっすらとココナッツの香りが漂った。相当に深く、重たい霧だった。ところが霧除けのまじないを唱えながら、手探りで十メートルも歩くと霧は晴れた。はて?と思って振り返れば、今歩いていたところにあったはずの霧さえ跡形もなく消え、通りの隅々まで見渡せる。いったいなんだったのだろうと思いつつも、フジの姿を探した。しばらくあちこちの通りを覗いていたが、影も形もない。そのうち、今度は本当に夜霧が出てきたので、仕方なく宿に戻った。ひょっとしたらすでに宿に帰っているかもしれない。胸騒ぎを押しこめて宿に戻ると、はたして部屋はさびしく無人だった。帳場にも特に何の連絡もきていないという。すでに冷たい霧は深まり、霧電灯があったとしても、到底歩けない。国中の人が安全な建物の中に引きこもっている時間だ。
ニッキは警察に電話をした。警察には、夜間はあまり本格的に捜索ができない、まあでも一応捜索隊は出すから、あなたは明日の朝に署に来るように、と言われた。
夜中に二度ほど、行方不明者を告げる拡声器の音声が街中に流れた。「ウォリウォリから来た、フジさん。ニッキさんがあなたを心配しています。警察に連絡してください。フジさんを五時以降に見かけた方も、警察までご連絡ください。フジさんの特徴は……」という内容のはずだが、びょうびょうと強い風の中で唸り声のように聞こえるだけで、何を言っているのかてんで伝わらない。おそらく街の人々も、放送内容を理解しなかったに違いない。いてもたってもいられない気持ちで夜を越し、朝はまだ霧が明けやらぬ時間に宿を飛び出して、深い霧に埋もれて見えない岩や木や郵便ポストにぶつかったり躓いたりしながら、警察署に急いだ。
ついてみれば、のっぽのぼんやりした警察官が一人、うとうと居眠りをしている。馬のような顔をしていて、半開きの口からみっしりと生えつまった歯が覗いている。捜索隊はどうしたのかと聞くと、昨晩は通常よりも霧が深かったため捜索はしなかった。出勤時間は十時なので、時間にならないと誰も出勤しないという。
「そんな悠長な」
「それはそうと、お嬢さん、あんたそのフジさんの写真を持ってきましたか?」
「写真は、ウォリウォリの家には数枚ありますが、ここには持ってきていません」
「ふぅん。じゃあ、まずはウォリウォリからそれを取り寄せましょうか。お宅に家族はいる?いない?ふぅん、じゃ、一度戻って持ってきてください。明日には戻ってこれるかな?何しろ、顔もわからずに探すのは大変だからね」
「何を悠長なことを言っていますか!あなたとわたくしだけでも今すぐ探しに行きましょう。この霧電灯が最新のもの?さっ、これを持って」
「いやさ、俺はまだ夜勤中なんですよ、お嬢さん。ここにいないといけない。助けてあげたいのはやまやまだけど、こればっかりは、もう」
「あなた、座ってるだけじゃないの」
「これでなかなか、座ってるだけってのも大変な仕事で、さ」
何を言っても警官は座っている椅子から立ち上がろうとしなかった。諦めて一人で行こうとニッキが霧電灯をひっつかんだところ、警官が突如立ち上がって、強い力でニッキの手を抑え込んだ。
「これは警察のものだから、勝手に持ち出しちゃだめでしょうが。勘弁してくださいよ。昨日も夜勤明けに海賊を捕まえたから、昼過ぎまで報告書を書かなきゃならなくって、こっちはくったくたなんだよ、お嬢さん。頼むから、みんなが来るまでじっとしててヨ」
「みんなが来るのって、十時なんでしょう。それまでの間にも探すことはできますわ。この電灯だけ少しお借りして……」
「だから、それは泥棒だよ」
「まあ、触らないでよ!放しなさいよ!」
警官はひょろひょろのくせに、ニッキは抑え込まれた手を動かすことができなかった。そのときドアが開いて小柄な警察官が出勤してきた。
「おう、おはよう。なんだ、朝からもめごとか」
「昨晩から行方不明の女の子を一人で探しに行くって言ってますんで。ヒステリーで参っちゃいますよ」
「お前、昨日の霧中放送はなんだよ、ありゃ。唸り声にしか聞こえんかったぜ」
「風が強かったんですよ。課長からお叱りの電話があり、もう一度放送を流しましたが、結局同じようになっちまって、もう仕方ないやと思って。それはそうと、こんな冷たい霧の朝に、早い出勤ですね」
「女の子が行方不明だって言うから、早く出勤したんだよ。お嬢さん、いなくなってるのはお嬢さんのお身内ですか?」
こっちの警察官はまともだわ、とニッキはほっとして霧電灯を持った手の力を抜いたが、馬の警官は手を緩めなかった。「放してくださる?」と言うと、警官はニッキにだけ聞こえるくらいの小声で「きっと難しいよ、この事件は」と言った。ニッキは足を踏みつけてやろうかとしたが、さっと逃げられた。
まともな方の警官に事情を説明していると、間もなくどしん、どしんと床を踏み鳴らす音が近づいてきた。勢いよく扉が開いて、げじげじ眉の瓶底メガネ、カリオペ女史が入ってきた。ピムロー審議官も続いている。本日の女史は赤と白のストライプのワンピースに、同じ柄のリボンで髪を飾っていた。
「おはようございます。またお会いしましたね。改めまして、国連停止地域特別委員会のカリオーピーです。このたびは、大変なことになっていますが、フジヤマ姫がどんな連中に連れていかれたかは把握しています。姫は海賊に攫われています」
「か、海賊?」
「おそらく、虹の市で売っていた、あの水の石に近い石でできたアクセサリーに目をつけられたのでしょう」
カリオペ女史は優しくニッキの手を取り、自分のふっくらした両手で覆った。
「海賊って、誰か見た人がいるんですか?見間違いじゃなくてですか?」
「えっへん。断言します。海賊です」
ピムロー審議官が胸をそらせてずいと出てきて、ニッキを見下ろす格好で続けた。
「我々には独自の情報網がありましてね。フジヤマ姫はイタチザメのポウという海賊の首領にさらわれています。法律すれすれの魔法を使って作ったビーズのアクセサリーを売ったのが災いとなりましたね。今頃、水の石をもっと作るよう言われているころでしょう。もちろん、魔女としての正規の修行をしていないフジヤマ姫にきちんとしたものができるわけもないのですがね。海賊たちはそういう事柄をよく理解する頭がないらしい」
このピムローという男は何の所以か、楽しいことでも話すようににやにやした顔で説明をした。紅を差しているのか唇が妙に赤いのも気味が悪い。馬顔の警官といい、この審議官といい、まったく、もう!
「その、サメの海賊は今どこにいるんですか」
ニッキは敢えてカリオペ女史だけに向かって質問した。
「ニッキさん。残念ながらそれは分かっていません」
カリオペ女史は握った手にきゅっと力を込めた。女史の手は暖かく、ふっくらと柔らかかった。
「わたしどもも、フジヤマ姫に近々お伝えせねばならないことがあるのです。ですから警察の捜査とは別に、わたしどもの機関でも捜査をしてまいります」
「フジ様にお伝えすることですか?どのようなことでしょうか。差支えなければ、わたくしにもお聞かせくださいますか?」
ニッキの問いに、ピムローが肩をそびやかした。
「むろん、差支えますとも!一般人に話すわけにはいかないのでね」
カリオペ女史が、「黙りなさいったら!」と唾を飛ばした。それから、「大体、お前さんにも詳細は言っていないことだ」とぶつぶつと続けた。しぶきを浴びたピムローは恨めしそうに女史を見て、顔を拭いた。
「残念ながら、現段階ではお話しできません。ニッキさんは、まずは姫を待つことを最優先にしてください」
カリオペ女史は放心したようなニッキの手を穏やかな調子で叩いてから、きびすを返した。それから、来た時と同じようにせかせかした様子で、ピムローを連れ立って部屋を後にした。




