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十三

 カリオペ女史は、上機嫌で街の食堂の席についていた。緋色、白、苔色のガラスがはめ込まれた明るい窓際の席で、クリームソーダを飲みながら、先ほど購入した腕輪を検分していた。

「ふうん、確かに、お買い得だったわね」

 ジュルジュル、と盛大な音を立ててソーダをすする。店員の半人半猫の娘は、耳を小刻みに動かしてはカリオペ女史を盗み見ていた。店主が猫の娘を手招きして呼んだ。

「馬鹿!お前、どうしてあんなお客を店のど真ん中に案内したんだ。他のお客の迷惑じゃないか。なんだあの大きな独り言は」

「えー。あのお客さんが勝手にあそこの席に座りに行ったんですよぅ。ずかずかって感じでぇ」

「あの席で、あんな飲み物を飲むなんて。縁起でもない奴だ。おい、ちょっと、お前さん海賊ですかと聞いてこい」

「えー。いやですよう。店長行ってくださいよう」

 やがてカリオペ女史が店員を呼ぶためにひときわ大きな咳払いをしてから、「すみませぇん、注文いいですか」と叫んだ。その大声に、隣の席で食事をしていた男が、びくん、と飛び上がり、サラダにのっていたきゅうりが床に転がった。

 猫の娘が不安そうに店長を見やると、店長は顎をしゃくって促した。

「海賊だったら、お引き取りいただけ。海賊じゃなくても、海賊みたいだから、できるだけ早くお引き取りいただくこと。くれぐれも目を合わせるなよ。注文には、サンドイッチを勧めろ。一番早く出来て、ぱぱっと食べられるからな。サンドイッチ以外はだめだ」

「海賊にしては、かわいいお洋服ですけどお」

 猫の娘がびくつきながらカリオペ女史のところへいくと、女史は雷声を轟かせた。

「クリームソーダのおかわり。この店にスパゲッティナポリタンがないのは、本当に残念としか言いようがない。まあ仕方ない、難しいメニューなのかもしらん。この、『ゆっくり丁寧に仕上げたから揚げ定食』ちょうだい」

「あ、あのぅ、お客さん」

 猫の娘は決心がつかずに店の奥を振り返ると、店長は口をパクパク動かして海賊かどうか問い質せと言う。

「あのう、お客さんはもしかして、海賊関係のお仕事ですか」

「なんと。だったらどうなんだ」

 娘は耳を後ろに倒して、店長にこの客が海賊であるという合図を送った。

「注文はとりあえず以上。クリームソーダと、から揚げ。後でまた追加するかもしれない」

 カリオペ女史がばたんとメニューを閉じると、風圧で隣の客のかつ丼のカツが飛び散った。娘はさっと女史からメニューを受け取り、背後に隠してから、

「いえ、その、から揚げ定食はありません」

 と言った。そのとき、厨房から、「から揚げ定食、一丁上がりぃ!」と声がした。カリオペ女史は鼻をひくひく、とうごめかせて、から揚げの匂いを吸い込みながら、娘を睨んだ。

「あるじゃないか!」

「ええと、今のが最後でして。サンドイッチはいかがですか?」

「ふむぅ。じゃ、『鮮度抜群ミックスフライ定食。エビ、イカ、ホタテはあなたが気の済むまで吟味したうえで、生(いけす)から(すく)ってください』にしようか」

 カリオペ女史は即座に言った。常日頃、一つのものがだめだった場合に備えて、第二、第三のものを予め決めているのだった。記憶力もいいので、メニューの名前も間違えずにそらで言える。

「ええ、どうしよっかしら。うぅん、あ、それももう品切れです」

 猫の娘は汗を拭き拭き答えた。

「あそこにまだたんと泳いでるというのに!」

 ちょうど生簀のところでは親子連れがピカピカ光るイカをつったところで、笑いながら次はエビだと話している。カリオペ女史が思わず立ち上がって娘に凄みをきかせると、店主が出てきた。

「揚げ物はもう衣がなくなってしまっています。申し訳ございません。さ、お前はもう戻って他のお客さんの注文をとってきな」

 店主は申し訳なさそうな様子をかけらも見せず、逃げる娘を守るように立ちはだかった。カリオペ女史は、口をひん曲げた。

「なるほど、そんなら『あなた専用にじっくり炭から熾します。炭火焼き鳥定食』もないかもしれないね」

慧眼(けいがん)、恐れ入ります。さようでございます」

 すると、奥の客が、「『炭火焼き鳥定食』をお願い!」と叫び、猫の娘が「はーい。炭火焼一丁!」と答える声が響き渡った。

「なんとも、混みあう時間帯で注文が殺到していますもので、情報が錯そうしておりますが。サンドイッチ定食なら、必ずございますし、すぐに出来て、ぱぱっと食べて、すぐにお帰りになれます」

「わたしを邪魔にしてるんだね!」

 カリオペ女史がげじげじ眉を怒らせ、ひときわ大きな声を出すと、店中の視線がカリオペ女史に集まった。店長も負けじと肩をそびやかし、できる限りの低い声ですごんだ。

「本当なら海賊さんに出す料理はないが、サンドイッチだけなら出してやるって言ってんだ。ありがたく思いな」

 それを聞いてカリオペ女史は席に座りなおした。そうして「なぁんだ」と大声で呟いた。

「わたしは海賊じゃないよ。海賊関係の仕事というのは、海賊を取り締まる方だよ」

 それを聞いて、店長も猫の娘も、隣で食事をしていた男の客も、一斉に「なーんだ」と息をついた。店長は打って変わって丁寧な態度で謝った。

「申し訳ございません。ここ数日、海賊がお客さんと同じようにクリームソーダを飲んでいたもので、ピリピリしておりまして」

「なんだい、海賊が来たのかい」

 虹の市が始まってまもなく、一人の汚れた男がやってきて、二百年物のワインを売りたいと言ってきた。海藻のように濡れそぼった髪、色あせたマント、陰気な顔つきとつぶれたような声のその男が持ってきたボトルには、どこにも二百年物であることを証明するものがない。そんなものは買えないから、お引き取り願いたいと告げたが、買い取るまでは動かない、と頑なに言い張る。

「どれ、味見をしたらわかるんじゃないか。二百年物か、私が飲んでやろう」

 とある客が、そう言いだした。味見をして、本当に二百年物だったら、自分が買い取ってやる、しかし嘘だったら警察に連れて行こうじゃないか。

 汚れた男はワインの口を開けるのを嫌がったが、どうにか納得させてワインを開けさせ、一口飲んでみた。

「おい、ちょっとだけだぞ。あんまり飲むなよ」

 ワインの味はその客をカッ、と瞠目せしめた。

「た、確かに二百年の味がする、かも。なんてなわけ、なかろうが!ぺっ」

 とワインを吐き出した。とたんに他の客が声を荒げた。

「どれ、俺にものませてくんろ」

 と瓶をひったくった。一口飲むなり、その客は口をすぼめて首を振った。

「これは青二才のブドウ農家が自分の台所でつい最近こしらえたばかりのワインだ。間違えようがないね」

「馬鹿を言うな!」

「どれ、じゃあおれっちが飲んでみよう」

「ワインのことなら俺に聞けよ」

 自らはワイン通という人々が俄かに湧いて出てきて、こぞって味見をした。

「わりとうまい」

「違わい、こんなのが二百年物のはずはなかろ!酸っぱいなあ。今、俺の口を料理したら酢蛸にできるわい」

 汚れた男は慌てた。

「お前らは何もわかっとらん!正真正銘二百年物だ」

「やや、そういわれると二百年物かもなぁ。もう一口」

「いかさまだぁ。わしにも飲ませろ」

 騒いでいるうちに、ワインボトルは空になってしまった。結局二百年物かどうかの議論に決断は下されなかった。二百年物だったら自分が買い取る、と言った客はいつの間にか消えていた。汚れた男は不機嫌な様子で、その椅子からびくとも動かなくなった。嫌がらせに居座ることにしたようだ。

 店長は困って、店の自慢の料理を海賊の欲しがるままに無償で提供した。すると翌日もその男が来て、クリームソーダを一杯注文し、一日中その席で頑張り続ける。こうなると店長も意地の張りどころで、もはや無償で料理を出すことはしなかった。それでも海賊は長居すると決めたらしく、何やらそこで仕事を始めた。そろばんをはじいたり、分厚い本を何冊も持ち込んで、本格的に仕事をしている。どの本もカビっぽく不潔で、項をくるたびに埃が舞った。

 男が座るのはいつも店の真ん中の一番いい席で、今現在カリオペ女史が座っている席だ。どれだけ風呂に入っていないのか、途方もない臭いを発していた。人間にも見えたが、ほとんどナメクジのようにも見えた。食堂に入ってきた客はまず鼻先でくんくんと異変を感じとり、次にその原因がこの陰気な人物であることを見て取ると、くるりと回れ右をして店を出て行ってしまうのだった。

 店長も鷹揚なところを見せようとして、当初は気にしない素振りをしてはいたが、数日するといよいよ我慢ができなくなった。あるとき決心して、足元を箒ではたきはじめると、ちょうど店に入ってきた床屋の店主が、慌てて店長に耳打ちした。

「よせ、あいつは海賊だよ。警察にまかせた方がいいよ」

 しかしその警察といえば、虹の市の開催中は市場に人員を集めてしまっているため、なかなか対応に来てくれない。今朝になってようやくぬぼぬぼしたのっぽの警察官がやってきて、男を連れ出してくれた。意外にすんなりと男は出て行ったので、店長は早いうちに自分で追い出しておいたら良かった、と後悔した。

 ようやっと一息つけると思いきや、なんと海賊の着ていたじゅくじゅくに濡れた服のせいか、椅子と机がすっかりカビてだめになってしまっていた。拭いても甲斐なく、結局新しい椅子を用意する羽目になり、店長は苦り切っていたのだった。

「なあるほど、それで、今度来たのはか弱い女の海賊だったから、警察じゃなくて自分で追い出そうと思ったんだね」

 店長と猫の娘は顔を見合わせた。

「いや、あんたより、よっぽど今朝までの海賊の方が病気っぽい貧相な感じでしたがね」

「それで、何の本を読んでいたのか見たかね?地図や船の本だったとか、魔法の本だったとか」

 店長と娘はお互いの顔を見て、首をかしげた。

「はて?あんなに長くいたのに、ちっとも見た覚えがありませんな。見ようともしなかったんだと思います」

「わたしは一体あんなに長いこと何を読んでいるのか興味があったけれど、全然内容が読めませんでした」

 ふむ、テーブルの周りに守秘の魔法を張ったね、とカリオペ女史が呟いた。

「あっ。そうなんですねえ。でも、地図があったんじゃないかしら。テーブルに地図っぽいものを広げていたけれど、指がつるつるすべってデバイダーがうまく使えずに、海賊がイライラしちゃってえ、そのうちどこから出したのかトンカチを使って、地図の隅にフォークを刺して固定したり、デバイダーの針をいちいち力任せにテーブルに打ち付けてたから、慌てて注意しにいったんです。そしたら、テーブルが狭いから紙がのり切らなくて滑るんだって、逆に怒られちゃった」

「ふむ。そのテーブルはまだあるかね」

 カリオペ女史の瓶底メガネが光った。

「ありますよ、忌々しいことにね」

 案内されて店の裏手のゴミ置き場に行くと、隅にフォークがささったままのテーブルが打ち捨ててあった。女史はポーチから手袋とカメラを取り出して、写真に収めた。

「よっぽど強くトンカチしたもんだからフォークが抜けやしない。たかがフォーク一本だって、あんな奴のために無駄にするのは口惜しいがね」

 店長が言うのを横に、カリオペ女史は手袋をはめた手でフォークの柄をむんずとつかむと、テーブルからフォークを引き抜いた。

「あれまあ!お客さんすごい力だね」

 カリオペ女史はフォークの先っちょに刺さっていた紙の破片を手に取り、じっと眺めた。それからおそらくコンパスでうがたれたいくつかの穴を見て、一心不乱の体で手帳に色々と書き込んだ。それからのしのしと食堂の中に戻ると、おもむろに、

「お腹が空いたよ!さぁ、海賊じゃないんだから何でも注文してよかろう。『じっくり丁寧に仕上げたから揚げ定食』とクリームソーダ、それに何か自慢の料理を、一人前ずつ!」

 大声で怒鳴った。それと同時に、コック長が「スパゲッティナポリタン、一丁あがり!あの雷女史へのサービスだ。この食堂では作れないメニューなんて大声で言われたら、こっちの名折れだぜ」と、大盛りのスパゲッティを持った手を厨房から差し出したのだった。


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