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 幸運なことに、日が経つにつれ、少しずつフジたちの西の区画を通る人が増えてきた。アクセサリーはいくつか売れた。だがそれも一時で、波が去るとまた暇になった。向かいのハリモグラのテントも同様に手持無沙汰な様子で、ほぼ一日中、爪で水晶をぱちぱちとはじく音が聞こえてくる。それと風に揺れた魔法の植物がケタケタ笑ったり、泣いたりする音が響きわたるばかり、まったくのどかな日々だった。

 このハリモグラが市の最終日に、暇なので、恋占いをしてやろうと訪ねてきた。あいにくフジは散策中で、店にはニッキ一人だった。迷ったものの、こちらもどうせ暇だ。もそもそと尻をふりながら歩くハリモグラについて、紫色のテントに入っていった。

「わたくし、恋などしておりませんけれど」

「いいから、いいから。あ、あたしのトゲ、抜けたやつ、そこ、置いてあるから、気を付けて」

 ニッキはやたらと分厚いクッションの柔らかな椅子に座り、異国のお香の煙に巻かれながら、占いの結果を待っていた。

 ハリモグラはしかつめらしい顔で水晶を覗き込んだ。爪の先が、火が灯るようにちらちらと光を発し始めた。ただならぬ様子に、ニッキが、これはもしかしたらすごい占い師かもしれない、と感じたころ、ハリモグラは重々しい乾いた声を上げた。

「恋は断然、決定的に、どんなことをしても実りません」

「は?」

 ニッキは言われたことをすぐには理解できず、ハリモグラの黒い顔を見つめた。ハリモグラは視線を振り払うように、手を自分の顔の前でさっと振った。指はほとんどないと言っていいほど短く、丸っこい手のひらに爪がついているような形だった。

「わたくし、恋する方などおりませんわ」

「だから、今後の話よ。お気の毒様」

 と言い、ハリモグラは笑った。

「あ、あなた、何の恨みがあって……」

 ニッキが唇をわななかせたが、ハリモグラは「嘘じゃないのよ」と勝ち誇ったように水晶を指さした。

「ほら、ここんとこ、見てごらん」

 水晶を覗き込むと、中心部が白く濁っていて、そこに「絶対的に実らぬ」と文字が映されていた。ニッキは水晶をぴしゃりと叩いた。

「いんちきよ、こんなの!こんな水晶見たことないわよ!」

「乱暴しなさんなよ!まあ、お嬢さん、気を落としなさんな。一生をよく考えれば、恋をしてない時期の方が多いわよ。ほら、水晶もそう言ってる。もう一度、ここんとこ見てごらん」

 ハリモグラの黒い爪に促されるまま、再度水晶を覗くと、確かにハリモグラが言った通りの言葉が長々と映し出されている。ニッキは憤然としてテントを後にした。


 その頃フジは海まで歩いていた。ハーテムは海沿いに伸びた街で、街の西に位置する虹の市から少し歩けば、海を行き来する水上バスやヨットを見渡せる岬に出る。舗装された歩道のところどころにガラスが埋め込まれ、午後の太陽を反射していた。

 小柄な男が一人、岩場の下で犬に棒を投げて戯れていた。先のすぼまった、ゆったりした形のパンツを穿き、長い黒髪を後ろで束ねている。敏捷な足さばきで、犬が拾ってくる棒を投げていた。

 兄のニタカも、香る国で大きな黒い犬とそうやって遊んでいた。同じように先のすぼまった、蝋纈(ろうけつ)友禅で波といくつかの小さい桜が染め抜かれたパンツを穿き、ひたすら犬に棒を投げていた。無精ひげが生え、伸びた髪を無造作にくくっていた。犬に棒を投げる姿はなかなか精悍で、様になっていた。大体気が済むと自分から王宮に戻っていくのだが、たまに王宮付きの女官が迎えに来た。女官は木陰からニタカの姿をしばらくの間見つめているのだが、やがて我に返ると、叱りつけるようにしてニタカと、ついでにフジを連れて帰った。その女官はニタカに思いを寄せていたのだろう。赤く染まった耳たぶと頬を、美しいとフジは思ったものだった。

 フジは兄と重ね合わせながら、なんとはなしに小柄な男を見ていたが、そのうちに棒切れが自分の足元に飛んできた。犬が走り寄ってきたが、岩場の上には登れないようだ。男がフジに大きな声で何かを叫んだが、よく聞き取れなかった。投げて返そうかとも思ったが、ふと棒から、あの渡りの大ガラスのときのような獣じみた嫌な臭いがしてきたので、聞こえないふりをして岩場を降りた。

 足場を確かめながら岩場を降り、市の方に歩きはじめると、犬が先ほどの棒切れをくわえてフジの足元にまとわりついた。灰色の愛らしい犬だ。フジはつい犬を撫でた。棒をくわえていたその口で顔を舐められてしまったが、棒からも口からも先ほどの臭いはもうしなかった。

「ボー、なめるな。だめ」

 男が走ってきて、犬を抱き止めた。異国の顔だちをした、浅黒い男だ。濡れたような黒髪に、黒い眉をしている。祖先が別の大陸の密林から来たと言う人が、同じような肌と髪を持っていたのを、以前見たことがあった。ポケットにたくさん物を詰め込んでいるのか、一歩ごとにじゃらじゃらと音がする。フジは男の小指に、ビーズの指輪がきつそうにはめられているのを見つけた。

「これ、虹の市で手に入れた」

 視線に気づいて、男は指輪を見せてくる。言葉に異国の訛りが乗っている。

「お前の店のだろ?いい指輪、光るだろ?魔法の働き方教えてくれ」

 男が指輪のついた拳を差し出した。男とは初めて会うはずなので、ニッキが一人で店番をしているときに来た客なのだろう。それなのに、なぜフジの顔を知っているのだろうか。加えて、今のフジは素顔だが、店にいるとき、フジはいつも変身の魔法をかけているのだ。どこかでフジが魔法を解く姿を見ていて、後をつけてきたのだろうか。

「どうした?魔法でこれ光る、違うか」

 男は屈託なさ気に、重ねて尋ねた。

「俺の言葉わかるか?訛りある、わからないか?」

「いや、わかるよ」

 フジは男に近づくと、小指で印を切り、指輪に三回触れた。指輪は静かに光を発し始め、透明度が増した。男は黒いしっかりとした眉毛をぐっと持ち上げ、興味深そうにそれを見つめた。そうしながら男が顔を近づけてきたので、 フジは落ち着かない気持ちになった。男のまつ毛がきれいに生えそろっているのがよく見えるし、腕や背中からココナッツの甘い香りがする。とてもいい香りだ。

「この指輪、珍しい色。お前が作ったのか?」

 男はフジに視線を移した。話すと、ギザギザした歯が少しだけ覗く。細くとがった髭のない顎は野生じみていた。フジは緊張して後ずさりしながらも、こくりと頷いた。

「いいね。とてもいい。きれいだ。細工はまずい、でも材料とてもいい。材料どこで仕入れた?」

 ビーズはウォリウォリの工場で作ったものだ。百五十年も続いている老舗の工場だ。でもビーズの原材料の半分はフジが作ったものだ。それを伝えるだけなのに、どうしてだろう、ためらわれた。身のこなしのせいか、この男は飼いならされていないヒョウのようだ。何か危険な感じがする。あまり余計なことは言わないほうがいい。

「知らない。店は、魔法の植物の種と占いの店だから。アクセサリーはおまけで売ってるだけだから」

 喉の奥が震えた。ああ、どうして自分の口は時に自分の意思とは無関係に言葉を紡いでしまうのだろうか。そして自分の頬はどうしてこんなに熱くなってしまうのだろうか。

「占いか。よく当たるか?」

「うん、占いの方は、このごろ、なんだかとってもよく当たる気がするところよ。探し物を見つける占いなの」

 ためしに占いをやってみるかと男に聞いてみた。男は考える素振りをしたものの、最近似たようなことをしてもらったばかりだからいらない、と首を振った。

「うん、わかった。探し物は見つかったの?」

「まだだけど、そのうち人からもらえるらしい。運がいい、俺は」

「ラッキーだね」

「でも、いつもらえるかわからない。爺さんになった頃もらえても意味ない。やっぱり、欲しいものは自分から動いて、手に入れることにした」

 異国訛りの話し方や唇の動き方は、なんとなく魅力的で、説得力があった。褐色の肌に触れてみたい衝動にかられたので、思ったままに、たくましい腕に触れてみた。男は目を大きく開いてフジの手を見た。それから体をつと引いた。

 居心地の悪い間が開いた。フジは触ってしまったことについて気の利いた言い訳を探したが、ただ「あは」と中途半端な笑いを浮かべただけだった。

 男は犬のくわえていた棒をとり、遠くへ投げた。犬は喜んで走って追いかけて行った。

「あいつは、ボー。おれはポウ」

「ボーとポウ?」

「みんな、間違える。俺のこと、ボウって呼ぶ」

 男がふいに片えくぼをつくって笑顔になるので、フジは胸が高鳴り、いよいよ頬が赤くなってくるのを感じた。数語、不明瞭な言葉を残してそそくさと帰ろうとすると、ポウが後ろから声をかけてきた。

「お前、名前は?」

 怪しい男だ、名乗るべきだろうか、と頭では迷った。でも気づいた時には口は開いていて、

「フジ!」

 大きく叫ぶと、何やら耐え難い気持ちになって市場に向かって走っていった。


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