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とても長いです。23万字あります。少しでもお付き合いいただけるとありがたいです。

 魔女が現れるとき、その前兆として渡り鳥が空を横切る。ツバメだったりオオルリだったりマガモだったり、留鳥ではない鳥がさーっと空をかすめ飛ぶのだ。だから渡り鳥を見たとき、人は皆首をすくめ、畏れながらも両手を合わせたり、地面に頭をつけたりするのが風習となっている。

 ある秋の初めの一日、道路沿いの農家でやや季節はずれなキビタキの地鳴きが聞こえたときも、さて有難い鳥が来たと、若い娘が窓から赤い顔を出した。しかし近くの小枝に黄色い影は見えない。

「あんた、キビタキの声が聞こえなかった?」

 スキを肩に乗せて通りがかった隣家の男に声をかけるが、男も首をかしげている。

「はて、聞こえた気がしたけど、どこにも見ねえな。霧で隠れたかな」

「魔女様かしら?」

「どうだかなぁ」

 二人は揃って空や樹木を見上げたが、朝霧が重たげに空を閉ざしていて、何も見当たらない。次いで道路を見たが、収穫物を載せた手押し車がゆっくりと通ったきり、都の魔女が乗っていそうな立派な車はない。

それでも一応、と男が地面に跪こうとすると、娘は笑った。

「ただの聞き間違いだよ。昨夜は霧が深かったからここらへんも土がぬかってるよ、やめときな」

「いんやだ、二人ともに聞こえたってことは、確かにいたんだろ。こんな季節にキビタキなんて、魔女様じゃなくってなんだってんだ。姿が見えねえってことは、魔女様お忍びでいらしってるんだろ。ありがてえなぁ」

「魔女様が、わざわざこんな田舎まで何しにくるもんか」

「たってお前、前の冬に街まではいらしったでねぇか」

「あれは五十年に一度の鈴寄せ祭を珍しがったんだろう。そんなにしょっちゅう魔女様がおいでなさったら、出迎える方は財布がすっからかんさ。あたしんとこは前の冬、道に迷ってここにたどり着いたご家来を泊めたんだけど、これが大食らいで、春までもたせようにと大切に食べとった漬物を残らず食べちまった」

「うんもう、そんときはご苦労だったな。でも、だからって渡り鳥に不作法はいかん。どうでも魔女様とつながっとるもん、後で怖い目にあわされるよ」

 男が膝に手を当ててよっこらせ、とかがもうとするのを、再び娘が止めた。

「だからさ、やめときなよ。あんたのズボンの膝のところはやたらとだめになるから、見るたび気がくさくさするって、おかみさんが言ってたよ。膝をついちゃいけないよ」

「そんなら、手だけ合わしとくか」

「そうしよ、そうしよ」

 二人は立ったまま、数秒の間道路に向かって手を合わせた。ちょうどウォリウォリの町へ行く古いバスが、霧をかき分けてことことと走っている。


 その空色のバスは、ところどころでぽつりぽつりと乗客を乗せながら、進んでいく。道が土から石畳へと変わったところで子供を一人降ろすと、バスはUターンして再び霧の中へと走り去っていった。

 国境近くのウォリウォリは人口三千人の小さな町で、朝の早い時間から家禽を追う人や荷車から野菜を降ろす人が往来を行き来している。家は大体どれも似通っていて、白壁に赤い瓦屋根をのせている。どこの窓も観音開きの雨戸をつけているが、これは各戸でそれぞれ色を変えている。

 バスを降りたところに立っている掲示板には、真新しい号外が貼られていた。朝もやの中、野良着をきた男たちが早くも数人集まっている。号外の内容は、二十年前に水の底に沈んだとされていた小村が、ぽっかりと浮き上がってきたというものだった。

「どれどれ、ああ、やっぱり村人は一人も残っていねえ」

「水の精霊の怒りは解けんかった。残念じゃなぁ」

 バスから降りたフジは、話し合い、群れる人々の間を縫って進むと、商店がところどころに並ぶ中央通りを少し行き、道行く人や扉口に立っている人に時折挨拶をしながら、横の小道に入った。小道には二階建ての家が壁を共有しながら並んでいて、どこも窓に花を掛けていた。鍵屋の窓にはチョコレートコスモスが咲き始め、朝の光を受けて赤く透けているし、その隣の家ではマツムシソウとアキノゲシが小さく揺れている。冬に向けてもうひと働きと、行列を成している蟻たちは、玄関から通りにかけて点々とこぼれているおいしそうな何かをせっせと運んでいる。フジは看板に「魔法の植物」と書いてある緑の扉の店に入って行った。

 店は外から見るよりも広く、草木の放つツンとした匂いがした。無数の鉢や花瓶が床に置かれていたり、壁から吊るされていたりする。入り口の近くに古い姿見、窓際に丸机と椅子、カウンターの隣にフジ専用の机と背なし椅子が置いてある。フジは霧除けの外套をはずし、のんびりと部屋の掃除を始めた。間もなくして扉が開き、つんつんした草を両腕に抱えたニッキが入ってきた。

「ようやくお着きになりましたか、フジ様。さっき通りで金物屋のご隠居に会いましたが、また猫がいなくなってしまったそうですよ。じきに店にいらっしゃるそうです」

「ああそう。なんか、もうそろそろ来るような気がしたんだ。虫の知らせってやつかな、最近なぜか勘が働くんだなぁ。こないだ飲んだ薬が効いて、いよいよ魔力がついてきたような感じだね」

 ニッキは何か言いたげに口を一度開いたが、特別何も言わなかった。数日前にフジは貯金箱の中身をさらって、行商人から魔力を増強させるという、胡乱な薬を買って飲んでいた。ニッキは無駄遣いもいい加減になさいませ、とそのときは多少きつく進言したが、後から考えると、フジなりに自分の魔法の力がてんで向上しないことを気に病んでいるのだろうかと、自分の進言を後悔したのだった。フジも体裁が悪いのか、後悔しているのか、意地になっているのか、それとも本当に効果を信じているのか、以来会話の端々に薬の話題を挟むようになっていた。

 ニッキが自分の言葉に何も反応しないので、フジは言葉を続けた。

「じゃ、お茶をいれとこ。目に効くから、菊茶がいいね」

 フジはやかんを火にかけると、菊の花と乾燥させたクコの実をティーポットに入れておいた。

「一昨日、帰り道で菊の花を摘んでおいてよかったなあ。このときも、なんか摘んだ方がいいって感じがしたんだ」

「もうそろそろ、いらっしゃるのではないでしょうか。お茶の続きはわたくしが用意いたしますから、準備をなさらないといけませんわ」

「うん、うん」

 フジは寝癖のついた後ろ髪を手櫛で撫でつけ、姿見の前で深呼吸をした。その鏡に、ニッキがひょいと映りこんで、フジをまぶしそうに見つめた。

「いつも思いますが、本当に姿を変える必要があるんですか?」

「その方が、神秘感が増すでしょ」

 フジは両手を合わせて目を閉じ、唇の先で素早くつぶやいた。どこからとなく細かな風が起こり、フジを包む。淡い茶色の髪の毛が濡れたように重たげな黒になり、植物が急に伸びるように背丈が伸びた。風が止むころには、いつもはただもう焦げ臭くないのが不思議なくらいに日焼けした肌も、異国の情緒あふれる、美しい小麦色に変わったのだった。ニッキが口元に手をそっとおいて感心した。

「あら、今日はなんだかとっても魔法使いっぽいですわ。何カ月か前の、銀髪の男に勝るとも劣らずお美しうございます。いつもこれにできたら素敵ですのにね!もう誰がどう見たってフジ様も女性でいらっしゃいますわ!」

 あながち、薬もまったくの詐欺商品ではないのかもしれない、とまで思えてくる。フジはニッキの言葉に少し考え込んだ顔をしたが、すぐに嬉しそうににっこりと笑った。

「そうぉ?」

「ええそれはもう!なんというか、あたりを払うような威厳さえでていらっしゃいます。本当に、動いたりしゃべったりなさらなければ、ご立派な魔女様のようでございますよ。やっぱりなんだかんだいったって、魔女王様のお血筋をひく姫様ですもの。今は魔法が少しっぱかりしか使えなくったって、いずれ目が覚めたようにじゃんじゃん使えるようになりますよ。それこそ、薬さえ不要になりますわ」

「……そうぉ?」

 働き者のニッキは早口にしゃべりながらも手を休めなかった。部屋の隅で煮えている鍋に、手慣れた様子で持っていた草をちぎり入れた後、棚から拳固大の水晶を取り出してフジの机の真ん中に置く。

「ささ、お早く。時間厳守とまじめさがうちのお店のスパイスでございます」

 せかしながらきびきびと動くニッキとは対照的に、フジは特に急ぐ様子もなく、机の下に手を突っ込むと、小さな看板を持ち出した。薄い板でできた看板なので、風が強い夜だと壁に当たってカラカラと音を立てる。音が気になって眠れない、と近所から苦情があったため、毎日仕事終わりには片付けているのだ。その看板を店の表の「魔法の植物」と書かれた立派な看板の下にぶら下げた。小さな看板には「探し物、手伝います」と書いてある。

 少しすると、金物屋の老婆が扉の鈴を鳴らして店に入ってきた。

「あれまぁ、今日はずいぶん美人さんじゃわね」

「うふふ。ありがとう。さて、クロちゃんがまたいなくなったそうですね」

 フジは老婆の手を引いて椅子に腰かけさせた。柿色のケープを外すのを手伝い、椅子の背にかける。老婆はしわの寄った手で、机の隅に代金をおいた。

「昨日の晩、帰ってこなかった」

「こないだ渡したまじないをドアに吊るしてありますか?」

「ああ、あれ。そうじゃねぇ。いつの間にかなくなっちゃったの」

「じゃ、後でまたあげましょう。はい、ではさっそく始めます。十数えていきますから、クロちゃんのことを思い浮かべていてください。ひとーつ、ふたーつ」

 水晶の前で手を合わせ、薄目になる。ニッキがお茶菓子を乗せる皿を戸棚から出す音が、かちゃ、かちゃと聞こえてきた。フジは細めた目で水晶に視線を落としてみるが、水晶には何も変化は起こっていない。

「……はよいけれど、みーっつ三日月はげがある、よーつ横丁にはげがある、いつーついっぱい」

 カウンターの奥でニッキが顔をしかめたのが入り口の姿見に映った。『ま、じ、め、に』と声を出さずに口を動かしている。フジは目をぱっと開き、

「ふむ、クロちゃんはじきに帰ってきます」

 と告げた。老婆はゆっくりと笑顔になった。年をとると、顔の筋肉も素早く動かせなくなるのかしら、とフジは思った。

「今日のごはんまでには帰ってくるかねぇ。昨日から食べてないから、お腹を空かせてたら不憫じゃわ。それとも、明日になるかしらねぇ。こないだは、二日で帰ってきたけれど」

「ごはんは、必要ありません。どこかで食べてるだろうし、一日くらい食べなくたって、あの猫なら大丈夫です。わたしが医者なら、むしろ絶食を勧める気がします。まぁ、近いうちに元気に帰ってくるでしょう。大丈夫、大丈夫。心配ご無用。ささ、お茶にしましょう。ニッキの作ったクッキーが残ってるはずです。とってもおいしいですよ。お茶の方は、菊の花をちょっと入れすぎたかもしれないから、少し濃いかもしれませんけど」

 水晶を脇に追いやるフジに、ニッキがいよいよ眉を吊り上げて、口を開こうとした。その時、流しの横に吊るしてあった桃色の花が、ポッと音を立てて燃えた。フジは植物について詳しいことは知らないが、感情や魔法の揺らぎに反応しやすい植物らしい。横目で見ると、ニッキが慌てて水の中に花を放り込みながらも、憤慨した顔つきでこちらを睨んでいる。フジは見えないふりをして、

「そうそう、猫が帰ってくるまじないをおまけするんだった」

 と、机の引き出しを開けた。そこには干したイヌハッカの葉がどっさり入っている。無造作にいくつかつかんで渡すと、老婆を窓際の机へ促した。さきほどからしきりと、植物の刺激的な香りに混じって、お茶の柔らかい香りが漂っている。

 しかし老婆は腰をあげずに、椅子にすわったままだ。ケープを肩にかけてあげるも、シンとして動かない。今日はこの場所で飲むのかしら、どうしたんだろう、と老婆を覗き込んだ。

「あのぅ、どこか具合でも悪いですか?」

 身をかがめて老婆を覗き込んだフジは立ちすくんだ。老婆の瞳が、白目がどこかへ消えたような、暗い穴がぽっかりあいているような、おかしなことになっている。やがて縦に深い皺がいくつも入った顎が小刻みに震え、のどから空気が漏れるような音がした。フジは自分が老婆の瞳や口の空洞に吸い込まれてしまいそうに思った。老婆はどうやら、見つけた、見つけた、と言っているようだった。

 やがて老婆はいつも通りの穏やかな表情に戻った。差し出されたままのフジの手を取り、お茶を飲むために立ち上がる。暖かく乾いたいつも通りの老婆の手が、冷たい汗をかいたフジの手に乗った。

 ニッキが店の奥から茶器を鳴らしてやってくる。老婆の豹変には気づかなかったようだった。時間にするとほんの一瞬の出来事だったのだ。

「フジ様。もうクッキーはございませんよ。でも、きなこの水飴棒がございます。でも、あんまりのんびりしていらしてはいけませんよ。助産院のお手伝いがある日ですからね。お茶をお飲みになったら、すぐにお出かけなさいまし。今日は洗濯物がたくさんあるようですよ。昨晩は満月で、お産がたくさんあったので」

「小さな占い師さんは忙しいねぇ」

 何事もなかったかのよう金物屋の婆さんは言った。フジは何も言えなかった。ただ冷や汗ばかりがにじんでくるので、水飴棒をさっと掴むと、もごもごと一言、二言老婆に対して挨拶をすると、小走りで勝手口から裏庭へ出た。ニッキが不作法をたしなめるのが遠くに聞こえた。

 道すがら、再度唇の先で呪文を短く唱え、変身を解く。身を包んでいた魔法が消えると手足にのびのびとした感じがあったが、心臓は縮こまったままだった。汗をひどくかいていて、薄い上着が背中に貼りついている。

 見間違いだったのだろうか。それに、驚いて自分だけ逃げてきてしまったが、ニッキに危険はないのだろうか。窓から中を覗いてみると、ニッキと老婆は、平和な様子でお茶を飲んでいる。

 穏やかな木漏れ日の中、鳥がさえずっていた。花壇のミントはさわやかに香ってくる。深呼吸をして庭の音や通りからの音に耳を澄ませていると、やはり気のせいだったのだという気持ちに落ち着いてきた。

 そのとき、庭木の隅から大きな羽音が聞こえた。振り返ると、暖かいこの国ではついぞみかけない、首の太い大ガラスだ。異様に黒く、大きく感じられて、フジは再び汗が滲んでくるのを感じた。羽をしまってしまうと、その大ガラスは湿った声で鳴き始めた。それがやっぱり「見つけた、見つけた」と言っているように聞こえる。それから、鳥獣特有の強い臭いが流れてきた。フジはまたもその場を一目散に去り、助産院に走り込んだ。

 大ガラスは、渡り鳥だ。うっかり逃げてしまったが、この国の人がするように、その場で手を合わせなければならなかった、と後になって気づいたが、用事を済ませて裏庭に戻ったころには大ガラスはいなくなっていた。

「手を合わせなかったからって、霧の国の魔女に何か悪いことをされたら、いやだなぁ」

 大ガラスのいた場所に向かって、手を合わせた。

 魔女とは、特別な、大変偉いとされている魔法使いのことだ。お城で水の石と呼ばれる魔法の石を作り出し、それを媒介にして、水の精霊の怒りを寄せないまじないをかけ続けている。水の精霊が怒ると、水がどこからともなく滾々と湧いてきて、村や街が沈んでいくのだ。何が精霊を怒らせるかはわかっておらず、この大陸で一番恐れられている災害だった。

 そうして数年から数十年、場合によっては数百年して精霊の怒りがようやっと収まると、沈んでいた場所が突然浮かび上がってくる。運が良ければ、その街なり村なりには、沈んだ当時のままの状態で人が住んでいて、自分たちが水底にいたことなどまったく知らずに年月を隔てた昨日の続きを生きていた。運が悪ければ、生き物はすべて失せていた。大抵は運が悪いケースだった。フジの故郷の秋の谷も数年前に精霊の怒りに触れ水底に沈んだ。大規模な水没で、隣接する緋の国も巻き込み、すべてがすとんと水底に落ちていった。谷にいた人々もすべて沈んでしまった。たった一人、フジを除いて。

 水没の当初、フジは遠く離れた香る国にいる兄のところに身を寄せた。

 この兄はニタカというのだが、フジが七歳のころに香る国に婿入りしていた。妻は魔女の中でもとびきり身分の高い、第一魔女という身分だった。まだ少年と言える年齢で第一魔女の正夫という立場になり、ユメハジーム公と名乗った。第一魔女の正夫というのはたいそうな肩書だった。ニタカはその肩書と、それに男ぶりがめっぽう良かったので、当初は王宮内で恐ろしくちやほやされた。しかしこの兄は、どこをどう間違えたか、はたまた陰謀に巻き込まれたか、年上の宮女と駆け落ち騒ぎを起こすという、不名誉な事件でたちまち没落した。そんなような噂が、遠く秋の谷に聞こえてきた。真偽のほどはわからないし、幼かったフジにはそれ以上は知りえなかった。事態がなんとか丸く収まったので、実際には深刻な事件ではなかったのかもしれない。ただそれ以来、ニタカはしきりと冷遇されるようになったのは確かで、秋の谷で人々が時折ニタカを心配しているのを聞いた。若い第一魔女様から毛嫌いされているらしい、第一魔女は他の夫との間に子を為し、この夫の派閥が勢力を増しているらしい、おいたわしや、おいたわしや、と女たちが涙を流していた。

 ニタカは居場所も行く場所も失い、日中は野原をうろつくようになったが、当人はないがしろにされているのに気付いていないのか、もしくは気にしていないようだった。

 それから間もない春のある日に、秋の谷は水の石の制御を間違え、精霊の怒りを防げないまま水没してしまったのだ。故郷を失くしたことで後ろ盾をなくしたのがとどめとなり、ニタカは完全に忘れ去られた人物となった。食べる物も着る物も最低限しか与えられなくなった。王族にもかかわらず、垢じみた服を着、爪やら無精ひげやらを伸ばし放題にして、うだつの上がらない町人の風体だった。

 そんなニタカの元へ、故郷の水難から命からがら助かったフジが、送られてきたのだった。しかし兄も居場所がないためしょっちゅう王宮から抜け出して不在であるものだから、当然フジの居場所などはもっとなかった。

 冷遇され続けていると、工事もしていないのに、部屋の壁まで薄くなってくるらしい。廊下から女官たちの噂話や陰口がとてもよく聞こえてくるので、フジはそういう話を聞くともなしに日がな聞いていた。

 そういう状況下で、ぽっちゃりと肉付きの良かったフジの体は、みるみる痩せていった。フジとしては、自分の境涯に驚くあまり、陰口を気に病む暇はなかったし、兄と似ていて、ないがしろにされても割合に平気な性質だった。だからフジを親身に思ってくれる人が心配するほどは、本人はその環境を嫌とは感じていなかったのだが、周囲の目にはそれが一層不憫に映った。

 やがてニタカの腹心の部下である、(すて)(すけ)と呼ばれる真面目な男が動き出した。この男はさっそく、歳が近いニッキをフジの世話係にした。もとは第二魔女付きの高級侍女だったのを、どうにかして引き抜いてきたのだ。遠い先祖が秋の谷出身らしく、王宮内でフジのことを心から不憫に思い、心配している数少ない人物の一人だった。

 ニッキがあれこれと世話をするようになって間もなく、遠く離れた霧の国に暮らしたいとフジが突然言いだした。ニッキも捨助もとんでもないこと、やはり姫様はまだ取り乱していらっしゃる、と取り合わなかった。するとそれまでフジのことをほっぽらかしていたニタカが、希望にぴったり沿うような家を手配した、とこれも突然言いだした。迷惑なところで連携がとれる兄妹である。捨助としては見知らぬ土地に大事な姫君を送り出すのは気が引けたが、熟考の末、王宮にいるよりはましだと腹をくくり、ニッキとともに出発させたのだった。決断があまりにも苦渋を極めたため、この時期捨助の髪の毛はごっそり薄くなった。

 霧の国に来てからは、兄からの金銭的な援助はない。ニッキは黙っているが、逆に家賃を暗に請求されているらしく、毎月ニタカに送金しているようだ。ニッキ自身はたいしてニタカに恩があるわけでもないのに、律儀なことである。ニッキは実家が裕福なので、ここからの仕送りがニタカへの送金やら生活費やらを賄っていた。ただ、ニッキとしても元は第二魔女付きの侍女だったのが、派閥としては別の第一魔女側のニタカについていった時点で実家での立場をなくしているので、その仕送りも表立ったものではなかった。フジとの生活の当初、仕送りがなくなり露頭に迷う悪夢に連夜うなされたものだった。

 そこでニッキは、この魔法の植物を売るという商売を始めたのだった。器用なニッキはこの店を割合成功させていて、細々とではあるが自活への道が開けてきている。ただ、いずれは自分の店を構えることを考えると、普通以上に倹約はしなければならなかった。生活費をよそにした各自の小遣いなどは、当然なかった。しかしフジは、お小遣いというものがどうしても欲しかった。王族だったので、秋の谷にいたときには買い食いなどはしたことはない。ニタカの元に行った時、この兄が時折屋台で何やらを買うのを見たことはあるが、自分の欲しいものは買ってもらえなかった。いや一度だけ、余った小銭ではんぺんのようなものを買って食べたことがあった。

 夏のある日、庶民の集う屋台広場へ行った時のことだ。屋台の親父は汗びっしょりで、白い上衣は余すところなく濡れていた。腕と背中にある大きなほくろとそこから生えている毛が透けて見えた。きっと着心地も最悪で、むしろ着ない方がすっきりするだろう。地肌を隠すという能力もない。全くのゼロの上衣だ、とフジは思った。

 ニタカはここで少し値の張るカニ料理を頼んだ後、カニのカスで汚れた手でフジに小銭を渡した。

「このカニは辛すぎるから、子供のお前にはやらない。好きなものを買ってこい」

 正直、フジはこの屋台のものを腹に入れたくはなかった。どうにも不潔で、生理的に受け付けない。ただ親切に金をくれた兄に「何も食べたくはありません」というのも、気が引ける。そこで広場を一周し、少しでも清潔な店を探した。ところがすべての店の品書きを調べ終わり、暗澹たる気持ちになった。もらった金で買えるものはこの親父の店にしかなかったのだ。焼き飯か、小さなはんぺんの串か。そこで量が少なく、食べつくすのに苦労のなさそうなはんぺんを選んだ。品書きを手渡した小汚いおばさんが親父とよくやりとりをしていたのでてっきり親父が作るのかと思ったら、実際の作り手は隣の店にいた。フジは自分の人生における幸運の何割かがここで消費されたのを感じた。どうやらおばさんは自分の店を見ながら、一人で店を切り盛りしている親父を助けているのだ。おばさんも油じみた服を着てはいたが、少なくとも親父よりはましだった。そしてこのはんぺんがめっぽう旨かった。枝豆がところどころに入っていて、口触りも楽しかった。

 以来、フジは買い食いというものにあこがれている。食べ物だけではなく、自分で店を探して気に入るものを探す、という行為に魅了されてしまった。それには自分の小遣いが必要だった。ニッキの健闘のおかげというか、生活には絶対的に金がいる、ということにはあまり頭は働いていなかった。しかし、小遣いは絶対的に必要だと思っていた。

 そこで、占いをして少しばかり稼ぐようになった。雀の涙ほどなので、一向に素敵な買い物を楽しむには至らないが。家計簿のようなものをつけてみて倹約にはげんだ時期もあった。しかしこれはとてもつまらなかった。気持ちがぎすぎすしてくる。切り詰めるよりも、収入を多くする方が建設的だろう、とフジは早々に見切りをつけた。そして、助産院でもアルバイトをするようになったのだ。

「そんなアルバイトなどなさらずに、魔法のお勉強と練習をなさってください」

 ニッキはいつもそう言う。

「風を起こす魔法の練習をぼちぼちしてるよ」

 フジは口笛を吹きながら答える。口笛はなかなか達者だ。

「もう!この間お渡しした、『水の石事始め』というご本はお勉強なさいましたか?フジ様も、魔女の学校に入学なさらないのでしたら、せめてそういったご本だけでもお読みになって下さい」

「ああ、あれね」

 フジは木の枝を拾って、耳を掃除し始めようとしたが、目つきを鋭くしたニッキに枝を取り上げられた。

「あれさ、古い言葉で書かれてるからわかりにくいんだよ。なんだかちょっと気持ち悪い魔法だしさ。材料に老婆の耳とか使うし。邪道だよね」

「邪道なんて、占いこそ魔法の邪道です!水の石が、魔法の最高峰ではないですか。純正な、真骨頂の魔法でございますよ!老婆の耳じゃなくて、きっと驢馬の乳とかの読み間違いでしょう!」

 ニッキはむきになってこめかみを細かく動かした。なにしろ売り切れてしまうほどの人気本なので、ウォリウォリのような田舎町でそれを入手するのにとても骨を折ったのだ。

「どこをどう読み間違えたらそうなるんだよ……」

「あの本がまだ早いようでしたら、他の魔法の本をご用意いたします。とにかく、知っている魔法の種類を増やせば、魔力も追いついてまいります。可能性を、お捨てになってはなりませんわ」

「そんなに本を買うなんて、もったいない」

「魔法の本以外のすべてにかかるお金こそ、無駄遣いでございます」

 ニッキはぴしゃりと言い切った。

 フジは、変身と占いの他に、枯葉を舞わせる程度の風を起こす魔法ができるきりだ。その完成度も低く、変身魔法はそのときによって何に変身するかは魔法がかかってからのお楽しみだった。銀髪の美丈夫になったりしわしわの老人になったり、はては赤ん坊になったりと、不安定だ。赤ん坊になったときは、魔法の効力が切れる夜までずっと、ニッキに抱いていてもらわなければならなかった。

 占いの客は毎回違う占い主が店にいるのを見つけることになるのだが、小さな町なのですぐにその事情も知れ渡り、今では不思議がる者もいなくなった。占い目当てで来店するというよりも、天気予報を確かめるように、フジの今日の姿を確認しに訪れる人は結構いた。しかし確認してすぐに帰るので、てんで収入には結びつかない。

 そこで始めた助産院のアルバイトだが、これは、この少しだけ風を起こせるという魔法で、洗濯物を早く乾かすという仕事内容だった。普段は指先でくるくる風を回す程度の魔法だが、どういうわけか洗濯物という的を定めて魔法をかけると、結構強く風を吹かせられる。幸い隣の助産院では毎日大量の洗い物が出る。しかも乾かしたものがそこはかとなく良い香りがするというので、産婦たちにも人気だった。

 フジはその仕事のおかげで太陽に長いことさらされ、目鼻の区別がなくなるくらい日焼けし、ときおり笑うときに見える歯ばかりが白い。ニッキは帽子をかぶるように勧めるが、フジは一向にかぶらない。風が髪の毛の中を通る感触が気持ちいいのだ。

 その日は珍しく占いの客が来た。裏庭で風に吹かれていると、ニッキの足音が近づいてきたので、急いで馬鹿のようにつばの広い帽子を頭に乗せて待ち構えた。

 ニッキはフジのそそくさとした様子に傷ついた顔をしながらも、占いの客が来たことを告げた。

「この町の人間ではなさそうですよ。看板を見てふらっと入ってきたようです」

「今日は、もう誰とも話したくないなぁ」

 フジは洗濯場から動きたがらない。

「何をおっしゃっているのです!一日に二人もお客があるなんて、半年に一回あるかないかですよ。お花のお客様も来ているから、わたくしは一足先に戻ります。フジ様も急いでいらっしゃいまし」と、ニッキは速足で戻っていった。

「今日二人もきたら、この先一ヵ月は暇でしょうよ」

 フジは日がなのんびり暮らしているものの、ニッキはいつも動いている。魔法の植物は魔法を糧に育つ。売り物の植物に順番に魔法をかけたり、植物を仕入れたり、帳簿をつけたりと、ニッキはいつでも独楽のように働いていた。仕事はいくらやっても尽きないと同時に、いくらやっても足りないと感じているようだった。

 そう、とにかくお金がないのだ。ここらの人間なら日に最低百ゾルは稼ぐが、フジにはとても無理だ。せめて一日五十ゾルの稼ぎがあればなぁ。洗濯物の小遣いが一日十ゾル、占いが一回五ゾルなので、一日に八人は占わなければならない。しかし昨日もおとといもお客がこなかった!なんの、今日二十四人のお客があれば問題ない。雹でも降って、うちの店で町中の人が雨宿りがてら占いをしていかないだろうか。たは、雹が降ったら雨宿りではなく、雹宿りだ。

 フジは大抵考えることもなく暇なので、最近はそんな皮算用ばかりしていた。

店に戻ると、花屋側の客は三人もいる。二人は常連だが、一人は初めての客で、店内の植物を珍しそうに見ている。

「ですから、魔法が使えなくても、この魔法栄養剤を土にさしておけば、これらの植物は育ちます。これなどはとても珍しいもので、葉っぱや花びらが雪のように冷たいんですよ。あ、触ると溶けてしまうから、触れないようにお願いします」

 ニッキは丁寧に説明している。そしてフジの水晶の前の椅子にも、若い洒落た男の客が座っていた。銀糸の刺繍のある白いマントを羽織り、いくつもの花の香を調合した、良い香りの香水をつけている。葡萄酒色の髪を肩より少し上で切りそろえ、長い手足を持て余し気味に質素な椅子に腰かけている。ここらでは見かけない、垢抜けた様子にフジはひるんだ。しかし平静を装って自分の背なし椅子に腰かけたとき、花屋側からどっと大きな声が上がった。見ると常連客はそろって大笑いしているし、ニッキは目を剥いている。はて、と思ったが、水晶に映った自分の姿を見て、すぐに気付いた。 先ほどと同じように庭を歩きながら変身の魔法を使ったのだが、今回変身したのは六尺はあるいかつい男性で、なんと髪と眉の代わりに小さな紫の木の実がびっちりと生えていた。産院でもらったムラサキシキブを手に持ったまま、急いで魔法をかけたためだろう。中途半端に融合してしまった。占い客はフジを上から下まで一度見て、面白そうに瞳を揺らした。今更慌てて変身し直すのもばつが悪く、フジはそのままの姿で威厳たっぷりに訊ねた。顔の筋肉が動くと、眉やまつ毛、髪の毛から紫の小さな実がぽろぽろとこぼれ落ちた。

「さて、探し物は何でしょう?」

 花屋の客たちはげらげら笑っているが、フジは無視を決め込んだ。

「それを、言わないでも占ってもらうことはできますか?」

 そういう客もいないではない。この間も、書き途中の恋文を隠したはいいが、隠し場所を忘れた少年がいた。赤くなったり青くなったりして、ぼそぼそと探し物を見つけてほしいという。何を探したいのかと聞くと、それは秘密にしたいと言ってきた。しかしいざ占ったときに、その過程で文面までフジにはわかってしまった。うといフジの心には到底響かない、彼岸花のように繊細な文章だった。もっとわかりやすい方がいいんじゃないかなと思ったが、そ知らぬ振りを通したものだ。

「やってみましょう。わたしが十数える間、探し物のことを思い浮かべてください」

 フジは両手を合わせ、目を閉じた。

「いーち、にーい、さんは先っちょ、しーはしわしわ、ごぼうが、むかつく、なぜだか、やっぱり、きゅうりのきゅうすけ、寿老人」

 節をつけて数え終わったが、結果がなかなか出てこない。沈黙のまましばらく経つと、男が尋ねた。

「水晶には何も映っていないようだけれど」

 兄ちゃん、水晶は飾りさ!常連客の一人が答える。

「しっ。黙って」

 木の実を散らしてフジは鋭く言い、再び瞳を閉じた。

 あんまりじっとしているので、もしかして寝ているのではないかと男が首をかしげはじめたとき、ようやく目を開いた。

「わかりませんでした。残念なことに」

「はぁ。みつかりそうもないということ?」

 男はあっけにとられているようで、特にまだ残念そうなそぶりも見せない。

「いいえ、魔法が成功せず占えなかったということです。だからお代はいりません」

 男にだけ聞こえるよう、唇の先でささやくように言ったのに、別の客がまた大きな声で笑った。

「あっはっは。お兄ちゃん、残念だったね。たまには成功して見つかるんだけどね、そう、それはもうそうめんの束の赤い麺くらいの割合でさ。俺は一回、女房のへそくりの在り処を占ってもらったけど、言われた場所にあったのは自分の(へそ)の緒だった。とんだ占い師さぁ」

「わしは三回占ってもらったが、結局、去年取っておいた魔法の植物の球根をどこに仕舞い込んじまったのかわからんでの。こうして新しい鉢植えを探しに来たんじゃ」

「じいさん、それは見つかったけど、知らんぷりされたのかもしれないぜ。この店のいいかもさね」

 笑いながら話す客たちを恨みがましい目で見ながら、フジは言った。

「みんなの声がするから、気が散ってしょうがないんだ」

「人のせいにしちゃいかんぞ!」

 と、嬉しそうにフジをからかう客たちの声が途中で消えた。フジはあたりを見回した。すると、音は聞こえないものの、客たちは相変わらず楽しそうに口をパクパク動かして、何かしゃべり続けている。自分にだけ音が聞こえなくなったのだろうか。リーン、とどこかで一回鈴の音がした。

 向かいの男と目が合った。

「余計な音が聞こえなければ占えるの?もう一度やってみてくれる?本当に探してるんだ」

 そうでしょうとも、たまたま見かけたこんな小さな店に入ってくるくらいだからね、とフジは唇を噛んだ。

 ニッキの足音、鳥の鳴き声、何もかもの音が消え、向かいの男の声だけが聞こえるため、やけに声が近い。

 この男は、魔法使いなのだ。それも、かなり上等な音を消す魔法を、呪文も唱えずに一瞬で行えるだけの実力がある。なんで魔法使いが、占いなんかに来るんだ。フジはにわかに緊張してきた。魔法使いは、占いを馬鹿にしている者が多い。絶対に当たる魔法の占いなどない、というのが常識で、それを生業にするなど詐欺だ、という見方が強いのだ。

 乾いたくちびるを舌先で湿らせ、再度フジは占った。今度は先ほどより時間はかからなかった。

「結果が出ました」

 周りの音はまだ聞こえるようにならない。フジは変身中なので声も野太い男の声になっているが、その声が自分からではなく部屋の隅から聞こえてくるような気がした。

「次の十五夜の後にまたわたしのところに来てください。今日はどこにあるかわかりません」

「また来る?今日はわからなかったのかい?」

 静寂の中で男の声も不思議に響き、懐かしいような気がして、鼻の奥がつんとなった。

「それは、わからなかったのです」

 そう、ありがとう、と男は礼を言い、さらりと立ち上がった。フジはひときわ大きく咳払いをして、男を引き留めた。

「お代を……」

 男は振り向いてへの字口を作った。

「いらないんじゃなかったの?」

「魔法は成功して、今日はみつからないという結果が出ました。五十ゾルです」

 いつもは五ゾルの占いだった。相手の衣服があまりに豪華だから、ふっかけてみたのかもしれない。十倍の金額を告げる声が、勝手に自分の唇から滑り出てきた。

「残念ながら、わたしは二十ゾルしか持ち合わせがない」

 男が悪びれずに肩を竦めた。袂が揺れて、銀糸の刺繍が光った。フジは迷った。あは、言い間違えました、やっぱり五ゾルですと言おうか。

 それにしても、この男はその程度の持ち合わせしかないのに、占いに来たのか。フジは出来栄えが良くないのでかなり控えめな代金設定をしているが、普通、占いというのは五十ゾルくらいするものだ。迷った挙句、五十ゾルで押し通すことにした。

「負けられないね。家はどこだ。とりに行けばよかろう」

 フジは凄みをきかせて男をにらんだ。幸い変身していたのは六尺のいかつい体だ。目の前のような線の細い男であれば、縮み上がって引き下がるのではないか。しかし男は意外と肝が太いようだった。

「家はニトログラードだが、今はそこにも金はない。手持ちの二十ゾルは全部渡そう。探し物は結局どこにあるかはわからなかったんだし、それで満足してもらえないだろうか」

 全部渡したら帰り賃がなくなるじゃないか、とも思うが、フジには関係がないことである。せっかくなので、「答えはノーだ」という、最近町ではやっている言い回しをちょっと使ってみようと思った。なんだか響きが大人びていてしゃれている。

「答えはノーだ」

「は?」

 ちょっと勢い込んで言ったから言葉を噛んでしまい、うまく通じなかったようだ。フジはがっかりした。

「うるさい!ちょっとばかり上手な魔法をひけらかした上に、占いの結果が自分の気に食わなかったから代金を値切るなんてあるか」

「商売は、そんな風ではうまくいかないよ」

「貴様こそ、いい大人がそんな風では世の中を渡れないぞ。なんぞね、そのぺらぺらの服は」

「よしわかった、十ゾル支払おう」

「減ってるじゃないか。どうして?」

「わからずやにはこれで十分なんでね」

 男は手品のように手のひらから硬貨を湧かせて、フジの手に落とした。嫌がらせなのか、やけに小銭ばかりで構成された十ゾルだった。フジは硬貨がこぼれないよう、あたふたと両手を動かした。それから、硬貨をきちんと机に積み上げてから、横柄に言った。

「うむ、では、その耳のガラガラしたやつを質草に置いていけ。次に金を持って来たときに返してやる」

 男の両耳には、三連の滴型の飾りが揺れていた。とても美しい耳飾りで、まぁきっと断られるから、そうなったら次はどうしようか、引っ込みがつかなくなってきたなぁと思いながら要求すると、意外にも男はすんなりと引き下がった。耳飾りを外すしぐささえ優美である。周囲の音が消えている分、耳飾りが揺れると沁みるように澄んだ音が響いた。

 耳飾りを置いて、さっさと男は店を出ていった。扉が閉まると同時に客たちのにぎやかなおしゃべりの声がよみがえった。フジと男のちょっとした緊張感のある会話にも気づかなかったかのようで、ニッキたちの談笑に、耳飾りの音はかき消されていった。


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