波及Ⅰ
千葉県警本部 田ノ浦警備部長 20時10分
近くに新たな集団が上陸したとの一報がここに知らされた。職員たちも動揺を隠せていないが、幾分か理性を整えた田ノ浦には大した事のない報告だった。
「寒川町2丁目?すぐそこじゃないか」
もう何を言われても驚くまいと思っていた。その報告ですら頭が冷静さを取り戻して次に下すべき指示を考える。
「3機の袖ヶ浦行きを全面中止してこの近辺の封鎖と避難誘導に当てよう。まだ間に合うか?」
「少々時間が掛かりますが許容範囲かと」
「よし。手空きの職員は中央署の避難誘導支援に行ってくれ、県庁の方にも何人か調整用の人員を」
そこへ青い顔をした理事官が飛び込んで来た。袖ヶ浦で行う作戦の資料等を運んでいた職員とぶつかって盛大に書類が宙を舞うがお構いなしに田ノ浦の元へやって来る。息を整えながら話し始めた。
「緊急報告です、宜しいですか」
「全てが緊急じゃないか。今度は何だ?」
ここ一番の良くない報告だった。理事官が全部話し終わった後でそれをもう1度要求する。
「……済まない、もう1度言ってくれるか」
理解する事を脳が拒んだ。聴きたくない情報である。しかし、現実は容赦してくれなかった。苦い顔の理事官が再び口を開く。
「JEF東日本製鉄所の敷地内に逃げ込んだ子供の救出を試みたおおわし操縦士こと、堀田幹人巡査長が殉職。おおわし自体は副操縦士の久保巡査による操縦で現場を離脱しており、子供も無事との事です。巡査長は敷地内の岸壁に機体を横付けして久保巡査に操縦を預け機外に飛び出し、子供の手を引いて走っている最中、付近に潜んでいた人型の針によって……その」
後半は声が沈んでいてあまり聞き取れなかった。もう警察力では限界が見えつつある。これまでにない空気が通信指令室を包み込んだ。
「……ここは喫煙可だったかな?理事官」
「いえ、本庁舎は全面禁煙です」
「そうか、辞めて何年も経つが吸いたい気分だよ。改めて状況を整理しようか。」
幹部たちが田ノ浦の周辺を取り囲む。狭い机に地図を広げた。
「現時点で上陸を許している場所と我々の戦力を記そう」
地図に直接書き込んでいく。まず袖ヶ浦、木更津の一部、長浦周辺、市原市の養老川付近、そしてすぐ横の寒川町2丁目だ。こちらの戦力は袖ヶ浦にSAT及び銃対の合同攻撃チームと第2県機、木更津は木更津署の署員だけで何とか回している。長浦の一帯は放置状態だ。市原市は市原署と転進した銃対1個分隊、現在移動中の第1県機より1個中隊、寒川町2丁目には千葉中央署の人員と第3県機を呼び戻して対処する。
「長浦をどうにかしないといかんな」
「やはり茂原方面からの応援しかないかと」
「館山方面の増援を木更津に加えて、木更津の人員を長浦に割けないか」
「時間が掛かりますが」
「仕方ない。今は移動可能な戦力を集める事に集中しよう。」
おおわしはもう戦力に数えられない。やまたかには監視だけを行うよう厳命した。どっちに転んでも死者は増えていくだろうが、可能な限り少なくしなければならない。袖ヶ浦に向かっている人員も犠牲者は出るだろうがその覚悟なく望んでいる者はいないだろう。今ここで引き下がる訳にはいかなかった。
千葉県知事 沼津邦弘
生物群が目と鼻の先に上陸したとの報告を受けた沼津は、庁舎内の危機管理課で残っている人員だけを召集して移動の準備を命じた。
「市原の情報を考えると横にある都川から上がって来る可能性もある。そうなってからでは遅い。君たちだけでも今から市役所に向かってくれ。そこで対策本部を設けるよう市長には連絡済だし、そっちでの指揮は取り急ぎ副知事が行う。私は内閣からの連絡を待たなければならないから動けないんだ。」
まだ連絡は無かった。経過報告も何も無い。県警が必死で支えているが、限界が見え始めているのは感じ取れていた。
「見てくれ、ついに報道が騒ぎ出した。」
テレビでは既に緊急報道が始まっていた。まだ政府からの公式な発表はされていないらしい。
「連絡が来るのも遠い話じゃない。通達を受け取り次第、私もそっちへ向かう。」
全員腑に落ちない表情だったが、渋々と動き出した。部屋を出て行くのを見送った後に直通電話が鳴り響く。事態の度合いを認識していてもGOサインを出せない連中が、どうやら報道のお陰で覚悟を決めたようだ。遅いくらいだと思いつつ受話器を持ち上げる。
「沼津です」
「内閣危機管理監、大平です。報告になります。緊急対処事態としての対応をすると同時に国民保護措置が発令されました。また自衛隊の出動と火器の使用も容認されます。」
「皮肉を言うつもりはありませんが遅かったですね。既に犠牲者は官民合わせて300人近い数になっています。これでも選挙の方が大事ですか。」
言うつもりはないと言いながら盛大な皮肉だ。彼にそれを零しても仕方ないだろうが、何所かに鬱憤を出してしまいたかった。
「既に防衛省から統幕、陸幕を通して東部方面隊に治安出動の命令が下っています。これは段階を踏んで武力攻撃事態対処と防衛出動へ移行するためのものです。みな初めての事で怖いのでしょう。昨今の情勢を考えるとかなり速い決断ではないかと私は思います。どうか、内情を察して頂けると幸いです。」
「取りあえずでも状況が動き出した事には感謝致します。公式な発表は何時になりますか?」
「今から官房長官による発表が行われます、もう登壇されます」
テレビに目をやった。官房長官がフラッシュの雨の中を歩いて中央に陣取る。「東京湾沿岸に武力侵攻!?」だの「テロリスト上陸か!」とか言うサイドスーパーが事態を何も理解していないのを意味していた。そんな生易しい物ではない。発表が始まった。
「現在、東京湾の千葉県沿岸部にて発生している事態でありますが、正体不明なる生物の群による大規模な無差別攻撃を受けております。その数は約500体を観測しており、人間大の生物とヒトデのような形をした生物、また詳細は不明ですが新たな別種の生物も確認されております。死者は確認されているだけでも数百人規模。現在警察による必死の封鎖活動が続いておりますが、警察にも多数の死傷者が出ているとの報告が上がって来ています。現在官邸では臨時の緊急対策会議が開かれており、もう間も無く方針が決定する運びとなっています。当該地域の沿岸にお住まいの方々は警察消防の指示に従っての速やかな行動をお願いします。」
随分とオブラートに包んだような内容だった。既に決定しているにも関わらずまだ会議中と言う事は、根回しが完全でない事を意味しているのだろう。
「確認しました。私はこれから千葉市役所に移って国民保護対策本部の指揮を行います。ご存知かも知れませんが、十数分前に目と鼻の先に上陸されたので県庁舎を一時的に放棄致します。」
「その旨、よろしくお願いします。お気をつけて。」
電話を切った。立ち上がって防災ジャケットと荷物を手に取り部屋を後にする。
「Jアラートが発令されました。ゲリラ攻撃情報と流れますが、これは現在東京湾の千葉県沿岸で発生している非常事態を指します。落ち着いて行動して下さい。繰り返しお伝えします。Jアラートが発令されました」
警戒区域指定地域 木更津市・袖ヶ浦市・市原市・千葉市の沿岸全域
避難指示(緊急) 船橋市・市川市・浦安市の沿岸全域
避難勧告 江戸川区・江東区の沿岸部
避難準備 港区・品川区・大田区の沿岸部
旧江戸川・江戸川・荒川沿いの住宅密集地域
その他一級二級河川沿いと河口付近
「振り替え輸送に関する情報です。現在の所、内房線及び京葉線は全面的に運転を停止しています。また武蔵野線は西船橋以南からの運転を停止、内房線と京葉線より手前の路線に関しましても現在一時的に運転を停止中です。総武線、東西線共に運行中ですが沿岸から離れようとする人の波で大変な混雑となっております。各駅よりバスが出ておりますので、沿岸部にお住まいの皆様は各線の運転再開までこちらをご利用下さい。」
TVS
「引き続き千葉県沿岸部で発生している非常事態に関するニュースです。政府は先ほどの緊急対策会議において国民保護措置の発令と同時に自衛隊の出動を容認。閣議を招集している時間が無く、事態が緊急を要する事からの決定となったようです。今後の対応が焦点となりそうです。」
フジTV
「生物群は淡水域でも一部活動が可能との事から、一級二級河川の河口付近とそれに沿う地域にお住まいの方も十分な警戒を行って下さい。ヒトデ型の生物は人間に有毒なガスを噴出するそうですので、誘導があるまでは無闇に外に出ず警察消防の指示に従うようお願い致します。」
日放報道ヘリ
「袖ヶ浦上空です。コンビナートの炎が激しく立ち上がっています。東日本大震災の夜を思い起こさせる光景です。現在製油所の敷地内には人型の生物が多数存在しており、消火に当たる消防隊員の生命を守るため一切の消火活動を禁じているとの発表が総務省より行われました。」
テレビ関東
「臨時ニュースです。千葉県沿岸で発生している謎の生物群による襲撃に対し、政府は国民保護措置の発令と自衛隊の出動を容認。当該地域と周辺にお住まいの皆さんは直ちに避難を行って下さい。繰り返しお伝えします」
大手テレビ局の報道も慌て出した。調子に乗って現地に乗り込もう等と考えていた連中や関係ないと思っていた連中も、この一斉に始まった報道で言いようのない不安を覚え始めた。ネットやSNSは誰が仕掛けた訳でもないが炎上に近い様相を呈し出す。
巡視船「かずさ」 門脇三等海上保安正
「酷いですね」
テレビは全て緊急報道一色だ。この時間帯にも限らずバラエティ番組すら緊急特番に差し代わっている。「かずさ」は現在沿岸から少し距離を置いていた。ようやく出港した「かつうら」より入った通信を受け、合流ポイントにて待機中である。
「船長、かつうらが見えました」
「来たか」
僚船の「かつうら」が現着。同型の船なので見た感じは同じだ。後続に多数の小型巡視艇を従えている。ようやく周辺海域の封鎖が行える所だったが、本庁からの無線がそれを方針転換させた。
「本庁から入電です」
「うん」
無線機を受け取った。内容はこうだ。
『国民保護措置の発令に伴い、陸自の到着まで時間を稼ぐ必要のある警察の阻止行動を支援するため、漁港に布陣する生物群に対して最大有効射程からの機関砲による攻撃を許可する』
「……ここに来てついに攻撃と出たか」
最初は「上陸を阻止するため、必要な行動を許可する」だったのが、とうとう「攻撃を許可する」となった。そこまでしてやらなければいけない相手のようだ。接舷する「かつうら」から弾薬の補給を受け取り、2隻は並んで袖ヶ浦漁港への針路を取る。小型巡視艇たちは最初の方針通り沖合いに展開し一般船舶への警告と誘導を開始した。
「機関砲の最大射程はどれぐらいだったかな」
「カタログスペックでは1キロ以上飛びますが、確実に当てるならやはり近付くべきでしょう」
「500mは少し近いか……700もあれば十分だと思うがどうだろう」
「接近戦にならなければ何とかなるかと…」
「では、そのようにしようか」
漁港を正面にして2隻は展開した。機関砲が動作チェックを終え、攻撃態勢への移行が始まる。甲板には64式小銃を構えた警戒班が船体と海面をライトで照らして不意の接近に備えていた。
「射撃用意よし!」
「かつうらも用意が整いました」
「各員、これより漁港を占拠する生物群に対し攻撃を行う。機関砲の発砲音で耳をやられないよう十分に注意して貰いたい。」
漁港を睨む機関砲の照準がFLIRを通して映し出される。人型が我が物顔で歩き回り、ヒトデが相変わらずガスを撒き散らしていた。積み上げられた漁師たちの死体は半分になっておりヒトデの餌として消費された事が窺える。しかし2隻の射撃担当ともにそれを凌ぐ異常な光景を確認しそれぞれの上司に報告を行った。
「別種の生物?警察の報告にあった溶解液を飛ばして来るやつじゃないのか?」
「形状が一致しません。報告ではウミウシかナメクジのような姿をしているとの事ですが、漁港に居るのはホヤに近い形をしており、ガスと溶解液を絶え間なく垂れ流しているそうです。」
ヒトデ型は出せるガスに限界があるようで、一度噴出が終わると次に出せるまで時間が掛かる事が分かっている。だからこそ密集されると厄介だった。県警では個体ごとに群から引きずり出して駆逐する作戦を模索しているようである。
「……まずそいつを狙おう。地上にこれ以上あの連中の環境を持ち込まれると、生態系への影響も考えねばならない。最優先目標とする。」
「了解」
「かつうらにもその旨を伝えてくれ。2隻で同一の目標に対し攻撃を行う。」
どちらの機関砲も同じ目標に照準を合わせた。号令を待つ。
「よーい!発射!」
20mm機関砲が唸りを上げる。この種の火器としては威力が小さい方に部類されているが、近くに居るとそれを感じさせないものがあった。船首付近の甲板に居た警戒班たちは鳴り響く轟音と暗闇に走る閃光に思わず身を屈め、尾を引く曳光弾が漁港に次々と降り注いでいくのを眺める。事態発生以後、人類側が最も威力のある火器を使用した瞬間だった。
年内の投稿は最後になります。
次は1月頭頃の投稿になるかと思われます。
2週間ばかり早くはありますが、皆様よいお年を。