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急襲Ⅲ

陸上自衛隊練馬駐屯地 第1普通科連隊長 保坂一佐

2度目の電話が舞い込んだ。自分もそうだが相手も立場が立場なだけに無下にも出来ない。敷地内の体育館にひっそりと設置された臨時の作戦会議所を抜け出して電話に出る。建物の陰だから誰かに見られる事もないだろう。

「保坂だ」

「どうにかして手を回して欲しい事態が起きてる、何とかならないか」

「……話だけは聴いてやる」

10分ばかりが経過した。現場は酷い有様のようだ。コンビナートの火災もロクに消火出来ていない上に避難誘導もままならないらしい。あちこちからの応援要請に応えたくても手が足りなくてどうしようも出来ないと零された。ヤツとしては今すぐにでも俺たちの力が欲しいのだろう。

「適当な名目で出張って来れんか」

それが出来たら苦労はしない。しかしそれでは我々の在り方を危うくするだけだ。色々と五月蝿い連中が黙っちゃいないだろう。

「無茶を言うな。遠まわしに準備しておけと伝わって来てるだけで、正式な命令はまだ何一つ出ちゃいないんだぞ。」

「じゃあ逃げられてない民間人を見捨てろってのか」

声色に怒りと悔しさが見える。このままだと良くない結果を導き出しそうだ。冷静に努めるよう諭す。

「落ち着け。いいか、全部を守ろうなんて考えるな。動かせる駒は最大限に動員しろ。ある程度は割り切らないと指揮官は務まらんぞ。時間が掛かるのも仕方がないと思え。」

少しだけ長い沈黙が流れた。深呼吸でもしているのだろう。次に聞こえた声はさっきよりも大分落ち着いていた。

「……分かった、済まん」

「どうあっても今夜中には命令が出るだろうと俺たちも読んでいる。だからもう少しだけ頼むぞ。」

通話を終わらせる。既に有事と言っても差し支えない状態だが、それを平時からバトンタッチするために奔走している人間にとっては辛い状況だ。一刻も早く命令が下りて来る事を祈るしかない。


千葉県:市原市五井駅前阻止線 神川警部補

第3分隊を送り出し、警備課の連中が装備を身に着けた事で再び陣容が整う。そして我々はさっきまで姿を見せていたウミウシのような生物が姿を消したので、位置を特定するための偵察チームを立ち上げた。人員は3名で警備課が2名と自分の部下1名の構成となる。

「いいか、路地裏に入ったとしても既にその辺から顔を出していいだけの時間はとっくに過ぎた。にも関わらず最初の攻撃以後はその成りを潜めている。これが何を意味するかは想像もつかんが、少なくとも位置を知っていて損はしない筈だ。不意の遭遇に十分注意してくれ。」

3人を送り出した。路地裏は人型と遭遇する可能性が高いので五井中央通りを一度南下し、大回りで白金通りへ出る事で無用の接触を回避する。3人の姿が通りの向こうへと消えるのを見送ってから、迫り来る脅威を取り払うべく再びホルスターの銃を握り締めた。

「射撃用意!」

普段は人の良い太めのおじさんな警備課長だが、腹の奥から出る声は正に歴戦の風格を感じさせた。横に行って小突くように声を掛ける。何年も同じ署で働いているがちゃんと話した回数は少なかった。

「そんな声出せたんですね」

「もう20年ぐらい前になるけど、こう見えて元警視庁機動隊で上九一色の強制捜査とかに出動してたんだよ。結婚してからみるみる太っちゃってさ、小隊長までは行ってたんだけどそこからは所轄の警備課長補佐になった。そして、今日に至っている訳だよ。」

「なるほど、おっと」

針が覆面車のボンネットに当たって跳ね返る。銃対にあれだけ仲間を撃ち殺されたのに連中の雰囲気は一切変わる事はなかった。それが逆に不気味である。感情の類なんて持ち合わせていないのだろう。前山警備課長の号令が響くと同時に自分も銃を構えた。

「各個に射撃開始!やつらを近付けるな!」

通りに幾度となく銃声が走る。相手が隠れようとしないのが有難かった。どっかしらには当たるからだ。残された銃対隊員2名もセミオートでよく狙いながら撃っている。降り注ぐ針は大盾で全て弾き返され無力化されていた。そして12~3体ほど倒した所で人型の集団にある変化が訪れる。歩くスピードが一斉に落ちたのである。何人かの警備課員がそれに気付いた。

「何だあいつら、今さら怖気づいたのか」

「これだけ仲間殺されて一言も発しないような連中だぞ。どうだかな。」

「妙です、奥の方から引き返して行きます」

銃対隊員が報告する。白金通りとの接点になる交差点の方から五井大橋方面へ向け謎の転進が始まった。どいつもこいつもヨロヨロと足取りが覚束ない。まるで週末の駅前に居る酔っ払いのようだ。阻止線との距離が20mにまで接近していた人型すら後退を始める。その内の1体があからさまに苦しそうな素振りを見せて道路に崩れ落ちた。集団との距離が次第に開き出す。もしかすると一種のチャンスではないかと思った。

「警部補、どうします」

「さすまたと何でもいいから殴れそうなの持って付いて来い。警備課長、2人ばかり貸して貰えますか。」

「誰でもいいから着いて行け、怖気づくなよ」

パトカーに載せてあったさすまたと駅の事務所から拝借したバール、大盾等々を持って神川警部補以下の刑事2名と警備課員2名が阻止線を飛び出した。道路に両手と両膝を着いて苦しそうにしている人型の背中に警備課員が大盾を上段から力の限り振り下ろす。衝撃で姿勢が崩れた隙に左腕をさすまたで押さえつけ、神川警部補が寝技の要領で右腕の関節を極めた。また1名が足に関節技を仕掛けて完全に動きを封じた所で作業用の頑丈なロープで雁字搦めにする。左手は右腕に宛がうようにして何重にも縛り、両足もグルグル巻きの状態だ。簡単には動けないだろう。

「おい聞こえるか、言葉が分かるか」

口かどうか分からないが小さい穴が3つ開いているのは確認出来た。耳に類するような物は見当たらないがどうも呼吸が浅いような感じがする。苦しんでいるのは何となく分かった。こちらの言葉は聞こえてないか理解出来てないようだ。

「ダメそうですね」

「何だって急に苦しみ出したんですかね」

「分からんが……例のガスが摂取出来ない時間が長いとこうなるのかもな」

そこへ展開中の署員から無線が続々と入り始めた。どうやらこの周辺全域で同じ現象が起きているらしい。

「えー市原11より各PC宛、生物群が白金通りから五井大橋方面に北上中」

「市原04、病院周辺からも生物が一時転進を始めた模様」

「こちら駅前阻止線、同様に敵が下がり始めた」

どういう訳かは分からないがこの隙を利用するしかない。避難誘導を大規模に行うのは今しかなかった。

「市原本部より各移動、避難誘導を最優先に実施せよ、再度南下を始める前に周辺一帯の速やかな無人化を行え」

「市原01から本部、生物を1体捕縛、虫の息で余り意味は無さそうだが留置するか指示を乞う」

この交信を聞いていた全員が言葉を忘れた瞬間だった。市原署の通信士も言葉に詰まってどもったような口調になっている。その無線に署長が割り込んで来た。

「私だ、何所か密室に放り込んで絶対外に出すな。被疑者と思うよりテロリストだと思って対応するようにな。」

「市原01了解、適当な場所に幽閉します」

グルグル巻きの人型を引きずって小型輸送車に押し込んだ。適当な場所が見つかるまで取りあえずこうしておく。警備課の人間が常に銃を抜いて警戒しているのでもし外に出ようものなら蜂の巣だ。この隙に駅と五井大橋周辺の大規模な避難誘導を行う。


千葉県:千葉市中央区寒川町2丁目付近

小規模なボートの船着場があるここで爆発と火災が発生。通りかかった人々や車が釘付けになっていると、外に居た人たちが急に苦しみ出して蹲り始めた。介抱しようと車外に出たドライバーたちも同じような症状を起こして動けなくなる。ボートを沈めたヒトデが水面からガスを噴出し、這い上がって来た無数の人型が闇夜に紛れて一帯へ侵攻を始めた。近くの映画館やパチンコ店、スーパー銭湯から出て来た人たちへ向け毒針が降り注ぐ。中央署内の電話は鳴りっ放しだ。誰かの声で自分が取った電話の声が聞こえない状態である。掛けてきた人間の後ろの方でも怒号と悲鳴が響いていてよく聞こえない。そんな状況になっている町の上空に、千葉県警航空隊おおわしの姿があった。現在袖ヶ浦にはもう1機のヘリである「やまたか」が到着して監視任務を引き継いでいる。県警本部の屋上に仮設された燃料の補給所に向かっている途中での出来事だった。見ているだけで何も出来ない事に苛立ちを感じつつ千葉中央署や県警本部に状況を知らせていると、カメラがすぐ傍にある大きな駐車場から倉庫群の敷地に入って岸壁を一心不乱に走る小さい何かを捉えた。


千葉県警航空隊 おおわし操縦士 堀田巡査長

「見えるか?」

「……遠すぎて何とも」

副操縦士の久保巡査も自分の目に自信が無かった。2人の直感としては子供のように見えたのである。おそらく逃げている途中で両親と逸れたのだろう。逃げ惑ってあちこち走っている内に工場の敷地内に入ってしまったと推測される。

「もう少し接近しよう」

「危険だと思います、地上の応援を待つべきでは」

「待っていたら殺されちまう。お前もあの漁港の惨状を見たろ。」

思い出したくない光景だった。殺された漁師たちを飼料のように扱うあの光景が脳裏に焼きついている。腸を食われて用無しになった遺体をゴミのように海へ捨てていた。奴らにとって人類はその程度の存在なのだろうと思うと空恐ろしくなる。

「地上の応援が来るにしてもあの数を容易に突破は出来ないだろ。今あそこへ向かえるのは俺たちだけだ。」

久保巡査はそれでも反対しようとした。しかし今操縦しているのは堀田巡査長であり、このおおわしの機長でもある。警察組織内の人間として上司の決定に異を唱えるだけの勇気を残念ながら彼は持っていなかった。機体が大きく傾いて倉庫群へと迫っていく。降下する中で次第に鮮明になる映像を食い入るように見ていると、やはりそれは子供だった。小学校2~3年生ぐらいの男の子である。

「マイクで誘導しろ、拾い上げるぞ」

「了解」

機外のスピーカーで誘導する。ヘリ自体の音で聞こえない可能性もあったので大きくゆっくりと喋った。

「警察です、今から君を救助します、上を真っ直ぐ飛ぶので着いて来て下さい」

両手を振っているので聞こえているようだ。ヘリは岸壁の曲がり角まで飛び、そこで高度を落として岸壁にスキッドを片方だけ乗せてホバリングし続ける。

「操縦預けるぞ、ユーハブ」

「アイハブ」

久保巡査が操縦を受け取った。細かい微調整を繰り返して機体を保持する。堀田巡査長がシートベルトを外して機外に飛び出し、子供の手を握って走り始めた。ヘリまで残り10mと言う所でその悲劇は訪れる。


何かが連続して体に刺さったように感じた。そこから全身を襲う耐え難い激痛を跳ね除けるように、最後の力を振り絞って子供をヘリの方へ突き飛ばす。「走れ」と叫んだつもりだったが声はもう出なかった。異常な息苦しさに襲われ、呼吸が出来なくなってそのまま倒れ込む。その苦しさに悶えていると胃の奥から食道を通して押し出て来る何かを感じた。全身の痙攣が始まり、意識が暗闇に堕ちていく。自分たちが映像に収めた漁師たちの死んでいく光景が一瞬だけ脳裏を過ぎった。


おおわし副操縦士 久保巡査

全てがスローモーションになるのを産まれて初めて体験した。それも最悪な形でだ。配属以来、ずっと指導してくれていた上司の命が目の前で消えていくのを見ているしか出来ない。だが今やるべきは子供の救出だ。だからこそ巡査長も危険を顧みず外に飛び出したのだろう。

「早く乗って!急いで!」

振り返っている子供を囃し立てる。事の重大さを理解したのかわき目も振らず走り出した。ついさっきまで堀田巡査長の乗っていた操縦席に収まった瞬間、エンジンを一気に噴かしてその場を離脱。左腕を上げて針を飛ばしてくる4~5体の人型を尻目に高度を上げて危害範囲からの脱出に成功する。目の前で起きた事象が後からゆっくり染み込んで行った。子供よりも先に久保巡査が静かに涙を流す。ボヤける視界の涙を必死に拭いながら、県警本部庁舎の屋上ヘリポートにおおわしをゆっくり着陸させた。

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