エピローグ
袖ヶ浦漁港 東京湾沿岸部生物群襲撃事件慰霊碑
漁港の慰霊碑に線香をあげて手を合わせる背広姿の男が居る。そこへ後ろから近づく男が隣にそっと腰を下ろした。背広に近いが、こちらは幾分か砕けた服装だ。
「………ご苦労さん」
「……お互いにな」
事態の対応中、ついぞ顔を合わせる事のなかった保坂と田ノ浦がここでようやく合間見えた。事後処理から既に3ヶ月が経過。安全確保の宣言が出たため、こうして会う事が出来たのだ。漁港は復旧工事中でまだ再開の目処は立っていない。最初の溶解液と2度目の侵食で漁港はかなりのダメージを受けていた。生態系も一部影響を受けたらしく、見た事のない植物やコケが自生したりと酷い有様である。
「結局、何だったのかな。あいつらは。」
「さぁな……あれだけの事件でその痕跡が殆ど残らないってのが腑に落ちんが」
「例の毒針だって構成してる物質の99%がただのカルシウムだって言うじゃないか。毒はフグの物に似た成分だそうだし。」
「正確にはそれを何十倍にも濃縮したやつだけどな。爪楊枝の先っぽ一滴で致死量になるレベルらしい。」
2人は襲撃された場所を1つ1つ回って、線香をあげて手を合わせた。車内で当時の状況を交換し合う。そうやって東京湾沿岸を半周し、最後に辿り着いたのが浮島ICの近くだった。まだ復旧工事の最中で、工事用のトラックが行き来している。
「ここで最後だな。このまま飯でも行かんか?」
「そういえば思い出したけど、世話になったら何か奢ってくれるんだったな」
「何がいい。立ち食い蕎麦で良けりゃ幾らでも出すぞ。」
「天下の県警本部長が寂しい生活だなおい」
旗から見れば、ただのおっさんが2人で話し込んでるように見えるだろう。しかし方や千葉県警本部長で方や第1普通科連隊長だ。とてもそうは見えないのが欠点である。
前任の酒井本部長は事後処理の最中に体調を崩して入院。全てを田ノ浦に託したいと予め文章を残していたため、前本部長のお墨付きと言う形で就任していた。当然気に入らないと声を挙げた人間も多かったが、事態の初期対応や警備実施の手腕が警察庁でも高く評価されていたお陰で自然とそれらを黙殺した背景があった。
千葉県警市原署刑事一課長 神川警部
「ずるいですよこんなの、課長補佐でいいんで残って下さい」
「昇進と一課長就任おめでとう。これで俺は満足して勇退出来るってもんだ。」
事態への対処による功績が認められた神川警部補は、週の頭より警部に昇進。同時に一課長が定年を迎えたため、一課長の半ば強引な推薦と署内各重役が満場一致で神川を一課長として担ぎ上げた。
「パワハラですよパワハラ、出るとこ出ますよ」
「ガキみたいな事ばっか言ってんじゃねー、お前だからこそ俺は安心なんだ」
「どういう意味ですか」
「お前のカリスマはこの署を乗っ取れるぐらいあるって事だ。いいから大人しくあの席でドッシリ構えてろ。ずっと前から座りたいって言ってたから叶えてやったんじゃないか。」
そう言いつつ、前一課長はドアの外へ目配せした。そこには人事の人間が立っている。後ろにも誰か居るようだった。
「今後益々の刑事一課の繁栄と人材育成を願って、別れの言葉とする。それと私めから昇進兼就任祝いを神川刑事一課長殿へ謹んでお贈り致します。」
人事の人間と一緒に、誰かがフロアへ入って来た。前一課長は無視して神川刑事一課長の元へ直接やって来る。
「一課長就任おめでとう御座います。それとこちら、本日付で配属となります新人です。」
「新人?こんな時期に?」
そいつが前に出た。最初は分からなかったが、目付きや雰囲気で何となく感じ取れてしまう刑事のサガが嫌いになりそうである。
「出世の王道たる警備部から所轄の刑事課に鞍替えとは思い切ったもんだ」
「かなり迷いましたが、あなたの姿を見て違う道を目指したくなったんです。これからお世話になります。」
「皆にも紹介しよう。元第1機動隊の小林巡査部長だ。あの夜も巡査部長はこの周辺に居てな、神川のリーダーシップに惚れ込んでヤツの部署に行きたいとご指名があった。俺はもう帰るが、新一課長の新たな体制の元で指導に励んで貰いたい。では前一課長からはこれで全てとする。さようなら。」
軽く会釈した前一課長は私物の入った段ボールを抱えて去って行った。市原署新生刑事一課の誕生である。
ゆっくりと、日常が戻って来た。しかし、深い爪痕を残した夜の記憶は薄れる事なく、未だ多くの人間を暗い闇の底に縛り付けている。夜が来ると眠れず、物音がする度に心がざわつき、サイレンの音でも聞こえようものなら不安にかられ息が荒くなる。各病院の精神科や専門の医院はパンク寸前になるほどの患者を抱え、嬉しい悲鳴などとは言えない状況が続いていた。
日本が事後処理に忙殺されている矢先、国連安保理で一つの採決が下っていた。国連の主導による世界規模の調査開始の勧告が各国に届き、国土が海に面している国は血相を変えて軍を沿岸に配備。昼夜を問わずしての捜索が始まった。
半年に渡る調査の結果、何も発見出来ないと言う事実だけが残った。最後に行われた空挺団の突撃から逃れたであろう残党も、その痕跡を一切残さずに何処かへ消えてしまったのだ。どういう進化の過程を経て、どうやって数を増やして来たのか、いつから発生した生態系なのか、それは誰にも分からず仕舞いである。
産婦人科医院奪還のため行われた突撃で捕縛された人型は、他同様に腐ってしまいサンプルにすらならない状態である。五井駅前阻止線で市原署刑事課の警察官数名によって捕縛された完全に無傷な人型の死体は、マスコミの目に一切触れる事なく極秘裏に回収され、日本の何所かにある研究施設で今も密かに保管されているらしい。市原署刑事課の捜査員が初期対応として、行き付けの居酒屋冷凍庫に安置した事が功を成したそうだ。
今回、後書きを活動報告の方へ作成しております。
もし宜しければ、ご一読下さい。




