爪痕
晴海埠頭の上陸艇型が護衛艦の艦砲射撃によって撃破され、残敵掃討が終わってから早くも一週間が経過した。上陸艇型によって破壊された橋や護岸の修復工事が厳戒態勢を維持しつつ急ピッチで行われる中、幕張海浜公園沖では巡視船「いず」を中心とした「かずさ」捜索チームが今日も海の中を捜し回っている。救難艦「ちよだ」からは多数のダイバーたちも海に潜っていた。これらを指揮統括しているのが巡視船「あきつしま」船長の柿沼二等海上保安監である。
「今日で4日目だ。この辺りの潮流はそれほど激しくないから、船体自体はまだこの周辺にあると考えていい。しかし船内の遺体が魚に摘まれて傷つくには十分すぎる時間が経った。可及的速やかな回収を念頭に行動して貰いたい。以上だ。」
合同慰霊祭の開催日が一週間後に迫っているため、遺体は可能な限り回収したかった。残留物はかなりの数を回収していたが、本命はやはり遺体の方である。
「ぶこうより入電。岸壁に漂着物を発見、作業服を回収したとの事です」
「救難艦ちよだ、ダイバーの第1陣が戻ります]
「何か進展は」
「少しお待ちを」
救難艦「ちよだ」とのやり取りが終わる。ダイバー曰く、海底に何か大きな物が横たわっているがヘドロでよく見えないとの報告だった。「かずさ」である可能性が高い。
「いずを前進させてくれ、多分そいつはかずさだ」
巡視船「いず」は別命【救難強化巡視船】と呼ばれ、ROVや海底地形走査用ソナーを備える災害対応型の巡視船だ。九州南西海域工作船事件で沈没した不審船の位置特定にも成功しており、その実力は確かである。
「これでかずさじゃなければ、もう見つけるのは難しいかもな」
「慰霊祭までもう時間がないしな、出来れば見つけてやりたいが……」
右ウィングから聴こえる話し声を余所に柿沼は指示を飛ばす。別の場所で捜索を行っていた「いず」が方向転換し、ダイバーの言っていた海域へ船首を向けた。目印のために設置されたバルーンが波に煽られて揺れている所へ「いず」がゆっくりと船を横付けする。
「いずは機関停止、これより捜索に入ります」
ROVの投下も始まった。周辺に居る全ての巡視船が固唾を呑んで見守っている。捜索が始まって30分ばかりが経過し、全員が痺れを切らし出した頃に朗報が飛び込んだ。
「いずより入電。海底の物体は船体識別PL-80、間違いなくかずさです。」
ついに見つけた。やはりこの周辺にまだあったのだ。この報告で救難艦「ちよだ」が進出し、引き揚げ作業を行うための下準備が始まる。引き揚げそのものは作業船の到着を待つ事になるので、今日明日でどうにかなる作業ではなかった。「かずさ」が引き揚げられたのはそこから更に数日を要し、ニュースでも大々的に取り上げられている。船内には辛うじて原形を保てている篠崎船長の遺体と、他乗員の無傷な遺体も2体ばかり回収出来たらしい。あとは残念ながら侵食1型の溶解液混じりの海水で文字通り海に還ってしまったようだ。この報告によって慰霊祭の開催日が若干前倒された事から、関係者の多くが「かずさ」の帰りを待っていたらしい事が窺える。
幕張メッセ 『東京湾沿岸部生物群襲撃事件合同慰霊祭』会場
人型の無差別大量虐殺によって命を落とした民間人。事態の対応に当たる中で死んでいった警察官・自衛官・海上保安官・消防士、自治体職員や関係機関の人間、これ等の鎮魂を執り行う慰霊祭の会場がここだ。海側には完全装備の自衛隊員や銃器対策部隊、盾を脇に抱えて巡回する機動隊員が目立つ。物々しい雰囲気の中、慰霊祭は粛々と進められていった。
「これより、東京湾沿岸部生物群襲撃事件により亡くなられた方々の、合同慰霊祭を執り行います。まず、河中明彦内閣総理大臣より、お言葉をお願い致します。」
沈痛な面持ちの河中が登壇する。この2週間弱の間、内閣は事後処理に忙殺され続け、政府関係者の多くはやつれ切っていた。だがそんなものはあの夜に命を落とした犠牲者の肉親や、殺るか殺られるかの瀬戸際を味わった者たちにとっては薄っぺらい何かにしか見えていない。
「自衛隊による制圧の宣言から、早くも2週間ばかりが過ぎようとしています。本日この場をお借りして、慰霊祭を行える状態にまで現状が回復出来た事を喜ぶと共に、犠牲となった多くの方々へ祈りを捧げられる時間が作れた事を嬉しく思います。政府の対応は恥ずかしながら後手に回り続け、もっと早く必要な対応をしていれば、もっと柔軟に動けていればと思うと、ひたすらに悔しさが湧いて来ます。本日、鎮魂の儀を執り行うと共に私は、事態の対応に当たられた全ての皆様に、厚く御礼申し上げます。」
河中は演台から離れ、会場に向けて深く頭を下げた。関係者たちが一瞬どよめいたが、河中の真摯な表情で次第に落ち着きを取り戻していく。会場に設置された大きな献花台の前まで歩き、また言葉を述べた。
「犠牲となられた水産関係者、港湾職員、民間人の方々、事態に対応される中で命を落とされた多くの警察官、消防吏員、海上保安官、自衛官、自治体職員の皆様に対し、深く哀悼の意を表すると共に、日本国総理大臣の名において、この災厄を後世に語り継いでいく事をここに誓います。」
数ヵ月後、この事態における全ての事後処理を終えた河中は総理の職を退くと共に政界を引退。事態発生に伴い犠牲者が出た全ての地域を歩いて回るお遍路を行った。マスコミのインタビューも全て断り、さながら修行僧の如き活動を続けたらしい。
要人の式辞が一通り終わり、自由顕花が始まった。そこへ海保の制服に身を包んだ男に手を引かれる、50代ぐらいの喪服を着た女性が姿を現す。そして2人は犠牲者の名前が書かれた多くの札の中から、1つの場所へ向かって歩み出した。
【第3管区海上保安本部 巡視船かずさ船長 篠崎洋治】
殉職した人間の中で、最上級の階級を有していたのがやはり篠崎だった。三等監と言えば海自では二佐に相当する階級である。殉職による二階級特進に伴い、篠崎には一等海上保安監の階級が授与されていたが、長らく三等監だった事から誰もが「篠崎一等海上保安監」という言葉に違和感を覚えていた。篠崎の上司、同僚、後輩が集うそこへ、件の2人が近付いていく。
「皆、済まないが通してくれ」
声を掛けたその男は、第3管区海上保安本部長だった。そして引き連れている女性は篠崎の妻である。驚いた全員が2人の道を作るように脇へそれ、その間を2人が歩いていく。篠崎の妻は名札を愛しそうに指先で撫で、掠れた声でボソッと言い放った。
「……ゆっくりして下さい、私もその内に逝きますから」
その言葉で何人かが鼻を啜った。そこへ、篠崎の制帽を脇に抱えた柿沼が近付く。
「ご主人の制帽です、お返しします」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げる妻、それに寄り添う柿沼と仲間たち。誰もが「かずさ」とその乗員に祈りを捧げていた。
目と鼻の先で凶報を知れば、死を受け入れる事は比較的容易いかも知れない。そんな中、生きていると思っていた人間が死んでいたと言う事実は、産婦人科医院から救護された彼らを打ちのめした。
【千葉県警銃器対策部隊長 小野沢健太】
銃対そのものが大っぴらに公表出来ない情報を含んでいる部隊なため、警察内部でも機密扱いになっている役職をここに表記する事は本来憚られるべきだが、第1県機隊長と遺族の申し出によって実現していた。小林率いる第3分隊の隊員らは、小野沢の名札を前に力なく佇んでいる。
「警部、我々は無事任務を遂行しました。ご安心下さい。」
「酷いじゃないですか、知らない間に死んでるなんて」
次期部隊長は未だに決まっていなかった、臨時に指揮を執っていた副部隊長の大志田警部補さえ良ければ、このまま部隊長就任が決定出来るそうだが、考えさせて欲しいと言ったまま返事がないらしい。それだけ小野沢の存在が大きかったと言う事なのだろう。
「君らが第3分隊か」
同じ警察の礼服を着た男に声を掛けられた。誰だったか思い出そうとするがいまいち浮かんで来ない。向こうが先に痺れを切らして話し出してしまった。
「楠本警視だ、見覚えはあるだろ?」
そう、千葉県警SAT隊長の楠本である。直属ではないにしろ上司だ。流石に思い出したらしく、直立不動になった彼らへ鋭い眼光が降り注ぐ。
「敬礼はいらん、話がある。と言っても俺ではなくこっちの方だがな。」
楠本の後ろには、喪服を着た男性と女性が居た。そっちには誰も見覚えがない。小林が数歩前に出て話し掛ける。
「失礼ですが、我々に何か」
男性が歩み寄って小林の両手を掴んだ。真っ直ぐな視線が飛び込んで来る。
「皆さんに妻と娘の命を繋いで頂いたお礼に参りました、本当にありがとうございます」
よく話を聴くと、あの時に産婦人科医院で分娩中だった女性とその夫だそうだ。母子共に健康で経過も順調との事だ。本当なら赤ん坊も連れて来たかったが、まだ新生児室から出られないらしい。
「もし良ければ、皆さんの部署に写真を送らせて下さい、どちらの警察署にお勤めですか?」
答えられない質問が来てしまった。本来、名前も所属も明かしてはいけないが、あの時は状況が状況だったので院長に名前だけは伝えていた。どうやらその名前だけを頼りにここまでやって来たようだ。どう答えようかと思っていると、楠本が助け舟を出してくれた。
「申し訳ありません。今は一警察官としてこのような格好ですが、普段の我々は名前も所属も明かせない事情があるんです。どうか、お察し頂ければと思います。」
夫婦はその一言でどうやら察しが着いたらしい。もしどうしても我々に用があるのなら、県警本部の方へ問い合わせて欲しいと伝え、楠本が名刺を渡した。「千葉県警警備部 楠本」としか書かれていない簡素な名刺である。
「楠本の紹介とお伝え頂ければ、繋いで貰えると思います。こちらも部内には周知させておきますので、よろしくお願い致します。」
その後、少しだけ話をして夫婦と別れた。献花台は数多くの民間人の名札が並べられており、とても覚えられそうにない。だからせめて、あの夜を共に戦った仲間たちの名前だけは目に焼き付けておこうと思った。同じような礼服を着た人間たちの波を縫いながら、名札を1つずつ目で追っていく。
【ちば総合警備 早稲田憲弘】
【千葉県警航空隊 堀田幹安】
【千葉県警第1機動隊 早間翔】
【千葉県警第2機動隊 鈴本誠二】
【千葉県警市原署交通課 山中健人】
【袖ヶ浦市消防本部長浦消防署 三島裕也】
【陸上自衛隊第1空挺団 吉田清史】
【陸上自衛隊第32普通科連隊 松本吉郎】
【第3管区海上保安本部 巡視船かずさ 門脇敬介】
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上陸艇型によって破壊された高架橋の復旧工事は急ピッチで進行され、物流と交通網の回復が急務とされている。多摩川に展開していた第1特科陣地は、警戒態勢のレベルが下げられる度に少しずつ撤退。最後まで残っていたのは1個中隊だけだった。第2特科陣地は備蓄弾薬をほぼ使い切った事で真っ先に撤収している。東富士演習場の第3特科陣地も、第1同様に少しずつ数を減らしていたが、MLRSのコンテナを最後まで東京湾の方角に向けて睨ませていた。
陸自にばかり焦点がいきがちだが、海自も意外と被害が大きかった。損傷を受けた護衛艦の修理でドックはフル稼働状態。警備のローテーション作成に護衛艦隊司令部は頭を悩ませている。警戒隊として第1護衛隊が湾内周回を続けており、浦賀水道海戦の功績によって「はたかぜ」の現役引退が1年先伸ばしになり2番艦である「しまかぜ」が先に練習艦隊へ編入される珍事が発生。「はたかぜ」乗員の多くが喜んでいたが、当然「しまかぜ」の乗員たちがこの事実で複雑な心境に陥った事は言うまでもない。
漁港と五井大橋、寒川町2丁目の至近、幕張海浜公園には、それぞれ慰霊碑が設けられた。漁港と五井大橋、寒川町2丁目は人型と侵食1型の襲撃で犠牲となった人々、海浜公園は巡視船「かずさ」と小野沢銃器対策部隊長の慰霊碑だ。多くの遺族や関係者が長期に渡って参拝や顕花を行っている様子が記録されている。
陽が昇った影響により放置されていた人型の死体が急速に腐り始め、各所ではその腐臭に耐え兼ねた住民たちから相談の声が相次いだ。政府はこれらを必要な分だけ回収した後、その他は焼却処分へと回されていった。生物群の研究を望む声も大きかったが、僅か1日後には【回収】よりも【除去】が優先され出したのだ。人型や侵食型のDNA解析の結果、人間とアメーバのほぼ中間である事が発覚。暫くの間はテレビを大いに賑わしていたが、民間人の死者だけで600人超と言う事実が世間に暗い影を落としていたため、次第に取り沙汰されなくなっていった。
事態発生から3ヶ月が経過し、沿岸部の安全確保が宣言された。河中が総理の職から退くのは、もう少し時間が経ってからの話である。