東京湾Ⅰ
羽田空港
警視庁東京国際空港テロ対処部隊指揮官 原警視
雷が落ちたような音が何度も聞こえる。北側は戦車、南側に機動戦闘車が展開し、我々には手足も出ない巨大生物へ次々に砲弾を撃ち込んでいた。更に不気味と言うか気味の悪い咆哮も聞こえる。あれは巨大生物の雄叫びだ。不快な事この上ない。
「状況はどうだ」
「順調です。2体とも陸自の攻撃で多量の出血が見受けられます。完全に仕留めずとも、放っておけば失血死するでしょう。」
滑走路を血塗れにして誰が掃除するんだ等と考えてしまうが、それ自体は大した事ではない。取りあえずでも目の前にある脅威を排除出来れば御の字だ。その後の彼らがどう動くかは分からないが、可能なら戦車はここに居て欲しいのが本心である。機動戦闘車は展開能力と走破能力の高さから引っ張りだこになっているだろうから、直ぐに次の目的地へ向かう事は警官の自分たちでも予想出来た。
「出来るんなら陸自さんの普通科小隊ぐらいも欲しい所だな。89式とMP5じゃ射程が違うから安全性が段違いだ。向こうの射程外から一方的に攻撃出来る。」
無い物ねだりは十分承知だ。今の我々にとっては彼らの装甲と火力は得難い物である。その件については制圧が終わってから申し出ようと思っていた所で狙撃チームから連絡が入った。
『こちら狙撃1班、巨大生物が沈黙しました。大量の血液を失ったせいか収縮しつつあります。』
「現時点で生き残っている他の生物群は確認出来るか」
『戦車が機関銃で対応中です。制圧は間も無くと思われます。』
警察側で捌き切れなかった人型や投射型を車載機関銃の弾幕が引き裂く。残り少ない人型が戦車に針を飛ばすが、当然通用するはずも無く30口径弾の雨によって射殺されていった。
「生物の接近に気付いてなさそうな場合は適時支援してやれ。位置と方向を教えるだけでいい。」
『了解』
葛西臨海公園の方も無事制圧が終わったとの報告が入っている。これで前線の殆どを陸自へ移譲する事に成功した。警察側としてはそろそろ部隊を後ろに引っ込ませて欲しい所である。
千葉県警本部 田ノ浦警備部長
「はい、はい、その件については重々承知しております。こちらも無傷とは言いませんが大きな打撃を蒙る事は避けられました。お預かりする人員と装備に関しましても可能な限り全てお返し致します。はい、宜しくお願いします。」
受話器を置いた。茨城県警の警備部長と銃対の運用に関して調整が終わった所だ。部隊は既に県警庁舎へ到着して準備を進めている。指令センターでは仮眠の終わった組と疲れ果てた職員が交代する瞬間でもあった。そんな中を顔色が悪いまま動き回っている理事官が居た。呼び止めて仮眠を促す。
「理事官、少し寝ろ。3時間は戻らなくていいぞ。」
「空挺団から炊き出しの支援が来ています。それに関東管機第六大隊もこちらに急行中で、これらの調整が終わるまでは」
関東管区機動隊第六大隊は山梨及び静岡県警によって編成される警備部隊だ。千葉県機が負ったダメージや展開地域の広範囲化で、沿岸部の監視体制に穴が空いているのを充足するために派遣されて来る予定である。こんな深夜の召集にも関わらず大規模な部隊派遣は身に染みる有難さだった。
「炊き出しの調整が済んだら食いに行け。管機についてはこちらに任せろ。食ったらそのまま寝て構わん。」
空挺後方支援隊が県警本部の駐車場に展開し、野外炊具による炊き出しも行われている。庁舎に残っている職員は勿論、SATと銃対の合同チームも温かい食事を胃に収めている最中だ。出来上がった物はここから幕張海浜公園と千葉市に展開する空挺中隊や県警機動隊にも送られている。
「しかし、寝ている間は誰が警備部長を補佐するので」
「気にするな、何もかも忘れて少し寝ろ。朝になれば我々の仕事は半減する。そしたらちょっと休ませて貰うさ。」
そこへ完全装備の空挺隊員が現れた。小銃は持っていないが右太もものホルスターには拳銃が収められている。小脇に抱えたバインダーを持って理事官の所までやって来た。
「失礼します。こちら糧食送り先の県警部隊一覧になります。ご確認を。」
「ありがとうございます」
理事官の顔色が少し晴れたのを田ノ浦は見逃さなかった。その場に近付いて空挺隊員にお願いをする。
「申し訳ない、彼をこのまま下に連れて行ってくれないか。休めと言っても聞かないんでね。」
田ノ浦の着ている制服から、ある程度の階級と役職を割り出した空挺隊員が敬礼した。理事官はそのやり取りをボーっと見つめている。
「空挺後方支援隊の尾崎一等陸曹であります。宜しいのですか?」
「倒れられたら迷惑だ。それに彼の抱えていた仕事は、君の持って来たその書類で片付いた所だ。」
理事官が何か言おうとしたがそれを制して連れて行かせた。この10時間近く、殆ど何も口にせずに休む事無く動き回っているのだ。休ませるなら状況が少し楽になって来たこの瞬間しかない。
「他に具合の悪い者が居たら報告しろ、交代要員は確保出来ないがもう少し休んで構わん。手透きになった者から家族の安否確認へ行っても良いぞ。」
その言葉で2人が休憩の延長を申し出た。更に立ち上がった5人は沿岸に居を構える所帯持ちで、家族との連絡を取るため指令室を出て行く。警察としての仕事は既に平時へと傾きつつあった。これ以上厄介な事態が起きない事を祈るだけである。
木更津駐屯地 第1普通科連隊本部 保坂一佐
漁港の制圧はその殆どが終了。残りは生物群の屍骸を片付ける事と遺体回収に専念したい所だが、30分ぐらい前から人型の小集団が沿岸の各所より小出しに上陸し始めており、それを撃退するためもぐら叩きのような状態となっていた。橋頭堡を完全に失いたくない事への抵抗なのか、もしくは何らかの遅滞行動である可能性も高い。幹部連中も頭を悩ませていた。
「連隊長、装甲車両が必要です。警察の物では限界があります。」
ここに至るまで、千葉県警の警備車両はよくやってくれていた。しかし車両自体に戦闘力は無く、APCの代わりとしても限界は見えている。普通科隊員と行動を共にするのなら少なくとも機関銃を搭載出来る装甲車両が欲しい所だ。
「その件だが、市ヶ谷から連絡が来ている。読んでみろ。」
書類を受け取った幹部たちが内容に目を通す。誰もが「本気か?」と言った表情で見ている。
「……土浦武器学校にある教育用FVを臨時転用、戦車も同様、これによる臨編部隊。市ヶ谷の連中、頭に血が上ったんですかね。」
「輸送学校の教習用トラックまで物資輸送に使っているらしい。何でもありな状態だがこちらとしては有難い事だ。戦車隊は九州に半分出張ってるし、残りの半分も神奈川で迎撃準備に入っている。首都圏にはもう少し戦闘車両を配備しても良さそうなものだな。」
ふと、かなり遠くに雷が落ちたような音が聞こえた。ここに展開する自衛隊・警察・海保・消防の人間も同時にその音を耳にする。羽田空港で戦車が盛大にやってる音かとも思ったが、実はそうではなかった。漁港で普通科中隊の直援を行っているキムリックチームから飛び込んだ一報がこの場をザワつかせる。
「報告!アクアブリッジが倒壊!橋の一部が破壊されました!」
「更に続報!海自が追跡していた目標が浮上航行して湾内へ侵入した模様です!」
例の水中目標に関して話だけは確認していたが、まさかこんなに早く湾内へ乗り込んでくるとは思っていなかった。統幕からどうしろと言われていないため、自分たちがそっちの作戦に加わる必要は無いにしても気に掛かる所である。
東京湾上空
「こちら301SQ、コールサインはタナトス、湾内に浮上した巨大生物を視認」
市ヶ谷から飛んだ指令によってCAPを行っていた第7航空団301飛行隊の彼らも例の目標を確認した。そこへ目標を追跡し続けていたP-1部隊も合流する。
『シーイーグル9よりタナトス、位置をホールドし続けて欲しいが可能か』
「301SQタナトス、こちらはCAP中のため監視には集中出来ない。我々ではなく501SQへ任務を引き継いで貰う。コールサインはカリストだ。」
更に高空を飛ぶ第501飛行隊が湾内の全てを機首下部に備わるカメラの視界に収めていた。リアルタイム映像とはいかないが、これで目標の情報は逐一更新されて全部隊へ行き渡るだろう。
「501SQカリスト、目標より何かが分離した。上陸艇型と推定される。」
目標の表面上部から剥がれ落ちるように新たな4つの目標が出現し、湾内へと流れ込んで泳ぎ始めた。恐らく上陸艇型と思って間違いないだろう。4体は回遊を続けていたもう1体と合流した後、各方向に向かって侵攻を開始した。上陸艇型の全長は約100mだが、目標はそれを上部の左右に2体、縦に2列で計4体を張り付かせていた。浦賀水道で発見された屍骸も考えると、合計6体を上部に張り付かせていた事になる。これから推定される大きさは約400m近かった。そんな所へ市ヶ谷の中央指揮所から新たな指令が飛んで来る。
『中央指揮所より沿岸に展開中の全部隊に告ぐ。湾内に出現した目標を母船型と呼称し、最重要ターゲットに指定する。母船型を撃退する作戦の一環に伴い、これより米軍の支援が開始される。弾薬の投射量は我々より遥かに多い。この攻撃で母船型には湾内から立ち退いて貰う予定だ。』
厚木基地を飛び立ったF/A-18の編隊が東京湾上空に到達していた。銚子沖に展開する空母からも新たな編隊が急行中である。これらの攻撃で母船型に第一撃を与えるのだ。
米海軍第7艦隊 第5空母航空団
第102戦闘攻撃飛行隊【VFA-102】 通称:ダイヤモンドバックス
「全機、攻撃準備に入れ。相手は全長400mと我らが母艦であるGipperよりも大きいデカブツだ。自衛隊はこれの撃破を浦賀水道内で行いたいらしく、我々に先陣をお願いしたいとの要請である。既に本国より必要な支援は惜しみなく行えとのお達しだ。派手に行くぞ。」
日本政府が国連安保理へ事態の報告を行った事により、同盟国であるアメリカが真っ先に支援を表明していた。在日米軍に対して日本政府が必要とする全ての支援を行えとの命令が下っている。横須賀も厚木も対岸の火事では済まされない状況を感じ取っていたため、水面下で行われていた準備が功を成した。
「奇数はリーダー機、偶数はサブリーダーに追従しろ。全機高度を落とせ。」
首都圏は煌々と明るいが、沿岸は何箇所か暗い場所が目立つ。避難に伴って機能を維持出来ない施設等は送電をカットされているのだ。明かりがあるとそこに人間が居るのを生物群に教える事になり、襲撃を受ける可能性がある等と、何の脈絡も無い情報がネットを騒がせているらしい。だが彼らにとっては関係のない事だ。今から攻撃しようとしているのは東京湾に1つだけ浮かんでいるあの目標である。
「Enemy Tallyho Engage」
F/A-18が上空から殺到した。無誘導爆弾にロケット弾、バルカン砲が雨霰の如く降り注ぐ。爆発が絶え間なく起こり、海上が何度も昼間のように照らされた。同時に沿岸中へ爆音も響き渡る。
「D-Back3、突っ込みすぎるな。何をして来るか分からんぞ。」
『ウミウシの親玉みたいなやつにビビッてちゃ始まりませんよリーダー』
1機のF/A-18が機首を翻して海面ギリギリまで高度を落とした。手持ちのMk82は全て叩き込んだので残っているロケット弾をお見舞いしようとしているらしい。手の内が分からない相手には危険過ぎる行為だ。
「D-Back5、3をバックアップしろ」
『5、OK』
直進を続けるD-Back3の後方へ5が取り付いた。ハードポイントのランチャーからロケット弾が盛大に飛び出し、母船型の側面に次々と着弾している。
「D-Back3、このままフライパスして離脱する」
低空のまま側面を通り抜けようとしたD-Back3の後席ナビが、機体に向けて何かが発射されたのを目撃した。同時にコクピット内をアラーム音が支配し、ディスプレイに映る自機の画像では後部の左水平尾翼が真っ赤に染まっているのが分かる。何らかの攻撃を受けたようだ。パイロットが素っ頓狂な声を挙げる。
「何だ!どうした!」
「左の水平尾翼をやられた!ヤツが攻撃して来たんだ!」
「クソ!こちらD-Back3!損害を受けた!離脱する!」
フラフラと飛び続けるD-Back3は厚木へと引き返していった。この段階でダイヤモンドバックスは搭載弾薬を全て使い切ってしまったので一緒に引き上げる事となる。彼らと入れ替わって上空に姿を現したのは、銚子沖の空母ロナルド・レーガンから飛び立った第27戦闘攻撃飛行隊だった。
「こちらVFA-27ロイヤルメイセス、ダイヤモンドバックス応答せよ」
『VFA-102、こっちは店仕舞いだ。営業再開まで金払いの良さそうなお客さんを店先に留めといてくれ。』
「了解、可能な限り引き止める」
米軍による第2次攻撃が開始された。この時点で母船型から新たに分離した4体と回遊していた1体の上陸艇型は地上侵攻を始めている。1体は未だ激しい戦闘の続く五井大橋へ向け、水管橋や湾岸道路高架橋、潮見大橋を破壊しながら養老川を遡行していた。もう1体は荒川、また1体は江戸川の河口に突入を開始。次の1体は東京ゲートブリッジの一部を破壊して江東区方面を侵攻を開始。最後の1体は浦安市総合公園に着上陸した。
木更津駐屯地 第4対戦車ヘリコプター隊長 船戸二佐
各方面に展開していた全部隊を呼び戻し、緊急のミーティングが行われていた。グランパス・ホーネット・ストライカー・タイパンの各チームが集結している。
「状況を再度説明する。湾内に敵母船型が出現し上陸艇型4体が新たに投入された。統幕はこの母船型を最重要ターゲットに指定し、米軍支援の後に浦賀水道内で撃破する作戦が立案されている。それに伴い、沿岸の各所に侵攻を始めている上陸艇型を速やかに撃破する必要性が生じた。これが我々に課せられた使命である。千葉県側に上陸した個体を可及的速やかに撃破しろ。」
東京側に着上陸した個体に関しては特科が主軸となって攻撃を加えるらしい。我々は五井大橋へ向けて養老川を遡行する1体と、浦安市総合公園に着上陸している1体の撃破を最優先任務とする。副隊長が前に出て喋り始めた。
「攻撃部隊の内訳を発表する。五井大橋方面はグランパス及びストライカー、浦安市総合公園はホーネット及びタイパンで任務に当たって貰いたい。何か質問は?」
誰も言葉を発さなかった。無言の威圧感がこの場を包み込んでいる。彼らもこれ以上の侵攻は是が非でも食い止めたい所だろう。
「先導は観測ヘリの木更津10及び木更津20が行う。現地での観測指示も彼らに従え。では解散とする。」
「出発!」
号令一言で全員が自機に向けて走り出す。燃料も弾薬も補充済みだ。十数機のAH-1Sと2機のOH-6が一斉に飛び立っていくのは勇壮な眺めである。部隊は2チームに分かれてそれぞれの目的地へ向け夜空の中へと消えて行った。航法灯の点滅だけが、暗闇の中にその存在を証明している。




