危機
第21航空群第211飛行隊 SH-60Kドアガンナー 橋本三曹
酷い光景だった。たかだか中型の巡視船一隻に、ヒトデが7~8体ばかり群がって沈めようとしている。30口径程度の銃弾ではまるで歯が立たない。何度も何度も射撃を送り込むが、足の先を切断するのが精一杯だった。せめてもと思いガスの噴出口に照準を合わせようとするもヘリと巡視船の相対速度が合わず追い越してしまう。甲板から海に転げ落ちた船員が居たが、あれでは助からないだろう。力が及ばない事に苛立ちを感じつつインカムを摘んで機長に向け怒鳴った。
「おい!もう1回アプローチしろ!ガスの噴出口を狙う!」
「危険だ!接近し過ぎている!こっちもやられる可能性があるぞ!」
「見捨てられるかよ!早くしろ!」
それを言った瞬間、姿勢保持用のスリングが外れて機内に引きずり倒された。安全係として乗り込んでいたベテランの海曹長が苦い顔で見下ろしている。
「橋本、そこまでだ」
「何がですか!早くしないと沈められます!」
「もう助からん。それにこの暗さだ、機体が気付かない内にガスの中へ飛び込む可能性もある。このヘリは誰かが欠けると機能しなくなるのはお前も十分に分かっている筈だ。」
諭すような言い方が神経を逆撫でした。目の前で蹂躙されているのをただ見ているだけなんてのは自分には出来ない。起き上がりながらコクピットに向けて叫ぶ。
「もう1度だけ回り込んでくれ!まだ間に合う!」
「橋本!!」
海曹長に怒鳴られたその直後、機体の下で爆発が起きて夜空が明るくなった。機長がその場を離れようとしたため一気に高度が上がる。機外に顔を出すと、巡視船が燃えているのが見えた。漆黒の海上で赤々と炎を纏っている。しかしそれも束の間、ヒトデに絡みつかれたまま海中へ没していった。同じように射撃を加えていた陸自のヘリも呆然と海面を見つめるように飛んでいる。断末魔のような巡視船の非常汽笛が東京湾中に鳴り響いた。やり切れない何かがこの一帯を包み始める。
第1師団第1飛行隊 UH-1ドアガンナー 曽根二曹
50口径弾に引き裂かれる侵食1型の姿に手応えは感じていた。しかし巡視船は見るからに満身創痍でいつ沈んでもおかしくない状態である。ガスの噴出孔に対し集中的に射撃を加え、まず空域の安全確保とガスの増加を阻止しようとしたが、何もかも遅かったらしい。程なくして巡視船は爆発した。助けられなかった悔しさと空虚感に襲われ、重機関銃のトリガーからそっと指を離す。
「……畜生」
弾切れと勘違いした給弾係が横に弾薬箱を置いたが、沈んでいく巡視船を見て拳を機内に打ち付けた。生存者の捜索や遺留品の回収を行いたい所ではあるものの、夜間の海上は何所から侵食1型が海面に顔を出すか分からないので危険だ。鳴り響く汽笛が巡視船乗員たちの無念か事態収束の願いか、そういう類の意思を含んでいるように思えた。後で聴いた話だが、沈んだ巡視船は事態の最初期から行動していたらしく、これを失った海保側の損害は計り知れないものだっただろう。
SAT狙撃チームリーダー 生駒警部
悪夢を見ているような気がした。丸で地獄に引きずり込まれていく様を見せ付けられたように思える。園内の味方はこちらが何を見たのかなんて分かる筈もないだろう。そして、ただそこに寝そべっているだけと思われたデカブツは体を動かしてこちらに近付いて来た。新たに上陸した2体目もそれの呼応するかの如く陸地へと侵攻を始める。気付くと、誰しも撃つのを忘れてその光景を眺めていた。
「……俺たちじゃアレを止めるのは無理だな」
「どうします」
「銃対に接近しつつある個体に的を絞れ。それ以外は取りあえず放置だ。数を減らすぞ。」
誘導によって公園入り口まで誘引された生物群に限定して射撃を続行する。この時、狙撃チームの隊員たちは思ったよりも園内に居る生物が多い事に焦っていた。SAT本隊の陽動もあまり上手くいっておらず包囲するのに苦労している。そして、何体かの小集団が森を抜けて銃対の側面に出ようとしている事には気付いていなかった。
千葉県警銃器対策部隊長 小野沢警部
迫り来る人型、降り注ぐ針の雨、そして車両を破壊する投射型の溶解液。袖ヶ浦の時とは何もかもが違った。硫黄のような臭いが周囲に立ち込める。3回目の投射が右翼側に停車する常駐警備車の側面へ着弾。蒸発音と共に装甲が溶け落ち、ポッカリと穴が開いていた。内部も見えてしまっている。
「くそ………これじゃ防戦一方か」
車両の陰から懸命に応戦するが、視界が十分に確保出来ない事と距離感が掴めない事でこちらの攻撃が有効打にならない。そこへ海の方から聞き慣れない汽笛が鳴り響き、ヘリが遠ざかる音がした。それから少し経った後、爆発が起きる。何が爆発したのか誰も分からず、顔を見合わせるばかりだ。攻撃が止んだこの時、イヤホン越しに何かが木々を掻き分けるような音を感じた。
堅い物がアスファルトを連続して叩く音がする。それが人型の針である事に気付いたのは、自分の足に激痛が走った瞬間だった。咄嗟に横へ飛んだつもりだったが、それは気持ちだけで終わる。実際にはそのまま倒れ込んで急激に襲う息苦しさに悶え、全身を襲う耐え難い激痛で呻き声を上げる自分が居た。何人かの部下が駆け寄るのが見える。抱き起こされて遊撃車の影に引きずられながら、こちらに接近する人型を隊員たちが射殺するのをぼやけた視界で確認した。何度も自分を呼ぶ声が聴こえ、体を揺さぶられるもそれに答える事が出来ない。痙攣と同時に胃の奥から押し上げられる暖かい何かが口から漏れ出る。あっけない最後を受け入れると、意識が闇の底へと落ちていく感覚に身を委ねた。
千葉県警銃器対策部隊副隊長 大志田警部補
最悪の事態になってしまった。寄って集って揺さぶるが、瞳孔は開いているし脈も無い。もう何を言っても何をしても無駄なのだ。それが我々の戦意を急速に削いでいく。右足に突き刺さるたった1本の針が人の命を奪うなど、誰が簡単に想像出来るだろうか。悔しさと怒りで全身に力が入り、握りしめたMP5のハンドガードとグリップがミシミシと鳴る。ここで俺たちが項垂れ続ける事を隊長は望んでいない筈だ。であれば、士気が崩壊しない内に行動を起こす必要がある。
「……これより自分が指揮を引き継ぐ。第4分隊は小野沢警部を直ちに後走、遺体の保全に努めろ。第1分隊と第2分隊は敵集団へ射撃しつつ後退。これより部隊は一時撤収し再編成を行う。第1分隊長である三上巡査部長は現時刻を持って臨時に副隊長就任を命じる。SATへも伝えろ。」
返事が無い。空気が沈み切る寸前だ。今だけは部隊として行動出来なくなる事は、何としてでも阻止しなくてならない。
「復唱しろ!三上巡査部長!!」
普段は出さない怒声を張り上げる。立ち上がった三上は怒りの混じった表情で睨みつけて来た。やってられない等とは口が裂けても言える事ではない。状況を利用しているのは痛いほど分かっていた。
「第1分隊長三上、臨時の副隊長就任を拝命、SATへ現状を含めた状況を報告します」
「それでいい。今はこれ以上の犠牲を出さない事を考えろ。全部終わるまで俺への罵声は腹に溜めておけ。」
遊撃車に第4分隊が小野沢隊長の遺体を載せる。そのまま走り去る遊撃車を第1分隊と第2分隊が援護。SATへ状況を説明し、一時撤収を認めて貰った。千葉県警銃器対策部隊は失意の寸前で一時撤収。部隊の再編成に入る。
千葉県警SAT隊長 楠本警視
海の方から汽笛が鳴り響き、周辺に飛来していたヘリ部隊が海の方へ向かった。その少し後に爆発が聴こえる。何事かと静まり返るそこへ、爆発を凌ぐ雄叫びが響き渡る。同時に1体目の巨大生物が砂浜と公園を仕切る丘を越えて内陸へ進み始めたのを視認。モゾモゾと虫か何かのように動いて園内へ入って来た。前部の口から飛び散る溶解液がそこら中に振り撒かれてあちこちで蒸発音がしている。自分には害が無い所がまた実にいやらしい。腹には砂浜で巡視船に撃破された生物の屍骸を付着させている。連中には仲間意識のようなものはないのだろうか。
「何所まで始末に悪い連中だ。全員退避、距離を取るぞ。」
暗視ゴーグルの視界でなくともこの暗闇では溶解液を上手く視認出来ないため、このままここに居ると危険だ。気付かない内に付着して溶かされては堪らない。交戦を一旦中止して引き下がる事にした。しかし、そこへ凶報が飛び込む。
「隊長、銃対の小野沢警部が……」
「小野沢がどうした」
「……人型の針を受けて意識不明、一時後退の許可をと」
この場を構成する戦力が足元から消えて行くのを感じた。我々だけでは任務を遂行出来ない。これは相互の連携があって成り立つ作戦だ。こうなった以上は損害を少なくする事に専念する他ない。
「我々も後退する、作戦は中止だ。直ちに撤収。」
「了解」
公園の敷地から外に出ると、1台のパトカーが目に入った。その乗員と思われる2人の警官が地面に横たわっている。2人は全身に10本近い数の針を受けて無残にも殺されていた。1人はパトカーの無線を握り締めたまま死んでおり、最後まで義務を果たそうとしていたのが窺える。
「……運んでやれ」
担架も遺体袋もないが、ここで野ざらしにしておくのも可哀想だ。2人を抱えてSATは後退を開始。そこへ阻止線となっていた1両の常駐警備車が近付いて来る。運転席から1人の機動隊員が降りた。
「第1県機の島岡警部補であります。SAT輸送の命を受けて参りました。」
「了解、感謝します」
懐かしい常駐警備車に乗り込んだ。ふと、機動隊に居た時代を思い出して感慨に耽る。それも束の間、県警本部へと戻って来た。駐車場に降り立ちヘルメットと目だし帽を取りながら、運び込まれた小野沢の遺体に会いに行く。銃対の連中が遺体を取り囲んで居る中へ割って入った。
「…………小野沢」
当然だが返事は無い。眠っているかのように安らかな死に顔だった。一時の熱から醒め始めた銃対の連中は半ば士気崩壊を起こし、数名の隊員は座り込んで泣いたり項垂れたりしている。
「……誰が後任だ」
「自分であります」
振り返ると、副部隊長の大志田が居た。険しい表情が精一杯の強がりである事を物語っている。
「上へ報告は」
「既にしてあります。我々は次の指示を待ちます。」
その指示が下ったとして銃対が組織的行動を続けられるかと言えば微妙である。こんな状況ではまともに戦えないだろう。ふと、名案とまではいかないが企みを思いついた。少なくとも別々に行動するよりは士気が高まって結束が生まれる筈だ。
巡視船「かつうら」船長 笠木三等海上保安監
嫌な予感はしていた。現場海域に駆け付けてからこっち、どうにも篠崎の行動が危うい事に対し危惧を抱いていたのも確かである。篠崎が率いる「かずさ」は常に死の淵ギリギリ一歩手前で活動していたように思えた。目に見えない死神が振り下ろす鎌を巧みに掻い潜り、大方の予想を裏切りながらここまで無事でいられた事で、いつしか自分にも【出過ぎなければ大丈夫だろう】と言う気持ちが芽生えていた。
「船長!かずさが!」
唐突に鳴り響いた非常汽笛とSOS通信。巨大生物への攻撃を中断し、船首を「かずさ」に向けて回頭。本船のサーチライトが照らし出したのは、無数の侵食1型に取り付かれた「かずさ」の醜い姿だった。まるで海から生えた巨大な手に掴まれ、引きずり込まれようとしているかに見える。周囲は既に侵食1型のガスで包まれており不用意には近付けなくなっていた。襲い掛かる死へのいざないから逃れようと、機関後進を掛けた「かずさ」が後退していく。
「……篠崎」
来援した陸自と海自のヘリが舞い戻って「かずさ」に取り付いた侵食1型に対し機銃掃射を開始。しかし、どうにも効果は薄かった。夜間な上、船内にまだ人が居るため撃ちにくいのもあるが、取り付いている侵食1型がこれまでの個体と比べてどれも大きい事が原因に思える。肉厚な体に対して弾丸が通りづらいのだろう。
「かずさの篠崎船長より入電!」
通信士の手から無線機をひったくる。電波の向こう側で命が尽きようとしている男の名前を必死で叫んだ。
「篠崎!聴こえるか!篠崎!!」
どうやら通信機器に異常を起こしているらしく、向こうからの一方的な声しか入らなかった。そして、篠崎が最後に発した言葉を耳にする。まだ何か言いいたい事があるように感じたが、爆発音で掻き消されてしまった。船体から噴き上がる3度の爆発の後、ゆっくり消えて行く非常汽笛と共に「かずさ」は東京湾に沈んでいった。ガスはヘリのダウンウォッシュによる気流で次第に霧散し始め、さっきまでそこに一隻の船が居た事が嘘のような静寂に包まれた。誰もが言いようの無い喪失感で戦意を失っている。
「……攻撃は中止する。一旦ここから距離を取るぞ。」
巡視船「かつうら」は幕張海浜公園より一度離脱。僚船「かずさ」の生存者救出と遺留品の捜索等を行いたい所ではあるが、水中に侵食1型が居る事を考えると今それを行うのは難しかった。後ろ髪を引かれる思いで南下し、巡視船「あきつしま」率いる船隊と合流を果たす。あきつしま船長の柿沼は笠木からの報告を聴いても表情を崩さなかったが、少しだけ時間を貰いたいと言って10分ばかり船長室に閉じ篭もった。




