国民保護措置Ⅱ
千葉県警第1機動隊 第3中隊第2小隊長 深町警部補
県警本部の命令で本隊から離れた我々は市原市の五井駅前阻止線に増援として到着し、一帯を取り仕切る前山警備課長の指揮下へ入った。目下の最優先事項は白金通りから向こう側の住宅街に取り残されている民間人の救出である。十数人ばかりは既にそこから逃げ出しているが、まだ相当数が取り残されているらしい。しかも人型が活動している状態での行動だった。
「……厳しいですね」
「それでもやらなければならん。他に救いの手を差し伸べられるのは居ない。」
中隊長も険しい表情だった。小声で「何人が死ぬのか」と漏らしたのを聞いてしまう。自分の命令一つで部下の何人かは死に、引き換えに民間人を助ける事になる。部下の命を預かる側としては易々と容認出来ない。しかしそれが任務だ。隷下の分隊を前に行動方針を伝える。
「これより住宅地に取り残されている民間人の救出に向かう。一帯は人型が活動しており非常に危険な状態だ。接触は可能な限り避けつつ危険を感じたら迷わずに撃て。付け加え、不用意な接近戦や肉弾戦、及び突撃等は禁じる。以上だ。」
3個分隊が町に入っていった。それぞれが何人かの民間人保護に成功し駅の方へ向かわせる。救出作戦開始から30分近くが経過し、第1分隊は深町の下へ戻り手近な民家の捜索が終了した事を報告。第2第3分隊はもう少し奥の方へ捜索の手を伸ばすべく前進した。
第2分隊長 青木巡査部長 第3分隊長 田村巡査部長
狭い路地を2個分隊、総勢約15名近い隊員が進む。アパートや一軒家を回って取り残された人が居ないか探した。奥へ行けば行くほどに人型と遭遇する回数も増え、その都度に距離を取る等して対処。何回か攻撃を受けたが上手く防御したりかわしたりしつつ前進を続けた。そして2個分隊はある家の窓で人影が動いたのを発見。田村分隊長が近寄って声を掛けた。
「警察です!誰か居ませんか!」
ドアが開いて中年の男性が顔を出した。ほころんだ表情を浮かべた後、田村の所まで駆け寄って来る。聞いた話だと一世帯が丸々取り残されているようだ。祖父母と息子夫婦、男女の子供が2人ずつの合計6人家族である。全員が靴を履いて外に出た瞬間に後方を守備していた青木分隊長が叫んだ。
「田村!直ぐそこまで来てるぞ!早く!」
「了解!行きましょう!」
家族を中心に分隊で前後を挟んで移動する。白金通りを目指して進むが、行く先々で人型と遭遇して周り道を余儀なくされた。繰り返される遠回りと暗い路地裏、曲がり角から不意に飛んで来る針が隊員たちの活力を削いでいく。そして接触を回避している内に袋小路へと入ってしまった。塀は登れない事もないがこの重装備では難しいし民間人も居る。振り返ると4体の人型が接近しつつあった。田村分隊長がすかさず防御を命じる。
「二列横隊!3分隊前に構え!」
2個分隊は素早く二列に分かれ、第3分隊が前段として密集し膝を着いて盾を構えた。後段の第2分隊員たちも姿勢を低くしホルスターから拳銃を引き抜く。青木分隊長の激が飛んだ。
「落ち着いて攻撃の途切れを狙え!撃ち方用意!」
「姿勢を低くして!耳を塞いで下さい!」
数名の隊員が盾を背にして家族に覆い被さった。合わさった盾は隙間無く彼等と家族を護っている。撃ち出す針が盾に弾かれると同時に、後段の隊員が盾から身を曝け出して発砲を繰り返した。残り1体となった所で左右の角から人型が更に出現。その数4体。第2分隊は弾切れに備え第3分隊の隊員から弾薬を貰って再び射撃を加える。同じような光景が2回繰り返されると、ついに田村分隊長が叫んだ。
「青木!このままじゃ消耗するだけだ!こっちの弾薬も無くなったぞ!」
こっちに向かってるのは6体。そろそろどうにかしないと拙い状況だ。
「4体は倒せ、残り2体になったら押し出すぞ」
横でその言葉を聞いた分隊員の顔が青ざめた。青木に食って掛かる。
「肉弾戦は禁じられています!」
「これ以上の数が現れたら捌き切れん。奴らを路地の入り口まで押し上げれば家族が塀を登って逃げる時間を稼げる。」
「無茶です!それでは我々が逃げられっ…がっ」
分隊員の腕に針が突き刺さり短い呻き声の後に崩れ落ちて痙攣を起こした。吐き出す泡が仲間の防護衣に飛び散り、それを真横で見た1人が座り込んでしまう。
「バカ野郎!立て!撃つんだ!」
胸倉を掴んで引き起こす。白い防炎マフラーが抜け落ち、恐怖で引き攣った表情で歯をカチカチならしながら泣いていた。そいつのバイザーを上げて顔を鷲掴みにしながら怒鳴る。
「銃を握れ!やられる前にやるしかないんだぞ!」
掠れるような声で何か言っているが言葉になっていない。度重なる人型の攻撃と狭い空間、仲間の死と護らなければいけない存在が居る重圧で心が折れてしまったようだ。引きずって脇に寄せ、盾を乗せて身を護れるようにする。彼が落とした銃を他の隊員が握り締めて攻撃を再開した。
「4体だけ撃て!4体だけだ!」
距離が縮まりながらも1体2体と倒していく。攻撃の最中で更に1名の隊員が針を受けて横たわった。これ以上の損害は士気崩壊を引き起こしかねない。3体目、そして4体目が倒れる。幸いにも新たな人型は出現していない。突撃のチャンスは今しかなかった。
「分隊前へ!突撃!声出せ!」
狭い路地で大声を出しながら前へ突き進んだ。転がる人型の死体も踏みつけながら突撃していく。5体目には第2分隊が飛び掛かり、6体目へは第3分隊が突っ込んだ。5体目は青木分隊長が拳銃を人型の顔に押し付けて3回発砲し排除。6体目は少し距離があった事もあり、先頭の隊員が盾ごと力任せにぶつかった衝撃で人型が一瞬だけ宙に浮き、その勢いのまま向こう側の塀に激突。5人の隊員が奇声に近い声を挙げながら押さえ付けるそこへ田村分隊長が接近し、頭部に発砲して射殺するも死んだ事に気付かない彼等を宥めるのに苦労していた。
「もういい!死んだ!放していいぞ!もう大丈夫だ!」
声が段々と消え、息を荒くした5人が人型から離れる。人型の死体も崩れ落ちて体液が止め処なく流れた。5人は後から恐怖が襲って来たらしく、座り込んでしまって動こうとしない。報告のため小隊長への無線を開く。
「……小隊長、こちら第2及び第3分隊。民間人保護の後に移動中、人型と遭遇し接触を回避している内に行き止まりへ迷い込み、何とか脱出に成功しましたが2名を失いました。隊員も約半数が戦意喪失、部隊としての行動はほぼ不可能に…」
それを聞いた深町小隊長は言葉が出なかった。歯の軋む音が鳴り、苦虫を噛み潰したような顔で撤退を命じる。
「了解、直ちに後退しろ、第1分隊を応援に送る」
誰一人として状況を楽観視してはいなかったし、犠牲者が出るのも最初から覚悟していた。しかしそれを実際目の前に突き付けられると辛いものが押し寄せる。この反省を踏まえ、以後は足並みを揃えて捜索する事が全隊員に厳命された。地図上で設定された一定ライン以上へは、その手前までの捜索が全て終わらない限り進出しない事になる。
五井駅東口:防災指揮所
新たに救助された民間人が加わった事で人が溢れ始める。駅の職員も誘導に協力してくれていた。しかし、怪我は無いのに自力で動けない人たちが問題だった。惨状によるショックで精神的ダメージを受け座り込んだり蹲ったりして動こうとしない事が誘導の妨げになりつつある。近隣の飲食店やコンビニが一時的に受け入れてくれているがそれでも焼け石に水だった。どうしようもない空気が漂い始めたそこへ大型バスが数台到着。誰も呼んだ覚えがないので一時騒然とした。先頭のバスから降りた運転手が指揮所まで走って来る。
「小湊鉄道より参りました菊沖と申します。千葉県国民保護対策本部の指示に従い、避難民移送協力の任を拝命しました。私どもが責任を持ちまして避難所への移送を担当致します。」
まるで箱舟か何かが現れたようだった。あのバスならここに居る人たちを一気に運べるだけの力を持っている。指揮所を束ねる消防隊員が歩み寄った。
「ご協力ありがとうございます。怪我人は少ないのですが色々ありまして歩行困難者が続出しています。乗車にはかなり時間が掛かると思いますが、内房線の向こう側に行かない限り皆さんの安全は保障出来ます。よろしくお願い致します。」
「了解しました。お任せ下さい。」
バスからは営業所の職員たちも降りて来た。蹲ったり震えている人たちに毛布を掛け、ゆっくり立ち上がらせて1人ずつバスへと乗せていく。約20分後に出発しようとした1台目に近場のコンビニ店員たちが現れて暖かいお茶を差し入れてくれた。乗っている1人ずつに手渡ししていくと、何人かが正気を取り戻してすすり泣き始めた。どうにも居た堪れない気分だが早く出ないと後続がつかえている。マイクを掴んで出発を知らせた。
「1号車、出発します。これより手近な広域指定避難所へ向かいます。」
警備員に誘導され、ロータリーからバスが1台ずつ出て行く。歩道を歩く人々と同じ方向へ向かって走り出した。時刻は21時半を少し回った所である。
千葉モノレール 千葉みなと駅
『ただいまから、千葉県国民保護対策本部の指示による緊急輸送運行を開始致します。1号線は千葉公園駅、2号線は千葉駅までの区間に限り運行します。途中駅での受け入れも行うため、目的地までは降りれませんのでご注意下さい。』
京葉線が使えない事で普段は利用しない住民も数多く押し寄せた。他の地域では内陸側へ逃げる手段が限られており、自主的避難か屋内退避しか出来ていないのが現状である。問題は山積みだが取り急ぎ集まった沿岸の住民を内陸側へ運ばなくてはならない。自治体の対応にも限界がある中、モノレールでの避難輸送は初の試みとなった。
「1号線、乗車終了」
「2号線乗車終わりました」
途中駅での乗車を考え、最初に乗られる人数はかなり制限された。輸送量が思っているよりも少なければもう少し多く乗せる事も考えられている。
『中央指令所より両線、非常事態ではあるが通常業務と同じように焦らず、いつも通りを心がけろ。避難民のパニックを誘発しないように努めて貰いたい。』
「「了解」」
『これより緊急輸送運行を開始する、出発してくれ』
発射ベルが鳴り、モノレールが静かにホームを出て行く。街の灯かりは普段と変わらない。ビルや街灯、飲食店の変わらない明るさ。しかし眼下の道路は溢れ返る人と車の波、行き交う警察官と誘導に奔走する機動隊員、消防隊員、遠くに見えるコンビナートの炎、何もかもが異質である。そして誰しも、自分たちが何から逃げているのかを正確には理解していなかった。
陸上自衛隊木更津駐屯地 第1普通科連隊長 保坂一佐
上手くいったかどうかは分からないが、大筋的には問題ない。本管を含めた4個中隊は立川から第1ヘリ団の空輸でここに降り立った。検討されたルートとしては、アクアラインを使用して袖ヶ浦に向かうのが最も早い可能性が高かった。しかし東京側の沿岸に出現したとしてその対応を求められた場合、都内の狭い道を大量の車両で移動するのは困難が予想される上に、後詰として残っている第5中隊ではどうしても到着に時間が掛かる。なので1個中隊のみをその際に行動が起こせるよう、あえて道路での移動を命じた。それに漁港へ大量の車両で乗り付ければ停める場所にも苦労するだろう。
「本管は直ちに集結、通信の連中と共同で指揮所の設立を始めろ、情報小隊は袖ヶ浦に出向いて状況を訊いて来い」
「了解!」
随伴していた通信大隊の隊員と共に巨大な格納庫の中で連隊本部が立ち上がり始め、一緒に空輸された偵察バイクに跨る情報小隊が出発。袖ヶ浦で攻勢を続ける県警攻撃チームとの接触を図った。
「車両隊と4中隊、1偵はどのあたりまで来ているか」
「アクアラインを走行中、後続に後方支援の小隊と通信の車両も追従しています」
「よし、連中が来るまでにここを使えるようにするぞ」
現在ここには陸自の出動に合わせ、調整のため派遣された木更津署副署長や袖ヶ浦消防本部の人員、3管区海上保安本部、周辺自治体の人間が集まっていた。陸海空の総監部からもそれぞれ幹部が何人か来ている。漁港を含めた周辺一帯は既に木更津署と行政の主導で避難がほぼ完了。流れ弾が発生しても大丈夫と思いたい所だ。隷下の3中隊を前にし、数名の幹部と共に作戦の大まかな方針を発表する。
「第1中隊は敵展開地域の手前にヘリボーン降下し、まず千葉県警の攻撃チームを援護、然る後に後退させいよいよ持って我々が前に出る。既に民間人だけで死者は600人超、封鎖に尽力した警官と消防士の数多くが犠牲となったが、それもここまでだ。一匹残らず仕留めろ。」
全員が真剣な表情で保坂を始めとする連隊幹部を注視した。こちらに向けられる視線に思わず威圧感を覚える。だがそれは士気が高い証拠でもあった。ピンと張り詰めた空気が満ちている。
「第2及び第3中隊は車両にて移動、県警第2機動隊と入れ替わる形で進出して貰いたい」
ここで両中隊長が挙手した。顔を見合わせる2人が同じ事を考えているのを悟った保坂が喋り出す。
「車両が無いのにどうやって、と言いたいんだろ。それは考えてある。」
ここに来た本管を含める4中隊はヘリで空輸された。しかも今ここへ向かっている車両隊は別の任務を帯びているので部隊の輸送は行わない事になっている。従って、2個中隊分を運べる車両が何所にあるのかと訊きたかったのだろう。その答えはさっき出発した情報小隊が引き連れて来た。格納庫前に青い人員輸送車が無数に現れ、その内の1両から降りて来た出動服の男が保坂たちの所まで近付く。
「千葉県警第2機動隊副隊長、黒木警視です。本部からの命令により、第2第3中隊の方々を現地まで輸送するため参りました。」
「第1普通科連隊長の保坂です。ありがとうございます。」
以後、機動隊の幹部を交えての打ち合わせが行われた。後続の車両隊と4中隊、偵察隊や支援部隊が到着し準備が整っていく。最終的な行動方針の下達が始まった。
「第1中隊、最初に通達した通り敵展開地域の手前にヘリボーン降下。第2第3中隊は県機車両にて移動後、戦線へ加入。第4中隊と車両隊は長浦の方へ向かってくれ。そこはまだ避難の済んでいない地区だから慎重に部隊を進めるようにしろ、指揮は副連隊長が行う。1偵は87式を中心として機関砲による援護射撃。相互に援護しつつ前進し、一帯に展開する生物群を漁港まで押し戻す。対戦車ヘリも援護に入るから火力については安心してくれ。」
滑走路の脇で1個小隊分のAH-1Sが離陸準備を進めていた。まだ大腕を振ってドンパチ出来る訳ではないので、機関砲の使用までが限界らしい。他にはドアガンを搭載したUH-60も居る。
「それでは作戦開始の秒読みに入る。各自、準備を整えてくれ。」
隊員たちが小銃や装備のチェックを開始。随伴する通信隊員も機材の確認を入念に行っていた。本管の衛生・補給小隊と後方支援が共同で段列や負傷者受け入れの準備を進めている。そんな光景を見ながら格納庫の陰に入り込んである人物へ電話を掛けた。何気にこっちから掛けるのは事態発生以後、初めてである。
「保坂だ、今話せるか」
「おお、来てくれたんだな」
「木更津の駐屯地に居る。これから攻撃チームと入れ替わって前線を受け持つ、待たせて済まん。」
「長浦方面の件は感謝する。殆ど丸投げになると思うが頼んだぞ。」
「まだ全部を任せろとは言えない状況だ、随所で当てにさせて貰う」
「分かった、何かあれば言ってくれ、じゃあ後でな」
電話が切れた。踵を返して格納庫の陰から出る。1個中隊分のCH-47が整列して飛び立つ準備を進めていた。第2第3中隊の隊員も機動隊の人員輸送車へ続々と乗り込んでいく。ついに彼らへ打順が渡る時が近付きつつあった。