国民保護措置Ⅰ
千葉市中央区:千葉市役所 千葉県国民保護対策本部
袖ヶ浦漁港で県警が攻勢に出ようとするよりも時間は少しだけ遡る。駐車場に沼津が運転する車が停車し、鍵を掛けて足早に庁舎へと入っていった。この時間にも関わらず情報の収集と避難誘導の支援等で職員たちがごった返している中を上階の会議室へ向け足を進める。エレベーターから降りた時、副知事である竹中と運よく会う事が出来た。
「お待ちしていました」
「何か進展は」
「目立った事は特にありません。皆よくやってくれています。何人かの意見ですが、形式だけでも緊急対処事態対策本部の設置を検討するべきではとの声が上がっています。」
「政府は段階的に武力攻撃事態まで引き上げるつもりらしい。どうせやらなければならないのなら、国民保護、緊急対処、武力攻撃の3つを統合運用しようと思う。バラバラに動き回ったらややこしくなるだけだ。」
歩きながら対策本部の設置された会議室へ足を踏み入れた。千葉市長を務める塚本がそれを出迎える。
「どうぞこちらへ」
「ありがとう。急な要望で申し訳ない。」
「取りあえずの形は整ったと思います。ここから先はやって見ない事には何とも言えません。」
沼津は寒川町に上陸された事と国民保護措置の発令を事前に考え、千葉県危機管理室の主導でこの千葉市役所に国民保護対策本部の設立を始めさせていたのである。現在ここには避難誘導等の対応でその場を動けない市原署や木更津署の代わりに千葉中央署副署長や千葉市消防長が臨席。酒井千葉県警本部長の姿もここにあった。
「酒井君、現場の方は大丈夫か」
「五分五分でしょうか。場所によっては全く対応の出来ていない地域もあります。袖ヶ浦に関しては既に攻撃チームが現着し行動を起こし始めましたが、まだまだ油断の出来ない状態です。」
「聴いていると思うが自衛隊が全面に出るのも遠い話でなくなった。もう少しだけ頼むぞ。」
「はい」
用意された席に座り資料を捲る。同時に塚本市長が場を仕切った。
「沼津県知事が到着されましたので、これより千葉県国民保護対策本部の運用を開始致します。ご着席下さい。」
動き回っていた職員たちも次々に着席していく。沼津と竹中の傍には県危機管理課の人間が集中していた。静まり返った会議室にパトカーのサイレンがやけにうるさく鳴り響く。誰しもこの状況が現実である事を嫌でも認識させられただろう。沼津がその静寂を破って喋り出した。
「済まないが、誰か全員に状況をある程度説明して貰えないか。家に居たのを呼び出された人間も多いと思うし、目先の対応に奔走してて全体像が分からない者も沢山居ると思う。」
「僭越ではありますが、私が」
先に市役所へ向かわせていた危機管理課の人間が勇んで手を上げた。ここは彼に任せるべきだろう。
「では全員に自己紹介を」
「千葉県危機管理課災害対策室の陣内と申します。私どもで現在把握している限りで宜しければ、ご説明を致します。」
誰も異議はないようだ。ホワイトボードの前に立って話し始める。
「件の袖ヶ浦漁港には現在、県警の合同攻撃チームが到着し現在対処に当たっております。これはSAT及び銃器対策部隊が主力の編成です。尚、市原署からの要請で銃器対策部隊より1個分隊が転進、市原市内に展開し活動中です。後続の第2機動隊も既に漁港へ現地入りし行動を開始しました。ここまでが最初に生物群の上陸した袖ヶ浦漁港に対する大まかな動きです。」
これに関しては対応が始まった事もあってそこまで取り立てる事ではないだろう。
「その次に発生したコンビナートの爆発はどうなっているかね」
「不二石油袖ヶ浦製油所の爆発ですが、現場からの報告で生物群により何らかの破壊活動が行われた可能性が示唆されています。現に急行した消防隊が人型と遭遇し1名が殉職しております。消防隊は車両を捨て署に退避、逃げて来た民間人と共に立て篭もって既に約2時間が経過しました。消防本部では現在コンビナートへの消火と接近の一切を禁じています。これは消火活動に当たる消防隊員の生命を守るためとして総務省からも正式に容認されました。武力攻撃災害としての対応でいく方針のようです。」
殉職の言葉で全員がざわつき始めた。千葉市消防長も険しい表情を浮かべている。しかし現状でこれ以上の人間が死んでいるのだ。それを知った所で痛くも痒くもないだろうが、少なくとも当事者意識は芽生えるだろう。いや、こうなった以上は芽生えて貰わなければ困るのだ。
「封鎖活動に尽力している警官と消防士で、上がって来ている報告だけでも50名を越す犠牲者が出ています。県警本部で武力侵攻と考えるべきと結論付けられたのがお分かり頂けたかと思います。」
官民共にこれ以上の犠牲を出さないためにも早急な対応が必要だろう。それだけでなく住民たちの避難についても慎重に検討しなければならない。
「続きまして市原市ですが、養老川より上陸した生物群により一時的に五井駅の手前まで侵攻されました。こちらは市原署の人員と先ほど申し上げました銃対1個分隊によって侵攻を食い止める事に成功、現在県警の第1機動隊より1個中隊が増援として急行中です。こちらに関しましても間も無く封鎖活動へ移行出来るものと思われます。」
「ありがとう。その後は今に至る訳だ。寒川町2丁目にも上陸したのは既に諸君等には周知の事だと思う。」
そこへ陸自の制服を着た男と迷彩服を着た男が1人ずつ姿を現した。まず千葉市危機管理室の人間が集まっている場所へ挨拶し、あちこちと回った後で塚本の所までやって来る。
「東部方面総監部より参りました片平と申します。こちらは取りあえず私の補助を行ってくれる宮前です。」
「宮前です、よろしくお願いします」
「千葉市長の塚本です。いよいよと言った所でしょうか。」
「すみません、私は事務畑でして運用の方には噛んでいないんです。こちらもかなりバタバタしておりまして、双方に連絡を繋ぐ橋渡しとして向かうよう言われて来た次第です。」
塚本自身、階級には余り詳しくないが恐らく佐官クラスの人間だろうと予想が出来た。すると宮前の方は尉官か何かだろう。そこへ沼津も乗り込んで来る。実務的な話をしたいのだろうがそれが出来ない片平に代わって宮前が前に出た。
「千葉県知事の沼津です。どのような感じですか。」
「こちらとしましては約500名近い人員が第1陣として袖ヶ浦へ向かいます。装甲車両の類も少ないですが随伴する予定です。事前に準備だけは進めていましたので、出発は間も無くと思われます。」
「どうか、よろしくお願いします。既に事態は我々のような素人が束になっても敵わない所まで来ました。避難誘導に専念出来るのが有り難い事です。」
「お任せ下さい」
2人が急いで用意された椅子に腰掛けた。連絡事項がある際は挙手をお願いしたので何かあれば自発的に向こうが出て来るだろう。
全員が座り直した所でやり取りが再開された。沼津が再び舵取りを行う。
「まず避難誘導だが、この状況で分かる通り警察だけでは手が足りていない。消防も協力してくれているが場所によっては否応にでも生物の活動下での行動になる。市原署が既にその状況で避難誘導を行っているが、もっと安全に行える方法を模索して欲しい。次いで避難誘導に関して役所等以外での協力状態について報告を。」
千葉市危機管理課の人間が何名か同時に挙手した。全員の発言を認め1人ずつが喋り出す。
「交通局はすぐに呼応してバスを中心に移送を展開中、一部では針の雨を突破して避難民を運ぶバスもあり、下手をすれば車両が破壊される恐れがあります。知事の仰るように安全な避難誘導方法の模索は急務であると思います。」
「近隣の各警備会社とも現時刻で動員可能な最大限の人員を避難誘導に寄越してくれています。しかし銃刀類の武器は当然ですが持てない上に、大きな防御力がある訳でもないので前には出ないよう通達がされています。警察よりも後方の避難誘導をメインにお願いしている状態です。」
「タクシー協会にも可能な限り避難民を受け入れて運ぶよう連絡が渡っています。主に足腰の不自由な高齢者を中心に最優先で移送を行っております。」
発言が終わると同時に今度は防災対策課の人間が挙手する。
「県警から生物の噴出すガスは空気よりも比重が軽く滞留し難いのではとの報告があります。避難場所は暫定的にですが、地下道や地下鉄の駅が有効ではないでしょうか。」
酒井本部長が挙手した。この件に関しては沼津も初耳である。
「現場付近の民家で孤立している警官と民間人が居ります。全員無事であり先ほどの報告はそこから上がって来たものです。ただしこれはまだ何も実証が済んでおりませんのでその辺に関しましてはご留意をお願い致します。」
「なるほど……これについてはチャンスがあれば何らかの検証をお願いしたい、そうすれば安全な避難の方法も増えるだろう」
「承知しました」
そこへ4~5人の固まりが3つほど現れた。鮨詰めの会議室に困惑しているようである。職員と2~3言のやり取りが終わり塚本を介して沼津へと伝えられた。
「メトロとJR、京成電鉄から連絡調整チームの方々が来られました」
「知事、初期段階で私が指揮をしていた際に立案した避難作戦を実施しようと思います。ご許可願えますか。」
竹中副知事が立ち上がって沼津にそう話した。任せても良いだろう。
「やってくれ。そっちは任せる。」
「ありがとうございます」
竹中と3社連絡調整チームの人員は別室へ移った。抜けた竹中の席に塚本が座って補佐を行う。
「副知事の竹中と申します。取り急ぎで大変申し訳ありませんが、沿岸一帯の住民を生物群から速やかに遠ざけねばなりません。住民を遠地に下ろしてまた戻って来る時間すら惜しい状況ですので、至近の駅に下ろしてまた戻るのを繰り返すピストン運行の計画調整をお願いしたいのです。」
その言葉に全員が一瞬戸惑ったが、流石にプロの集団だった。通常運行を周辺地区に限定して中止し、1~2区間を絶え間なく行き来する事で住民を沿岸から一時的に遠ざけるピストン運行計画が立案される。各鉄道指令とも最初は難色を示したが、鉄道局から千葉県国民保護対策本部の指示を最優先に実施せよとの通達が降りて来たらしく、かなり早い段取りを経ての実現となった。
総武本線 千葉駅
『21時から千葉県国民保護対策本部の指示による緊急輸送用の電車が参ります。この電車は本駅と西千葉、東千葉間のみにおいて運行する臨時列車となります。現在発生中の非常事態から、周辺地域にお住まいの皆様を被害より可能な限り速やかに遠ざけるためのものです。ご理解とご協力をお願い致します。』
『両駅からは交通局のバスが避難輸送を行っています。係員の指示に従い速やかな行動をお願いします。』
駅員たちは押し寄せる避難民でごった返す風景を想像したが、意外にも粛々と列を作って電車を待っていたのに驚いた。1時間ほど前に押し寄せた逃げようとする人たちの光景がまるで嘘のようだと後に駅員数名が語っている。ロータリーのスピーカーからは相変わらず防災情報が流されていた。
『こちらは防災千葉です。現在、沿岸部にて発生している非常事態収束の目処は立っておりません。住民の皆様は警察消防、行政の指示に従い、可能な限り速やかに避難して下さい。』
電車がホームに進入し、最初の避難民を乗せて出発する。移動距離は一駅なので直ぐに戻って来た。西千葉と東千葉からは更にバスが避難民を受け入れて指定された広域避難所へと運んで行く。あっという間に千葉駅から人の波が消えていき、周辺の無人化が進んでいった。
千葉県国民保護対策本部の立案した鉄道での避難民輸送に関する通達(一部)
緊急輸送列車運行路線
外房線・京成千葉線・総武本線
小湊鉄道線と千葉モノレールに関しては現在調整中
運転停止路線
京葉線・内房線
(内房線に関しては状況を見つつ限定区間で緊急輸送列車運行の予定)
五井駅前阻止線
駅と白金通りの間に関してはある程度の無人化に成功。しかし病院と産婦人科医院の周辺にはチラホラと人型2~3体による偵察チームのような小集団が徘徊し始めていた。病院に1~2個の集団が侵入を試みたが、防護のため院内に詰めていた刑事一課がこれを撃退。出入り口に長机やらホワイトボードでバリケードを構築し再度の侵入を防いでいた。外見はまるで過激派か何かが立て篭もっているかのような状態である。産婦人科医院の方にはその後も何度か威力偵察のような攻撃が仕掛けられたが問題なくあしらっていた。弾薬にもまだまだ余裕があるらしい。そして五井駅の内房線を跨いだ内陸側では各所から駆け付けた救急車が長い列を作っていた。足腰の不自由な高齢者、乳幼児の居る世帯等を優先して移送するためである。
「オーライ、オーライ、はいストップ」
「あと1~2m前に、後ろの救急車が出れません」
「こちら処置願います、何名か吐き気の症状あり」
「どっかから車を借りないと拙いな。付きっ切りで歩かせるのは無理だ。」
死体が埋め尽くす道路を逃げて来た住民の多くは、歩道に座り込んで蹲ったり体の震え等の症状を訴えていた。特に最初の攻撃を掻い潜りながら逃れた数名には強い惨事ストレスの傾向が見られている。
「市原02より市原消防、五井駅の内陸側に救急車6台の集結が完了、えー歩行困難者多数なるも当初の予定通り高齢者及び乳幼児等に限っての搬送を順次開始願いたい、送れ」
「市原消防了解、最初期に避難した民間人の集合場所には現在五井消防から部隊が急行中、可能であれば誘導等の支援願えますかどうぞ」
「02了解、駅前交番の人員が現地で掌握に務めているのでこちらより一報入れておきます、通信終わり」
五井消防署も事態の発生に呼応し近くのホテルや飲食店から民間人を避難させる等の活動を行っていた。病院とは目と鼻の先にあり、刑事課の阻止線と連携したお陰で署自体の機能も維持出来ている。市原と木更津でも千葉市同様に国民保護調整所が設けられ住民の移送や避難場所の確保等、行政の主導による活動が行われ始めていた。
陸上自衛隊練馬駐屯地 第1普通科連隊長 保坂一佐
ついに師団本部より指令が下った。投入されるのは本管を含め第1~第4中隊と第1偵察隊の1個小隊。これが正面戦力だ。残りは通信・後方支援等より各種支援部隊が参加する。グラウンドに並んだ全隊員を前に言葉を述べた。
「第1普通科連隊はこれより立川駐屯地へ向け出発する。そこからヘリで漁港へ向かうが、1個中隊だけは陸路にて袖ヶ浦方面へ移動して欲しい。これは我々が空に居る間に都内沿岸部に出現した際の迅速な対応を実現するためだ。何も問題なければそのまま合流してくれ。尚、我々を送り届けた後の車両隊はそれぞれ別任務を遂行して貰いたい。内容はさっき託した封筒の中にある。以上だ。」
「総員乗車ァ!」
副連隊長号令の下、全隊員たちが車両に分乗していく。それを横目に見ながら駐屯地の正門に近づくと銃剣付きの小銃を構えた警衛隊員が直立不動で敬礼した。答礼でそれに応えながら敷地を出ると、赤色灯を回す警視庁のパトカー2台が先導の役目に備えて待機しているのが目に入る。役職を考えない振る舞いだがこれぐらいはいいだろうと言う気持ちで握手を求めた。
「第1普通科連隊長の保坂と言います。道中、宜しくお願いします。」
幾分か年配の制服警官が困惑しつつも先に手を差し出した。中年同士というのにどうも照れくさい。
「練馬署交通課の若宮巡査部長です。どうかお任せ下さい。」
他3名とも握手を交わす。副連隊長の同乗する小型トラックが正門に現れてクラクションを鳴らした。敬礼をし合って別れトラックに乗り込む。回線の開かれた無線に向かって一言だけ大きく声を発した。
「出発!」
パトカーのサイレンが鳴り響いた。第1陣が立川駐屯地へ向けて長い車列を伸ばしていく。第2陣はもう1台のパトカー先導の下、陸路で袖ヶ浦方面を目指して走り始めた。