発生
千葉県:袖ヶ浦漁港 16時頃
最初に気付いたのは、仕事道具を片付けていた漁師数名だった。こんな所にダイバーのような格好をしたのが突っ立っているのを目撃。全身が真っ黒くて足元には海水が水溜りを作っている。不審に思った漁師が声を掛けようとして近付くと、左腕を上げたので挨拶かと思ったがそうではなかった。その漁師は全身を無数の鋭い針で貫かれて膝から崩れ落ち、数秒間痙攣した後にそのまま動かなくなる。一瞬でその異常さを感じた漁師たちが次々に騒ぎ出した。
「なっ、なんだ!」
「おい!どんどん上がってくるぞ!」
岸壁から同じようなのが無数に這い上がって来た。そして列を成してこちらに向け大量の針を飛ばしながら近付き始める。漁師たちは追い立てられるように逃げ惑ったが、降り注ぐ針にやられ負傷者が増えていった。倒れて痙攣している仲間を助け出そうとする漁師にすら針を飛ばして全てを妨害する。血の気の多い何人かが日本刀のように長くて鋭利な包丁を振り翳して勇敢にも抵抗を試みたが、勢いで2~3体を殺傷するに留まっただけに過ぎず、最初の漁師のように全身串刺しとなり無残な死体を転がす事となった。たまたま巡回に来ていた警備会社から千葉県警へと通報が入り、寸前の所で脱出に成功した漁船数隻が沖合いから海上保安庁へと通報。同時に警察へも通報を行った事で「よく分からないが何か深刻な事態が発生している」と言う共通認識が県警の通信司令室を包み込んだ。近場に居る全パトカーへと緊急指令が発せられる。
「本部より広域各局、袖ヶ浦漁港にて緊急事態発生、急行可能な全車は直ちに向かわれたし、何が起きているか確認せよ」
一番最初にそれを聞いたのは木更津署交通課のあるパトカーだった。どうにも不明瞭な内容だったが、緊急事態と言う単語が考える暇を与えてくれなかった。途中で合流した数台と共に袖ヶ浦漁港へとサイレンを鳴らして突っ走っていく。漁港へ近付くにつれ、逃げ出して来たであろう車や漁師たちの姿が目立ち始めた。窓を開けて声を掛けるが皆一様に「近付くな!殺されるぞ!」と叫んで取り付く島がない。
木更津署交通課 川井巡査部長
漁師たちや港湾関係者を誰でもいいから捕まえて話を聞きたかったが、全く上手くいかなかった。逃げる事に必死でこちらの呼びかけが聴こえていないかのようだ。車を進ませて漁港の入り口に着くと、10名近い漁師たちがそれぞれ人を引きずっているのが見える。パトカーから降りてその場に割り込んでいった。
「何があった、ガス爆発か?」
「そんな生易しいもんじゃねぇ!近付いたら問答無用で殺されちまう!」
引きずられている人の足を見た。何か長い針のような物が数本突き刺さっている。出血は大した事ないようだが針の周辺は青く変色し、口から泡を吹いて痙攣していた。視線も定まっていない。
「落ち着け、分かる限りでいいから何があったか聴かせてくれ、その怪我人は?」
「奴らにやられたんだ!あいつら見境なしに襲って来やがる!」
「あいつら?」
漁港の方を指差した。ここからではまだ遠くてよく見えないが、全身が真っ黒い人間大の姿が複数見える。同時にこちらへ向かって逃げて来る初老の警備員が視界に映った。話を聞くべく近付こうとすると、数名の漁師が体に手を掛けてそれを制止した。
「なっなんだ!」
「近付いたらあんたもやられる!これ以上進んじゃダメだ!」
説明が欲しいのにそれをしない事に対して腹が立って来た。思わず口調が荒くなる。
「いい加減にしろ!お前らさっきから一体何を!」
「見ろ!ほら!」
その声と同時に短い悲鳴が聞こえたような気がした。振り返ると、さっきまで走っていた初老の警備員が突っ伏しているのが見える。背中には無数の針のような物が突き刺さっていた。小刻みに痙攣しているのも見て取れる。
「………なっ」
「みんなあれにやられたんだ!毒で動けなくなっちまうらしい!」
「き、救急車は」
「さっきからあっちこっちに電話してる!早くどうにかしてくれ!このままじゃ皆殺しだ!」
取りあえずこの場に残って口論している余裕は無さそうだ。同乗していた同僚と共に漁師たちに避難を促し、無線で本部に事態の度合いを報告。無駄に思えたが自分のと同行していたパトカー数台を道路に横付けしてバリケード代わりにした。使えそうな物だけを持って自分たちもそこを退く。そこへ運が良いのか悪いのかそっちこっちから救急車が集まり始めた。1人の救命士に声を掛けられる。
「袖ヶ浦消防から参りました、これは一体」
「すいませんが自分も全てを把握していません、取りあえずここから先には行かないで下さい。誰であろうと生命の安全を保障出来ません。」
通信指令室からは矢継ぎ早に「詳細を」との連絡が入っていたが、こんな状態では近づけたものではない。恐らくと言うよりほぼ確実に言葉の通じない相手である事が予想される。しかし情報は必要だ。
「誰か写真とか…」
全員が首を振る。当然そんな暇は無かった。しかし、別のパトカーに乗っていた警官がドライブレコーダーを取り外して持って来ていた。SDカードを取り出して自身の携帯端末に差し込んで再生を試みる。
「……ダメだな」
逃げ惑う漁師と港湾関係者しか映っていない。仲間を引きずる漁師と軽く口論になった時のシーンが遠めに映っているが奴らは角度的に映らない場所だった。なによりこの映像は川井が乗っていたパトカーの数台後ろに停まっているパトカーの映像なので見える筈もない。
「仕方ない。まずここを封鎖し、救急車には負傷者の搬送を最優先して行わせる。それと応援の要請だ。ヘリを呼んで港一帯を偵察して貰おう。」
何も定まらない方針の下で封鎖活動が始まった。更に現着したパトカーと共に怪我人の介抱や無事な者からの事情聴取を開始。救急車が列を成して走り去って行くのを見送ったあたりでヘリがやって来た。
「こちら航空隊おおわし、まもなく現場空域上空」
「木更津06からおおわし、高度を十分にとってくれ、我々も良く分からないが非常に危険な事態が発生しているのは事実だ」
「了解」
おおわしが海側から漁港にアプローチを開始。望遠カメラに映し出されたのは、謎の人間大の生物によって積み上げられた漁師たちの死体の山だった。どれもこれも針に全身を貫かれている。おおわしのパイロットはあまりの衝撃に言葉を忘れて撮り続けた。すると物陰に潜んで逃げる機会を窺っている漁師数名を捉える。
「生存者を発見……あぁ、くそ」
走り出した所で見つかったようだ。無数の針が漁師たちを襲う。全員が膝から崩れ落ちて痙攣を起こし、泡を吹いてもがき苦しんでそのまま動かなくなっていくのをおおわしのカメラが撮り続ける。その映像は通信指令室にリアルタイムで流れ込んだ。女性職員は思わず目を背け、男性職員たちは全身の血の気が引いていくのを感じる。とてつもなく恐ろしい事態が発生しているのをここに居る全員が認識した。
「こちらおおわし、信じ難いが……我々の管轄では限界がある事だけは事実だろう」
「……木更津06………了解」
「暫く空域に留まって情報を集める」
県警本部が上から下までパニックになるのにそう時間は掛からなかった。ぼちぼち帰り支度を始めていた県警本部長や警備部長たちが、雪崩れ込んで来た課長次長たちに取り囲まれてそのまま通信指令室に連れて行かれるという少々愉快な光景が見られたそうだが、それだけ危機を感じて起こした行動である事は賞賛されるべきであろう。
巡視船「かずさ」 門脇三等海上保安正
沖合いに逃げた漁師からの通報により、横須賀海上保安部から巡視船「かずさ」が急行。怪我人も居るとの事からヘリ搭載可能の本船が向かった。救急車を手配するから近場に降りれないかとの質問に対し「港に戻ったら全員殺される」等と捲くし立てられたので海上での患者移送を行う事となる。東京湾を突っ切って袖ヶ浦の沖合いに達すると、漁師たちが大きく腕を振っている漁船数隻を視認。「かずさ」よりも小さい漁船が多いため、搭載している高速艇での接舷を試みた。まず一番近い漁船に横付けして乗り込む。
「怪我人は」
「こっちです!」
乗員に先導されて漁船の前甲板に出る。そこには足と肩を針のようなもので貫かれ、泡を吹いてガタガタ震えている漁師が寝転がっていた。肌は青白くなり目も虚ろになっている。
「………これは」
「早く助けて下さい!俺の弟なんです!」
既に誰の目に見ても明らかだが、医師の診断がない限りその決定を下せない事はこの世界の人間の常識である。取り急ぎ担架に乗せて高速艇へと移し替えた。船頭は父親らしいが、既に諦めの表情を浮かべて煙草を銜えたまま海を眺めている。兄は膝を着いて嗚咽を漏らしていた。居た堪れないその場を引き払って「かずさ」へと戻る。
「あちこちから要請が引っ切り無しだ、もう1艇出そう。それと増援を本庁に頼んでくれ。」
篠崎船長の指揮の下、漁船からの負傷者収容が始まった。「かずさ」を拠点として負傷者の移送作戦を展開する。
「どうだった」
その質問に対して様々な答えが浮かぶが、まず我々の行う事は救助活動だ。患者の容態だけを述べる。
「……何かこう…中毒症状である事は確かです」
「助かるかね」
「我々の判断ではどうにも…」
「さっき千葉県警から情報が回って来た。港が未知の脅威に占拠されているから近付くなとの事だ。」
「それは一体」
「現段階では何も判断出来ない。本船は取りあえずここで負傷者の後送に努める。残った漁船については巡視艇の先導で何所か適当な港に避難させよう。」
各所から増援の巡視艇が集まり始めた。「かずさ」より小型で漁船と大きさも余り変わらないので横付けして負傷者の収容を開始。負傷者の居ない漁船は別の巡視艇に先導され木更津港を目指して動き出した。ヘリも2機3機と増え始め、「かずさ」の後甲板から離着陸を繰り返して負傷者を収容し飛び去って行く。
千葉県警本部 田ノ浦警備部長
おおわしの収めた映像を脳裏に焼きつくほど見せられた。タチの悪いCGか何かであって欲しいと願う映像だったが、現実に起きていると言う事実をようやく受け入れ始める自分の愚かさを呪った。細かい事は抜きにして持てる力の全てを持って対処しなければいけない事態だと認識する。
「当番隊は」
「第2機動隊です」
「非常呼集をかけろ、現場一帯の封鎖を厳に行う。全隊を投入するぞ。それと…」
横に居る酒井本部長を見やる。まだ信じられないと言った顔で映像を見ていた。
「SATも出動準備に入るべきと思われますが」
「……立案は君に任せる、裁可だけは欠かさないでくれ。私は県知事と連絡を取るよ。」
「了解しました」
自分に全てを仕切れるだけの力が無い事を悟っているトップはこういう場合に扱い易いものだ。下手に前に出られても困る。そしておそらく警察の対応力では抑えきれない事も事実だ。下手に怪我人を出す前に自衛隊の出動要請をスムーズに行う必要がある。退室していく酒井本部長を尻目に携帯を取り出してある人物に連絡を取った。
「田ノ浦だ、今いいか?」
「藪から棒になんだ。役職の割りには暇じゃないんでな。」
「拙い事態が起きた、一両日とは言わんが近い内に力を借りる事になる」
「どうした。テロリストの類ならもう少し頑張って貰いたい所だが」
「違う、相手は人間じゃない。と言うより全く未知の敵だ。」
「………詳しく頼む」
分かる範囲で情報を話す。本来ならば許される行為ではないが、それだけ事態が切迫したものであると言う共通認識が必要だと思った。そうでなければ上は動いてくれないだろう。
「分かった、幹部連中にはそれとなく広めておく。だが忘れるな、俺たちは自分の判断じゃそこまで動けないんだ。」
「それは痛いぐらい分かってるさ。もし世話になったら後で奢ってやるよ。」
通話を終えて携帯を仕舞った。向こう24時間が勝負の気がする。連中をそこに押し留められるかもしくは市街地への侵攻を許すか2つに1つだ。どちらにせよ、漁港だけを占拠してお終いなんてのは腑に落ちない話である。そこから前に踏み出すのがいつになるかは分からないがその前に出来るだけの対策は必要だ。
また長期間の投稿になります
何年掛かるか分かりませんが、お付き合いして頂ければと思います