「鈴虫」のマニアックな解釈
源氏物語を英訳したアーサーウェイリーの天才っぷりは凄まじく、日本語中国語のみならず、アイヌ語モンゴル語もマスターしていたとか。日本語読み書きにおいては「三ヶ月あれば誰でもマスターできる」と豪語し、ラフカディオ・ハーンを日本語がわかっていないと批判したとも言われています。
ですがね、この方「鈴虫」を入れてないんですよ。
天才でスピードがありすぎるのがかえって災いしたのかな。
ここは非常に重要な帖です。でも気づいている人が見あたらないので、市井の凡人が解説させていただきます。自作「女三の宮の野望」の34である程度書いているので、ご存知の方もいらっしゃると思いますが。
「柏木」の帖で女三の宮が出家した夜に六条の御息所らしい物の怪が出て、「そうよ。命を取り返したと一人のことだけ思っていい気になっているのが憎くてこの辺りにいたの。今は帰ろう」と高笑いします。
さてその物の怪はどうしたのかといいますと、それからも女三の宮の所を根城にしていたようですね。
で、「鈴虫」です。ここではまず夏に持仏の開眼供養する女三の宮周辺が描かれ、その後に秋に彼女を訪れる源氏が書かれます。
源氏は彼女の部屋近くにちょっとしたプチ野原みたいなものを作ってよく鳴く虫を放って気を惹きます。
もちろんなんのかのと言い寄りますが、女三の宮はひたすらうざがる。
「もう尼なのにまた。ありえない」とか「離れて暮らしたい」とか思っている。
けれどやってきた源氏は秋好む中宮がかつて松虫を庭に放った話をし、松虫より鈴虫の方がかわいいといいます。すると女三の宮は普段よりしんみりと艶っぽく、上品に鷹揚に和歌を詠みます。
「おほかたの秋をば憂しと知りにしを 振り捨てがたき鈴虫の声」
(あなたが飽きたことを知っているけれど、それでもあなたを捨て去りがたい)
あれ、うざがってるはずの女三の宮はどうしたの、と疑問に思うでしょうが、これを詠んだのは六条さんなんですよ。一言もそう書いてはありませんが、そう作ってあります。
実は賢木で彼女の詠んだ歌が本歌です。
おほかたの秋のあはれも悲しきに 鳴く音な添へそ野辺の松虫
鈴虫の源氏のセリフの方にキーワードも入れてあります。
「秋の虫の声、いづれとなき中に、松虫なむ優れたるとて、かつて中宮のはるけき野辺をわけて~」
「はるけき野辺」って出てきますね。これが「野辺の松虫」のキーワードですがそれだけではありません。
「賢木」のわりと初め、源氏が野の宮を訪ねる所で「はるけき野辺を分け入り給ふより、いと物あはれなり」とすでにほぼそのままの言葉が出ています。
六条さんはいなくなっていない。それどころか女三の宮にとりついたりしている。
昔この驚愕の事実に気づいた私はぞっとしたわけですが、さあ源氏はどうするでしょうか。
もちろん返しを詠みます。六条さんとは微塵も気づかず、女三の宮ちゃんだと思って。
自作からちょっと引用します。
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「想いの外の言葉ですね。心もて草の宿りを厭へども なほ鈴虫の声ぞふりせぬ」
ご自分の心からこの場を捨てたあなたなのに、そのお声はいまだお若い。
そう語る源氏は過去との相似にさえ気づかぬ。これほどに昔の歌をかたどった和歌を聞いてさえ、その人の名さえ思い出さない。さらにその人が辛い思いをしていた年のことを出して、若い私を上げようとする。
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いやもう、あっぱれなまでの鈍感力。そら本人には取りつけないわ。まるっきり思い出さない。
ぞっとしてたのが腹筋を震わす羽目に陥りますがな。
しかもこの後蛍兵部卿とか訪ねて来て、尼である女三の宮の居室の前で宴会するんです。
自作初期第一稿では女三の宮が内心、弘徽殿さんばりに憤慨していますがせっかくの六条さんがギャグになってしまうのでやめました。
でもこの宴会も意味がないわけではない、その後冷泉院を尋ねる前ふりになっているのです。
しかし冷泉院訪問もお札にまでなっているのに、実は途中経過。ここから秋好む中宮のところを尋ねるための前ふりなんです。
中宮の所ではさすがに六条さんのことを語る。そのこと自体が供養になるとは思うけれど、出家したくなっている中宮のことは止める。そして話題に出してはいるけれど相変わらず和歌のことは思い出さない。
六条さんもいい加減成仏したくなったんじゃないでしょうか。
さて再び女三の宮の所へ戻りましょう。
取りついている六条さんは彼女のことをどう思っているか。
たしなみのないダメな姫宮?
これは主観ですが、彼女は六条さんの唯一の希望の光、龍之介にとっての菊池寛みたいなもので「私のヒーロー」なんですよ。
「柏木」で源氏が薫に「汝が父に(似ることなかれ)」といってますが、六条さんも女三の宮に言いたかったでしょうね。「この私に似ることなかれ」と。
死霊になった六条さんはけして自縛霊ではなくけっこう自由に移動しています。
二条院に行ったりとか、六条院に戻ったりとか。
ということはもしかして朱雀院にも行ってみたかな。源氏を懲らしめる逸材を探して。
六条さんが亡くなったのは「澪標」で弘徽殿さんが権力を失った後ですから彼女には期待できない。そうじゃなくとも、なんかあの人死霊など寄せつけない強さがあるし。
しかし彼女の血筋にこれはと思える幼児がいた。それが女三の宮。
六条さんはアンジェリーナ・ジョリーのタイトル忘れたが見守り魔女の如く彼女を見守り続けたのではないかと。
「豊かな情感など必要ありません。傷つくだけです」
心が育ちそうな状況がある時は、死霊がやさしくその目をふさぐ。
「上手な字、深い教養、たしなみ。そんなものは何の役にも立ちません」
死霊はそれを否定するが、自分が得意だった一つだけはむしろ磨くことを手伝う。
「和歌だけはしっかりと身につけなければなりません。それがないと意思を表明できませんから」
情感はないのに和歌は得意という不思議キャラに育て上げる。
話が進んで「幻」で女三の宮が「谷には春も」と源氏を斬って捨てた時は、感動のあまり滂沱の涙。
「よくぞここまで、よくぞここまでお育ちになった。やはりわが目に狂いはなかった。この爺もはや思い残すことなどありません!」
あ、なんだかじいや化した。
えーと、でも女三の宮と六条さんが関わりが深いのは本当です。
六条さん 情感豊か、たしなみあり、字が上手、年齢高し、できる女房。
女三の宮 情感乏しい、たしなみなし、字が下手、年齢若い、浮薄な女房。
ほら、故意にまったく逆に作ってあるでしょう。
最初の段階から意識的にそう作ったキャラなんですよ。
それではまた「鈴虫」に戻って別の和歌について考えましょう。
持仏の開眼供養の時、源氏が「同じ蓮に乗るって約束だけど今は悲しいよね」と彼女の扇に書きつけた時、すぐに「心隔てなくその約束したって、どうせあなたの心は住まないし、澄まない」と返しをしたのは誰か。
私はこれは女三の宮自身だと思います。彼女は時たま(出家のときとか)大変に強くなるので。
六条さんが取りついてるにしても、頭ぶんぶん振るのはたしなみのある六条さんには無理でしょう。
それに、秋の夕暮れ女三の宮は源氏を「なほおもひ離れぬ様をきこえ悩まし給へれば『例のお心は、あるまじきことにこそはあなれ』と、ひとへにむつかしきことにおもひ聞こえ給へり」と超本気で嫌がっています。
そして六条さんの手を借りずとも彼女は和歌は上手いしとっさの返しの反応もいい。
「若菜下」で源氏が「さらば、道たどたどしからぬほどに(帰らん)」と万葉集の歌を使って宣言すれば、すぐに同じ歌を使って「『月待ちて』ともいふなるものを」と返している。
もしも上の歌が六条さんが彼女の口を借りて言ったものだとしても、瀕死の柏木に書いた「たちそひて消えやしなまし憂きことを思ひ乱るる煙くらべに」の歌は本人でしょうし、これ、源氏物語中最もいい和歌だと言われているんですよ。
なので「鈴虫」は素の女三の宮と六条さんがタッグを組む、大変に面白くかつ重要な帖だと思います。