1話:空から降って来た少女
拝啓、お父様、お母様。それとおばあちゃんに妹の文奈ちゃん。
私は今、紐なしバンジー真っ最中です。
「いやぁぁぁぁぁぁぁ!!」
本当に訳が分からない。
神社の石段転んだと思ったら、いつの間にか街の遥か上空から落ちている。世界広しといえど、こんな謎な状態になった事あるのは私ぐらいだろう。
私はただ悲鳴をあげながら、闇夜を落下する。暗闇の中で街の明かりはピカピカと光って何とも幻想的なのだが、感動している余裕はない。
しかし地面が近づくにつれてある確信が生まれた。
今落下しているこの街は、私が住んでいる街じゃない。
眼前に迫ってくる街並みを、私は知らなかった。空から見れば、確かに街の印象は変わるとは思うが、そんなレベルではない。明らかに違うのだ。
見たことない建物。
知らない道路。
初めて見る公園。
街並みを形作る何もかもが、私の街には無いものだった。
だがその事について深く考える暇はない。
何故なら、初めて見る公園がもうあと数秒で激突する距離まで近づいていつのだ。その公園はどうやら小高い丘の上にあるようで、丘の斜面には木が生い茂り林になっている。
そして私はその林に突っ込みそうだった。
もう木が目の前まで迫っている。
私はギュッと目を閉じた。
ガサガサという音と共に、私は落下し続ける。
木の枝で手足に切り傷が出来ていく。痛い。
唐突にガサガサ音が止まる。落下が止まったようだ。
しかし地面に着いた訳ではないようで、体は相変わらず浮遊感を感じている。
恐る恐る目を開けると、先程まで上空からみていた公園が目の前にあった。どうやらギリギリ林の所に突っ込んだようだ。あともう少しだけ落下地点がズレていたら、今頃私は真っ赤なオブジェになっていただろう。
後ろを向くと背負っていたラケットバックが木の枝に引っかかっている。その結果、私は子猫が親猫に咥えられて運ばれる時のように、手足をダランとさせ浮いていた。
「い、生きてる……」
正直、少し泣いた。こんな怖い体験二度としたくない。
安堵のあまり溜息を吐いて、涙を拭う。
しかし、安堵した所で私はまだ動けない。
現在地面から四、五メートル高い所に引っかかっているので、下手に動けないのだ。確かに先程までの落下と比べると大した高さではないが、怖いものは怖い。
落下中見た街並み、そして月が2つあったように見えたのが気になったが、とりあえず助けを待つ事にする。
しかし、早急な助けは望めないかもしれない。夜に公園に立ち寄る人は少ないだろうし、私が引っかかっている木も公園の端にあるため人に気づかれにくいだろう。
「……大丈夫か、空から降ってきた女子高生」
けれども、助けは意外と早く来た。こちらに向かって暗くてよく見えないが、声から察するに男の人が近づいて来ている。口振りからして、どうやら私がパラシュートなしスカイダイビングしているのを見ていたようだ。
「いやー、なんとか助かりました。あ、私石田しおりって言います。江ノ原高校二年生でテニス部に所属しています」
「お前、余裕あるな……」
自己紹介をすると、男の人に呆れたような声を出された。
もう木の根元の方まで来てくれているが、顔まではよく見えない。声と背丈からして、高校生か大学生くらいだろうか。半袖のカッターシャツとチノパンという格好で、片手でセカンドバックを抱えている。
「そもそも、どうやってあんな高さから落下出来た? この周辺にあそこまで高い建物はないはずだが」
「それが、私にもよく分からくて……」
男の人の疑問は当然のものであるが、残念ながら私には答えられない。むしろ私が誰かに教えて欲しい。
「……まぁいい。それよりもお前を地面に降ろす事が先だな。少し待っていろ」
「助かります……」
男の人が近くのベンチに足を進める。電話で消防でも呼ぶのだろうか。
しかし確かに助かるが、正直人を呼ばれるのは恥ずかしい。もう子供とは言えない高校生が、こんな格好で木に引っかかっているなど、いい笑いものだ。しかも引っかかった理由が何故か街の上空から落ちたという、理解不能なものだ。下手したらニュースになりかねないし、目撃者の男の人にも迷惑をかけてしまうかもしれない。
そういえば、まだ名前を聞いてなかった。
「そういえばお名前は―—きゃっ!?」
私の質問は最後まで出来なかった。
ラケットバックの背負う部分が切れ、私がまた落下を始めたからだ。
再び浮遊感を味わいながら、咄嗟に目をつぶる。
先程と違って、今度は一瞬で地面だ。
しかし思っていたよりも早く浮遊感が終わる。
驚いて目を開けると、男の人に空中で抱きかかえられていた。しかもお姫様抱っこで。
どうやらジャンプして落下中の私を抱きとめたようだ。ボトリと彼のセカンドバックが地面に落ちる音がした。
だがそんな人間離れした芸当よりも、私は彼の顔が衝撃的だった。
私はこの顔を知っている。
いや、知っているなんてレベルではない。なんなら親の顔よりも多く見ているかもしれない。
それほどまでに、私はこの人の顔を紙面上で見ていた。
「お前、よほど運がないみたいだな」
着地しながら男の人が話しかけてくれる。——話しかけてくださる。
「あ、あの……」
「どうした?」
「お名前を教えて頂いても……」
私の声は震えていた。しかしそれは恐怖からではない。
この質問の答えは、もう実は分かっている。何故なら―—。
「秋山考輝。光明工業大学二年生だ。サークルはやっていないが、大抵の事は何でも出来る」
彼の顔は、私がこよなく愛する人と同じものなのだから。
「ホコじゃイかぶラゲ!!!」
謎の奇声を発しながら、空から降ってきた女子高生——石田しおりは抱きかかえている俺の手を振りほどき、俺から距離をとる
なかなか俊敏な動きだ。
彼女は半袖のセーラー服にスカートと明らかに女子高生の出で立ちだ。髪型は茶色がかったボブカットで、毛先に若干パーマがかかっている。
一見普通の女子高生だが、彼女の言う江ノ原高校というのを俺は聞いた事がない。勿論俺も全ての高校を把握しているわけではないが、少なくともこの周辺にそんな高校は存在しない。
何より、こいつは何も無い上空から落下してきたのだ。
普通ではない事は間違いない。
正直、木に引っかかっているこいつに話しかけるのは非常に迷ったが、見捨てると後味が悪そうだったので話しかけた。
「——声は違うけど、名前と顔一致で、大学まで同じだし……。コスプレイヤー? いやでもこんなクオリティ高いのが噂にならないはずないし……というか月が二つもあるし……。ドッキリ? でも私なんかにしてメリットは―—」
だが、挙動不審な動きをして訳分からない事を呟いている石田を見て、話しかけたのをちょっと後悔し始めている。
こちらの事を眼中にない様子で一心不乱に考え事をしている。
帰るか。
最低限の手助けはしたし、これ以上こいつに関わらないほうが良い気がする。
「じゃあ俺は帰るから、石田も遅くならないうちに―—」
「あ、あの!」
しかし俺の声は石田の声に遮られた。
悲鳴のような声を出した彼女の表情は強張っているものも、視線は真っ直ぐにこちらを向いている。
「い、いくつか質問しても宜しいでございますでしょうか!」
そして必要以上にへりくだっている。
声も震えていて、まるで俺を怖がっているようだ。
「……いいぞ」
「ありがとう御座います! そ、それであの……」
質問ぐらいはと思い、承諾する。
すると顔の強張りが少しとれ、今度は口をモゴモゴさせ始めた。
「五年後くらいに、テロリストになるご予定はありますでしょうか!」
「馬鹿じゃないのかお前」
反射的に罵倒してしまったが、俺は悪くない。初めて合うよく知らない人にこんな事言われれば、大抵の人はこんな反応をするだろう。
一応断っておくが、俺に危険思想はない。
それにしても『五年後』とは、やけに具体的だな。
「で、ですよね! いきなりそんな事言って、馬鹿かって感じですよね! えっと……じゃあ貴方はサイボーグ技術における天才ですか?」
「天才だ。今世紀において、俺に並ぶ者がいないと言える程の天才だ」
これもつい反射的に答えてしまった。
普通何故そんな事を知っているのかと問い返すところではあるが、仕方ない。こんな質問を受ければ、大抵の天才はこんな反応をするだろう。
俺の返答を聞いて、石田は何故か目をキラキラさせる。何かに感動しているようだ。
こんな返しをされたら、大抵の奴は引く反応をするところなのだが。
「凄い、本物の秋山節だ……じゃ、じゃあ! 春川蓮夜っていう幼馴染がいます―—」
「何者だ、お前は」
石田が最後まで喋る前に、食い気味でかぶせる。
そして目の前の正体不明の自称女子高生を睨みつけた。自分では意識していないが、怒気のようなものが出ているかもしれない。実際声は怒鳴り声ではないものも、自分でも驚く程に声が冷たい。
石田も急な変貌に驚き、口をパクパクさせている。
「俺を知っているのはまだいい。俺は有名だからな。だが春川まで知っているのは明らかに異常だ」
そもそも、質問の仕方が妙だ。
秋山考輝と春川蓮夜が知り合いである事を確かめるような質問。まるで知り合いである事が何かの条件であるような。
「ご、ごめんなさい」
石田が掠れるような声を出す。
しかしそんな声を上げながら、何故か口角は上がっていた。
「謝る必要はない。ただお前の事を喋ればいい。何者で、何故俺と春川の事を知っているのかを」
言い終えてから、俺は頭石田に一歩近づいた。
石田は少しの間目を泳がせていたが、目を閉じて大きく息を吸う。
「……分かりました。信じてもらえるか分かりませんがお話します。ただ、これはまだ私自信も信じきれていません。それだけ突拍子もない話です」
石田が静かに話を始める。
「この世界は漫画の中なんです。私は別の世界でその漫画を読んでいました」
「そして秋山考輝さん。貴方は漫画の悪役で、五年後にはテロリストとして日本を混乱に陥れています」
「春川蓮夜さんは主人公の上司で貴方と敵対していて、貴方と日夜殺し合っています」
「この世界は漫画で、私はその漫画を読んだ事がある。これがお二人を知っている理由です」
それだけ言うと石田は口を閉じて、こちらの反応を伺う。
なかなかに衝撃的な話ではあった。
そしてこんな話を聞いた後は、やるべき事は決まっている。
「もしもし、警察ですか。どうやら変な妄想癖のあるストーカーに付き纏われているみたいで―—」
「ちょ!? ストップストップストップ!! 今証拠出しますから待って!!」