プロローグ:俺
俺は今、機嫌が悪い。
クーラーの調子が悪いとかで居酒屋の店内は暑く、それが苛立ちに拍車をかけている。まだ夏本番ではないものも、じっとしていても軽く汗ばむ程度に暑い。
まだ早い時間という事もあり、居酒屋の中はわりと閑散としていた。今こちらに向かっているバイトらしき店員も特に慌てた様子はなく、ゆっくりと歩いている。
「生一つ、お待たせいたしました!」
「ども」
無駄に元気の良い店員に適当に返事を返し、ビールを受け取る。小さなテーブルの上は、既にいくつかのツマミで一杯だった。
ビールを机に置いて軽く汗を拭い、タブレットを確認するが、広告のメールが来ているくらいで連絡はなにもない。ついでに時間を見ると店に入ってからもう四十分近く経っていた。
それはつまり、俺が一人で待ちぼうけを一時間以上くらっているという事だ。
「今度暇ある? せっかく俺もお前も二十歳になった事だし、飲みいこうぜ」
幼馴染の春川蓮夜からそんな電話を受けたのは、もう二週間前の事だ。
小学校、中学、高校と同じ学校に通っていた春川とは性格がまるで反対ではあったが、何故か一緒に行動する事が多く、所謂腐れ縁というやつになっていた。俺が大学に進学し、あいつが就職とバラバラの道を辿っているものも、他にも仲間を交えて半年に一回ぐらいのペースで会っている。
今回は春川の電話から二人で酒を飲もうという話になり、こうして居酒屋にいるわけなのだが、肝心の春川が来ず、苛立ちをつのらせていた。
春川は集合時間になっても現れず、店に入る時間ギリギリになって、少し遅れそうだから先に予約した店に入っていて欲しい、と連絡を受けたので予約した店に入っているのだが、その後何にも連絡が来ない。
二時間で予約しているので、このままでは時間の半分を一人で過ごす事になる。
俺は予定通りに事が運ばない事が嫌いだ。
ため息を吐きながら、ビールを口に運んだ。
「いやぁ、遅れて悪いな、アッキー。店の予約とか全部してもらっていたのに。でも聞いてくれよ。これには訳がある」
「ほう、言ってみろ」
「来る途中に道迷っている女の人見かけて目的地まで送っいったのだけど、なんかその人の彼氏さんに勘違いされて不良けしかけられたり、トラックで突っ込まれたりしていたら遅れ―—イデデデデデデ!!」
徐々に居酒屋の席が埋まり始めた頃、やっと春川がやって来た。謎な英単語がプリントされた半袖シャツとジーパンというシンプルな格好だ。髪は金髪でワックスを使って立たせている。
来ていきなり明らかに嘘みたいな言い訳をしているが、無視してアイアンクローをかます。
「もう少しマシな言い訳を考える頭がないのか。お前のこの頭には、腐った味噌でも詰まっているのか」
「いやホントホント! マジだから! お願い信じて!!
というか頭からなんか人間が出しちゃいけないような音がーーイデぇぇぇ!」
なんだか春川の頭からミシミシと聞こえて気がしたので、とりあえず手を放す。すると春川は掴まれていた辺りをさすりながら、その場にしゃがみ込んだ。
「……アッキーまたパワーアップした? なんか前くらった時より力強くなっている気がするけど……」
「ああ、先週アップグレードしたばかりだ。それより早く席ついて注文しとけ。もう席の時間半分しかないぞ」
席に座るよう促しながら、注文用の端末を春川に渡す。
春川がよろよろと席に座ると、沢山のアルコールを持った店員が小走りで駆けていく。どうやら忙しくなってきたようだ。。
「ホントに悪かったって。この埋め合わせは絶対するから。……まずはビールにしよっかな」
「じゃあここの支払い全部お前もちな。こっちも生追加で、あと刺身盛り合わせと焼鳥盛り合わせもな」
「……そういう容赦ない所、アッキー昔から変わらねぇな」
最初のやり取りの後は比較的落ち着いて飲んでいた。
世間話をしながら酒を飲み、ツマミを食っていく。ちなみツマミは追加注文した。
「新しい携帯端末の話知っている? こんどウチの職場で試験的に配備されるらしいけど、なんか画面がないらしいぜ」
春川がおもむろにそんな事を聞いてきた。喋るのはいいが、焼き鳥を口に入れた状態でモゴモゴさせながら喋るのはやめて欲しい。
「ああ、うちの大学でも話題になっている。友達から聞いた話だが、何もない空中にタッチスクリーンが表示されるとかってやつだろ」
見たことはないが、新しい携帯端末はなんでも時計のような形をしていて、起動すると空中にタッチスクリーンが映写され操作できるらしい。
タブレット端末が携帯電話に取って代わりもう二十年。確かに新しい携帯端末が出てきてもおかしくないのかもしれない。
ちなみに俺も春川も世代的に携帯電話が使われているのを見たことない世代だ。
科学というのは本当に日進月歩で進んでいる。気を抜いていたら、瞬く間に取り残されそうだ。
「え? アッキー大学に友達いるの?」
春川が目を見開いてポカンとする。
確かに、昔から俺は新たに友人を作りたがらなかったから意外かもしれない。
「友達というか後輩だけどな」
「でもアッキーが社会に出るための一歩を踏み出している感じがして、俺はうれしいぜ。アッキー頭良くて、ぶっちゃけ、天才だけど、友達作ったりするのが苦手だからなー」
「別に俺は他人と喋れないわけじゃないぞ。実際学科の奴らとも喋るし、飲みに行ったりもする。ただ親しい間柄の人間をあまり作りたくないだけだ」
「いや、コミュ力低い人間は皆それ言うよ?」
春川は苦笑いをしながらビールに口をつけた。
自分でも世間とずれている考えをしているとは分かっているが、そのような性分なので仕方ない。
親しいと言える程まで他人に気を許せないのだ。結果として一緒に遊ぶくらい仲良くはないが、会ったら挨拶をする仲の奴が多い。これでも他人と話す分、高校より進歩はしている。
「話は変わるが、『ギア』って都市伝説を―—」
微妙な空気が流れたので、話題を変える。
『ギア』というのは昔からある都市伝説で、現代科学でも解析できない謎の物体の事をさす。古代文明の遺産だとか、宇宙からやって来たものだとかいろいろ言われているが、どの話でも共通する事がある。
それは『ギア』に認められると、超常的な力を手に入れられるというものだ。
昔の偉人も多くは『ギア』に認められていたという話で、『ギア』に関する創作話も数多く存在する。
「ブフ!?」
「うわ! 汚っ!」
だがこの話題は春川の地雷だったらしく、飲んでいるビールを吹き出す。結構勢い良く飛ばし、もう少しでかかるところだった。
別に昔はこの話題でこんなにも反応した事はなかったはずなのだが。
「……どうした?」
「い、いや。何でもない。それよりも研究の方はどうだ? なんか凄いのを作っているって聞いたけど!」
机と口元をお絞りでふきながら、春川は早口で話題を変える。よほどこの話題は触れてほしくないらしい。
「……今は脳を補助する人工知能に関して研究している。脳の一部を機械で置き換えて、記憶力や計算速度を飛躍的に上げるための物だな」
こちらとしても無理してまで話す話題ではなかったので、そのまま乗っかって話を変える。
大学で俺は人間機械工学について学んでいる。平たく言えばサイボーグ技術についてだ。サイボーグ技術は数年前から世間に浸透し、主に医学で使用されている。兵士に対しても使用されているようだが。
また学生ではあるがサイボーグ分野の研究において、俺は世界でもトップクラスだと自負している。論文もいくつか出しているし、脳のサイボーグ化の臨床実験までたどり着いているのは世界で俺だけだ。その界隈では俺の名前を知らない人はいないだろう。
なお、俺もサイボーグ化している。肉体も脳も弄り、体の六割近くが機械で置き換えられている。ただ犯罪ギリギリの事なので、知っているのは春川ぐらいしかいない。
これだけ身近に実験に使えるものがあって、使わない手はない。
「おお、なんか難しそうな事やっているな。じゃあ大学でもやっぱ成績一位なの?」
「そうだぞ。天才だからな。むしろ、お前は俺が一位以外だと思っていたのか?」
そう言って俺は刺し身に箸をのばす。
尊大な言い方だが俺は大口を叩いているつもりはない。ただ事実を述べているだけだ。
そんな俺を見て、春川は楽しそうに笑う。
「やっぱアッキーのその自信たっぷりな言い回し、いつ聞いてもスゲェなって思うよ。正直憧れる。俺もそんな風に自分に絶対の自信をもってみたいって」
しかし笑ってはいるものも、その表情はどこか影がさしていた。
「……お前だって身体能力十分凄いだろ。お前以上のやつ、俺は見た事ないぞ。それなのに自信がないとか嫌みか」
春川は妙に自己評価が低いが、実際能力値は高い。
頭も悪くないし、コミュニケーション能力も俺なんかよりはるかに高い。特に素の身体能力に関しては他の追随を許さないレベルだ。実際春川は様々なスポーツの大会で好成績を残しているし、高校を卒業して警官になったときもその運動能力が買われ、今では機動隊みたいな特殊な部隊に身を置いているらしい。
守秘義務でどんな部隊かは教えてもらってないが。
こいつの欠点を上げるとすれば、馬鹿正直な所と正義感が強すぎる事ぐらいか。
見て見ぬふりが出来ないというのは、この社会では生きづらい。
しかし、こいつがこんな事を言い始めるのは珍しい。
「何か悩みでもあるのか?」
「ま、いろいろとね。社会人になると、考えさせられる事が沢山あるからさ」
春川が素早くジョッキを口に運ぶ。
悩み自体を話すつもりはないようだ。
「ま、話したくないなら話さなくてもいい。ただ手に負えない状態になったら俺を呼べ。この天才がどんな時間のどんな場所だろうが駆けつけて、お前の悩みなんか一瞬で解決してやるよ」
「アッキー……」
「頼もしいけど、男に言われたくないセリフだな、それ」
「俺もこんな事を男に言いたくない」
その後、特には何事もなくただ近況を話しながら飲んだ。
残り時間も少なかったのであまり話せたとは言えないが、別にもう会えないわけではない。まだ早い時間ではあったが、春川が明日は仕事があるので二軒目にも行かず、そのまま店の前で解散となった。
ちなみに、結局支払いは全て春川に任せた。
「アッキー本当に容赦なく頼んだな……。俺、結構安月給なんだよ?」
春川が軽くなった財布を見つめながらそんな事言っていたが無視する。連絡もなしに遅れるのが悪い。
帰る方向が違うので、春川とは店前で別れた。
俺の家までは普通ならバスを使う距離だが、酔を覚ましたかったので歩いて帰る事にする。歩くと三十分ぐらいかかるが、酔い覚ましには丁度良いだろう。
途中、近道で小高い丘にある公園の中を通った。
広い公園内は様々な遊具があり、昼間は沢山の子供が遊んでいるのが想像出来るが、流石に時間が時間なので今は誰もいない。
公園の片隅には小さな社があり、ひっそりと月明かりに照らされている。
ふと空を見上げると、空にまん丸な月が輝いている。
今日は満月のようだ。
この光だけはいくら時代が進んでも、変わる事はないだろう。
そしてそんな満月の隣では、この前打ち上げられた人口の月が浮かんでいる。月と言っても水や自然を持ち込んでいるので、小さな地球みたいだ。
なんでも増えすぎた人口の対策として、実験的に打ち上げたらしい。将来的には移住が考えられているとか。
「…………ん?」
月を見ていたら、何か夜空にあるのを見つけた。
それは飛んでいるわけではなく、重力に任せて落下しているように見える。
それが何かはすぐに分かった。
なんなら声も聞こえてきた。
「いやぁぁぁぁぁぁぁ!?」
空から、女子高生が降ってきていた。