拠
月島を指定の位置で拾って闇色のバンは帰路を辿る。
滑り込んだ駐車場は官僚庁舎にほど近い高層マンションの一階。
「私たちは上に帰るが…秀は?」
「ん、秀サマも取りあえず上かな?」
軽く頷いて『機械室』と書かれた目の前の扉のカギを開ける。そこに隠されている、一機のエレベーター。これは秘密の通路。
操作パネル真下。漠然と存在する鍵穴にキーを差し込み、左に回す。金属パネルが小さく動く。姿を見せた黒いセンサー。それに指紋の認証をさせてやっと目的階の指定ができる。
正直面倒なセキュリティーだが、仕方の無いことだ。
≪裏警察≫は確実に恨みを買う組織だ。拠点を狙われていることは常に想定しなければならない。その上、組織の存在を秘匿する為の建造物は≪マンション≫として一般人が普通の生活を営んでいる。裏の事情に巻き込む訳にはいかない。
全ての手順を終えて月島は本来20階建てのマンションの、存在しないはずの21階のボタンを選択した。
表向き、管理センター階となっているその階が、≪裏警察≫の拠点である。ワンフロア全てを使っているため、風呂もあれば仮眠室もある。
なかなか充実の福利厚生だが、惜しむらくは労災手当が無いこと、か。なんせ死ぬ前提の雇用だからな。
くだらない事を考える月島を他所にエレベーターはマンション内を駆け上る。
軽やかなチャイムが目的階への到着を告げた。
一応は年功序列で桑野と小野寺を先に降ろして、最後に月島がアジトのカーペットを踏む。
途端。脇腹に感じる衝撃。思わず倒れかけ、ギリギリで堪える。
見なくても分かる衝撃の正体。それでも視線を合わせるのは
「おかえり、紫!!」
泣きそうな顔でそう言いながら自分を見上げる愛しい瞳を見たくて。
「ただいま、紺」
頭一つ分、月島よりも背の低い彼女。背を屈めて、頬をすり寄せる。
銃の冷たい匂いではない。
死人の生臭い腐臭でもない。
焼け焦げる火薬の臭いでもない。
生きとし生きるものに許された、その命の香り。
肺一杯に取り込んだ愛おしさに、もう一度月島が「ただいま」と繰り返すと、彼の首にぶら下がるようにして、紺は小さく笑った。
「おかえり紫」
言いながら、紺の白い手が月島の体をさまよう。
いつもの儀式。彼が傷を負っていないか、探す。
「大丈夫だ、生きている」
宥めるように背を撫でれば震えている。抱きしめる。体温が融解するまで。互いの肉体の壁を壊すように。
そうすれば、紺はまた腰まで伸ばした黒髪を揺らして笑ってくれるから。
そうすれば、月島は紺の笑顔に心から生を望む理由を見つけ出せるから。
人を殺した罪悪感も、苦しみも、穢れさえ祓われる…そんな自己中心の幻想。
それでもいいと思える。この狂った世界の、唯一の救いがここにある。
やがて、名残惜しく額を合わせて、体を離すと紺は照れ臭そうにしながら、ヒマワリに似た笑顔を浮かべた。
「今日は久しぶりに外食でもするか」
組織の皆が行きつけの『喫茶ルーク』の名前を出すと紺は小躍りして荷物を取りに走っていった。