笑
「おかえり」
帰宅して。紗音の声に迎えられて。ラルムは泣き出したくなった。
数日離れただけだ。なのに、もう何年も会えなかったような気がしてしまう。
「……ただいま」
詰まった声を誤魔化すように、ラルムは華奢な体を強く抱き締める。
感情が昂って、ぐちゃぐちゃで、どうにも出来なかった。息が苦しくて、おかしくなりそうだった。
でも。やっと。腕の中に、紗音がいる。その温もりに安堵して、ラルムは大きく息を吸い込んだ。
あの地獄のような現場で吸い込んだ、焼け焦げた臭いはしない。
紗音は、ここで、生きている。
大切な人が呼吸をしている事。
大切な人に触れられる事。
大切だと伝えられる事。
弟が行方不明になった時、当たり前の幸せの有り難さなんて、嫌になるほど味わったはずだった。
けれど。客観的に叩き付けられる現実は違う。
あの現場では、自分と同じ思いをする人間が大量に生まれた。
そして。あの現場で《裏警察》の皆は傷を抱えながら、真っ直ぐに立っていた。
「紗音」
「どうか、した?」
「愛してる」
決壊した感情が、涙になって次々に落ちる。
紗音は、ただ何も言わずにラルムの背に回した腕に力を込める。
暖かな時間の中で、ラルムは帰宅を勧めてくれた仲間に感謝した。
※
やっと落ち着いたラルムをソファに座らせて、紗音はナイフを手に取る。
何も出来ない自分だけれど。せめて、ラルムに、少しでも笑って欲しい。
そっと、林檎に刃を当てて、皮を剥いていく。最近覚えたばかりの手元は危なっかしくて、なんだか芋のようにデコボコ仕上がりになってしまった。
でも、ラルムは笑ってくれた。
それだけで、紗音は嬉しかった。
誰かと一緒に笑える。
そんな未来が有る事を、一年前まで考えてもいなかったから。
「あの、ね」
「どうしたの、紗音?」
「私も、愛してる」
そっと、唇を触れ合わす口付け。それだけで、胸が暖かくなる。
「……そろそろ、仕事に戻るね」
薄く笑ったラルムに、紗音は笑って頷く。
仕事が終わったら彼は帰ってくる。この時、紗音はそう信じて疑わなかった。




