惨
晴天を染め上げる黒煙。空気を焦がす火炎。建物火災特有の刺激臭。
そして、生臭く、酷く不快な匂い。形容しがたいソレが人間の焼ける匂いなのだと気づいた瞬間、ラルムは胃の腑を絞られたような吐き気に襲われた。
ラルムの訴えを聞き入れ、桑野は彼の隊列離脱を許可した。桑野率いるメンバーはラルムを残して先に進む。
その背を見送る暇も無い。もう限界だ。ラルムは競りあがる胃の中身を地面にまき散らす。何度も何度も嘔吐いて肩が全力疾走の後のように上下する。
「大丈夫か?」
ふいに、背を撫でる手に顔を上げる。いつの間にか、月島が傍にいた。
顔色一つ変わっていない彼は、慣れてしまっているのだろう。
ラルムはなんとか一つ頷いて口元を拭った。
「月島さん!状況は!?」
指定された場所にバンを停めた真田が物資を持って走ってくる。
「異様に火の回りが早い。今小野寺が看ている患者も大半が三度熱傷だ。アルミはあるか?」
「あります!」
「助かる」
真田が渡した鞄を掴んで月島が駆け出す。
後を追う真田に従って、ラルムも瓦礫の上を危なっかしくついていく。
辿り着いた場所は、正しく――地獄だった。
幼い少女が泣いて母を呼び続ける声が響く。少女の背には、覆い被さるようにして、黒く煤けた塊が蹲っていた。母親だったのだろう。最後の力で娘を守り切って死んだのだ。
他方で、母の声がする。「この子を助けてください!」、と。その腕の中の赤ん坊は、誰が見ても絶命していた。だらん、と両手両足を垂らす赤ん坊を抱いて母は助けてと泣き叫ぶ。
足元から若い女の笑い声が聞こえる。目を向けてラルムは余りの悲惨さに思わず口を覆う。彼女には腰から下が無かった。腸を晒して、それでも死ねずに狂ったように笑っている。
「行かせろ!」そう男が叫ぶ。行かせろ、と死に物狂いに繰り返す。彼の妻は未だ炎を吐き出すデパートの中にいるのだ、と。今にも押さえている消防隊員を振り切ってしまいそうだ。
治療の順番を巡って、あちらこちらで争いが起こる。
諍いを止める声も、悲鳴のように掠れる。
喚く声、嘆く声、愛しい者を呼ぶ声、泣き声、祈る声。老いも、若いも、幼いも、男も、女も、関係ない。声。声、声声声声声声。渦を巻くように人の苦しみの声だけが木霊する。
耳を塞いでも、隙間に入り込む声で、眩暈がしそうだ。
ラルムは遠ざかる真田と月島の背に追い縋って顔を上げた。
そして。見つけた。
真っ白だったはずの白衣を赤く染めて、我武者羅に、ただ命を救おうと足掻く、小野寺の姿を。




