店
何処か懐かしい。
足を踏み入れて最初に感じた印象はそれだった。
低く優しい音色のドアベル。板張りの床。サイフォンの並んだカウンター。珈琲のふくよかな香り。ゆったりと流れる音楽はレコードのひび割れた演奏。
「いらっしゃいませ」
ロマンスグレーの髪を七三に撫でつけた、絵に描いたような初老の店主が、こちらに出てきて小さく頭を下げる。釣られて頭を下げて、ラルムは息を飲んだ。
片足が、ない。
正確には、左の膝から下が、金属の義足なのだ。
「…まったく、桑野さんは人が悪い。
ちゃんと、説明しておいてくれなかったんですか?」
非難の声に後から入店した桑野が声を立てて笑う。
「悪いな、マスター」
「あなた、早くお席に」
「わかったよ」
奥から姿を現した、女性に従って席につく。
年齢や、やり取りを聞く限りマスターの妻君なのだろう。
どうやら夫婦二人で切り盛りしている店のようだ。
「ご指定通り、貸切にしておりますから」
夫人は、マスターより愛想よく微笑んで下がった。
「マスターはね、退職組なんだよ」
桑野の隣に座った小野寺が口を開く。
「昔ねぇ、爆弾で足がああなっちゃったから、引退してここをやってるの」
「そう、だったんですか…」
ラルムは納得した。
隣の紗音は、自分の足を見下ろしている。マスターの体験した痛みを想像しているのかもしれない。
「だから、ここは寛げるんです。
僕達の事、隠さなくても良いので」
小野寺の隣に落ち着いた真田の笑顔に、ラルムは納得した。
「あれ、月島さんと紺さんは?」
いつの間にか、いない。
桑野がラルムの後ろを指さす。
「カウンターで買い付け中だ」
「内容を、聞いてみてください」
真田に促され、耳をそばだてる。
「持ち帰りを頼みたい。
パウンドケーキを3つくれ」
「プレーンかい?」
「いや、フルーツ入が良い」
「景気がいいね、月島さん」
「まあまあ、な」
「今日はブラックチョコレートも入ってるよ?」
「ああ、なら2ケース」
そんな会話が漏れ聞こえる。
「…お菓子、ですか?」
首を傾げるラルムに、真田はにっこりと微笑む。
「あれ、全部隠語なんですよ」




