私のお師匠さま
ここは『降龍山』と呼ばれる人里離れた山奥にひっそりと建つ『降龍寺』というお寺です。
古くからこの地には一匹の龍が住んでいるという言い伝えがあり、この名前の由来も、龍が天から降りてくるのを見た、という昔の人がつけたそうです。
ただの古い伝承のように聞こえますが、今でもまれに空を駆ける龍の姿を見る人がいるのだとか。
私はこの世に生を授かってから十五年、一度も龍さんの姿を見たことがないので、できることなら一度くらいこの目で拝んでみたいものですね。
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お寺の朝は早いです。
私も日の出とともに起き、活動を開始します。
起きたら作務衣に着替え、髪を三つ編みに結って身支度を整えます。
準備が整ったら、まずはお庭の掃き掃除からです。
朝はちょっと眠いですが、お日さまのポカポカとした温かい光と頬を撫でる優しい風のおかげで、眠気なんてすぐに飛んでいきます。
このお寺には私とお師匠さまのふたりしか住んでいないので、お寺のお掃除はいつも私ひとりです。
もちろん、ぐーたらなお師匠さまは手伝ってなんてくれません。
でもお師匠さまはこうおっしゃっていました。
『これは、お前が一人前になるための修行だから、お前がひとりでやらなければ意味がない』と!
そう言われては、お師匠さまの一番弟子として、頑張らないわけにはいきません。
というわけで、今日も私は、ひとりで境内の掃除をします。
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朝の掃除が終われば、次は朝食の準備。
と、その前に、やらなければいけないことがありました。
「起きてください、お師匠さま。朝ですよ」
毎日、こうしてぐーたらなお師匠さまを起こすことも日課のひとつです。
私が起こさないとほんとに一日中寝ているんですからお寝坊なお師匠さまには困りものですね。
「起きてください、お師匠さま!」
お師匠さまは一向に起きる気配がなく、だらしなくよだれを垂らしながら、いびきをかいています。
それにお師匠さまったら、また髪を三つ編みに結ったまま床に入って……
どれだけめんどくさがりなんでしょうか、このお方は。
でも、この三つ編みのところ、お師匠さまの寝息に合わせてピコピコと動いて、なんだか尻尾みたいでかわいいです。
ものすごくギュって握りたい衝動にかられます。
ちょっとくらいなら触っても大丈夫でしょうか。
「ん? なんだもう朝か……おはよう、辰子」
「……おはようございます、お師匠さま」
こういうときに限ってすぐに目を覚ますんですから、少しは空気を読んでほしいものですねぇ。
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私のお師匠さまは少し変わった人です。
普段は緩んだ締まりのない顔をされているのに、ごくまれにピシッとした顔をすると少しカッコよく思えるのが不思議です。
見た目も若く、私的には兄妹に見られてもおかしくはないと思うのですが、お師匠さまに年齢を尋ねると、千を超えてから数えるのをやめた、と意地悪なお師匠さまはいつも私をからかいます。
そんな嘘くらい私にだって簡単に見ぬけるというのに。
それに名前も教えてくれません。
「俺はお前の師匠なんだから師匠と呼べ」と言われます。
でもそんな変わり者な私のお師匠さまですが、実は不思議な力を持っているんです。
指を一振りするだけで炎を生み出し、空に祈れば雨や雷を降らせるなんてこともお茶の子さいさい。
なんとも面妖な力でしょうか。
これぞまさしく妖術です。
私も修行を重ねれば、いつかは同じことができるとおっしゃってくれますが、本当にそんな妖術が私にも使えるようになるのかは、はなはだ疑問であります。
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毎朝、私が朝食の用意をしているあいだ、お師匠さまはひとり本堂に引きこもっています。
何をしているのか訊いても教えてくれません。
「もし、覗いたらお前の命がない」ととても恐ろしいことを言われては、こっそり覗くこともできません。
これは私がまだ半人前だからということでしょうか。
早くお師匠さまにも認められる一人前になれるよう頑張りたいです。
そういえば、ここ降龍寺は私が書物で学んだ本来のお寺とは少し違います。
書物にある本来のお寺には、仏さまを形どった仏像が安置されているそうですが、この降龍寺の本堂には『紅龍玉』という私の顔ほどの大きさで、透き通るように紅く、それはもうピカピカの玉が祀ってあるんです。
この紅龍玉を守るのがこの寺院に住む私たちの役目だとお師匠さまは教えてくださいました。
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私がこの降龍寺の家事を任されてから、常々不思議に思っていたことがあります。
それはこのお寺の食料の備蓄についてです。
お寺とは仏門の教えを広める場ですが、その収入は葬儀や法要によって多くが賄われると私は独自に学びました。
しかし、ここには私とお師匠さま以外の人が訪れることなど滅多になく、ぐーたらなお師匠さまが葬儀や法要に赴くことはおろか、読経をしている姿さえ私は見たことがありません。
そもそも、本来のあり方から言えば、ここがお寺と呼べるのかさえ疑問に思えてきます。
まあ、この件についてはまた別の機会に検討するとしまして、今は本題に戻りましょう。
私が言いたいことはつまり、毎日お師匠さまはぐーたらしているのに、なぜここの食料がなくならないのかと言うことです。
はたしてお師匠さまはどのようにして日々の収入を得ているのでしょうか?
ちなみに私の知る方法はひとつだけです。
この降龍寺に安置されている紅龍玉は私の想像以上に高価なものだそうで、たまに悪党さんたちが紅龍玉を狙い、ここを訪れることがあります。
その度にお師匠さまは、悪党さんたちを自慢の妖術で退治し、命を見逃す代わりに、とたくさんの食料やお金をこの寺に運び込ませます。
なんだかこれではどちらが悪いのかわからなくなってきました。
あとは……食糧難が続きかけると、なぜだかわかりませんが、たくさんの食料が、お寺の前にお供えされていることがあります。
世の中には不思議なこともあるものなのですねぇ。
6
ある日、お師匠さまは私に「焼き芋が食べたい」とおっしゃいました。
お師匠さまのわがままを聞くのも弟子の役目。
ここは私が一肌脱いで、焼き芋を作ってさしあげることにします。
せっせと枯葉を集めて紙に包んだお芋を焼きます。
なんと珍しいことか、そんな私の姿をお師匠さまが見守ってくれているではありませんか!
でも、やけにお顔に力が入っているような……
もしや、これは私に課せられた重大な試練なのでは!?
弟子として日頃の修行の成果をお師匠さまに見せるときです。
私は目をつむり、指先に強く”燃えろ”念じます。
すると日々の鍛錬の賜か、なんだか指先がほんのりと熱を帯びてきたような気が……!
これはいけます、なんだかいけそうな気がします。
さあ、見ていてくださいお師匠さま、私の修行の成果を!!
……何も起きませんでした。
これにはきっとお師匠さまもお怒りです。
ああ……お顔に手を当てて、情けない弟子の姿に落胆していらっしゃいます。
ハッ! でも私って……いったい、いつ妖術の修行をしているんでしょうか?
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結局、火はお師匠さまが指先ひとつで点けてくださいました。
肩に無言で手を置かれたとき、お師匠さまの落胆が伝わってきたようで、自分の不甲斐なさに涙が出てしまいそうです。
それはさておき、紆余曲折はあったもののやっと焼き芋が焼けました。
しかし残念なことに、お芋は蔵の中にひとつだけしかなかったのです。
というわけで、この焼き芋はお師匠さまの分、私の分はありません……
それにしても、なんと誘惑的なのことでしょう。
煙を伝う焼き芋の甘い香りが私の鼻孔をくすぐるたびに、口の中によだれが溢れてきます。
そして、あのホクホクとした身の黄金色だこと。
最高の焼き加減に私は自分で自分を褒めてあげたいくらいです。
でも、私の分はありません……とか思いつつちょっとだけお師匠さまの方を見つめてみます。
「あむっと……うむ、美味い!」
そのとき、もうお芋はすべて、お師匠さまのお腹の中でした……
「うっ……うっ……お師匠さまのイジワルーーー────!!」
そう叫び、全速力で部屋に戻った私は、布団の中で枕を濡らしました。
8
今日は早朝からお師匠さまがひとりでお出かけになられました。
なんだかご機嫌斜めだったのは私の気のせいでしょうか。
お師匠さまがお留守だからといっても私のすることに変わりはありません。
お食事の用意と、境内の掃除は私の修行の一環なんですから。
お昼を過ぎてもお師匠さまは、お帰りにはなられませんでした。
べ、別にさみしくなんてありません。
でもいつお師匠さまが帰ってきてもいいように、正面のお掃除は念入りにしておきましょう。
私が外に出ると、見知らぬ男の人たちが、正面に三人ほど集まっていました。
参拝客の方? それともお師匠さまのお知り合いでしょうか?
少し人相の悪そうな人たちでしたが、人を見た目で判断するなど言語道断です。
「あの、なにかご用でしょうか?」
私は御用件をうかがいます。
「お嬢ちゃん、ここには紅龍玉っていうお宝があるって聞いたんだが本当か?」
私は、はいと頷きます。
「お嬢ちゃんの他には誰かいるのかな?」
私は、いいえと首を横にふります。
「そうかい。ならよかった」
「あの、それはどういう……」
「──こういうことだ!!」
私の未熟さは今に始まったことではありません。
しかしこれほど己の未熟さを恨めしいと思ったことはありませんでした。
私ひとりでは私の使命を、役目を……大切なモノを何ひとつ守ることができなかったのですから……
”ごめ……んなさい…………お……ししょ……う……さま……”
9
”──どうした? そんな傷だらけで。獣にでも襲われたか?”
”その……実は……”
”なに? 石段から転げ落ちた? どこまで間抜けなんだお前は”
”面目ありません……”
”ったく、しょうがない。ちょっと待ってろ”
”いったいなんですか、その葉っぱは?”
”これはな、神聖樹という樹木になる便利な葉だ。こうして怪我した奴の身体に一枚葉をつけて、魔力を流してやれば……”
”す、すごいです! 私の怪我がみるみるうちに消えていきます”
”神聖樹は生物の命を吸って、成長すると言われるほど生命力に溢れている。葉の一枚一枚に人間ひとり分の大怪我を完治させる力が宿るほどにな。入手が困難なのと一度魔力を流すと枯れて使いまわせないのが欠点だが”
”そ、そんな高価なものを私のためなんかに使って、よろしかったのでしょうか?”
”どうせ人からのもらいもんだ。怪我が治ったのならさっさと雑用……じゃなかった修行に戻れ”
”は、はい。ありがとうございました、お師匠さま────”
10
────ッ!?
「よう、おはよう辰子。やっとお目覚めか」
ふと、目を覚ました私の顔をお師匠さまが上から覗き込んでいました。
「お、おはようございます、お師匠さま……あ、あれ私……」
私はたしか……悪党さんたちから紅龍玉を守ろうとして……それで……
「師匠を差し置いて、ひとり惰眠をむさぼるとは、いい身分だな」
身体が痛くて……お寺に火をつけられて……
「……私、たしかに怪我をしていたはずなのに……お寺も元に戻っています……紅龍玉も……」
「何を寝ぼけたことをぬかしている。夢でも見ていたんじゃないのか?」
夢……? 私はひとりで悪夢を見ていたとでもいうのでしょうか……?
それにしてはずいぶん現実的で……怖い夢だったような……
「目が覚めたのなら、さっさと飯を作ってくれ。腹が減ってかなわん」
「は、はい」
そう言って、立ち上がろうとしたとき、私は自分が何かをギュッと握りしめていることに気がつきました。
手を開いてみると、そこには枯れて、ボロボロになった一枚の葉っぱが。
これはたしか、神聖樹の葉……
「お師匠さま!」
「あん?」
「申し訳ありませんでした!!」
あれが全て夢でなかったと悟った私は、お師匠さまに対して深く頭を下げました。
「ひとりで紅龍玉を守れなかったばかりか、お師匠さまのお手を煩わせることになってしまい……私は……私は……」
謝って住むことではないのかもしれません。
もしかしたら、ここを追い出されてしまうかもしれません。
「顔を上げろ」
「し、しかし、お師匠さまにお顔向けすることが……」
「いいから上げろ」
「は──痛ッ!!」
言われたとおり、顔を上げた私にお師匠さまはいきなりデコピンをしてきました。
「まったくだ。ふがいないにもほどがあるぞ。野盗如きに後れをとるとは、お前はここで毎日何をしている」
「面目次第もございません」
「だが、まあその……なんだ」
「…………?」
「ひとりでよく頑張ったな、辰子」
ポンと私の頭の上に手を乗せ、お師匠さまはそうおっしゃってくださいました。
なんともありがたいお言葉でしょうか……不肖辰子、嬉しさのあまり涙が出てしまいそうです。
「だが調子に乗るなよ。明日からは二度と今日みたいなことがないように本格的に鍛え直してやる。覚悟しておけ」
「は、はい! 肝に銘じておきます」
私のお師匠さまは少し変わった人です。
いつも、ぐーたらでめんどくさがりで意地悪で……
「はぁ……」
「お師匠さま? どうかなさいましたか?」
少し変わったお人ですけれど……
「なんでもない。そういえば、今日は出先で美味い苺大福を土産にもらったから、食後のおやつにでも食うぞ────ふたりで半分づつな」
「──はい! お師匠さまっ!!」
そんなお師匠さまが私は大好きです!!