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自販機の幽霊

 いくら酔っていたといえ、あれは見間違えだとは思わない。


「昨日、飲んだじゃん。その帰りに、自販機でジュースを買おうとお金を入れたのね。そして取り出し口に手を入れてジュースを取り出そうとしたら、その手を誰かが掴んだの」

「なに? イケメンが隣にいたってこと?」


 昼食時間に同僚のOLと話している。


「違うのよ! 自販機の中で手を掴まれたような気がしたの!」

「まさかぁ」


 同僚は小馬鹿にしたように笑った。


「本当なのよ! で、思わずジュースを握った手を思いっきり引っ張ったら自販機の中から手が、こういう風に、にゅるっと出てきたのよ」


 腕をまくり、手を下から伸ばすようなジェスチャーで、どんなに気持ち悪かったか伝える。


「まさかぁ。自販機の中に人がいたっていうの? 酔ってたんじゃないの?」

「確かに酔ってたけど、でもあれは見間違えじゃないわ」

「で、ジュースはどうなったのよ」


 本題はそこじゃないと心の中でつっこみながら私は返した。


「引っ張った勢いで放り投げてしまったわ。そして道路に転がっていたわ」

「良かったじゃん。ちゃんとジュースを持ち帰ることができて」


 どうやら同僚は気持ちの悪い手の話しは信じてくれないようだ。

 普通に考えたら、あり得ない話だ。

 信じられないのも無理はない。

 しかし、それでも信じて欲しい。


「ジュースの話じゃなくて、自販機から手が出てきたのよ。おかしいと思わない? 怖くない?」

「だから、あなた酔っていたのよ」


 確かに昨日は飲んでいた。

 だが、記憶が無くなるまで、二日酔いになるほどは飲んでいない。

 独身OLの愚痴を話して、同僚とは分れたのだ。

 イケメンと出会いたいたいとか、イケメンがいそうな職場はどこかとか、そんな話をしたのはちゃんと記憶にある。


 同僚に話をしても一向にらちがあかない。

 これはもう一度その自販機に行って確かめていみる必要があると思った。


 6時に退社して、例の自販機のところまで来た。

 もう一度手を掴まれたりするのは嫌なので、外から中の様子を観察する。


 特に変わったことのない普通の自販機だ。

 取り出し口のところの半透明のプラスチックの部分も、その奥のジュースが落ちてくる取り出し口もちゃんとある。

 そこに人が入る余地は全くない。


 私は何もない取り出し口の蓋を押して中を見てみる。

 当たり前だが、金属の受け取り口があるだけだ。


 恐る恐る手を入れてみたが、至って普通の自販機だった。


 普通に考えて、自販機から手が出てくるなんてあり得ない。

 あり得ないからこそ、私はあそこまで驚いたんだ。


 それから私は毎日そこの自販機を観察するようになった。


 しかし、あれ以来自販機から手が出てくるという異常なことはなく、自分の方が間違っていたのではないかという思いもしてきた。


 久しぶりの飲み会があり、帰りが12時近くになったとき、例の自販機の前で、一人の青年が自販機をバンバンと叩いていた。


「くそっ! 返しやがれ」


「どうしたんですか?」


 思わず声を掛けてしまった。

 振り返った顔は、周りが暗くてよく見えないが、イケメンぽかった。


「いやー、釣銭が出て来なくて、困ってたんですよ。80円なんですが、悔しいじゃないですか」

「そうなんですか。私が買っても良いですか?」

「釣銭出ないみたいですけど、どうぞ」


 青年は場所を空けて、一歩離れた位置で缶コーヒーを開けて飲みだした。


 120円を入れてジュースのボタンを押す。


 ガゴン! と落ちる音がして、中のジュースを取り出そうと左手を差し入れた。

 缶を取り上げるとき、手首を何者かに掴まれた。


「ひぃっ」


 思わず手を引っ込めようとしたが、以前と違いしっかりと掴まれ簡単には取れない。

 その力は強く逆に自販機の中に引っ張られた。


「きゃぁぁっぁ!」


 ずるずると引っ張られ肩口まですでに自販機の中に腕が入ってしまっている。

 自販機の底はどうなっているのか分らないが、とにかく腕は自販機の中に引きずり込まれていく。


「助けてー!」


 さっきの青年に向かって叫ぶ。

 青年は何事かと振り返り、駆け寄ってきた。


「手が、誰かに引っ張られて……」


 最後まで聞かずに、青年は肩を掴み私を引っ張ってくれた。


 肘まで抜けたが、依然手首は誰か(・・)に掴まれたままだ。


「もうちょっとだ。がんばれ!」

「はい!」


 やっとのことで手首が見えてきたら、手首を掴んでいるのは、はっきり人間の手に見えた。


「こいつが原因か!」


 青年は逆に、私を掴んでいる手の手首を持つと、ずるずると引きずり出した。


 狭いはずの自販機の取り出し口から人が出てきた。

 青白い顔の男が立ち上がり、ボサボサの髪を振り乱し私に向かって襲い掛かってきた。


 体は硬くなり、反応できない。

 もうダメだと思ったとき、青年が横から右ストレートで顔面を打ち抜いた。


 自販機から出てきた男はよろよろと後ずさり、それでも倒れないように踏ん張った。

 青年は顔の前で拳を作り、追い打ちをかけんと間合いを詰め、顔面に2発のジャブを当てた。

 打たれた方はたまらず、両腕を顔の前に上げ、顔面を守ろうとした。

 そこを狙ったかのように青年が、がら空きのボディに左のブローを叩きこんだ。

 自販機から出てきた男は苦しそうに崩れ落ちた。


「左を制する者は世界を制す! 急々如律令きゅうきゅうにょりつりょう! 悪・霊・退・散!!」


 青年の右手が青白く光り出し、膝をついてうずくまっている男をさらに殴った。

 その光は男に燃え移り、青い炎と共に消えていった。


 私はわけも分らず、その光景をただ見ているだけだった。

 自販機の方からジャラジャラと音がしている。

 恐る恐るそちらを見る。

 体は硬くほとんど動かせない。


「お、ラッキー。 80円以上帰ってきた。まぁ、貰っても罰は当たらんだろ」


 青年は返金口から小銭を取り出しポケットに詰めていた。


「あ、あの、助けてくれてありがとうございました」

「あぁ、これからは気をつけるんだよ」


 あんな幽霊にどうやって気をつければよいのか、と心の中でつっこみながら、青年をよく見るとイケメンである。


「あの、良ければ、お名前を教えてもらえませんか?」

「俺は陰陽師のJって言う」

「よければ、お友達になっていただけませんか?」

「修行中の身なれば、名を語るだけで勘弁願いたい」


 そう言い残してイケメンは去って行った。

 陰陽師ってすごい。私は尊敬せずにはいられなかった。

「左を制する者は世界を制す」とは、ボクシングにおいては、ジャブの技術に長けた選手が、試合における優勢、ひいては世界最強の座を手にするとする格言。基本的な技とされる左ジャブ、あるいは左ジャブに象徴される基礎的な技術の重要性を説く言葉である。なお、ここでいう「左」は右利きの選手を想定している。

出典 weblio辞書


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