第1章 1
私が店の裏口から事務室に入るなり、大庭の声が響く。
「茉子ちゃーん、おはよーう。」
大庭が来てからこの方、ずっとこんな調子で絡まれている。この店の同期が私しかいないのもあるが、大庭は意外にも後輩に緊張してしまうタイプらしい。
大庭は、二駅隣の店舗からの応援でこの店に来ている。人が抜けたのを埋めることと、新人が慣れるまでの期間を含めた三か月限定だ。
色々な意味において有名人である大庭の被害に私は遭っていないし直接見たこともない。だから、噂で聞くよりも大人しい人、という印象を持って接している。
「しっかし眠いなー」
大庭は思いっきり伸びをしながら欠伸をした。
「それは当たり前でしょう、あの後ちゃんと帰れたの?」
私はなぜ大庭が眠そうにしているかを知っている。昨夜の大庭の晩酌の間のメール相手に選ばれたからだ。こちらが寝ようとしているところに大迷惑だったが、許してあげようと思う。
「うーん?ところで茉子ちゃん映画行こうよ、映画。」
人の話を聞かないのはいつものこと。私も大庭の話を広げさせておいていつも聞いていないからお互い様だ。
「映画?なんかこの前も言ってたよね。何か見たいのあるの?」
「いや、特に。取りあえず映画見たい」
「なるほど。じゃあ今度行こう」
「えー今度?そこは『今すぐ』って言ってくれたら嬉しいのに」
「いや、今すぐは現実的に無理」
だってこれからアルバイトだし。ところが、相手は大庭だ。
「現実とか考えちゃだめだよ」
さすが文学部。浮世離れしている。これで長男というから、大庭家の将来が心配だ。
その時、店長が私と大庭を呼ぶのが聞こえて、二人で顔を見合わせて慌てて店に駆けていく。