第8話 開花のウラガワ
お待たせしました
(閃太郎さん、俺ツエーが出来て気持ちがいいんですよね)
(……別に)
(ああ、やっぱり楽しかったんですか。というか、意外に鬱憤が溜まっていたんですね)
(……別に)
人の気持ちを、勝手に推し量るな。
歩みを進めていた閃太郎の脳内で閃太郎とは別の、少女の声が響く。
それは閃太郎の幻聴ではない……妄想の産物ではない、はずだ。
閃太郎の脳内だけにいる少女の名は、サイファー。
なんぞの対話インターフェイスらしいが、2ヶ月以上を経た今でも彼女の存在は良くわからない。
(まあいいです。愚鈍な閃太郎さんですが、その精神強度だけは、褒めてあげてもいいかも知れませんね)
人の精神に間借りしている分際で、ずいぶんとまあ慇懃無礼なことだ。残念美少女だ。
(だけとはなんだ、だけとは)
(精神世界で何百倍にも引き伸ばされた時間の中で苛め抜かれているにもかかわらず、精神を磨耗させずに平静でいられるのは、常人とは言いがたいでしょう。常識的に考えて)
(……別に、普通だろう)
(うわ……本気で言っているのだとしたら、ちょっと引きます)
(……知らんがな)
閃太郎が、3ヶ月目にしてミハイルやタキジを圧倒できた理由。
端からみれば、急激に才能を開花させたとしか見えない変化。
それは、精神世界での訓練によるものだった。
寝ている間、その時間を何百倍にも引き延ばした状態で、閃太郎は自らを苛め抜いたのだ。
どういうわけか身体は出来上がっている閃太郎は、しかし、その扱いがまったくなっておらず、持て余していた。
さらに体内に渦巻くという無限のごとき錬気も、閃太郎にはこれといった自覚もなかった。
素材はいい、下地はあるのだ。
故に必要なのは、出来るという感覚。身体を動かす理想的なイメージである。
体感時間で長い期間をかけて、ミハイルたちから教えられる所作とその骨子の一つ一つを遅くとも確実に頭に刻み込み、現実ではそれを齟齬なく体で再現する。
そうして頭の中に刻まれたイメージと体がマッチしたのが、つい先日のこと。
ようやく閃太郎は、ミハイルたちから一本を取れるようになったのだ。
(閃太郎さんが泣いてすがってくるからしょうがなく私が手助けしてあげたのに、ちょっと態度が冷たくないですか)
(別に。これが素だ。邪険になどしていない。それに……泣いては、いなかったぞ)
***
閃太郎は愚鈍で鈍感だが、流石に何の成果も見られないとなれば焦りもした。
里の達人どもは、閃太郎を里に置く条件として訓練を課している。
その背景は見えないが、理由は閃太郎にもわかるほど明白。
暁モモを守らせるためだ。
のどかそのものの隠れ里。外敵といえば森の獣、魔物の類に限定されるし、それだって里の中にいれば結界が阻むのだから、なにを心配することがあろうか。
だが、里の偏った年齢層、さらには例外なくエキスパートが揃っているという事実は、そこにやんごとない事情が存在しているのは明らかだった。
知らないのは、モモと閃太郎だけ。
モモにだって知る権利はあるだろうし、閃太郎だって、強くなる理由は欲しい。
――だったら、聞き出してやる。
里の住人に嫌でも閃太郎を認めさせ、その上でモモのことを聞き出す。
そのためには里の誰もが閃太郎に太刀打ちできなくなるまでに強くならねばなるまい。
まさに脳筋、一足飛びに閃太郎はそう考えた。
問題はその方法。残念ながら閃太郎には学は無いし、老人達から与えられる課題はまったくモノにならない。
一朝一夕で身につく強さや知力などというものはたいていの場合幻想でしかないのだが、閃太郎はそれでも早急に強くなる必要があると感じていた。
何故かはわからない。だが、拙速を求めていた。
一ヶ月が過ぎて、ただ耐えるだけの日々を続けていたとき、
(愚図、愚鈍な上に愚痴愚痴と……いい加減、寝ていられなくなりました)
閃太郎の心の内に、可憐な少女の声が聞こえてきた。
(……えっと、何、これ。とうとう幻聴が聞こえてくるとか、ちょっと僕も参っているかもしれない)
(幻聴ではありませんよ)
(……誰?)
(ちょ……忘れているとか! マスター……閃太郎さんの命を救ったのは私ですのに……セミスリープに入っていても、体のメンテナンスはしていたのに……!)
(……ごめん、本当に、わからん)
閃太郎には、こんな可憐な声の少女なんぞ、モモ意外には思いつかなかった。
(…………)
(あ、聞こえなくなった。やっぱり幻聴か)
(違いますっ! たった一ヶ月前のことも忘れているとか、ないです、ありえないです。ここまでノータリンとは思いもしませんでした。やはり、装着者支援ユニットたる私が支援をせねばならないようですね。まったく自由だどうのと言っておいて、結局道具としての私に頼らざるをえないなんて……やっぱり愚図ですね、マ……閃太郎さんは)
よくわからないが。
閃太郎を置いてけぼりにして、少女は一人納得し、何事かを呟いていた。
(閃太郎さんは、強くなりたいんですよね?)
少女が閃太郎に問う。だがそれは確認の色合いが濃いものだった。
(そりゃあ、まあ)
(どうして、そんなに? 深層意識で願うほどのことですか?)
(強くならなきゃ、あの人たちにお礼参りできないではないか)
(え……そんな不純な動機で?)
(貰ったものは、ちゃんと返さなければならないだろう。彼らは少なくない時間を、僕に割いているのだから)
(……ズレてますね、閃太郎さんは)
(……知らん。僕には記憶がない。指標なんて持ち合わせがないんだ)
(まぁ……地球人であろうがなかろうが、あなたのようなメンタルの人はそうはいないと思いますけどね)
失礼な。自分ほど常識人で、善良な一般人もおるまいよ。
まあ記憶はないのだけれど。
(……それに、モモがもし、僕の憶測ではなく、本当に何かに狙われているような存在だとしたら、守らなければならない。そのためには、今の僕では弱すぎる。最低限、あの老人達を軽くひねるぐらいにはならないと駄目だろう)
(あの少女のために、里の誰よりも強くなるんですか?)
(そうだ)
(里を出るためではなく? 誰よりも強いのなら、貴方を止められる人間はいないということ。つまり、里を自由に出られるのに?)
(……その発想は無かった)
(……うわ。そんなにあの少女が好きなんですか、おっぱい星人)
ちょっとまて。どうしてお前が、僕がモモのおっぱいを崇拝していることを知っている?
いや、そうではなく。
(……そんなんじゃない。彼女には恩がある。そして、彼女の笑顔が曇るのなら……それは我慢がならない。ただ、それだけだ)
(かっこいいことをキメ顔でいったつもりなんでしょうが気持ち悪いですよ。そんな極悪な目つきで言われても)
(うるさいよ)
(……閃太郎さん、貴方は最上級の愚か者です。そしてそんな人をこそ支援するのが、私の役目)
(……ぁ)
少女の声から、遊びが消えた。馬鹿にするような態度も、閃太郎を嘲るような全てが無くなった声音だ。
(私が、貴方を強くします。貴方が意志を貫き通せるように。愚かなまま、愚か故の最高の未来を掴んでいただくために)
(どうやって)
(それは実際に体験してもらえば、わかるでしょう。カリキュラムはこちらで組みます。幸い閃太郎さんの体のポテンシャルは大したものですので、足りないのは出来るという絶対の自信、イマジネイションですから。それではまた、夢の中で会いましょう、閃太郎さん)
(……ところで結局、君は誰だ?)
(……サイファーです。ノータリンの貴方は、今は名前だけでも覚えてくれれば重畳でしょうね、ではまた)
そこからぴたりと、頭の中の声は聞こえなくなった。
「ああ、あの女の子か」
やっとそこで、閃太郎は、思い出した。白銀の髪をしたぺったん少女を。
***
結界の範囲内とはいえ、気絶した女性を森の中でそのまま寝かせるのも不味いと思った閃太郎は、ぴたりとしたエロいニンジャスーツを着込んだ美熟女、エリナリーゼを内心ドキドキ、しかし顔色一つ変えず村まで運んでから、最難関たるゲンジュウロウの元を目指した。
ゲンジュウロウが「荒野」と呼ばれる草木一つ生えない土地だ。
高位オンミョウシャーマンの戦場における役割は、砲台。
大規模火力による後方支援、そして殲滅だ。
それを可能とする術式に、閃太郎は挑むことになる。
(生身で挑むには本来であれば、無謀とも言える相手です。しかし今の閃太郎さんであれば、問題ありません。派手に行きましょう)
サイファーの心強い言葉が、歩く閃太郎の頭の中に響いた。
「地味でいい、勝てれば」
頼りになるのは、己の五体と錬気法、そして頭の中で戦況を分析し、サポートしてくれる脳内の住人、サイファーだ。
彼女は口は悪いけれど、体感時間で数十年以上に及ぶ交流の中で、閃太郎は彼女を信頼に値する人物であると確信している。
その彼女が言うのだから、きっと大丈夫。
「きたか、センタロウ」
「はい」
「その強さが開花した理由については、後で詳しく聞かせてもらおう。そして、お前はここまでだ」
ゲンジュウロウが手で印を組む。
「ノウマク サラバタタ ギャテイビャク サラバボッケイビャク サラバタタラタ センダマカロシャダ ケンギャキギャキ サラバビギナン ウンタラタ カンマン」
続けて、紡がれる詠唱。
(不動明王の火界呪ですね。地球での真言と同じ意味ではないのでしょうが、その傾向は変わりません。つまり、相手の召喚対象は――火の精霊)
地球のあらゆる知識に精通するサイファーの解説。
オンミョウマジックは、その語感から地球での陰陽術が基礎にあるのは明らかだ。
本来の意味からかけ離れ、形式だけが残ったようなオンミョウマジックだが、起こす現象が結果として同じなら行使する側としては構わないということだ。
言うなれば、白物家電のメーカーの違いでしかないのだ。
「顕現せよ……フェニックス!」
完成するオンミョウマジック。空中に光で描かれた陣から抜け出したのは、炎の身体を持つ巨大な怪鳥だ。
フェニックス。不死鳥とも称されるソレを、ゲンジュウロウは呼び出したのだ。
(ルーツがごちゃ混ぜですね、この世界。恐らく源流は四聖、南の朱雀。まあ見た目は確かに火の鳥でイメージは共通ですが)
ルーツに突っ込むのは、センタロウも通った道。
今重要なのは、その脅威度だ。
空を飛ぶ、上をとられるというだけでその位置的なアドバンテージは絶対。
炎を飛ばす、おまけに火力は絶大。故に触れることは愚か、掠めるだけでもダメージは必至。
精霊、つまりは魔力体。実体ではないが故に、物理的な殴る蹴るではどうしようもない。
統合すれば、危険度Aランク。あのフェニックスという火の怪鳥は、機動力、火力、防御力すべて備わった厄介な戦術兵器なのだ。
本来、戦場におけるオンミョウシャーマンとの対戦では、基本的に術を発動させるかさせないかの二つに一つ。
それを術の発動は相手の好きにさせるというハンディを与えた上で、正面決戦とは正気の沙汰ではない。
地球では竹槍で戦闘機を落としたという伝説があるが、閃太郎がやるのは、それにも等しい偉業だ。
(全攻撃に、理力をつぎ込んだ攻撃で無ければなりません。力配分は私がアシストしますので、閃太郎さんは感じるままに)
錬気法で生み出した力のことを、サイファーは理力と言う。その違いが何かは彼女は深く語ろうとはしないが、力は所詮力でしかないのだから、閃太郎もそれ以上は考えない。
「行くぞ、サイファー」
「GYAAAAAAAAAAAAA!!」
フェニックスが、甲高い咆哮をもって炎を放った。
文字通り、火蓋は切って落とされたのだ。




