第6話 荒地に咲き始めた花
風間閃太郎が異世界ディーに迷い込んで、早三ヶ月が過ぎ去ろうとしていた。
***
「「いただきます」」
――幸せってのは、こういうことなんだろうなあ。
閃太郎とモモ、二人で囲む食卓で閃太郎は感慨深く心中で呟いた。
彼ら二人は、周りの反対を(モモが)押し切って、里の外れに工房を移し、小屋を建て同居を始めた。
巨乳美少女との二人暮らしとは、なんとも贅沢な話である。
そして、色々小言を言われつつも、閃太郎は正式に里の住人となった。
相変わらず鍛錬は続くし、田畑の開墾は一任されているけれど、里の人間の視線から敵意がある程度消えただけでも、閃太郎には居心地が良かった。
「はい、センタくん、卵焼きだよー。あーん」
「……」
「ちょっとー、私の卵焼きが食べられないって言うの?」
「い、いや、違うけど」
「だったら……はい、はーん」
「……あーん」
――やべえ、萌え死ぬ。しょっぱくても甘いや。
傍から見れば、美少女からのはい、あーんなど、撲滅すべきリア充以外の何者でもないだろう。
だが、手の平返しが早いのも閃太郎の特徴である。
「うまい」
「えへへ、ありがと」
ああ、絶対に今までこんな経験は無かった。記憶はないけど間違いない。
今まさに、閃太郎は春の真っ只中にいた。
さて、そもそもどうして二人が、こんな同居を始めることになったのか。
それは、数ヶ月前、シンに仕掛けられた【点穴解法】を受けた翌日にさかのぼる。
***
「センタくんは何も思わないの!? あんなことをされて!」
「いや……まあ……なんというか」
怒り心頭といった具合のモモに閃太郎は気圧された。
モモの工房に担ぎ込まれ、意識を取り戻した閃太郎は、モモに事のあらましを伝えたのだが。
「シンさんが、センタくんに危険な術を使うなんて! いくらなんでもあんまりだよ」
「……まあ、僕が得体の知れない奴だっていうのは、その通りだから。記憶も無いし」
「だからって、何をされてもいいっていうのは、間違ってるよ!」
「……」
モモの言うことは正しいのだろう。事実、今回の激痛は、今までのソレとは質も量も桁違いだった。
閃太郎は、自分の髪に固まった血がこびりついているのを触って実感を得た。
着ている服も、全身に赤いしみが作られていた。
にもかかわらず、今の閃太郎が無事なのは、あのサイファーと名乗る少女のおかげなのだろうか。
安定がどうのと、言っていた気はするが。
「ちょっと、センタくん。聞いてるの?」
「……聞いているよ、モモ」
「センタくんがそんなんじゃ、とりあえずシンさんのところに住むのは駄目ね。センタくんってば危機感薄いから、またシンさんに無茶を頼まれても断れなさそうだし」
「…………」
まあ、そのとおりだから困る。
それに、なんだかんだいっても衣食住を提供してくれているのは、シンこと萩原シンサックなのだから。
恩もあるし、ある程度の信頼だってある。そして閃太郎について一番に心情的に寄り添ってくれたのはシンだったのだから。
「だからもういっそのこと、シンさんとは離れて、私と一緒に住むのがいいと思うの」
「っ!」
モモの仰天発言に閃太郎は思わず立ち上がった。
「え? なに!?」
「な、なん……だと……?」
一緒に住む? 閃太郎と、誰が?
おいおい、冗談はやめてくれ。そんなのおかしいよ。
この風間閃太郎に、美少女と同衾する度胸があると?
そもそもそんな機会が巡ってくること自体が不可解だ。
「モモ……もう一度、言ってくれ……」
「え……?」
「早く!!」
閃太郎は、思わず語気を強めていた。
夢なら醒めないで欲しいから!
「えっと……だから、もういっそのこと私と一緒に住むほうがいいとおも――」
「よろしくお願いします!!」
閃太郎はジャンピング五体投地を決めた。
言質はとった。ならば、このチャンス逃す気はない。
「セ、センタくん……怖いよ……」
何を言っているんだモモ。僕は今、こんなに晴れやかな気分だというのに。
――閃太郎の笑みは、悪童羅刹のソレになっていた。
***
以上、回想終了。
閃太郎、以って幸せの絶頂である。
「センタくん、センタくんがはじめに着ていた服だけど、もうそうそろ修繕が終わりそうだよ」
モモが告げた。閃太郎が着ていたブレザーその他一式は、閃太郎が地球人であることを証明するものだ。
そして一張羅でもあるが故に、手先の器用なモモに修繕をお願いしていたのだ。
「そうか、ありがとう、モモ」
「ううん、こっちこそ遅くなってゴメンね。布の生成とか、機能付加とか、張り切りすぎてすっかり大掛かりになっちゃったから」
「……うん。まあ、遅くなったのはかまわない、けど」
機能付加って、僕の服に何を仕込んだ?
そういってやりたいのは山々だが、彼女にある種のスイッチが入ると、話が止まらなくなるので、閃太郎は発言を控えた。
流石に2ヶ月近くも一緒に住めば、その程度は学習する。
ラッキースケベはいつまで経っても学習できないけどな!
「それで今日はどんなご予定?」
モモが聞いてくる。
「いつもの」
とだけ閃太郎は答えると、
「わかった」
とだけ返ってくる。なれたものだ。
閃太郎は手早く食べ終えた朝食を片付けると、外行き用の和装に着替えた。
「じゃあ、行って来ます」
「はい、行ってらっしゃい」
見送ってくれる美少女がいるというのは、とても幸せだと、閃太郎は思った。
尚、閃太郎の危機を知らせるために、閃太郎はモモに発信機を持たされていた。
***
「よう、来たか」
「はい」
家を出た閃太郎が向かったのは、サムライマスター、着流し銀髪ミドル、川戸ミハイルのところだ。
すでに屋敷から出ていたミハイルは、刃をつぶした大太刀二本を手に、閃太郎の到着を待ち構えていたのだ。
「じゃあ、早速やるか」
ミハイルは、大太刀を閃太郎に投げて寄越した。
「お願いします」
「これ以上は、不覚は取らないぞ」
「……お願いします」
互いに鞘から大太刀を引き抜く。
「つぇああああ!!」
裂帛の猿叫、神速に届く踏み込みから、ミハイルは袈裟切りに剣戟を放った。
「疾っ」
悠然と構えていた閃太郎は、ミハイルの剣戟を正面から受け止めた。
「くっ」
「…………」
ミハイルの太刀筋を見切っていればこその受けの技術だ。
「なんのおおおお!!」
立て続けに放たれるミハイルの剣戟を、しかし閃太郎は刃筋を立たせずに捌いてみせる。
鍛え上げられた手首と足腰、そしてしなやかさと安定感のある体幹があればこその防御だ。
「――風間よ、本気を出せ」
ミハイルの構えが刀を横に寝かせた青眼へと変わる。
「……では、7割で」
そして閃太郎の防御は、そこから質が変わる。
「キェエエエエエエエエエ!!」
激昂したかのようなミハイルの打ち込みが更に激しさを増す。
「……ふっ」
だが閃太郎は動じない。息も乱さない。
そして、ミハイルの今日一番剣戟が振り下ろされたとき、
「……ふっ」
「ぬおおっ」
ミハイルの剣戟が、閃太郎の受けによって大きく逸らされ、ミハイルのバランスが崩れた。
「まだまだーー!!」
だが、流石にサムライマスター。すぐに体勢を立て直し、閃太郎に再度切りかかる。
これを閃太郎は、またもや逸らす。
何度と繰り返しているうちに、攻防の図はいつの間にか逆転しており、閃太郎の剣戟を、ミハイルが受けるようになっていた。
徐々に閃太郎の剣戟の回転が上がっていく。
もはやミハイルは、刃を合わせるだけで精一杯になり、
「しまっ……!」
ミハイルは大太刀を弾き飛ばされた。
そしてその隙を閃太郎がつき、
「ぐあっ」
「……」
閃太郎は柄頭をミハイルの心窩に突き当てると、そこからコンビネーションで、掌底を顔面に打ち込んだ
「……っ!」
吹き飛ばされるミハイル。
すぐに起き上がろうとするも、
「僕の、勝ちです」
ミハイルは、自身を見下ろす閃太郎から、喉元に切っ先を突きつけられていた。
「…………くそ、負けだ、負け」
悔しげにミハイルは降参した。
「ありがとうございました」
魔導法や錬気法との合わせ業を使わない稽古とはいえ、老いたサムライマスターは、閃太郎に敗北したのである。
「力も業も、よもや完全に超えられるとはな」
「……じゃあ、僕はこれで」
刀を鞘に納めて地面に置くと、閃太郎はミハイルを背に歩き出した。
***
「……泣き言など聞くつもりはないということか。まったく、とんでもない成長をしたものだ。風間センタロウ」
通算成績、87勝と2敗。
ミハイルの方が圧倒的に勝っているし、事実、侍としての技量を遺憾なく発揮して、ミハイルは、閃太郎を叩きのめし続けた。
3ヶ月前までの【木偶の坊】と比較して、ミハイルは、去っていく閃太郎の背中を見て苦笑した。
「狙ってやっていたのなら、大した胆力だ」
打ち所が悪ければ致命の攻撃の数々を身体に刻み、覚えこませる。
高位の魔導法を前提にした治療と元の肉体の頑健さがなければ不可能なことである。
だがそれは、才能のある人間のすることであって、閃太郎のような、戦いに何の才能もない男のやることではない。
ミハイルたちの見切りは、誤っていたのか?
多くの達人、荒武者ども屠り、生き残り続けてきた歴戦の古強者の経験と勘も宛にならないのか?
しかしながら、唯一つ言えることは。
「歩く姿は鬼神の如く、だったか? ……その通りではないか」
風間閃太郎の3ヶ月にも及ぶ苦行が、まさかの花を咲かせ始めたということだ。
これより先、タキジにエリナリーゼなども、二度目の敗北を味わうのだろうか。
ミハイルは、天を仰いでぼんやりとそんなことを考えていた。




