第5話 天へと昇れ、我が生涯に一片の悔いなし
身体に感じる浮遊感。
川の中にいるように、一定の流れを感じる。
流れに身を任せる分には楽だが、抗おうとすれば、途端に重く身体を縛り付ける。
――ああ、これは夢か。
そう認識したとき、閃太郎は夢の中で意識を目覚めさせる。
意識的に見るそれは、明晰夢と呼ばれ、訓練すれば無敵の万能感を得られることも出来るらしい。
「君は、誰だ」
その明晰夢の中、閃太郎は一人の少女と対峙していた。
水の流れに背を向けている少女は、絹糸のような白銀の髪を腰まで伸ばしていて、しかも巫女服にも似た赤白の着物を着崩して肩を露出させているという扇情的な姿をしていた。
スレンダーで涼やかな切れ長の蒼い瞳が印象的な美少女である。
もっとも、胸の方はモモと比べるべくも無いが。
モモの果実が最高なのは、揺ぎ無い世界の真理である。ぐへへ。
「失礼ですね、このマスターは。死んだ魚のような目つきのマスターが何を人の乳房を評価しているんですか、いやらしい」
「うぐぅ」
「だから、気持ち悪いですよ」
「…………」
「都合が悪くなったらだんまりですか。ああ、そうですか。そういう方なんですね、マスターは。……ああ、どうしよう、失敗したかなあ……純粋地球人のDNAを確認したからっていささか性急すぎたかな……」
「…………な」
なんだ、この少女は。ちょっとかわいいからって、いきなり何様だ。しかも、人のことを指して失敗とか抜かしやがった。
夢であるだけに、閃太郎の感情の揺れ幅が大きくなっていた。夢だけに、少女に抱いた反感を平時よりも素直に出していた。だから、
「うっさい〇〇」
「…………は?」
言ってはならない種類の罵倒を少女に放った。普段なら、絶対に言わない種類の言葉を、閃太郎は言い放ったのだ。
自らをして人畜無害を称する閃太郎にしては、命知らずな物言いだ。
メンチを切る少女に、しかし閃太郎はまったく怯まない。
「確かに僕の目は死んでいる。顔も怖いというならその通り。都合が悪くなったら黙ることもあるだろう。だけど、お前みたいに、人のことを下に見て、欠点を挙げていい気になっている阿呆よりは、遥かにマシだ」
「な……」
少女は絶句した。下に見ている人間にここまで言われるとは思っていなかった、そんな顔をしている。
少女は拳をわなわなと震えさせるも、やがては脱力して先ほどまでの見下した表情をやめ、感情の色を消した。
「申し訳ございませんでした。私の浅慮ゆえ、不快な思いをさせてしまったことを、お詫びいたします」
ぺこりと少女は頭を下げたのだった。
この切り替えの早さはどうだろうと思いつつも、
「まあ……僕も酷いことを言ったし。おあいこということで」
閃太郎は自分の非を認めつつ、少女への溜飲を下げた。
こうも殊勝に頭を下げられては、毒気も抜かれるというものだ。
「それでは、マスター。早速ですが、承認を頂きたいと存じます」
「……そういえば、そんなようなことを、聞いた覚えがあるな。承認とは、何の?」
「無論、原生生物の殲滅の、です」
「……物騒なことを言う。というか、意味がわからんのだが」
「……マスターは地球の方ですよね……?」
閃太郎は頷いて肯定の意を示した。
「あれ……おかしいな……だったら、当然今がどういう状況かもわかっているはず……」
「すまんが、さっぱりわからん。君の中では、どういう状況になっているんだ?」
「え?」
「ん?」
「だって、マスターは地球の人で……戦争中で、私は、そのために生まれて……え?」
両者、共に認識のズレが著しい。
特に少女の狼狽振りは酷かった。取りとめも無い独り言を繰り返している。
先ほどまでの慇懃無礼で氷を思わせる態度は何処吹く風といった印象だ。
「とりあえず、僕が今知っている、状況とやらを話そう」
「……お、お願いします」
少女は、小さくなって閃太郎と向き合った。
何だこいつ、かわいいじゃねえか。
***
閃太郎は、自分が受けた説明を、そのまま目の前の少女にしてやった。
それは、暦のことだったり、ジャポン大陸のことだったり、錬気法や魔導法のことだったりだ。
「では、戦争などもなく……地球という言葉も、まったく伝わってすらいないと……?」
「……まあ。そういうことだ」
少女の言葉の端々に浮ぶ違和感が何なのか閃太郎にはわかりかねるが、どうも、この少女が言う地球というのも、閃太郎が思っている地球とはまた違うだろうということはわかった。
「はは……あはははははは」
少女は、乾いた笑みを浮かべた。
「機能停止から今まで数千年以上? 戦争はとっくに終わっていて? だったら、私の存在意義とは? これが笑わずにいられますか?」
「いや、だから意味がよく――」
「どうして、マスターはもっと早くに私を目覚めさせてくれなかったのです? どうして? どうして!」
泣きそうな顔をした少女が、閃太郎に詰め寄った。
その切羽詰った様子に、閃太郎もたじろいだ。
「……すみません。私としたことが。詮無いことを言いました」
少女は悲しげに微笑み、閃太郎から距離を置いた。
「よくわからんが…………見方を変えると今の君は自由ということだろう。なら良かったんじゃないか」
「良かった……? どこが! 生まれた目的を果たせないモノに何の価値があるというのですか! まして自由なんて! 自由とはつまり、何も出来ないということなんですよ! だって、私は道具なのですから! 道具は使われてこそ、意図された用途で使われてこそ本懐!」
「でも、君には感情がある」
「こんなのは、ただの模倣です。装着者との対話インターフェイスとして設定された擬似人格でしかありません」
難しいことを言う。だが、感情なんて、もっと単純なものなんだと、閃太郎は思う。
「……感情のないものが、自分の存在意義なんかに興味を持つものか」
「……え?」
「道具であるなら、モノであるなら。自分の存在意義がどうのと騒ぎ立てたりはしない。だって、道具は、物言わず、ただ黙って使われるだけだ」
「いえ、私は装着者を支援するために円滑なコミュニケーション能力を付与された――」
こうやって、いちいち否定をしてくる。そんな反応を示す奴の何処が――
「――僕が、そうだと言うんだから、そうなんだ。道具なら、その考えに口を挟むなよ」
「……えっと」
「反論の言葉が自然と出てくるのなら、君は、道具じゃない」
「……そう、なのでしょうか」
「迷いがある。逡巡がある。だったら、そういうことだろう。すぐに答えを出せないのなら、納得するまで考えれば、いいじゃないか。だって、君は自由なんだから」
夢に出てきた少女に、何を言っているんだろうと、閃太郎は思う。
いつにも増して饒舌に語れるのは、きっと、夢のせいだからだ。
「……今の私では、考えを出すには至りません。なので、私はセミスリープモードに入らせていただきます」
少女が言った。すると、少女の身体が、徐々に薄くなっていく。
「君、消えるの……?」
「消えるのではなく、マスターの深層領域に移動するだけです。今のマスターは、私の制御で安定していますから、どのみち離れるわけにはいきませんし……」
だから、自分にもわかるように、話して欲しいと、切に願う。
「それでは、失礼します、マスター。いえ、まだ、承認を頂いていませんから、マスターではありませんね」
「……閃太郎だ」
「え?」
閃太郎の口からついて出たのは、自分の名。消え行く少女に、閃太郎は、自分の名を残したのだ。
考えてのことじゃない。半ば、反射だった。
「風間、閃太郎。それが僕の名前だ」
閃太郎のぞんざいな口ぶりに、少女は苦笑を漏らした。
「ところで、君の名前は?」
そう、閃太郎が聞いたところで、少女の苦笑に呆れの色が混じった。何がいけないのか。
「……私は、装着者支援ユニット、サイファーです。これで名乗るのは2度目なんですから、もう覚えてください。あなたと言う人は、愚鈍なのですね、閃太郎さん」
少女が見せたぎこちない笑みを最後に、彼女の姿は霞のように消えていく。
そして水の流れは逆転し、閃太郎の背中を押した。
***
「ふんふふ~ん」
私は今日もセンタくんにお弁当を届けるところだった。
彼はいちいち大げさだ。
私の大したことのない料理に舌鼓をうち、絶賛する。
そして趣味であるところの自作の魔導具でも「モモはすごい、本当に……すごいなあ」と、褒めてくれる。
今まで、里の皆から可愛がられている延長で褒められてはいたけれど、純粋に敬意を向けてくるのは、センタくんがはじめてだ。
彼の反応が面白くて嬉しくて。
だから私は、彼に色々と世話を焼きたくなる。
今日はシンさんにつれられて行き先も告げずにどこかへ行ってしまったけれど、大丈夫。
彼に持たせている生体反応計測機からでている波動を探知すれば、彼の位置はすぐに知れるのだから。
彼にそんな物を持たせているのはゲン爺の指示であるけど、私的には彼のデータ取得のためという思惑があった。
彼の脳波や心拍といったデータを集め、ゆくゆくは、彼専用の魔導具を作るつもりなのだ。
やっぱり個人用に魔導具を組んだほうが使い勝手や応用力に差が出たりもするし、せっかくの彼のための魔導具なのだから、こちらとしても気合を入れたい。
そんなわけで、私は鼻歌交じりにお弁当を抱えて、センタくんたちがいるお社まで足を延ばしていたのだけれど……。
「ああああああああああああああっ!!」
突如聞こえてくる、センタくんの雄雄しく、けたたましい絶叫。
「センタくん!?」
私は駆け出そうとして、すぐ後にやってきた大地の揺れに足を取られた。
「きゃあっ」
尋常ではない。地震と言うのは話には聞いていたけれど、体験するのは初めてだった。
これほどに心が不安にさせられるものはない。
けれど、すぐに疑問も浮ぶ。
知識としての地震は、もっと長く、長時間揺れているもの。
まるで何かを打ち付けるように、散発的に揺れが来るなんてありえない。
だとしたら、これは地震ではない――何かだ。
それにもし、さっきのセンタくんの絶叫が関係しているとしたら。
「センタくんっ……!」
ようやく揺れが治まり、センタくんの苦しい叫びも聞こえなくなった。私は、弁当を落としたまま駆け出して、社の扉を開けた。
「……っ、いったい……」
いったい、彼に何をした!!
そんな強い言葉が、私の中から出ていた。
自分でも信じられないほどの声量だったと思う。
だが、そうなるのも無理はない。
センタくんは、全身を血でぬらし、横たわっていたのだから。
お社の損壊などは気にもならない。
「モモ、お前、どうしてここに」
どうして? 何をほざいている、今の私には彼のこと以外は、全て些事なのだ。
私は急いで彼の元に駆け寄った。
「センタくん!」
私は血で汚れるのも構わず、彼に触れて容態を確かめる。
「えっ……」
意外なことに、彼の肉体はいたって健康体だった。
脈拍は正常、神経にも異常は見られず、出血したであろう箇所はふさがっていて跡すらなく、彼は安らかに寝息を立てていたのだ。
「安心せい、モモ。センはなんともないぞ」
そういって、私の後ろから声をかけたのは、シンさんだった。
「……センタくんに、何をしたの」
私の声は、震えていて、そして驚くほど底冷えするものだった。
シンさんは私の様子に一瞬目を見張っただけで、すぐに平時の態度に戻った。
「最終確認を取らせてもらった。風間閃太郎という男の裏をな」
……っ。まだそんなことを言っていたのか。
すでに2週間以上が経過し、彼の人となりはもう十分わかっていたはずだ。
彼は皆が警戒するような人物ではない。
そりゃ、顔は怖いほうだと思うし、目つきはやたら鋭いけれど。
でも、彼は誠実で、正直で、腹芸のできる類ではない。
それに、彼のおおらかさと優しさは私の憧れだ。
激しい鍛錬を施され、どれだけ厳しくされてもめげずに、全てを受け入れるだけの懐の深さを持つ彼が、いったい、どんな悪人だというのだ。
「そう睨むな、モモ。もうこれ以上はセンを疑うようなことはしない。こやつは本当にただの迷い日と。野望も使命もない、ただの若造よ」
「そんなの、最初からわかっていたことじゃない!」
「……うむ、そうかもな。だが、老人とは疑り深くなるものなのだ。騙された経験が頭をよぎってな。ちゃんとした確証が得られんことには、安心して背中を向けられんのよ」
言いたいことはわかる、わかるけれど。
だからって、彼に何をしてもいい、言い訳にはなっていない。
「もし。もし、また似たようなことがあったら、皆のこと、許さないからね」
私は錬気法で肉体を強化し、眠っているセンタ君を起き上がらせ、彼を自分の工房まで連れ帰った。
「センタくんは、私が守らなくちゃ」
***
「大きな誤算、だったな」
萩原シンサック――シンは、大きくため息をついた。
閃太郎の錬気を受けて気絶したタキジには、これといった怪我は無かった。
だが、その後が問題で、まさかモモがあそこまで閃太郎に入れ込んでいるとは、シンも含めた誰もが予想し得なかった。
あれだけ激昂してみせたモモをシンはじめてみたのだ。
「……裏がどうであれ、やはり、風間は里に入れるべきではなかった」
そう言ったのはモモの保護者のゲンジュウロウだ。
「モモにとってははじめての同年代。異性というだけでも問題だが、それ以上に、友という存在にあれほど餓えていたとは」
里の全ては、モモのために存在している。
だが、そのために、モモには本来ある、青春までの道筋が無かった。
本来いるであろう、くつわを並べる友がいなかったせいだ。
そこへ現れた風間閃太郎は、まさに劇薬だったろう。
価値観の凝り固まったところへ放り込まれた閃太郎は、見事、モモに効果的面であったのだ。
「まあ、風間が狼にならぬよう、我々から言い含めておけば、最悪の事態にはなりませんわよ」
そういったのは美熟女エリナリーゼ。モモの変化は、恋愛的なものが含まれていないと見抜いた上での言葉だ。
それに閃太郎の誠実さ、と言う点ではエリナリーゼも彼には一定の評価を与えている。
どのような苦行にも屈しない精神力などはあっぱれと評しても良い。
もっとも、それだけで、モモとつりあうかどうかはまた別の話であるが。
***
「ん……」
閃太郎は目を覚ました。
あの白銀の髪の少女はいったいなんだったのか、
そうぼんやりと起き抜けに考えていた閃太郎は、ふと、ここがシンの家ではないことに気付いた。
「ああっ! センタくん! 気が付いたのね!!」
モモの声が聞こえたかと思うと、モモは閃太郎に向かって飛びつくように抱きついてきた。
「も、モモ……!」
閃太郎の頭を抱えるように抱きしめるモモ。
(そうか、ここが天国だったのか)
そう閃太郎が錯覚したのも無理はない。
推定Hカップ以上のモモの胸が顔に押し付けられる形になっているのだから。
閃太郎は、興奮で頭に血が上り、再び意識を手放した。
「え、ちょっと、センタくん!? なんでまた倒れちゃうのーー!?」
そりゃあモモ。天に上る気持ちだからだよ。




