第2話 彼女はメロンちゃん
「なるほど、つまり閃太郎は少なくともミストラルの外から来た人間、というわけだな」
「ふん、出鱈目だ。このディーの世界に、 ジャポン大陸以外に人がいるなどありえん」
シンサックは納得し、ゲンジュウロウは作り話と一蹴した。
閃太郎は、自身の知識、常識をシンたちに洗いざらい話していた。
曰く、自分は日本人であるはずだと。自分が話しているのは日本語で、シンたちが話しているのも日本語。
世界には様々な国があるが、往々にして西暦という暦は世界各国で通じるはずだと。
ところが帰ってくる答えは、閃太郎の常識からはかけ離れていた。
「ジャポン大陸は、このディーで人が住む唯一の大陸だ。大陸周辺の海域には島もあるが、基本的には無人だ。加えて、国という概念は、基本的にミストラルのみに適応され、他は属州という形をとっている」
それもう、地球ですらないじゃん。
いや、シンの言うことを鵜呑みにすれば、だけれど。
もしかすると、そう思いこんでいるだけかも知れないし。とはいえ、エルフっぽい種族が、吹き替えでもなんでもなく流暢に日本語を話すのを見ると……やはり思わずにはいられない。
ここが日本ではないどこかだと。地球ではないどこかだと。
流石に、この事実には閃太郎も堪えた。
「大分、ショックなようだな」
「まあ……それなりに」
「……わしはお前さんの言うことを信じることにしよう。話は真偽はともかく統一性があるし、真実味が感じられた。法螺を吹くにしても荒唐無稽すぎだ」
意外な物分りのよさに、閃太郎は、目の前の赤メガネの老人ことをちょっぴり見直した。
「いいのか、シンさん。この男が嘘をついているだけかも知れんぞ。我らを混乱させるための詐術かもしれん」
「それなら、とうの昔に目的を果たすはずだ。なにせ、この男の第一発見者は、他ならぬモモなのだから」
「……それも、そうか」
ゲンジュウロウが肩を下ろした。
会話の端々に、モモというあの少女が関わってくるのはどういうわけだろうか。
なにか、あるのか?
「とりあえず、ワシがお前さんの身柄を預かる。今日のところはそれでいいだろう、ゲンジュウロウ」
「ああ、頼む。それと、オンミョウ・マジックでの検分をやるなら注意しろ。油断すれば、目を焼かれるぞ」
「……覚えておこう、さて縄を解いてやるぞ」
「あ、どうも……」
その時、ぐぐっと閃太郎の腹の虫が大きく鳴った。
「あはは、いいのう。お前さん、こんなときでも腹をすかすとは、本当に肝が据わっている。さあ、立てるか」
閃太郎はゆっくりと立ち上がった。一瞬眩暈がして立ちくらんだものの、なんとか持ち直す。
先に飲んだ水のおかげだった。
***
「……あの」
「ん? なんだね」
萩原シンサックという老人に連れられて、彼の家に向かう道中。閃太郎は生きた心地がしなかった。
「どうして、僕はこんなにも睨まれているんでしょうか」
道すがらに見える家々から除く、目、目、目。
全員が初老以上で若い人間が一人もいない。それらが全て、警戒心全開の視線を閃太郎に向けていた。
「そりゃあ、お前さん……いや、この里は閉鎖的でな。よそ者には厳しいのだよ」
「はぁ……」
そんな視線に晒されながらも、ようやく里の外れの方にあるシンの家にたどり着いた。
結構でかい木造の屋敷だ。
「さて、ここがワシの家だ」
がらりと横滑りに戸を開けると、そこには。
「お、おう……」
思わず閃太郎は唸った。
壁一面に本がぎっしり。しかも床にも本が積みあがって塔が何本も立っている。
「どうした、早く中に入らないか」
「足の踏み場が無いじゃないですか……」
「うん? あるではないか」
シンはおもむろに本を蹴り飛ばした。
「ほげえ」
「さあ、そこに座れ。腹抑えになるものを用意してやる」
そういい捨てると、シンは奥の部屋へと引っ込んだ。
取り残された閃太郎は、おもむろに散らばっている本を手に取った。
「魔導法学概論……?」
もちろん当然のように日本語、というより漢字で書かれた表紙のその本を開いた。
曰く、魔導法とは、万象に宿る源素・エーテルを操る技術、とのことらしい。
なんのこっちゃ。
「よう、待たせたな」
本を放り出した閃太郎のところへお盆にいくつかの食器と急須を乗せたシンがやってきた。
「ふむ、さっき読んでいたのは魔導法の本か。やはり理解できんか?」
こくりと、閃太郎は首と縦に振った。
「なるほどのう……これほど常識知らずな人間もおるまいな……錬法と魔法は、この世界の根幹を成す技術だろうに」
レンホウとマホウ? 襟でも立てているのか?
それはいったい……
「さて、とりあえずはこれを食うがいいよ」
シンは茶碗によそわれた白いご飯の上に梅干っぽいものを乗せると、急須の中に入っていた少し熱めの茶色い液体をかけた。
「萩原特製のだし茶漬けだ。さあ、食べるがいい」
ほんのりと湯気が出ているそれをみると、閃太郎の口の中は自然と唾が溢れてできた。
「いただきます」
木の匙を手に取り、一つ掬って茶漬けを口に入れた。
「……!!」
「どうだ、うまいか?」
「……はふっ! ……はふっ!」
そこから閃太郎はシンの言葉に応えず、黙々と茶漬けを搔き込んだ。
うまい、確かにうまい。
枯れ果てた土に、水がしみこむように、閃太郎の腹を満たしていく。
久方ぶりに味わう塩気が今の閃太郎にとっては至高の味といえた。
「ごちそう、さま……でした」
食べ終えて、お椀と匙を置くと、閃太郎からは安堵の息が漏れた。
「あれ……」
そしてはらりと涙が、閃太郎の目から零れ落ちた。
「お前さん……」
「す、すみません」
だが、涙は止まらなかった。閃太郎の流す涙は歓喜の涙。命を拾い、つないだことへの喜びが無意識に溢れたのだ。
そんな閃太郎をみてシンは苦笑した。
「さて、今後のお前さんのことだが」
「あ、はい……」
話題が自分の今後のことに及び、閃太郎は泣き止んだ。
「お前さんには三つの選択肢がある。一つは、このままこの里に残り、この里で仕事にありついて一生を過ごすこと」
「えっ……?」
閃太郎の困惑も構わず、シンは続ける。
「二つ目は、この里のこと忘れた上で、里から放逐されるか。この場合、記憶の消去にちょいと強めの薬を使うからな。今以上に記憶の欠落が起こるが、それは承知してくれ」
「…………」
「そして三つ目……記憶を失わずにこの里に残るのでもなく外に出るとなれば……わしらは、お前さんを殺す」
「……っ」
シンの瞳に剣呑な光が宿った。ハッタリの類ではないということだ。
「そんなの、もう選択肢は一つしかないようなものじゃないですか」
「そうでもないぞ。元々記憶を失っておるようだし、そのお前さんの国の常識は、こちらで生きていくにはかえって邪魔だろうから、案外二つ目の選択肢が無難かもしれん。また三つ目も当然ありだ。里の者は年は食っているがそれなりにやる。しかし、お前さんの資質も相当なものらしい、となればワシらを殺して生き残る可能性は零では無かろうよ」
「……」
閃太郎は思わず押し黙ってしまった。
なんにしても理不尽な話だからだ。
「一つ目が無難かもしれないが、案外そうでもない。さっきも言ったが、この里は外の者には厳しい。ワシからは言い含めておくが、暴走して先走る奴がいないとも限らない。それに、信頼を勝ち得るのも骨を折るだろうな」
「……どうして、そこまで」
「秘密を守るためだ。この里の存在そのものもそうだし、里の中にも秘密はある。秘密というのは、少しでも洩れた瞬間に秘密ではなくなる。情報というのは、水物だからな。移ろうのが道理だ」
「僕は、ばらしたり、なんかは」
「お前さんにその気が無くとも、無理矢理調べる方法など幾らでもあるんだよ。オンミョウ・マジック、自白剤、他にもアレとソレとコレと、な」
閃太郎はあらゆる事柄を天秤に乗せて、無い知恵を絞って考え抜く。
その結果。
「この里で、生活することを、許してください」
選んだのは一つ目の選択肢。
「いいのか? もしかすると、あとあとあの時死んでおいたほうがマシだった、と思うかも知れんぞ」
「それは……そのときになってみなければ、わからないでしょう。それに、僕には身寄りがありません。すがる縁も所縁も思い出もありません。そして日本でも、地球ですらないのなら、僕はなにを選んでも既に袋小路だ。……だったら、これも縁だと思って、ここで生活していきたいと。そう、思いました。どんな事情があっても、僕を助けてくれた貴方たちに、恩を少しでも返したい……です」
随分と饒舌に話したと閃太郎は思った。
結構な疲労を感じたのは、きっと記憶を失くす前の自分も、こうして多くを語るのは苦手だったのだろう。
「ふむ、律義者だな、見かけによらず」
見かけは余計だと思う。
自分の根っこは、極めて善良だ。
「では、村の皆への口ぞえは、ワシからやっておこう。しばらくは不慣れゆえに苦労すると思うが、わしが色々と教えてやるから、安心するといい」
シンサックは、おもむろに右手を差し出した。
「では、これからよろしく頼むぞ、風間センタロウ」
「あの、この、手は……?」
「握手だが? なんだ、お前さんの国では、握手もないのか?」
そんなことは無い。手を差し出すのは、無手であることの証であり、弱点を晒すことであり、敵ではないことを示している。翻ってそれは、友好のサインだ。
自然と、閃太郎は笑みを浮かべた。
「よろしく、萩原、さん」
「シンでいいぞ。ワシもお前さんのことは、センと呼ぼう」
がっちりと二人は握手を交わす。図らずも、この世界で先生役を得られたのは僥倖であるだろう。
「ところで、お前さん」
「何か?」
「笑うと余計凄みが増すな?」
「……ほっとけ」
つい、心のツッコミが、口から零れた。
***
「んと、どうしよう……」
シンさんのお宅の前で、私は悶々としていた。
「モモ、何をしている」
「うひゃあ、ゲン爺!」
そんな私へ、ゲン爺が声をかけてきた。いつの間に現れたんだろう。相変わらず、気配を隠すのがうまいなあ。
って、そんなことより!
「驚かせないでよ、ゲン爺」
「もう遅いぞ。家に帰るのだ、モモ」
「ん、そうなんだけど……」
あの人。私が殴った風間さんに、まだちゃんと謝ることができていない。
それが妙に私の心に引っかかっていて。
私が初めて出逢った、私に近い歳の男の人だからかな?
最初は顔が怖かったから驚いたけど、さっきまでのシンさんの話を盗み聞いている限りでは、乱暴な人でないことは明らか。
「それとあの男には近づくな」
「え? どうして? だってあの人、これから里で暮らすんでしょう?」
だったら、歳の近い私の方が、彼だって色々聞きやすいこと、頼みやすいこともあると思う。
この里、どういうわけか私以外の若い人っていないんだよね。
み~んなおじいちゃん、おばあちゃんばかりで。
昔、若い人だけが罹る伝染病で、私の両親も、他の人も死んじゃったって話らしいんだけど。
私が小さい頃の話だから、よくわからない。第一、そういう話なら、私も死んでなきゃおかしいと思うのだけど。
「あの男も若いからな、この里唯一の若い娘であるお前のことを襲わんとも限らん」
「そ、そんなことしないよ! きっと!!」
何故だろう。私はつい、彼を庇ってしまった。根拠なんて一つもないのに。あの顔だし。
「とにかく、しばらくあの男には近づくな、いいな」
ゲン爺はそう言うと私の腕を掴んで、家に連れて行こうとする。
私のことはいつまで経っても子ども扱いなんだろう。
でも、私にだって、人を見る目はあると思う。
ゲン爺とは、最近いつもこう。意見が自分のと合わなくて、むかむかするの。
コレっていわゆる反抗期ってものなのかな?
「離して!」
「こら、モモ!」
私に油断していたゲン爺の手を振りほどいて、私はシンさんの家の戸を開いて中に飛び込んだ。
「あの! 風間さん!!」
背中越しに声をかける形になって、彼が振り返った。
「えっ、メロンちゃん……?」
誰のことだろう。私はモモなのだけれど。
ともかく私は、靴を脱いで、素早く彼の元へ行く。
驚いて目を丸くしていた彼は、少し怖いけどそれだけでもなくて。
「あの、私、暁モモっていいます。殴ってしまったこと、ちゃんと謝れてなかったから……その、本当に、ごめんなさい!」
私はばっと勢いよく風間さんに頭を下げた。
「あの、頭を、上げてください」
言われ、私は恐る恐る顔を上げた。そこには、困った顔をしている風間さんがいて……。
「えっと、僕が、その怖がらせてしまったみたいなので……気にしないでください」
話してみると、見た目の印象とは裏腹に、優しい声音と雰囲気だった。
「おい、こら、モモ!!」
「まあまあ、ゲンジュウロウ、そこまでカッカしなさんな」
「シン!」
ゲン爺をシンさんが抑えてくれた。これで、彼とお話が出来る。
「ところで、どうして僕の名前を?」
「ああ、それは……さっき、縄で縛られていた時のお話を盗み聞きをしてて……」
そして、さっきのシンさんとの話も聞いている。だから、風間さんが記憶喪失なのも知っているし、その可哀相な立場も知っている。
里の秘密なんてものはイマイチわからないけど、風間さんが天涯孤独で一人ぼっちだというのははっきりした。
私には両親も、同年代の友達もいないけれど、ゲン爺や皆がいたから、寂しいと思ったことは一度もない。
だけど風間さんは……突然名も知らぬ場所に放り出された幼子同然。それはあまりにも不憫に思えたのだ。
「あの、困ったことがあったら相談してくださいね! 私、風間さんの力になりますから!」
自然と、そんな言葉が口から出ていた。自分でもビックリする。
やっぱり、同年代の男の人って私にとって珍しいからかな? それともいきなり殴ったことへの罪悪感が、まだ残っているのかな?
「……うん、ありがとう。暁さん」
「うわっ……」
あまりにも失礼な声が漏れてしまった。
でもしょうがないじゃない。
修羅か、羅刹か。
そんな形容がぴったりな男の人が、穏やかで優しそうな微笑を浮かべていたんだから。
驚いて、声が出てしまっても仕方ないじゃない?
というか、そんな顔が出来るなら、普段からそうしておいて欲しいって思う。やっぱり怖いし。
でも、この笑顔を知ったら、風間さんとは、なんとかやっていけそうな気がする。
ああいう穏やかな顔が出来る人に、悪い人なんて、きっといないもんね。
***
「地球人類のDNAデータを確認……ブートアップウィザード展開」
ソレは、長い時を経て忘れ去られた異物にして遺物。
数千年ぶりに目覚めたとは思えない精密さで、ソレは未だ見ぬ主の到来を待っている。




