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第1話 その男、凶相につき

第1話はプロローグと同時掲載 ご注意下さい。





「もうだめ……動けな……」


 ぱたりと、風間閃太郎かざませんたろうは倒れた。

 190cmを超える長身で、無駄にガタイのいい青年は、既に丸一日、何も口にしていなかった。 

 着ているブレザーとズボンはところどころ破れていて、ネクタイは先がほつれてる。靴もぼろぼろだ。

 坂を転げ落ちたり、森を駆け抜けたりしている内にそうなったのである。


 さて、この男。閃太郎が、どうしてこのような姿になっているのか。


「どうしてこうなった……どうしてこうなった……」


 呪詛のように、震えながら、ささやくように閃太郎はどうしてと繰り返した。

 この状況は本当に閃太郎にはわかっていなかった。

 なぜなら気が付いたときには、人里から離れているだろう山中にいて、それ以前の記憶が無かったからだ。

 前後の状況はおろか、自身が風間閃太郎であることを示す記憶が、綺麗さっぱり消えていたのだ。

 不思議と自身が風間閃太郎という名前であることは覚えているし、一般常識もあるのだが、どんな親、友人がいてとか、どんな所属だったかなどはさっぱりであった。

 

 持ち物はコンビニのビニール袋に洋菓子が少々。携帯端末は電源が切れていて使い物にならない。


 そんな状況で途方にくれた閃太郎は兎にも角にも歩くことにした。

 自分でわからなければ誰かに聞けばいいじゃないかと。

 ここが日本なら、いかな山中とはいえ、歩けば人里に出るはずだと。

 そこで警察に保護してもらえばいいじゃないかと、記憶喪失の人間にしてはポジティブだった。

 記憶は無いが、自分が風間閃太郎であるという点についてはまったく疑っていないし、自信があったからだ。まったく根拠は無いけれど。


 そんなこんなで楽観視していたが、ついぞ他人に出会うことは無かった。

 それどころか、野犬に襲われるわ蛇に噛まれるわ崖から転げ落ちるわと、散々な目に会い、途中から節約し始めた洋菓子もそこを尽き、ついに倒れたのだ。


(思えば……何も無い人生……って本当に何もないや)


 思考も正常ではない。

 閃太郎が遂に意識を手放そうとした、そのときだった。

  


「げ、ゲン爺ーー! 知らない人が、た、倒れてるよーーー!?」


 閃太郎の耳朶を打つ、かわいらしい声が聞こえたのだ。


「う……あ……?」


 手放しかけた意識を取り戻し、閉じた目を再び開く。

 飛び込んできたのは、なんと奇抜な桃色の髪をした少女であった。

 そしてその胸の膨らみは、


「メロン……?」


「あ、気がついた? 大丈夫で……」


 少女は屈んで、閃太郎の様子を伺った。閃太郎は、ゆっくりを身を起こすと少女を見た。


――あ、かわいい。


 そう思った。桃色の髪とか、胸部のマスクメロンとか見るべき点はいくつもあったが、端的に集約して思ったのはそれだけだ。

 なのに……少女の顔が、見る見る打ちに青ざめていって、仕舞いには、目に涙がたまり始める。

 いったいどうしたのかと問おうとしたが、しかし、疲労と空腹で声が出ない。


「ひっ……」


 少女が引きつった声を上げたそのときが、いよいよ限界だったのか、


「ぎゃああああああーーー!!」


「ふがっ……!!!!」


 少女は突如あられもない悲鳴をあげたかと思いきや、スナップの効いた一撃を閃太郎の顔面に炸裂させた。

 多分女の子が閃太郎を殴ったのは、自分の顔を見て驚いたからだろうと、当たりはついた。

 初対面だから、仕方ないのかも知れない。けれど、驚かれるのはやはり慣れないもので。


――いったい彼女は何を見たのだ。


 疑問は解けないまま、閃太郎の意識は闇の中へ埋没した。






***





 ゲンジュウロウはモモが発見した行き倒れている男を見て唸った。


「どうやってこの場所を嗅ぎつけたのか」

 

 見たことも無い服装に、長身のガッチリとした体躯。

 只者ではないこと間違いないが、それにしては素人臭さも感じる。

 だが、ここは人が迷い果てて、たどり着ける場所ではない。

 人払いの結界もあるので、里の人間以外は気付きもしないはず。


「ナウマク・サウマンダ・ボダナン・サラスヴァディ・エイ・ソワカ」


 ゲンジュウロウは手で素早く印を結び、呪を唱えた。

 心象風景を視覚化して所在、内面を見破るオンミョウ・マジックだ。

 ゲンジュウロウは、現役を離れたといっても高位のオンミョウ・シャーマンであるからして、これくらいは朝飯前だ。 


「……っ! これは……」


 ゲンジュウロウは見た。

 男の体内において、錬気法(・・・)によって生まれた凄まじい生命エネルギーが七色の光を放ち、渦を巻いているのを。

 この量、錬気法で作り出したとしてもありえないほどで、質も最上級という言葉では足らない。

 丹田を中心に渦が発生しているのを見るに、この男、意識を失っても錬気法で生命エネルギーを練り上げられるらしい。

 ゲンジュウロウが見ることが出来たのは、そこが限界だった。

 男の溢れる活力が視界を焼いたせいだ。これ以上見続けば失明に至るだろう。

 オンミョウによる解析を阻害するほどの錬気法……ここまでの達人ともなれば、サムライマスターか、カラテウォーリアか、はたまたジュウドグラップラーか。

 いずれにしても剛の者である事は疑いなく、しかも恐ろしい戦闘力を持っていることになる。

 

 はっきり言って脅威以外の何者でもないから、ここで始末してしまうのが最上だ。幸い、意識を失っているようだし、今なら危険も無いだろう。

 しかし、


「ゲン爺! ど、どうなのこの人。 私が言うのもなんだけど、助けてあげないと……」


 モモの手前、血なまぐさいことは出来ない。

 それに出来れば、この男の素性を明らかにしておきたい、今後のためにも。


「わかっている。モモ、その男を荷台に乗せるから手伝え」


 ゲンジュウロウは、桃色の髪をしたモモにそう命じ、彼女にばれない程度に小さく嘆息した。 

 面倒なことになるかもれない、と。




***



 ばしゃん。


「う……」


 突然感じた冷たさに、閃太郎は目を覚ました。

 滴り落ちるしずく……どうも水を掛けられたようだ。

 というか、動けない。椅子に腰掛けた状態で、縄できつく縛りつけられていると、そこで気が付いた。 


「気が付いたか?」

 

 敵愾心をたっぷり含んだ声で、閃太郎の目の前の老人が言った。

 目つきこえー。


「あの……僕は」


 とりあえず、何がなんだかさっぱりなのですがと、説明を求めようとしたのだが。


「……体の自由を奪われても尚、そのギラついた目つき……お前、よほど修羅場に慣れているらしいな」


「いや、そうではなく」


――正直おっかなくてたまらないわけだが。


 そんな言葉も恐怖と困惑と口下手ゆえに出てこない。

 というか、ギラついた目つきとはなんだ。こっちは普通だ。むしろ恐怖で怯えているだろう。 

 そんなにこの顔は駄目か……まったく昔からそうだ……と完全に思い出せるわけではないが、ここでようやく、おぼろげに思い出してきた。


 立てば修羅、笑えば羅刹、歩く姿は鬼神の如く。

 鋭い目つきで彫りの深い凶相と堂々とした立ち居振る舞いから、閃太郎はそんな風に評されていた。誰に、というのはまだ思いだせないが。

 幼少の頃より人からは敬遠されがち。

 職務質問を受けることを数十回。

 ガタイが良いのに加えて、強面というか、目つきが鋭すぎるから……。 

 そんなネガティブなことばかりが、おぼろげに甦ってくる。

 先の桃色の髪の女の子だって、きっと閃太郎の顔を見て、驚いたのだろう。


「何者だ、お前。この里の位置を探り当てるなど、ニンジャマスターでさえ叶わぬ芸当だぞ」


 ……ニンジャ? ナンデ、ニンジャ? 


 そもそもニンジャって何だ。何、真面目な顔をしてほざいている……馬鹿か、この老人は。

 

「ふぐっ……」


 心の中で思っただけなのに、それを察したかのように老人は閃太郎をステッキで殴った。

 痛い、口の中が切れた。


「生意気な目をしおって」


 ぽかり。

 再度殴られた。はてさて、自分はいったいどうして殴られているんだか。

 そもそもなぜに縛られている? 拷問なのだろうか。

 記憶も無く、空腹に泣き、縛られ、女の子に殴られ、老人に殴られ……とことんついていないと自分の不幸振りを閃太郎は心中でそっと嘆いた。


「待て」


 何度も殴ってくる老人を止めたのは、後から入ってきた老人だ。

 白い髪を後ろで一本に結っている。赤い丸眼鏡をかけた落ちついた物腰で、理知的な印象。

 閃太郎を見ても一瞬ぴくりと眉を上げただけだった。

 

 いい人かも。そんな風に閃太郎は思いかけた。


「シンさん。何故止める」


「そやつの服装を見てみろ。それは恐らく伝承に残るキギョウ戦士、サラリーマンのものだろう」

 

「キギョウ戦士……サラリーマン、だと?」


「そうだ。その昔、【キギョウ】という名の組織で、不眠不休で働く戦士がいたそうだ。東へ火がおこれば東へ行って鎮火し、西で都が落ちれば西へ向かって奪還する。不可能を可能にする手腕、自尊心をかなぐり捨て、任務の達成こそを最高の誉れとする、不撓不屈、最強の戦士……それがサラリーマン」


 一瞬、赤い眼鏡に透けて、シンというらしい老人の力強い目が見えた。

 なんという戯言。なんという妄言。サラリーマンを何だと思っているのか。

 でもヤバイ。これはマジの目だ。


「それが、この男だと?」


「かもしれん、という話だ。それにその男の着ている服だが、それサラリーマンが愛用していたという最強の戦闘服、「セビロ」であろう」


 セビロ……背広?

 おいふざけるな、ジジイ。誰か早くつっこめよ。なに言っちゃってくれてるの? ねえ?


「確かに……この服の手触りは今までに無いものだ……それに懐にも入れ袋が……なるほど、ここに小型の武器を収容しておくのか。胸が開いているのは取り出しやすくするため……ふうむ」


 ねえ、何真に受けちゃってるの? 

 ポケットがちょっとあるからってなんなの?


「企業戦士か……オンミョウ・マジックで見たアレが裏付けになるか……?」


「ふふ、なにやら知っているようじゃな、ゲンジュウロウ」


「それは後で説明する。ではシンさん、こいつの尋問を頼めるか? ワシではどうもやりすぎるようだからな」


 シンはゲンジュウロウに頷き、ゲンジュウロウは後ろに下がった。

 

「よう、企業戦士。わしは萩原シンサックという、まずは、お前さんの名前を聞かせてくれないか」


「…………ぁ」


「言いたくないか? だが、互いに名前もわからねば話もすすまんだろう」


「ち……が……」


 閃太郎は単純に喉が渇きすぎて、声が出にくくなっているだけである。


「血? 血が欲しいのか? 物騒な奴だな」


 どうしてそうなる! 誰がいるかあの鉄の味なんて!!


「水……を、くだ、さい……」


 なんとか声を振り絞り、閃太郎は言うことができた。


「なんだ、水か。それならそうと早く言わぬか。モモー、水を持ってきてくれないか」


「あ、はい。ただいまー」


 シンの声にモモが応じ、パタパタと音がした。準備にっているのだろう。


「おい、シンさん!! モモに何かあったら――」


「騒ぎ立てるなゲンジュウロウ。モモもこいつのことは、気にしていたようだからな。それにこいつが本当に危険なら、モモを発見した時点でどうにかしているだろう」


 部屋の戸が開き、パタパタと女の子が駆け寄って、湯飲みをシンに渡した。

 

 モモ、とはどうやら閃太郎を殴り飛ばした、あの女の子であるらしい。

 駆け寄る際にゆさゆさと揺れる果実を閃太郎は見た。

 

――でけえ……。


 その時、モモと目が合った。

 

「ひぐっ……」


 初めて会ったときよりはマシだったが、やはりおびえられている。

 しかし、


「ごめんなさい」


 と、一言添えて頭を下げると、そそくさと部屋を出て行った。


「あ……」


「さて、水だゆっくり飲め」


 シンに差し出された水を、閃太郎は少しずつ口につけた。

 口当たりがまろやかで飲みやすい。程よい冷たさが、心地よかった。


「はぁ、はぁ、はぁ……ありがとう、ございます」


「うむ。これで落ち着いて話が出来るな。して、お前の名は?」


「風間、閃太郎、です」


「何処から来た? どうしてこんな辺鄙な場所にきた?」


「……わかりません。気付いたら、なんか、山の中で……というか、記憶もないし……」


「記憶が無い、とは?」


 シンは、眉をひそめた。

 

「えっと……」


 閃太郎はかいつまんで説明した。

 名前と知識以外の記憶が曖昧なこと、気が付いたら山中だったこと、空腹で倒れていたことをなどをだ。


「にわかには信じがたい……だが、嘘をついているようにも見えん。というより、恐ろしいくらい肝が据わっているな、お前さん。普通記憶を失っていれば、もっと自我が曖昧になって弱弱しくなるものだが、お前さんの目には力がある」


「はぁ……?」


 肝が据わっているなんてとんでもない。

 実際は参っているのだ。大体、縛られているのだって、納得いかないし。

 力があるって、それは鋭い目つきってだけで……生まれつきのものだからであるわけで……。


「あの」


「なんだ」


「この、縄ですが。解いてもらえませんか」


「それは出来かねるな。お前さんの存在が安全かどうか確認できないうちは」



「……安全って」


「お前さんほどの剛の者が何の理由もなしに、こんな場所へ来るなどもありえないしな。先の記憶の話も、信じるにはまだ弱い」


 ああ、そうですか。まあ仕方が無い。ならば、飽き果てるまで会話をしようじゃないか。

 そして理解していただこう。

 風間閃太郎が、人畜無害であることを。人は見かけによらないということを……!


 と、そこでふと気になったことがあったので、閃太郎は聞くことにした。それを会話のきっかけにしようとも思った。


「そういえば、ここって何県何市ですか? グンマ県とか?」


 辺鄙なところとかこんな場所とかずっと言っていたし、となれば日本最後の秘境グンマ県ではないだろうか、という軽いジョークだったのだが、


「……グンマ・ケン? 何処だそれは?」


「え……?」


「ん……?」


 帰ってきたのは、グンマ県を知らないというもの。

 なんだ、この話の噛み合わなさ。

 アレ? そういえば、そもそもこの人たちって……。

 愚鈍な閃太郎はようやく気が付いた。

 先ほどから話している彼らが、全員アジア系ではない、欧風の顔つきであることを。

 そして、耳が尖っていて長い……いわゆるエルフ耳であることを。

 流暢に日本語を話しているし、これまで気にしなかったけれど、これは……。


「ちょっと、待って……ここ、日本じゃない?」


「ニホン? さっきから、何を言っている?」


 閃太郎はちょっと嫌な予感を抱いた。だから、すぐに確かめるべきだと思った。


「日本は、国の名前です。僕の住んでいた国の名前。だから(・・・)質問です、この僕達が今いる、国の名前は? そして今は西暦、何年ですか?」


「…………そういう、ことか」


 シンも、閃太郎の言葉の裏をわかったらしい。

 閃太郎の深刻な表情、声音から、嘘ではないとも。


「国の名前はミストラル。ジャポン大陸のミストラルだ。そして、セイ暦などというこよみは存在しない。今は天帝暦3854年だ」


「……おうふ」


 閃太郎は、心に痛恨の一撃を受けた。

 

「地球ですら、無いのか」

 

 少なくとも、閃太郎の知る日本という国が、存在も知られていないところなのは明らかであった。


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