アケローン川の畔で
「うわぁ!な、なにをするんだ!」
今はもう、警察関係者しかいない事故現場。そこに人だかりが散りかけた空気の中、ズカズカと
現場を確保していた警察官を押しのけてバイクに向かって近づいてゆく長身の男。具現化したカインだ。カインに押しのけられた警官はまるで固まったかのように動けなくなっている。
「何をしてる!早く取り押さえろ!」
仲間の警官がその警官に向かって叫ぶ。ハっと我に返りカインに近づく。が、『ま、まるで岩がゆっくりと押してくるようだった・・・』押された警官の脳裏にはさっきまでの印象が頭から離れない。叫んだ警官はカインの前に立ちはだかるようにカインを掴んだ。同時に怯えた警官を含め、二人の警官がカインの両脇を挟み止めに入るが、
「心配するな。なにも影響しないよ・・・多分。」
と、カイン。予定者の遺物を取り出そうとしているのに[影響しない]もないもんである。が、カインは警官たちを引き摺りながらバイクの前までやってきた。前の警官を片手で首根っこから掴み上げる。
「ぅうわあぁ、あ。」
握っている訳ではなく掲げ上げてるだけなので警官の口から怯えた声が出る。あたりの警官はその光景を見てカインから飛び退くように離れてしまった。
「お前!なにをしてる!これ以上現場を乱すようなら・・・。」
「だぁから心配するなって!すぐ済むから。」
騒ぎに気づいて何やらを側で話していた背広姿の大柄な男が怒鳴りながら近づいてきたが、重ねるように喋るカインを見るとその場で静止してしまった。カインの言葉に怒気はなかった。別に殺気を込めてニラんだという訳でもない。が、背広の男は修羅場の経験が豊富なのだろう。カインの容姿、立ち振る舞いを見て只者ではないことを察したようである。
「み、宮川警部補・・・?」
カインの腕を掴みながら両足をバタつかせていた警官がすがるように背広の男を見ていたが、黙ってしまった男を見てその足を止めた。カインはその男を横に置くようにどかすとバイクの前にしゃがむや、『左のバック・・・やれやれ、潰れてる方だな・・・』片手で中型であれ相当重いはずのバイクを何かの蓋のように持ち上げる。あらかたの血の海はほとんど乾いていたがバイクの下はまだネチャっとしていた。空いている方の手で潰れているバックを開けて中をまさぐる。あった・・・。ビニール製のバックがよかったのか中は全く濡れていなかった。明日野の遺物をバックから無事取り出す。ただその箱はバイクの重さで原型をとどめてはいなかった。一抹の不安を覚えるカインだったが、立ち上がりながらバックをそっと元の方向に下ろし、その手の平大の箱を内ポケットにしまう。
「あ!ちょ、ちょっとアンタ。」
流石に現場のものを持ち出されるわけにはいかないと、宮川警部補がカインに注意しようとしたが、
「邪魔したな。こいつはもともとなかったものとしてくれ。じゃぁな!」
そういうと警部補の手が伸びるより早くその場を離れる。
「あ!お、おい!コラ待て!」
警部補の声に他の警官たちもカインを追うが、その頃にはカインは既に人ごみに紛れていた。人ごみもカインの行動に注目していたがある角を曲がったのを見たのを最後にカインを見た人間はいなかった。
事故現場では少しの混乱をきたしたが警部補たちはその後無事滞りことなく処理したという。少しの間ではあったがカインが持ち上げていたバイクに鑑識はあの不審者の事を探ろうとしたが不思議な事に指紋や形跡すら残っていなかったという。警部補を含め、警官たちもそのことを不思議がったがその翌日にはほとんど気にもしなくなり忘れてしまったというのも不思議な話である。
「ふぅ〜〜。やれやれ、ちょいっと無茶したかな?あんな形で人間に干渉したのは初めて・・・でもないけどな。はは、こりゃ・・・また始末書かな・・・。報酬の色付けも無理っぽいな。」
あの事故現場から少し離れた雑居ビルのトイレの中、具現化を解いたカインが一人呟いている。カインはポシェットに手をかざし、
「さて、例のものは取って来てやったぞ。こいつをどうすればいいんだ?」
明日野の魂に聞く。聞く、といっても完全に肉体と切り離し、魂となった人間はその命そのものとしては存在するがなにもどうすることもない。死神といえど会話ができるのは霊体までである。しかし、魂に触れることで魂の強く思うイメージを見る事はできるのだ。カインは明日野の魂に明日野がプレゼントを渡そうとした女性の所在をイメージで受け取り、その場所に向かった。そしてそこはすぐに着いた・・・。事故現場からすぐ近くだった。『あとちょっとだったんだな』前瓦病院の個室入院病棟309号室。〔前原 真由子〕・・・。明日野の魂から感じ取ったイメージからこの女性は、生まれつき病弱だという。そういう女性と結婚するには相当な覚悟が必要なはずだ。・・・この男にはその覚悟があったんだろうな・・・。男の用意したプレゼントは二つ。箱の中身と、その箱には「結婚しよう」と書かれたカードが挟まっていた。『今更こんなものを贈って何になるのか』憂鬱な気持ちがよぎる・・・。明日野日出志はもういない。この女性が明日野の事故を知るのも時間の問題だ。もしカインがこの男に興味を持ったとしていてもこの結果はなにも変わらなかったろう。この行為は無駄なんじゃないのか?』そう思ったカインだったが、突然マリアが光り輝いた。
「マリア!どうしたんだ・・・?」
不思議がったカインだがそのマリアの光と同じ色の光が内ポケットから見える。内ポケットからその光を放つあの明日野の箱を取り出す。ひしゃげた箱はまるで新品同様にどこにもしわもくずれもなくなっていた。ただ、一緒に入れていたはずのプロポーズのカードがなくなっていた。
「マリア・・・?どうして・・・」
マリアの復元能力で箱の外見(おそらく中身も)は元通りになった。きっと箱の中のものが破損しているのに気づいたマリアが勝手に能力を使って復元したようだ。一度使うと二十四時間は使えなくなってしまう貴重な能力だが時折、マリアはカインの意思とは関係なくその能力を勝手に使ってしまう。しかし、結果カインはその能力を使う気になるのであまりカインも気にしてないのだ。が、カインの疑問はその事ではなく、マリアがカードを消した事を不思議に思っていた。
能力を使い魔力の光が消えたマリアだが、今度は優しく淡いオレンジ色に輝き始めた。
「中に入れ、って事か・・・?」
カインはマリアと会話できるわけではないが、カインはマリアの気持ちを光によって感じるようになっている。カインには今の光が「先に進みなさい」と言っているような気がしたようだ。
病室のドアの前に立つカインはそのドアに透けるように入る。殺風景な部屋の奥に一台のベッド。ベッドの横の台に置いてある時計は十時半を過ぎていた。いろいろあったがそんなに経っていないもんだな。カインはベッドの側までやってきたが女性は静かに寝息を立てている。起きていたのだろうベッドは傾斜がついていて、頭が上がっている。手には林檎が握られていた。が、それがどういう意図なのかカインには調べる術はない。カインは手にした箱をその林檎とすり変える。起きない、熟睡しているようだ。林檎を横の台に置く。その時カインはフと思いついた。
ポシェットから明日野の魂を丁寧に取り出し女性の顔の側に置いてやる。明日野の魂はその魂独特の光をいっそう強くして輝き始めた。物理的な光ではないので彼女は起きる事はない。カインは明日野に最後の別れをさせてあげようと思った。人間が眠っているその側にその人物と縁のある物を近づけるとその人物の夢を見る。というのをどこかでカインは聞いたことがあるようでそれを実践しているだけだが、その真偽をカインも知らない。しかし、明日野の魂の輝きがその光を止めた時、
「さようなら・・・ひーさん・・・。」
女性の口から切ないくらい悲しい寝言が聞こえてきた。成功した・・・のか・・・?カインにとっても初めてのことだった、が、女性の頬を伝う涙が結論だと感じたカインは再び明日野の魂を
丁寧にポシェットに戻す。
「これで・・・いいんだな。」
言葉は明日野の魂に言ったのか、それともカインの中でまだ消えない憂鬱な疑問に言ったのか。それは解らないままだ。今後、この女性にどんな事があるのか?明日野の死をどう受け入れるのか?カインには、それを知る資格も必要もない。明日野に至ってはその術すらない。それでも明日野の魂はカインによって最期に女性に会えた。明日野の魂は満足しているのかもしれない。その魂の透き通る輝きがなによりの証拠なのだが、カインの気持ちには届いていないようである。
さっき人間界で終えた仕事をずっと考えていたカイン・・・。いつの間にか目の前の大きな川の流れを見えてないような目で眺めていた。ここがカインの歩いていた魔界の空間の最終地点。カインの前に広がる海のようだが上手から下手へと流れている事で川だというのが解る。その流れの上をカインの持っている魂のような光の玉が、ゆっくり手前から対岸へと流れとは関係なく進んでいる。一つや二つではない。カインの足元からは少ないが遠くになるにつれ、数は多くなっている。その魂達も微妙に違いがあり、透き通った光をした魂は真っ直ぐ進んでいるが、濁っていたり、光が弱弱しかったりする魂は、川の流れに逆らえず、ふらふらして他の魂にぶつかりそれら諸共川の中に沈んだり、浮かんだり沈んだりを繰り返し、最後には浮かんでこなかったりしている。魂の変える場所、{三途の川}である。別名でアケローン川とも呼ばれている。カインのいる側が冥界。川の対岸が霊界だという。川の下は直接地獄になっているらしい。死神の仕事は人間界で回収し終えた魂をここで霊界に渡す事で完了する。
「カロン・・・いいから出て来い。終わったから・・・。」
川に向かってそう言いながらポシェットから明日野の魂を取り出す。すると今まで誰もいなかったカインの隣にカインの倍の身長はある老人が現れた。魂をその老人に差し出すカイン。老人は跪き手にした杖で魂をかけるように取り、顔の側まで持っていき、魂を品定めするように眺めだした。その様子を見ながらカインはまだ悩んでいた・・・。
『俺がしたおせっかいで明日野のためにあの女性は傷ついたんじゃないか。知った事ではないにせよ俺がしたことはあれでよかったのか?どう思う・・・?マリア。』
マリアに問うようにマリアに手をかざす。淋しげなその様子を見ているのはカロンだけ、とは限らない。カロンという老人は品定めを終えたようでゆっくりと明日野の魂をゆっくりと対岸に向け流そうとする。すると明日野の魂は再び強く輝きだした!カロンは再び顔の近くに魂を近づけ、まるで魂と話をするように耳を向けたり口を向けたりし始めた。カロンやこの川の管理をする悪魔達は魂の形となったものと会話できる特殊な力を持っている。一通りのやりとりの後、カロンはカインを見ながら大笑いする。カインは無言のまま見ていた。カロンは今度こそ明日野の魂を浮かべ、ゆっくり前に押すと、魂はゆっくりと、しかし堂々とした姿で静かに対岸に向けて進んでいった。明日野の魂がちゃんと進んでいる事を確認したカインはそのまま踵を返し、帰るため引き返そうとした。
「カイン、ちょっと、待てあの魂から言伝があるんだが・・・。」
三歩進んだ辺りで足が止まる。でも振り返らないカイン。
「プレゼントをありがとう。プロポーズできなかったけど最期に夢の中で彼女に挨拶ができた。とても悲しいことだけど彼女を最後に元気付ける事ができた気がする。これもあなたがいたからです。ふふっ死神が感謝されるとはな・・・なにをしたのか詮索せんがお前は本当に変な死神よな・・・。」
ー変な死神ー。カインはそう呼ばれた事がなんだか、自分の明日野にしたことに疑問を感じていた自分を納得させてくれたような気がした。
「ははっ、全くだな。(明日野 日出志、今度生まれ変わったら頑張れよ)」
それでも振り返らないカイン。捨てるように言葉を吐きつつも明日野の魂に礼を言うと、その場で一回伸びをして駆け出そうとする。
「待て待て!まだ終わっとらん!」
「っとぉ!まだなにかあるのか?」
たまらず結局振り返ってしまったカイン。その目には少し涙が溜まっていた。その表情を見てカロンは微笑みながら、
「お前に、よろしく。だと。」
少しの間・・・。笑い出すカイン、だが涙は溢れてしまっている。カインは涙を拭うと一際大きく伸びをして、
「さてっと!んじゃ、今回の始末書でも書きに行くかぁ!!」
カロンはもういない。アケローン川の畔に一人、カインは元気よくそう叫ぶと冥界に帰るためそのまま姿を消す。直後、その叫びに応えるようにマリアの力強く優しい輝きがアケローン川を照らした。川は静かに流れている。
(了)
やっと終わることができました。文章力がないくせに話作ったから読んで欲しいという気持ちで出してしまい。それでも読んでいただいた方々には感謝してます。ありがとうございました。実はカインの話は、ここまで第一話でして・・・。頃合を見て第二話を執筆したいと思います。よかったらよろしく!




