数多の縁談を破談にしてきた癇癪令嬢ですが、オーク公爵には好評のようです
「リーゼロッテ・アメリア・バーネット。君との婚約を破棄する」
夜会の中央で、レオンハルト殿下はそう言った。
楽団の音が止まり、周囲の視線がいっせいにこちらへ集まる。
私は扇を閉じた。
「理由は?」
「君は第三王子妃にふさわしくない。気が強い。可愛げがない。口も悪い。夫を立てることもできない。何より――」
殿下の視線が、値踏みするように私をなぞる。
「女としての魅力に欠ける」
うんざりしたように、彼は肩をすくめた。
「君は勘違いしている。私が求めているのは、君ではない」
「第三王子の妻として見栄えがよく、社交界で人脈を広げ、静かに笑って夫を立てる女だ」
「他の女を見るのは当然だろう。よりふさわしい者がいるか確かめていただけだ」
そこで、視線が私の胸元に落ちた。
「少なくとも、君は出来が悪かったがな」
ああ。
この男、最初から私ではなく、“第三王子の妻”という場所に収まる何かしか見ていなかったのだ。
笑いが起きた。
隣のミリア嬢が、いかにも可哀想なものを見る顔をする。
その顔を見た瞬間、私の中で何かが切れた。
「言いたいことはそれで全部?」
「なに?」
「今度は私の番」
一歩前に出る。
「殿下。あなた、三ヶ月前からミリア嬢と密会してるでしょ」
「なっ」
「先月は侯爵家の未亡人にも贈り物してた。宝石商の帳簿、出す?」
会場がざわめいた。
「嘘だ!」
「嘘じゃないわ。隠すなら、せめて同じ店を使うのはやめたら?」
殿下の顔が赤く染まる。
「私に可愛げがないのも、口が悪いのも、あなたの好みじゃないのも事実。でも、それを理由に婚約破棄するなら最初からそう言えばよかったじゃない。なんで浮気したの? なんで嘘をついたの? なんで私のせいにしたの?」
「リーゼロッテ! 貴様! だから君のような女は好かんのだ!」
「そうね。私も、あなたのそういうところが駄目だと思ってた」
「あなたと結婚するくらいなら庭の石像の方がましね」
空気が凍った。
「こうまで可愛げもないと、どこの家も欲しがるまい」
「では、オーク領にでも嫁げばいい」
誰かが笑った。
「ああ、あそこなら癇癪娘でも貰ってくれるだろう」
「豚小屋の奥方か。お似合いだ」
笑いが広がる。
その時、父が歩み出た。
「リゼ。帰るぞ」
「まだ殴ってないんだけど」
「殴るな。流石に殿下に手を出すのは不味い」
「分かった」
胸の奥がじくじく痛む。
出来が悪い。可愛げがない。第三王子の妻として失格。
知ってる。
言われなくたって知ってる。
「じゃあね。次はもう少し上手に隠しなよ」
……ほらね。
やっぱり、こうなる。
三日後、バーネット伯爵家に縁談の申し込みが来た。
相手は、北東辺境のオーク領を治めるヴォルガ公爵家。
「会うわ」
そう答えた私に、父は疲れた顔をした。
「断る理由を探すために、わざわざ顔を合わせるのか」
「それ以外に縁談相手と会う理由ある?」
ガルド・ヴォルガ公爵は、大きかった。
肩幅がある。首も太い。鼻はたしかに豚に似ていて、口元には牙もある。
世間一般で言うところの、醜悪なオーク。
まあ、否定はしない。
それでも、背筋の伸びた体格は立派で、服は地味でも仕立てがよく、靴も磨かれていた。
何より、部屋に入ってきて最初に父ではなく私を見た。
「リーゼロッテ・アメリア・バーネット嬢。あなたと話をしに来た」
「父じゃなくて?」
「結婚するのは君だ。家ではない。君だからいいのだ」
今日まで来た人間の男たちの中で、その当然を当然みたいに言った者は一人もいなかった。
「先に言っておくけど、私は敬語が使えない。思ったことは言う。気に入らないことがあれば怒る。泣く女も、嘘をつく男も、帳簿をごまかす奴も嫌い」
「分かった」
「たぶん、黙って笑ってるだけの妻にはならない」
「それも分かった」
「嫌じゃないの? 全部」
ガルドは少し考えた。
「忌憚ない言葉。嘘を嫌う性格。そして、その見通すような鋭い視線」
「あんた、随分はっきり言うわね。どうせお世辞でしょ。何が目的か知らないけど」
「世辞など言わん。言葉には責任が伴うものだ。人間は違うのか」
「責任はあるけど、嘘くらいつくんじゃない?」
「我々にはそこが分からん。分からぬものは使わん。それで済む話だ」
豚鼻で牙もある。
世間が笑う理由は分かる。
でも、今までの連中より、ずっとまっすぐな目をしている。それだけは確かだ。
「……まあ」
「まあ?」
「今日は、断る理由を探すつもりだったの」
「見つかったか」
「まだ」
「でも、私は」
視線が勝手に胸元へ落ちる。
気にしていないつもりでも、散々言われてきたことは消えない。
ガルドが私を見た。
「なぜ、その小さなことで貴女が曇るのかと思った」
「小さなことって……」
「貴女は、物を見て怒る。嘘を嫌い、間違いを見逃さない。その物言いも、芯のある瞳も、私には十分すぎるほど鮮やかだ」
低い声が、まっすぐ落ちてくる。
「私には、そちらの方がよほど魅力的だ」
「……でも」
「そこが気にかかるのなら、私が隣に立てばいい」
ガルドは当然のように言った。
「夫婦とは、足りぬところを笑うものではない。埋め合うものだろう?」
「我らの国では、伴侶は飾りではない」
ガルドは、まっすぐ私を見た。
「隣に立ち、同じものを見て、間違っていれば怒る者だ。黙って笑うだけの相手なら、石像で足りる」
豚鼻で、牙があって、肩幅の広いオークが、ひどく真面目な顔でそんなことを言う。
「……真正面から言われると、ちょっと困るんだけど」
「困るのか」
「困るわよ」
「そうか。困る時は耳が赤くなるのだな。覚えた」
「覚えなくていい。恥ずかしいから」
「だが、撤回はしない」
ガルドが持ってきた領地の資料を、その場でめくる。
「ねえ、この帳簿、誰が付けたの?」
「領地の家令だ。金と倉庫を預かる実務の長だ」
「ふーん。じゃあ、その人を呼んで。ついでに縄も」
「縄?」
「だって横領してるじゃん」
父が額を押さえた。
ガルドは資料に目を落としたまま聞く。
「どこを見たのか教えてくれ」
「鉄鉱石の出荷量と売却額が合ってない。街道通行税も抜けてる。商人に安く買い叩かれてるだけじゃなくて、内側でも抜かれてる。この家令、あなたの領地を売ってるわ」
「相場だと言われていたのだがな」
「誰に?」
「王都の商人に」
「お人好しね。長く騙されてただけよ」
ガルドは黙ったまま、もう一度帳簿を見た。
「……なるほど」
「怒らないの?」
「怒っている」
「全然見えないけど」
「我らは、嘘を嫌う」
ガルドの声は低いままだった。
「嘘は裁きを誤らせる。誤った裁きは、弱い者から先に傷つける」
「だから我らの国では、嘘は重い罪だ。言葉を濁して得をする者は、秩序を盗む者と同じだ」
「……あんた、随分面倒な国で生きてるのね」
「私には人間の社会の方が難しいのだがな」
そこでようやく、ガルドは私を見た。
「だが、貴女のように間違いを見つけて、そうだと言う者は好ましい」
「褒めてる?」
「最大限に」
そんなふうに言う男はいなかった。
「……変なオーク」
「よく言われる」
「嘘でしょ」
「オークの文化では、嘘は極刑だ」
私は少し笑った。
ガルドは父ではなく、私を見て言った。
「リーゼロッテ嬢を、ヴォルガ公爵家に迎えたい」
「正気?」
「正気だ」
「私、たぶん領地でも怒鳴るよ」
「必要なら構わない」
「帳簿だって好き勝手言うよ」
「是非そうしてくれ。我らには足らぬ目だ」
父が静かに聞いた。
「リゼ。お前は、どうしたい」
「少し考える」
父が目を細める。
ガルドはそれ以上何も言わず、立ち上がった。
「では、返事を待つ」
そう言って、彼は部屋を出ていった。
大きな背中だった。
その後ろ姿を、少し長く目で追う。
頼もしいな、と思った。
「随分、買われていたな」
父が言った。
「そうね。意外と見る目があるじゃない」
父は小さく笑った。
「お前が望むなら、この縁談は断る。いくら受け入れられたとはいえ、オークの妻というのはお前にもつらいだろう」
「そうね」
オーク。
人間の令嬢が嫁ぐ先としては、たぶん最悪。
でも、あいつはちゃんと私を見た。
言いにくいことも言ったし、言われたことからも逃げなかった。
「この縁談、前向きに進めてちょうだい」
「そうだな。そうしよう。……今なんといった?」
「だから、前向きに進めるって言ってるの」
「いいのか? オークだぞ?」
「いいじゃない」
私は肩をすくめた。
「話が通じるんだから、庭の石よりよっぽどいい」
結婚式は、王都のはずれにある古い礼拝堂で行われた。
天井は低く、花も少ない。
白布は何度も洗われたらしく少しくたびれていて、磨かれた長椅子だけがどうにか体面を保っている。
王族の婚礼みたいな華やかさも、名家の嫁入りみたいな見栄も、ここにはない。
だから見物人は集まった。
祝うためではない。
嗤うためだ。
癇癪令嬢がオークに嫁ぐ。
第三王子に捨てられた顔だけ令嬢の末路。
豚小屋の奥方。
そういう顔をした人間たちが、扇の陰でこちらを見ていた。
レオンハルト第三王子も来ていた。
自分が捨てた女の行き先を、笑って見届けるため。
いい性格してるわ。ほんと。
ガルドは黒い礼服を着ていた。
人間の礼服より少し形が違う。
仕立ては簡素だが、肩が広いせいで妙に似合っていた。
「緊張しているか」
「まさか」
「私は少ししている」
「意外じゃない」
「美しい妻を迎える日は、誰でも緊張する」
思わず黙ってしまう。
式が終わり、来賓への挨拶の番が来た。
その時、後ろの方で誰かがくすりと笑った。
「癇癪令嬢に貧乏オークか。お似合いだな」
小さな声だった。
でも、礼拝堂は静かで、やけにはっきり聞こえた。
私への嘲りなら、聞き慣れている。
顔だけ令嬢。可愛げがない。胸がない。行き遅れ。
好きに言えばいい。
でも今、笑われたのは私だけじゃない。
隣に立つガルドまで、王都の飾り物みたいな連中に馬鹿にされた。
父が目で止めた。
でも、無理だ。
私は一歩前に出た。
「今まで散々、私を笑ってきた人間どもに言っとくわ」
聖堂が静まり返る。
「オーク領は、今は小さな領地よ。貧しくて、遠くて、あなたたちが地図の端で鼻で笑うような場所」
誰かが本当に鼻で笑った。
「でも、私が嫁ぐからには違う」
「三年で街道を押さえる。五年で鉄の値を変える。十年で、あなたたちが頭を下げて通行許可を求めに来る領地にしてみせる」
レオンハルト殿下が笑った。
聖堂にも、薄い笑いが広がった。
私は扇を開いた。
「今日ここで笑った分のお代は、いつか荷馬車一台ずつから、きっちり回収してあげる。覚えておきなさい」
笑いが、少しだけ引いた。
「その時になって、まさかなんて言わないでよね。私は今、ちゃんと宣言したんだから」
五年後。
王都から北東へ続く街道には、荷馬車の列ができていた。
札のない荷は通らない。
口利きも通らない。
通れるのは適性な価格を支払うものだけ。
「リゼ」
低い声が背後からした。
振り向くと、ガルドが立っている。
そう呼ぶ者は、昔は父だけだった。
今は、もう一人いる。
「何、ガルド」
「また笑っている」
「笑うわよ。今は、私が笑う番だもの」
「楽しそうだな」
「楽しいわね。毎日やることがたくさんあるし、退屈しないもの」
「それは、良いことなのか」
「半分はね。昨日だって二十人もごねる奴の相手をしたんだから」
「苦労を掛けるな。助かる」
「最初に比べればましよ。あの頃は、ごねる相手すらいないくらい、なんでも向こうの言いなりだったんだから」
「そうだったな」
ガルドは窓の外へ目を向けた。
「お前に、この道は金を捨てているのと同じだ、と言われた時は耳が痛かった」
「当然よ。関所もなければ、関税もない。価格は言いなり。あんなの許せるわけないでしょ」
窓の外には、王都の馬車が並んでいる。
先頭ではなく、列の中ほど。
王子の紋章が、商人の荷馬車と同じように、黙って順番を待っていた。
私は書類を整えた。
「だから浮気はやめろって言ったのよ。馬鹿ね」
ガルドが低く笑った。
「お前の適正価格は時々牙をむき出しにするな。気をつけろ」
「あなたに言われたくないわ」
謁見の間に通されたレオンハルトは、五年前より少し痩せて見えた。
相変わらず顔だけは整っている。
でも、前みたいな余裕はない。
「久しぶりね、殿下」
私がそう言うと、レオンハルトの口元が引きつった。
「……リーゼロッテ」
「今はヴォルガ公爵夫人よ。呼び方くらい覚えたら?」
彼は何か言い返しかけて、やめた。
「本日は、通行許可の件で」
「ええ。知ってる」
私は書類をめくった。
「ミリア妃のご実家、派手にやったわね。横流し、架空契約、税のごまかし。欲張るから足が出るのよ」
「……助力を願いたい」
「私に?」
「ヴォルガ領が口を利けば、まだ」
「だから浮気はやめろって言ったのよ。馬鹿ね」
レオンハルトが顔を上げた。
「何だと」
「耳まで悪くなった?」
まだ自分の立場が分かっていないらしい。
「ちゃんとした相手を選べってこと。見た目と愛嬌だけでふらつくから、そうなるの」
「通行許可は出してあげてもいいわ」
レオンハルトが少しほぐれる。
「ただし、特別扱いはしない。税率も審査も順番も、他と同じ」
私は書類を閉じた。
「愛嬌と沈黙。だったっけ?」
今度は顔色が青くなる。
「奇遇ね。私が欲しいのは、正しい荷と、正しい税だけ」
私は笑った。
「今回は私が選ぶ番ね」
広い肩が、窓から入る光を少し遮った。
「リゼ、お前のやり方はいつも過激だな」
「何よ。文句あるの? それとも喧嘩なら買うわよ」
「お前と争う気はない。後が怖いからな」
思い当たる節が多いのでどれのことかは、聞かないでおく。
「だが、紛れもなく最高の妻だ」
「……やめて」
顔が熱い。
こういう時だけ、本当にずるい。
誤魔化すように窓を開ける。
春の風が入り、眼下にはずいぶん広くなった領地が見えた。
いいじゃない。
頼りになるガルドがいて、領地も大きくなった。
上出来ね。




