「君を愛することはない」? ええ、よくできました。
冷血公爵、と呼ばれる男が、王家の命で他国の令嬢と結婚した。
王都の礼拝堂で行われた結婚式や、その後のパレードは、それはそれはきらびやかだったという。
*
「おはようございます、旦那様」
「ああ、おはよう」
朝、夫妻は別々の部屋から起きてくる。
結婚以来の変わらぬ習慣である。
食卓についた妻、ゲルトは、華やかな声を上げた。
「まあ、今日も私の好きなものばかりですわね!」
夫、ローデンヴァルト公爵家当主オスカーは鷹揚にうなずいた。
「そうだな。料理長も、君の喜ぶ顔が励みになるのだろう」
二人は向かい合って座り、言葉を交わしながら朝食をとる。
その話題は日によって、時事に関することや王宮の様子、ゲルトの祖国のことなど幅広いが、今日は公爵家で飼っている子猫の話というたわいないものになったようだ。
「ええ、そのおもちゃを捕まえたらもう離しませんの。他のものを見せてもぎゅっとしがみついて……。あんなに小さいのに、自分の獲物だと思っているのかしら?」
「そうかもしれないね。そのうち、ねずみを捕ってくるようになるかもしれないよ」
「まあ。どうしましょう、そんなことになったら」
眉をひそめる新妻に、公爵は微笑した。
朝食後、夫は王城への出勤が控えている。
きっちりと身だしなみを整えた彼を、妻は玄関ホールで見送るようだ。
「今日はネイビーの上着をお召しですのね。わたくし、この色が一番貴方様にお似合いだと存じますの」
「ああ、君がそう言っていたから新しく仕立てたんだ。……仕立てと言えば、今日は仕立て屋を呼んでいるのだろう。予算は好きに使ってもらって構わないからな」
妻は嬉しそうに手を打ち合わせた。
「まあ、では、貴方様の目の色のドレスを作りとうございますわ」
夫も満更ではないようだ。
「それはいいね。もちろん、最初に見せてもらえるんだろう?」
「ふふふ、どうしようかしら」
侍従が扉を開ける。
「では行ってくる。それと、」
公爵は家を出ながら妻を振り返った。
「私が君を愛することはないからね」
*
「どう思います?」
「もはやあれ言ってるだけですよね」
公爵を見送った使用人たちは、ひそひそ声をかわしあった。
──私が君を愛することはない。
これは衆人環視の中で宣言される、公爵の毎日のルーティンである。
奥様付きのロッテによると、最初は結婚当日、夫婦の寝室で寝支度をしているゲルト様のところに旦那様が現れて宣言したらしい。
それでは、と奥様用の寝室に移られたところはいろんな使用人が目撃している。
それ以来、朝はこのとおりだ。
だが、旦那様は奥様に家政に関することは任せているようだし。
予算も豊富についているし、もともと多少の贅沢をしても揺らぐような家でもないし。
夜会には二人連れ立ってお出かけになる。
旦那様のご家族と奥様の仲もよろしいようだ。
そして朝はあのとおりである。
「旦那様、いつになったら認めますかね?」
ここは規律の行き届いた公爵邸なので、賭博に興じるような不届き者はいないが。
使用人たちの内心は、これ賭けにでもしなきゃやってられるか、というところまできている。
*
ゲルトは朝食の後、妻の務めとして家に届いた招待状を処理するなどし、呼んでいた仕立て屋にあれこれと注文し、そして午後。
「お招きいただきありがとう存じますわ」
オスカーの妹、クリスのもとを訪れていた。
この国の王子の妃である。
席に着くなり、王子妃はご下問あそばした。
「お兄様、まだあれをおっしゃってるの?」
……もはや王室にまで知られている。
ゲルトは優雅に微笑んだ。
「ええ、でもわたくし、気にしてはおりませんわ。旦那様は情のこまやかな方ですもの、歩み寄るのに時間がかかっていらっしゃるだけとお見受けしておりますの」
「まあ、お兄様の情が深いのはわたくしも承知してますけど……」
クリスはそういえばそうね、と昔話を披露してくれた。
「わたくしは小さい頃、体が弱かったのですけど。よく寝込んではお兄様に心配をかけたものだわ」
「まあ。でも今では、すっかりお元気になられましたわね」
クリスの華やかなドレスを着こなす堂々とした様子は、王宮の庭のどの花にも負けていない。
「そうなの。お父様が異国から取り寄せたという薬がよかったのかしら……」
「何よりですわ」
「ええ。……ですから、冷血公爵などと呼ばれてますけど、お兄様の本来の優しさを理解してくださる方がお義姉様になってくださったのは、わたくし本当に喜んでおりますのよ」
王子妃はしみじみと言った。
「まあ、過分なお言葉。わたくしこそ、このように行き届いたお心遣いをされるかたを姉妹と呼ぶことができて、幸せですわ」
「ふふ、お上手ね。お茶のおかわりはいかが?」
茶会の終盤には公爵が姿を見せ、夫妻は連れ立って帰っていった。
*
今日は晩餐会などの予定は特にない。ので、いくらか控えめな夕食をとる。
食後、公爵は軽く酒などを嗜んでいる。
妻も談話室に残り、会話の相手をしていた。
「そういえば今日、クリス様から、わたくしの祖国の品について尋ねられましたの。国の者に伝えて、プレゼントして差し上げてもよろしいかしら?」
公爵は二つ返事だ。
「もちろんかまわないよ」
「ありがとう存じます。できれば多めに取り寄せて、お義母様にもお裾分けしたいわ」
「いつも母にまで気を遣ってくれて、ありがとう」
琥珀色の液体を傾けながら、公爵は目を細めた。
「本当に私は過分な妻をもらった。愛することはできないが」
「うふふ、残念ですわね」
妻は上品に微笑する。
やがて、うたた寝し始めた夫に気づき、あら、と小首を傾げた妻の紅唇が、今までとは少し違ったトーンの声を奏でた。
「……本当に残念。ねえ、あなた」
頭に手を伸ばし、二度、三度と撫でた。
「いい子、いい子……なんてね」
*
魔女がいた。
あるとき、気まぐれで貴族の少年の願いを叶える。
──妹の病を治してほしい。
その望みを聞いたのは気まぐれではあったが、魔女の魔法には対価が必要だ。少年に何を差し出せるか尋ねた。
──地位か、財産か、美貌か、才能か。
どれもできない、と少年は返した。
──これは王家を助け国を支えるためのものだ。
へえ、面白い。
──では、もっとも困難なものを捧げてもらおうか。
──それは?
──愛だ。他の女を愛さぬと誓うなら、願いを叶えてやってもいい。
*
「そのせいであなた、冷血公爵なんて呼ばれるようになっているのだもの。ああおかしい」
寝ている夫の横で魔女はほくそ笑む。
「本当に残念。さっさと落ちてしまえば、ドロドロに溶かしてあげられますのに」
まるで意地を張るように、あの言葉を唱え続ける男は、さすが国を支える冷血公爵だ。
「そろそろ色仕掛けが必要かしら。でもこの男にそれをするのは、なんだか負けな気がするのよね……」
単に意地を張っているだけかもしれないが、妻のわたくしを愛さないと言われるたびに、魔女の私を熱烈に愛していると言われているようで、なんだか気分がいい。
「ちょっと癖になってきたかしら。いけないわね」
魔女は肩をすくめると、眠る夫の額に音を立ててキスをした。




