第七章 残された履歴
被疑者の過去は、書類の隅に追いやられていた。
桐山が見つけたのは、事件記録の付録のような一枚だった。
正式な前科ではない。
補導。
保護者引き渡し。
それだけで終わっている。
だが、時期と場所が一致している。
数年前、同じ街。
同じ交差点から二本外れた路地。
通報内容は、近隣住民からの苦情だった。
「夜中に騒いでいる若者がいる」
対応した警官の名前を辿ると、さらに別の記録に行き当たる。
そこにも、処分はない。
注意。
解散。
被疑者は、その後、街を出ている。
職歴は途切れ途切れ。
住民票の移動も多い。
桐山は、地図を広げる。
点が、線になる。
「……逃げていた、わけじゃない」
むしろ、
戻され続けていた。
住む場所。
働く場所。
人間関係。
どこかでつまずくたび、
「問題のある若者」というラベルだけが残る。
桐山は、当時の担当者に連絡を入れる。
退職間近の警官だった。
「覚えてますよ」
電話口の声は、疲れていた。
「悪い子じゃなかった。
ただ、扱いづらかった」
扱いづらい。
その言葉が、全てだった。
「何か、問題は?」
桐山がそう聞くと、相手は少し黙る。
「問題、ってほどじゃない。
ただ……毎回、誰かが“面倒を見る前”に終わってた」
面倒を見る前。
つまり、
誰かが責任を引き受ける前だ。
電話を切ったあと、桐山は長く座ったまま動けなかった。
この街は、何度も彼を見ている。
だが、誰も彼を引き受けていない。
その結果が、あの夜だったのか。
そう断定することは、できない。
だが、無関係とも言えない。
一方、宮坂は生活安全課で、同じ街の相談対応に追われていた。
騒音。
近隣トラブル。
行き場のない苦情。
かつて自分が「正義」と呼ばれた出来事は、
ここでは何の意味も持たない。
ただ、人がいて、問題があって、
解決できないまま次に送られる。
宮坂は気づく。
発砲の是非を巡る議論は、
この街の日常から、完全に切り離されている。
テレビで語られた正義は、
ここには届かない。
夜、桐山は宮坂に会いに行く。
「君が語ったことで、見えたものもある」
そう前置きしてから、被疑者の過去を話す。
宮坂は、黙って聞いていた。
「……じゃあ」
言葉を探すように、ゆっくりと口を開く。
「自分が語った正義は、
何も救ってないんですね」
桐山は首を横に振る。
「救えなかった、だけだ」
違いは、わずかだ。
だが、決定的だった。
正義は、万能ではない。
語れば救われるわけでも、
沈黙すれば守られるわけでもない。
この事件は、
どの正義も“途中”で終わっている。
桐山は、確信する。
この先、
誰かが「正しい結論」を出すことはない。
だが、
結論を出さないことも、また一つの選択だ。
次に問われるのは、
語るか、沈黙するか、ではない。
桐山は、答えを探すのをやめなかった。
それが、唯一残された選択だった。




