66.なんで? part2
——なんで……!?
なんで、そんなにも調子に乗った?
何をそんなに浮かれていたんだ。
どうしてそんなに、無神経で居られたんだ。
——強かった、から……
ユイトが強かったから、だから彼女達に、甘えが生まれた。
痛いのも苦しいのも怖いのも、彼があれだけ嫌がっていたのに、でも戦うことへの妥協が無かったから、逃避欲に唆された。
彼女達の、ご都合主義の脳ミソは、どこかで思っていたのだ。
彼ほど強い人にとって、手酷く傷つけられたことも、なんてことない経験だったのだ。あれほど大きな器を持つと、あんなこと如何とも思わないのだ。だから、「悪い」と思う必要なんてない。酷い仕打ちなんて、互いに忘れてしまえばいい。
そんな卑怯な言い分を、厚顔無恥にもそっと通した。
彼みたいに繊細な人が、「忘れる」なんてできるわけがないのに。
この巣での生活に、心が消耗していないなんて、有り得ないのに。
——ばか……!
彼女達の顔を見せる度に、彼の顔を歪み曇らせ、そこから晴れ間を永遠に奪う、そんなことだって普通に有り得た。
ただ彼が、底抜けに強くて優しかったから、だから笑った顔を見せてくれる、それだけなのだ。
——私の、バカ……!
そこに到って、さっきまでの自分の思考と行動を思い出し、血の気が潮のように引いていく。あと1秒、半秒でも猶予があったら、ヘルブラは世にも醜悪で、トチ狂ったことを口に出すところだった。
一番の恩人に、最悪の絶望を、押し付けてしまうところだった。
——クズ……!クソ女……!
今更ながら、ガタガタと震えが止まらなくなる。
それはある意味、悪意を持った者達から、殺されそうになった時より、遥かに絶対的な恐怖だった。
彼女を思い遣ってくれた相手を踏み躙り、そんな聖者めいた人からすら嫌われる。
それはもう、巨磐どもにすら劣るほどの、真性の邪悪としか言えない。
ヘルブラは咄嗟に、何らかの理屈で以て、「正義」の下へ逃げ込もうとした。
「そうする理由があった」と、正当化する方へ傾きかけた。
けれど他ならぬ彼女が、自身にそれを許さなかった。
彼女の「逃げたがり」を押しやったのは、ユイトという少年の存在。
飛んでいるものが地に引かれるように、彼女は今もユイトに惹かれ続け、彼女の中における彼の比重が、ぐんぐん大きくなっていき、
その衝動的情念が、強い力で彼女を引き留め、「悪」であることから、逃がさなかった。「被害者としての尊厳」すら、纏うことを許さなかった。
彼女が正しいなら、彼が受けた責め苦の全てが、肯定されることになる。
彼がそれを受けるに相応しいという、陰惨な侮辱になってしまう。
それが彼女にとっての、「最悪」だったから。
「最悪」となっていたから。
泣き叫んでいるのが、彼の正しい姿だなんて、そんなことは絶対に厭だ。
だから彼女は、踏み止まった。
それは同時に、彼のような者が居なければ、彼女は簡単に正義を自称し、無自覚な悪に堕ちていた、ということ。
ヘルブラは、悟る。
力と恐怖の論理で、彼女達を支配していた、巨磐ども。
彼女も、奴らも、同じだったのだ。
どんな時にも、自分を「正しい側」からズラせない、弱者達だったのだ。
だからみんな、残酷なことを平気でやった。
「正しい側」から、出られなかったから。
身内以外を邪悪なクズと断じて、理解しようともしなかった。
だから、この世で一番嫌いな奴らと、同じかそれ未満の悪に、あっさりと染まってしまえるのだ。
「悪」を切り分けず、その全てを丸ごと拒もうとして、結果的に「最悪」になる。
なんて、なんて愚かしいのだろうか。
彼女達の身と心を殺していた、恐るべき敵。それだけ憎んでいた奴らが、知らないうちに自分の心に巣食っていた、なんて、
そんなことも、気付けなかった。
残飯組は、あの最下層で、この巨磐の巣の、ミニチュアを作ってしまったのだ。
彼女達を虐げてきた者達と、彼女達。
どちらも弱者を踏みつけにした罪人で、けれども彼女達だけが生き残った。
それは善に近かったからじゃない。運が良かっただけだ。
ユイトがユイトでなければ、彼女達は惨たらしく死んでいた。死んで当然の悪の群れだった。
この巣窟の一部として、それほどまでに染まり切って、許しを請える立場じゃなかった。
だから、ユイトがヘルブラに、彼女が奴らに抱くような、身の毛もよだつ特大の嫌悪を、抱いていてもおかしくない。
否、そうでないと、おかしいくらいなのだ。
「ズズ……、ずい゛まぜん……、ふく、よごしちゃって……!」
「私が許したのですよ?その行為を責める権利は、何者も持ち得ない。たとえそれが、お前自身であったとしても」
顔を離し、後ろめたそうにしていたユイトは、エメリアの言葉にホッとはにかむ。
たったそれだけで、二人の間に横たわる、蜜月の信頼関係が見えた。
“気にしい”で、自分そのものを否定しがちなユイトが、主人の前でだけは、無防備な少年になっている。ヘルブラは見たことがなかった、力の抜けた本当の彼。彼女の宝物なんて、不純物の一種だったと、そう思い知らされる。
彼が彼女に「本物」をくれる日なんて、決して来ないだろう。
彼女自身の手で、その未来をぶち壊したのだから。
「ところで」
エメリアのフードの下、その暗がりから、緑色の双光が射した。
「あの者達は?」
ああ、来てしまった。
処刑台へ引きずられる気分の中、彼女達はそんなことを思った。
早く終われとどれだけ願えど、カタツムリの如くノロついていた時間は、過ぎて欲しくない時に限って、矢のように先へ先へと急かす。
審判が、すぐそこまで迫っていた。
彼女達が、当然の流れとして、彼に罰せられる、その時が。
ヘルブラが、大切に想うユイトから、恨みと共に拒まれる、その瞬間が。
ユイトはエメリアの視線を追って、それから彼女達ノームのことを思い出したように、その目をハッとさせてから、
「あっ、そのっ、エメリア様、あの子たちはっ」
バツの悪そうな顔で慌て出し、
「みんな、一緒に、戦ってくれた、味方です……っ」
そう断言した。
「ごめんなさいっ、しっ、紹介するの、忘れてました……っ。あの、オオイワ……あ、つまり、あのデッカい、ノーム達とは、また別で、だから、敵じゃあ……」
「ええ、どうやら」
エメラルドのような冷たい眼光が、彼女達を一周し、
「そのようですね」
どこまで見通したかは分からなかったが、とにかく彼の言い分を受け入れた。
「そこのノーム」
「え……」
「あ、えと、」
「私の従僕が、世話になったようで」
「それは、」
「いや、そのぉ」
「な」
——なんで?
刑場が、遠ざかっていく。
ノーム達の間で、困惑の空気が臭い立つ。
「え?いいの?」、「助かっ、た?」、「これで終わり?」、「このまま、おとがめナシ?」、そんなヒソヒソ声が、聞こえてくるかのようだった。
ユイトから、ヘタクソなアイコンタクトが飛ぶ。
「大丈夫、任せて」、そう伝えたい、のだろうか。
彼はやっぱり、強かったのだ。
受けた仕打ちに対して、憎まずにいられる、大樹の上から仰ぐ大空のような、広い心の持ち主。
自分の痛みに報いるよりも、誰かがこれ以上傷つかないようにしたい、その願いを優先できる人
だから、「いい」のだ。
彼が望むことだから、これが一番「いい」のだ。
これでみんな、幸せになって、全方向が丸く収まるから。
だからこれで、
いいわけなんてない!
「私は……!」
他の誰の顔も、背中も見ずに、体が動いた。
一番最初、一番前。
彼女が初めて見る景色。
道のない暗闇を行く心細さ。
「わたし、は……!」
ユイトが焦っているのが見える。
驚愕の視線が、背中を突く。
足がどんどん重くなって、それでも彼女はまた一歩を踏む。
「わたしは、ユイトを……!」
彼と、その主人と、二人の前に進み出る。
「わたし、ユイトに、ひどいこと、した……しました……!」
緑色の目を持つ女、その手が届くところまで、
処刑台に、今度は自分の足で登る。
正しいとは何だろう?
彼女は考える。
巨磐どもは、彼女の巣を滅ぼして、家族を殺した。
でもそれは、長の暴力から、少しでも長く逃れる為、だったのかもしれない。
長は人を人とも思わず、手足や道具として利用して、利を貪っては使い捨てていた。
けれどその目的は、あのデーモンに殺されたくなかったから、なのかもしれない。
では、あのデーモンは?
分からない。
そう、分からないのだ。
きっとみんな、彼女達と同じように、必死で生きていた。
起こった戦いは、だから善悪や白黒でなく、利害の衝突だった。
ヘルブラは、「分からない」ということを知った。
正しい場所には、もう居れない。
やっと分かった。
この、「正しさが分からない」世界が見えていたから、だからユイトは、いつも怯えているのだ。自分勝手を標榜するのだ。「悪いかどうか」ではなくて、「自分にとって厭かどうか」で、動いていると言い聞かせるのだ。
それは、自分が立つ地面を、取っ払ってしまうようなもので、
辛いことで、疲れることで、怖いことで、
耐えられるわけがないことで、
けれどユイトは、そんな地平で戦っている。
逃げないが故に、苦しんでいる。
彼女は、それを放っておくことなんて、厭だった。
一番厭だと、そう思った。
その重荷の、100分の1でも、1000分の1でも、
一緒に背負って、支えることができたなら。
彼が彼女を本当に許す日が、一生来ないのだとしても、
彼女の全てを救ってくれた、この人の孤独を癒す為に、何かできることがあるのなら、
「あなたの、従者に、毒虫を食わせて…!爪をはいで…!痛がって、泣いてるのを、バカにしました……!」
それから逃げた時が、彼女が本当に死ぬ時だ。
「イライラして、ムシャクシャして、それだけの理由で…!何の罪もない彼を、苦しませました……!」
両膝をついて、額を地面に叩きつける。
ここで首を斬られるかもしれない。
それがなんだ。彼女が彼にしたことに比べれば、まるで生ぬるい。
罪を認めてここで死ぬか。
罪から逃げてここで死ぬか。
その二つなら、「なかったことにしない」方を、彼女は選ぶ。
彼の偉大な戦いを、揉み消さない道を選ぶ。
ブリュネも、他の家族も、エメリアも、きっとユイトも関係無い。
これは「彼女の話」なのだ。
受けるかどうか、彼女の意思で選ぶべき、罰なのだ。
「ごめんなさい……!ほんとうに、ごめんなさい……!」
強くなりたい。
ヘルブラは心から、そう渇望した。




