66.なんで? part1
「なんで?」、
それは怒気混じりの疑問。
ユイトはヘルブラ達の為に、悪魔を殺してくれた。
“神格”、穴の外に疎い彼女でも、名前くらいは聞いたことがある、セラ最強の存在達。その手先を、自らの痛みに耐えながら、倒したのだ。
あんなに非力で、彼女が知る限り一番弱い彼が、知恵と勇気と忍耐で、みんなを救ってくれたという事実。
最弱、ということは、あの悪魔を倒す困難さが、他の誰よりも大きかった、という意味。なのに、他の者が出来なかったことを、彼はやった。
完全武装の戦士達が、どうしても殺せなかった怪物を、非力で丸腰な一人が殺す。そういう伝説が、何より生々しく、実在していた。
どんな英雄譚よりも、魅力的で、刺激的で、痺れるほどに素敵な姿。
そしてそのストーリーの一節で、彼は彼女に、「自分そのもの」を武器として振るわせた、だけでなく、「左手の薬指」を預けてくれた。
ブラスターでデーモン諸共爆発した後、体を再生する基点として、ユイトはヘルブラにそれを持たせた。
彼の命を、全存在を、彼女に握らせたに等しい。
しかも彼の故郷では、その指が「結婚」において重要な役を担う、そんな《《しきたり》》があると言うではないか。
結婚。
ヘルブラはその概念を、かつての群れで習った。
別の群れから通っていた男が、その巣の女とそれをして、そうしたら女の腹から卵が出てきて、その中に新しい赤ん坊が入っている。
その代わりなのか、こちらの巣の男も、別の巣にそれをしに行く。
ブリュネとヘルブラの両親だって、そうやって出逢って、彼女達を産んだらしい。従って「結婚」とは、「子どもを作ろう」と、別の言い方をするなら「家族を作ろう」と、約束し合うことに違いないのだ。
その「家族の約束」にとって重要な物を、ユイトはヘルブラに渡した。
それも、「自分の命そのもの」、という意味まで乗せた上で、だ。
これはもう、“そう”だろう。
“そういうこと”だ。“そう”としか思えない。
彼女が彼に感じていたものを、彼も彼女に感じていたのだ。
家族に、
それも特別な「家族」になりたい。
様々な偶然によって巡り合った二人が、どちらからも具体的な言葉を出さずに、その気持ちを共有する。
“天の計らい”、“運命”以外に、なんと表現できるだろうか?
ヘルブラはまさに、有頂天だった。
ユイトにツノを押し付けて、多幸感が風船めいて膨らんで、空でも飛んでいるかのように、浮ついた気分に包まれた。
久しくしていなかった、「声を出して笑う」なんてことまで、意識もせずにやってしまったくらいだ。
そうと決まれば、あとはもう言葉にして、既成事実化するだけ。
それだけだった。
それで二人は、完璧に通じ合い、家族になる筈だった。
そこを、邪魔された。
一番良い所で、流れを切られ、ムードを乱された。
いや、それはまだいい。良くはないが、だけど大した問題じゃない。
彼女の怒りを本格的に焚いたのは、ユイトの行動の方だ。
彼はあの、陰の取れた、満面の笑みを浮かべて、
ヘルブラから視線を外し、新たに現れた女の、そう、“女”の名を呼んだ。
あの顔を、ヘルブラの宝物を、
家族になるつもりの彼女ではなく、見知らぬ女に向けたのだ。
「なんで?」、
彼女の瞳の中に、夜が来たかのような帳が下ろされる。
けれど彼は気付かない。
視線を切ったまま、彼女を自分の上から退かし、何か言われる前に立ち上がって、その女へと駆け寄ったから。
あまりの迅速さに、ただでさえ狼狽えていたヘルブラでは、反応できなかった。
呆然としたまま、その女を照らそうとするかのように、笑顔を輝かせているユイトの、真っ黒な後頭部を見ているだけ。
もっと正直なことを言うと、途中から彼がどんな表情になっているのか、それすら分からなかった。しばらく彼女の方を、向いてすらくれなかったから。
「なんで?」、何度も繰り返される。
なんで、なんで、なんで、なんでなんでなんでなんで………
脳が頭蓋骨ごと絞られて、熱い液体がドロドロと体に溜まり、骨を溶かしていってしまう。やがて水位は目元まで上がり、視界が沁みるようにボヤけていく。
もう、捨てるの?
もう、要らないの?
そんな情念が口から出かかるも、肝が細いせいで吐くことができない。
その女は不思議な水で、冒険者達の欠損まで治してしまった。
力や有用さにおいてすら、自分が勝るところを見出せず、不安定さを悪化させていくヘルブラの前で、ユイトは敬愛と恭順を示し続ける。
彼女の知らない女に、彼女が一番好きな顔を、捧げ物として供してしまう。
「すいません、エメリア様……」
かと思えば、その女の為に、あっさりと曇らせる。
「あ、あの、僕の、種族のことも、能力のことも、か、隠せそうに、なくて………」
彼にとってあの笑顔が、何も特別なことで、なかったみたいに。
「あっ、罠とか、大丈夫、でした…っ?できるだけ、解除ぉ……って、言っていいのかな?うー、えー、対処、しといた、つもり、だったんです、けど……」
まるで、この巣の中での全てが、
ここまでの指の動き一つ、言葉の一音に至るまで、
その女の為だったみたいに。
「他の冒険者から聞きましたよ?大活躍だったようで」
「えっ、いえっ、僕はあの、逆にこう、助けてもらった、協力してもらった側、と言いますか……」
「ユイト?お前の成果であると、《《この私が》》判断しました。よもや、その意味を忘れたなどと、言うつもりではありませんよね?」
「……っ!……は、はい……!」
「よくやりましたね?誉めて遣わしましょう。お前はその手で、確かな勝利を掴み取った。『成し遂げた』のです、またしても」
女はその手で、生き残りの冒険者達を示した。
自らへの貢ぎ物を、歓び称える王のように。
それはそのまま、それらを差し出した下僕への、至上の褒賞だった。
「そうだぞ兄ちゃん!アンタみたいに良い男にゃあ、なかなか会えねえ!」
「ご主人様の言う通り。神格の末節に勝ったんだから、もっと胸を張りなさい?」
「お前こそ、戦士だ」
女の治療で、ある程度回復した冒険者達が、それを追って肯定する。
大切な人を含めた、複数人からの賞賛という、初めての体験を前にして、目の前にチカチカと星が飛び始めたユイトに対し、止めの一言。
「流石は私のユイト。お前が従者で、私も鼻が高い」
「~~~ッ!?!?あっ、うあっ???あわっ???あ、ありがとう、ございましゅ……」
——やめて……!
自分を置いて、目の前で展開されるサクセスストーリーに、圧力を伴うほどの、強い孤独を感じるヘルブラ。
彼よりも長身なその女に、上から頭を撫でられて、尻尾があれば激しく振っていただろうと、横顔だけでそれが分かるほど、あからさまに心を弾ませるユイト。
その姿がヘルブラの胸を、ミンチにする勢いで掻き回す。
もう我慢ならなかった。
——ユイトは、私の……!
女へ惜しげもなく晒されている、彼女にとって大事なものを、こちらの手に取り戻すべく、深く吸いながら意を決して歩き出す、
ヘルブラが見ているユイトの顔を、一条の光が伝い落ちた。
「え……?」
「あ……えっと……」
彼自身はその温かさで、初めて異常を疑ったらしい。目元を押さえた手が濡れた感触から、やっとのことで確証を得る。
「す、すいません、あの……、ちょっと、感情が、昂っちゃって……」
「み、見苦しいものを……」、そう言いながら慌てて拭き取ろうとするも、堰が切られてしまったからか、感情の漏出が収まらない。
「あ、あれ……、ごめんなさ、ちょっと……なんか……おかしくって……」
ポツリポツリと僅かに降ったのをきっかけに、無数の滴が続く様は、雨の降り始めによく似ていた。
「なんだこれ……、ちょ、バグって……、えっえっ、エメリアさま、すこしまって——」
主人を不快にさせてはならないと、逸らされようとしていた彼の顔は、
「もういいんです、ユイト。ここにはもう、敵はいない」
女に、エメリアに抱き寄せられ、僅かに前を開かれた、ローブの内へとそっと隠された。
「そして今、こうして誰からも見られない、お前だけの時間があります。好きなようになさい。何の気兼ねもせず」
彼は数秒、驚いたように身じろぎをしていたが、やがて、お気に入りの毛布を手繰る幼児のように、エメリアの衣をひっしり掴んで、片時も放さなくなったのだった。
坑道を流れる、幾つかの震える風に、か細い一つがさりげなく足される。
冒険者達は、そこに居るのが“人智を超えた英雄”などではなく、“卑近な少年”であったと知る。
ただの少年が、ただ“死なない”という一点突破で、悪魔を倒した。
倒せてしまった。
それは、知性が持つ力の証明か、
それとも、人の有限性を突きつけられたのか。
そしてヘルブラは——
彼女は目を覚ました。
その頭は、ほんの一刹那で冷めていた。
彼女は思い出したのだ。
デーモンのマナに侵された時、あれほどユイトの姿を恐れた訳。
どうして彼女は、彼が助けに来るわけがないと、信じ切っていたのか。
封印して、仕舞い込んでいた、己の罪とはなんだったのか。
「なんで」?
「なんで」だと?
お前がそれを訊ねるのか?
「家族」になれるなんて、「大切な特別」になれるなんて、本気で思っていたのか?
《《あんなことをしておきながら》》?
自らの恥知らず振りに、ゾッと総毛立つヘルブラ。
背骨と胸骨に囲まれた中身を、その寒気が貫いて、やがて吐き気に変わっていく。
よろめくままに横を見れば、ブリュネも、グラウも、他のノーム達も、一様に同じ顔で震えていた。巨磐の長に二人で呼ばれて、自分達が踊らされていたことを知った、あの時よりも酷い表情。
言い逃れようのない重罪を、自覚してしまった咎人の姿。
思い返してみろ。
家族うんぬん以前に、もっと引いて考えろ。
彼と彼女達、その出会いから今までを、客観視点で見直した時に、
その関係性を、なんと呼ぶ?
敵の敵?共闘者?仲間?友達?そんなわけがあるか。
“敵”だ。
散々にその体で“遊んで”おいて、尊厳も命も親身に救ってもらって、
心労と苦悩を押し付けて、ただ一方的に幸せになった。
奪い尽くした。
巨磐の一族にそれをされた時、彼女達は奴らを「敵」と呼んだ。
ならば彼女達は、自分が彼の「敵」であると、そう認める以外に道はない。
ユイトは、ノーム達の味方だった。
けれどノーム達は紛れもなく、彼にとっての害敵だったのだ。
なにが「結婚」だ。
なにが子どもだ。
なにが100%の笑顔だ。
なんで彼の敵が、そんなものを貰えるなんて、戯言をのうのうと吐けたんだ。




